クローバー

上野たすく

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「……っ、ぎ、し」
「なんだ?」
 野岸が一心に気を取られる。
 瞬間、野岸と一心の両脇を回転する炎が走り、図書館の前にいた二人の戦闘員を燃やした。
 戦闘員たちは熱さに悲鳴をあげ、なす術もなく、地面に倒れた。
 二つの黒い煙が、空へと上っていく。
 野岸の震えが、密着した部分から伝わってくる。
「……してだ? どうして、攻撃される?」
 一心は背後に、圧倒的な力を感じた。
 細胞が麻痺を起こしたように、こわばる。
「面白い匂いがしたから、来てみたが。お前ら、二人とも、異質だな」
 背後に、気配がおりたつ。
 言語は理解できる。
 男の声に棘もない。
 にもかかわらず、どうしようもない敗北感に、身が浸る。
「こっちは慰み者か?」
 すぐ近くで声がした。
 髪の毛が尖った若い男の顔が、目前にあり、呼吸がとまる。
 酸素を、うまく、肺まで送ることができない。
 弱肉強食。
 それが自然界の掟。
 人はそこに感情を入れることで、弱者をも守ってきた。
 が、今、傍にいるのは、人ではない。
 人の形をした、別の生き物だ。
 男は野岸の頭を鷲づかみにし、上へとあげた。
 一心は乱暴に地面に投げ捨てられ、呻いた。
「お前、体中から、虫の匂いがするぞ。特に」
 男が野岸を上に投げ、回転させると太ももを掴む。
 白衣の下、白色の甚平の上衣がはだけ、肌が露わになった。
 腹部から胸部へと、黒い模様が見て取れた。
 黒い茎の先端にあるのは、八つ葉のクローバーだ。
「ここから、ぷんぷんする」
 男は野岸の尻を自分の顔の位置まで上げ、楽しげに歯を見せた。
「お前、虫をくわえたな。良い趣味だ」
「違う!」
 野岸の強い否定に、男は愉快そうに目を細めた。
「お前の意思ではない?」
 男が手首をひねり、野岸の腹部を見やる。
「ほう、子宮持ちか。なるほど、理解した。お前は実験体だな。解明しようとした謎は、異種族である虫の子をはらめるかどうか。どうだ、当たっているか?」
 野岸がサッと青ざめる。
 一心は言葉をなくした。
 男が暴いた事実が、野岸が自分の葉の数を言わなかった理由なのだろう。
 男が、また、野岸を宙で回転させ、顎を持った。
 野岸は苦しげに男の手を両手で掴んだ。
「容姿は家畜の中でもマシな方か。決めたぞ。お前を軍で飼ってやる。お前のような薄汚い家畜が、虫どもを産み出す母体として、軍に貢献できるんだ。光栄に思え」
 野岸は目を見開き、絶叫した。
 か細い足が、男を蹴る。
 しかし、男は痛みすら感じていない。
 男は不敵に笑み、野岸の頭を、再度、鷲づかみした。
「家畜の分際で、なに、主人に刃向かっている?」
 ミシミシと野岸の頭蓋骨が軋んだ。
「あ……。あ……」
 野岸の腕が、だらりと垂れ下がる。
 迷ってなどいられない!
 一心はツナギを両手にかけ、渾身の力で立ちあがり、男を殴りつけた。
 不意をつかれた男は、野岸を離し、後ろへと吹っ飛び、図書館の隣の建物に突っ込んだ。
 仰向けに倒れた野岸に駆けよる。
 青年は涙を流していた。
「月見里……」
 一心は青年に触れようとし、ツナギを使ったことを思い出し、口で青年の服を噛みんで、上半身を起こすのを手伝った。
 男を殴った手ごたえはあった。
 だが、相手に、痛手を与えることはできていない。
 確信があった。
「歩け、るか? シェルターへ。ここは、俺が」
 一心の掠れた声を聞き、野岸は首を左右した。
「シェルターへは行けない。あのバケモノが言っていたことは、真実だ。イーバの襲撃に紛れて、研究所から逃げることができた。けど、見つかったら、きっと、連れ戻される。どちらへ転んでも地獄なら、俺はお前を逃がす道を選びたい」
 光は闇があるからこそ、よりいっそう美しく輝く。
 そんな光を、一心はこの地下で、たくさん、見た。
 この世界を支配している、納得のできないルールも、常識も、すべてを把握はしていない。たぶん、それが存在するということは、誰かにとっては都合の良いルールであり、常識なのだろう。
 だけど、本当にそれは曇りのない正しいものなのか?
 一心を、一筋の感情が貫く。
 それは怒りであり、悲しみであり、信念であり、未来への決心だった。
「……わかった」
 野岸が顔を上げる。
 一心は感覚の乏しい拳を、できる限りの力で握りしめた。
「俺が、壊す」
 朔を縛り付けるもの。
 野岸を脅かすもの。
 三つ葉の人たちの未来を奪うもの。
 人の感情を狂わせる、この世界を成り立たせているもの。
「だから」
――だから。
 自分の声に、聞き覚えのある懐かしい男の声が重なり、ハッと目を見開いた。
 左目に黄緑色の血液をかけた男の笑顔が、フラッシュバックし、両目と繋がっている神経から、何かが素早く脳へと伝達される。
 一心しか見ることができない記憶の空間に、長髪の若い男がいた。
 薄緑色の髪色をした男は、一心に慈悲深く、微笑んだ。
――だから、一心に力をあげる。一心自身を守ってくれるように。一心の大切な人を守れるように。合い言葉は、小さな王、だ。
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