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記憶喪失。
甦禰看は朔の症状を診て、そう判断した。
一心が宛がわれた部屋には、甦禰看以外に、野岸と神薙が来ていた。
最初に、部屋を訪れてくれたのは、野岸と神薙だった。片手にビニール袋を持っているところからして、食料を調達してきてくれたのだろう。甦禰看は、朔の様子を心配した、神薙が呼んでくれたのだ。
甦禰看は朔が赤ん坊の状態に戻ったのだ、と一心に説明した。
「思い出だけではなく、道具の使い方、物の意味、そして、日本語も忘れてしまったということです」
一心は甦禰看の言葉を、上手く咀嚼して飲み込むことができなかった。
「記憶を取り戻す方法はないんですか?」
野岸が一心の代わりに、甦禰看に聞いた。
「今は、どんな情報も、朝波君のためになります。私たちが心がけなければいけないのは、朝波君が、何でも一人でできた以前の彼ではないと、受けとめ、行動することです。彼に一つ一つ、生き方を伝えていくのが大切です。もし、記憶が戻らなければ、朝波君は私たちが差し出した情報で人格を形成していきます。悪いことも、良いことも、今、この時からの情報で決まっていくのです」
朔が一心の膝の上で、無邪気にゴロゴロと体を揺する。
朔は朔であって、自分の知っている朔ではない?
どうして、こんなことになった?
一心は弱音を吐かないよう、唇を噛み、朔の頭を撫でた。
甦禰看は膝をつき、一心を見上げた。
「月見里君。朝波君の状態が変わった今、あなたが彼の傍にいてあげることは、とても重要だと、私は思います。戦闘班の試験を直接、受けるのではなく、学校へ通う道も、まだ閉ざされてはいません。もう一度、よく考えて、答えをください」
わかりました、と言おうとし、嗚咽を漏らしてしまった。
甦禰看がそっと体を包んでくれる。
「大丈夫です。大丈夫。あなたは独りではありません」
涙だけが目から零れ落ちた。
一心は泣かせてもらえることに、感謝した。
甦禰看は一心が落ち着くと、夏目啓吾の意識が戻ったことを教えてくれた。
「これから、指令班に朝波君の症状を報告してきます。各班長も、この情報を共有することになるでしょう。彼らは朝波君の功績を知っています。朝波君に恩のある者もいます。きっと、あなた達の力になってくれるはずです。だから、決して、あなたから独りになろうとしないでください。あなたと朝波君から頼ってもらえる機会を、私達に、どうか、与えてください」
一心は小さく頷いた。
「ありがとう、ございます」
甦禰看は野岸と神薙に向き直り、
「二人のこと、よろしくお願いします」
頭を下げた。
彼女は神薙を一瞥し、部屋をあとにした。
シンと空間が静まる。
「とにかく、まずは腹ごしらえしよう。今日こそ、お茶、作るから」
野岸が明るい声で沈黙を破った。
「既製品だけど、握り飯がある。何種類かある。選ぶだろう?」
野岸が傍に来て、ビニール袋を広げてくれる。
朔が笑顔で袋を覗き込んだ。
「朝波も。どれがいい?」
野岸が袋の中身を朔に見せる。
朔は袋もろともかっぱらって、ベッドにお握りや惣菜をぶっちゃけた。
包装されたお握りの形を確かめる朔に、野岸は泣きそうな笑顔を向けた。
「それは食べ物だ」
彼はお握りを一つとり、三角を整えるように握ってみせた。
「こうやって、米の形を整えて作る」
朔が野岸を真似てお握りを揉む。
「そう。上手だ」
笑った野岸を見て、朔がパッと顔を輝かせ、一心はハッとした。
朔は人の表情を理解している。
全身から学習しているんだ。
立ち止まりかけていた心に、エンジンがかかるのを感じた。
「野岸、朔を見ててくれるか?」
青年は声をかけられ、こちらに不安が混じった視線を向けた。
「俺が湯を沸かしてくる」
「……わかった」
野岸は唇を伸ばし、請け負ってくれた。
「あいつも、いい?」
青年が、厳しい表情で立つ神薙を顎でしめす。
「月見里達の食料を買ってきたのは、あいつだ」
昨日の出来事と、今の朔を見れば、原因と結果として結びつけることもできた。
けど、きっと、それは全てではない。
朔の今を不幸だとし、神薙に押しつけても意味がないのだ。
それに、神薙を良しとするのかどうか、決めるのは一心ではなく、朔だ。
朔の中に、神薙への負の感情が残っているのであれば、話は別なのだ。
「朔の様子を見たい」
野岸は頷き、神薙を見た。
「来いよ。考え事するなら、行動してからにしろ」
神薙は俯きがちに、朔へと歩き、しゃがんで目を合せた。
朔は神薙を前にしても、動揺しない。
一心は密かに安堵した。
「朝波君」
神薙は言葉を選ぶのに苦慮し、彼を見つめる朔に、再び視線を合わせた。
「君が記憶を取り戻したら、もう一度、謝罪する。だけど、今の君にも、謝罪させて欲しい。昨日はすまなかった。僕が浅はかだった。朝波君。君は感情を持つ、一人のヒトだ。地上も地下も関係ない。僕達は同じ国に生まれ、育った、ヒトだ。そこに差はない」
懸命な男に対し、朔は首を傾げた。
彼は、自分の思いが届かなかっただろうことに、俯いた。
だが、一心や野岸が助け船を出すより先に、顔を上げ、自分の目を指差した。
「これが僕の目」
朔が興味深そうに見つめる。
「そして、これが朝波君の目」
男は指を揃えて、朔の目を一つ、二つと示した。
「これが僕の鼻」
「そして、これが朝波君の鼻」
男の指先を追い、朔は自分の鼻に視線を集中させた。
「これが僕の口」
「そして」
男が手を動かす前に、朔が自分の口を指差す。
三人の内、一番喜びを表情に出したのは、神薙だった。
「そう。それが朝波君の口だ」
男は朔へと掌を近づけた。
「これが僕の手」
朔は自分の手を見てから、傍に来た神薙の手に付き合わせた。
「それが朝波君の手。僕達にはたくさん同じところがある。僕達は同じ、ヒトという生き物だ」
朔は瞬きもせずに、神薙からの情報を吸収している。
「そして」
神薙が自分の胸に拳を当て、
「僕の心と」
拳が、今度はそっと朔の胸に触れる。
「朝波君の心は違う。これが、個だ。僕達は個を大切にする、ヒトという生き物だ。だから、一人一人、違って良い。僕は僕。朝波君は朝波君だ」
甦禰看は朔の症状を診て、そう判断した。
一心が宛がわれた部屋には、甦禰看以外に、野岸と神薙が来ていた。
最初に、部屋を訪れてくれたのは、野岸と神薙だった。片手にビニール袋を持っているところからして、食料を調達してきてくれたのだろう。甦禰看は、朔の様子を心配した、神薙が呼んでくれたのだ。
甦禰看は朔が赤ん坊の状態に戻ったのだ、と一心に説明した。
「思い出だけではなく、道具の使い方、物の意味、そして、日本語も忘れてしまったということです」
一心は甦禰看の言葉を、上手く咀嚼して飲み込むことができなかった。
「記憶を取り戻す方法はないんですか?」
野岸が一心の代わりに、甦禰看に聞いた。
「今は、どんな情報も、朝波君のためになります。私たちが心がけなければいけないのは、朝波君が、何でも一人でできた以前の彼ではないと、受けとめ、行動することです。彼に一つ一つ、生き方を伝えていくのが大切です。もし、記憶が戻らなければ、朝波君は私たちが差し出した情報で人格を形成していきます。悪いことも、良いことも、今、この時からの情報で決まっていくのです」
朔が一心の膝の上で、無邪気にゴロゴロと体を揺する。
朔は朔であって、自分の知っている朔ではない?
どうして、こんなことになった?
一心は弱音を吐かないよう、唇を噛み、朔の頭を撫でた。
甦禰看は膝をつき、一心を見上げた。
「月見里君。朝波君の状態が変わった今、あなたが彼の傍にいてあげることは、とても重要だと、私は思います。戦闘班の試験を直接、受けるのではなく、学校へ通う道も、まだ閉ざされてはいません。もう一度、よく考えて、答えをください」
わかりました、と言おうとし、嗚咽を漏らしてしまった。
甦禰看がそっと体を包んでくれる。
「大丈夫です。大丈夫。あなたは独りではありません」
涙だけが目から零れ落ちた。
一心は泣かせてもらえることに、感謝した。
甦禰看は一心が落ち着くと、夏目啓吾の意識が戻ったことを教えてくれた。
「これから、指令班に朝波君の症状を報告してきます。各班長も、この情報を共有することになるでしょう。彼らは朝波君の功績を知っています。朝波君に恩のある者もいます。きっと、あなた達の力になってくれるはずです。だから、決して、あなたから独りになろうとしないでください。あなたと朝波君から頼ってもらえる機会を、私達に、どうか、与えてください」
一心は小さく頷いた。
「ありがとう、ございます」
甦禰看は野岸と神薙に向き直り、
「二人のこと、よろしくお願いします」
頭を下げた。
彼女は神薙を一瞥し、部屋をあとにした。
シンと空間が静まる。
「とにかく、まずは腹ごしらえしよう。今日こそ、お茶、作るから」
野岸が明るい声で沈黙を破った。
「既製品だけど、握り飯がある。何種類かある。選ぶだろう?」
野岸が傍に来て、ビニール袋を広げてくれる。
朔が笑顔で袋を覗き込んだ。
「朝波も。どれがいい?」
野岸が袋の中身を朔に見せる。
朔は袋もろともかっぱらって、ベッドにお握りや惣菜をぶっちゃけた。
包装されたお握りの形を確かめる朔に、野岸は泣きそうな笑顔を向けた。
「それは食べ物だ」
彼はお握りを一つとり、三角を整えるように握ってみせた。
「こうやって、米の形を整えて作る」
朔が野岸を真似てお握りを揉む。
「そう。上手だ」
笑った野岸を見て、朔がパッと顔を輝かせ、一心はハッとした。
朔は人の表情を理解している。
全身から学習しているんだ。
立ち止まりかけていた心に、エンジンがかかるのを感じた。
「野岸、朔を見ててくれるか?」
青年は声をかけられ、こちらに不安が混じった視線を向けた。
「俺が湯を沸かしてくる」
「……わかった」
野岸は唇を伸ばし、請け負ってくれた。
「あいつも、いい?」
青年が、厳しい表情で立つ神薙を顎でしめす。
「月見里達の食料を買ってきたのは、あいつだ」
昨日の出来事と、今の朔を見れば、原因と結果として結びつけることもできた。
けど、きっと、それは全てではない。
朔の今を不幸だとし、神薙に押しつけても意味がないのだ。
それに、神薙を良しとするのかどうか、決めるのは一心ではなく、朔だ。
朔の中に、神薙への負の感情が残っているのであれば、話は別なのだ。
「朔の様子を見たい」
野岸は頷き、神薙を見た。
「来いよ。考え事するなら、行動してからにしろ」
神薙は俯きがちに、朔へと歩き、しゃがんで目を合せた。
朔は神薙を前にしても、動揺しない。
一心は密かに安堵した。
「朝波君」
神薙は言葉を選ぶのに苦慮し、彼を見つめる朔に、再び視線を合わせた。
「君が記憶を取り戻したら、もう一度、謝罪する。だけど、今の君にも、謝罪させて欲しい。昨日はすまなかった。僕が浅はかだった。朝波君。君は感情を持つ、一人のヒトだ。地上も地下も関係ない。僕達は同じ国に生まれ、育った、ヒトだ。そこに差はない」
懸命な男に対し、朔は首を傾げた。
彼は、自分の思いが届かなかっただろうことに、俯いた。
だが、一心や野岸が助け船を出すより先に、顔を上げ、自分の目を指差した。
「これが僕の目」
朔が興味深そうに見つめる。
「そして、これが朝波君の目」
男は指を揃えて、朔の目を一つ、二つと示した。
「これが僕の鼻」
「そして、これが朝波君の鼻」
男の指先を追い、朔は自分の鼻に視線を集中させた。
「これが僕の口」
「そして」
男が手を動かす前に、朔が自分の口を指差す。
三人の内、一番喜びを表情に出したのは、神薙だった。
「そう。それが朝波君の口だ」
男は朔へと掌を近づけた。
「これが僕の手」
朔は自分の手を見てから、傍に来た神薙の手に付き合わせた。
「それが朝波君の手。僕達にはたくさん同じところがある。僕達は同じ、ヒトという生き物だ」
朔は瞬きもせずに、神薙からの情報を吸収している。
「そして」
神薙が自分の胸に拳を当て、
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