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蛍視点・1

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 和成に連れられ、向かった場所は、料亭の一室だった。
 四十代と思われる男が一人、先に通されており、蛍達が来るなり、うすっぺらい笑顔を作り、会釈した。
 直感的に、蛍は身構えた。
 だが、和成の大切な客だ。
 笑顔で頭を下げ返した。

「お金を借りるために、こちらの不動産に、抵当権をつけたいんです」

 男は登記事項証明書を、こちらへ渡してきた。
 蛍は内心で眉をゆがめた。
 新築を建てたお客様からの登記の、依頼だったのではなかったか?
 努めて、和成を見ず、用紙を睨む。
 権利部のところに、抵当権設定の文字が並んでいた。
 男は不動産の価値と相当額の金を借りている。
 蛍は男を目にし、小さく頷いた。

「すみません。僕では力になれません」
「どうしてですか?」

 男は愕然とした。

「あの、抵当権を放棄するって人がいて。先生には、そちらの登記もお願いしたくて。だから、この不動産には、まだ価値があると思うんです。ですから」
「そうですか。その方に、返済はされたんですか?」
「え! あ。……はあ。それは……」

 男がハンカチで汗をふく。
 手首に、何かで縛られたような痣があった。

「では、僕たちはこれで。桜井さん」

 和成に目配せし、蛍は部屋から出た。
 料亭の前で、和成に断りを入れ、携帯電話を耳に当てる。
 和成は、こちらが警察と話している間、何も言わなかった。
 蛍は電話を切り、和成と対峙した。

「どうして、本当のことを、言ってくれなかったんですか?」

 和成は何も言わない。

「僕に犯罪の片棒をかつがせるつもりだったんですか?」

 僕だけじゃない、と息を吸い込む。

「あの依頼主も、あなたは見捨てようとしたんだ」

 和成は視線をそらさず、蛍の感情を受け止めた。

「二十四日、うちに来なさい。昭弘も一緒に。妻には確認をとってある。そこで話をしよう」

 老紳士は、それから愛知県に戻るまで、一言も発しなかった。
 蛍も話す気持ちになれず、別れ際に頭を下げて、男から逃げるようにアパートへと急いだ。
 あと少しで、アパートに帰れるというところで公園により、自動販売機で缶コーヒーを買った。
 家に鬱憤を持ち帰りたくなかった。
 冷え冷えとした空気の中、アイスコーヒーを一気に喉へ流し込む。
 外へ吐き出してしまいそうな暴言や態度も、押し流す。
 ついでに、弱気になりそうな自分も。
 飲み終わり、蛍は息をついた。
 そして、ゴミ箱に空き缶を入れ、アパートへと足を向けた。

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