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120 野岸視点
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昼食後、月見里と朝波、紙袋を持った富嶽と一緒にトレーニングルームに入った。月見里は朝波を布団の上におろして上布団を握らせた。絢斗と富嶽はその間に、中央にある直方体まで歩いた。
「いってくる」
月見里から朝波へのやさしさが音になって、こちらまで届く。月見里が走ってくると、富嶽は直方体の上部を操作し、二セットの机と椅子、そして筆記用具を空間に構築した。
「午後は筆記試験の対策を行う。席につけ」
月見里と目配せし、互いに近くの席に座った。
「絢斗はこれを」
神薙から渡されたワークが机の上にのる。
富嶽を窺う。相手は表情を変えなかったが、目を合わせてくれた。
「一心はこれを」
月見里の机の上には大人っぽいプリントが置かれる。
「過去問だ。時間は気にしなくていい。解けたら答えを渡す。確認後、納得がいかない問題があったら聞きにこい」
遠いな、と思う。教材の雰囲気すら、こんなに違う。
俺が追いつこうと走っても、月見里も走っているのだ。距離は縮まらない。
神薙はやれるとき、やろうと思ったときが、物事を行うには良いのだと慰めてくれた。
だけど、他者との差を目の当たりにし、唇を噛んだ。差があることなんて分かっていたはずなのに。
月見里が問題を解いていく。止まらない鉛筆の音に嫌な汗が流れた。
「もし」
富嶽の声をし、顔を上げた。
「もし、お前が俺の課題をすべてクリアしても力がつかなければ、それはすべて俺の責任だ」
驚いて、首を横に振った。
「それは違います。俺が馬鹿だっただけで、先生は悪くない」
「お前が自分の能力を低く値踏みして、成長を自ら拒むなら、そうだろうな」
不思議な感覚になる。表情が緩まないから分かりにくいが、富嶽は絢斗を励まそうとしてくれている?
心臓が高鳴る。富嶽が自分を見捨てていない。その事実が嬉しかった。
「やめるか?」
「いえ! やめません!」
絢斗は筆箱から鉛筆を出し、ワークの続きに取りかかった。
薄い太文字をなぞり、見本を参考にマスに書いていく。手本の通りに書いているはずなのに、字が歪む。富嶽が背後からこちらの手に、自分の手をそえてきた。自分の書きたい方とは違う方向へと動かされ、脳が混乱する。
「書き順、守れよ」
富嶽が書いていく文字を目で追うのに必死で、声が出ず、代わりに頷いた。富嶽の書く文字は綺麗だった。
「続けてくれ」
そう言うと、富嶽は中央の直方体へと歩いていき、耳の通信機に触れて誰かと話し出した。通話が終わったあと、直方体のパネルを操作する。
「絢斗、あとで、今学んでいることのテストをする。対策しとけ」
視線はパネルに向けたまま、富嶽が名指ししてくる。
「はい」
と答えたものの、不安に眉が歪んだ。
だが、これを覚えなければ、次の段階へ行けない。絢斗は頭の中で音と文字を一致させながら、書きだす練習を繰り返した。
富嶽は予告通り、ひらがなのテストを行い、月見里へと解答書を渡し、質問に対応した。
時間はあっという間に過ぎ、一日目が終わった。富嶽から最後に課題を手渡された。
「できる限りでいい。まずは試験日に健康でいることが大切だ。試験は筆記と実技があるが、戦闘班は実技重視だ。筆記のぶんを補填できる」
だけど、筆記が零点では通らないだろう。
絢斗は奥歯を噛んだ。
「それから、さっき指令班より試験日決定の連絡がきた」
富嶽の言葉に身が硬くなる。
「班員試験は一週間後。受かった者は引き続き、特殊武器の訓練へと進んでもらう」
そんなに早く。絢斗は愕然とした。
時間がない。まだ、テスト問題を読むところにすら行けていないのに。
「何度も言うが」
声がし、視線を上げると富嶽がこちらを見つめていた。
「まずは健康でいろ。無理はするな。お前たちを受からせることが俺の仕事だ。限られた時間で何ができるかは、俺が考える。今日は十分に休め」
富嶽たちが自室へと戻っていったあと、絢斗は部屋で彼らが出て行ったドアを目にした。
月見里が部屋を去る直前、夕飯の手伝いを申し出たが、「昼の分が残っているから大丈夫だ」とやさしく断られた。こちらが悲壮な顔をしていたのだろう。自覚があった。
学ぶことは楽しい。知らないことを知れるから。知ったことが自分の中で蓄積していくことは、知ることよりも、もっと気持ちがいい。おそらく、知識は経験の次に、個人を成り立たせる要素なのだ。
絢斗は経験も知識も、同年代の人たちより少ない。それはつまり、同じ言葉を聞いても理解に差が出るということ。
息苦しくて、酸素を思いっきり吸う。うまく肺に取り込めなくて咳き込んだ。
やると決めたのは自分だ。やらなきゃ変えられない。
無謀だとしても、やらなきゃ、俺はずっと、誰かに頼った生き方しかできない。
部屋のドアが開き、神薙が入ってきた。彼は床にへたり込む絢斗を見るなり、持っていたビニール袋を落とし、駆け寄ってきた。
「どうしたんだ? 気分が悪いのか?」
血相を変えた男の焦り様に、心底、驚いた。
一人じゃないんだと納得すると、急に気持ちが柔らかくなった。
「大丈夫」
応えたのに、相手は眉根を寄せた。
「嘘じゃない。あんたの顔を見たら、大丈夫になった」
神薙が目を見開く。
この人もそうなんだな。俺と同じで、相手の行動が自分の考えの範囲外にあって、心が追いつかないんだ。
「いってくる」
月見里から朝波へのやさしさが音になって、こちらまで届く。月見里が走ってくると、富嶽は直方体の上部を操作し、二セットの机と椅子、そして筆記用具を空間に構築した。
「午後は筆記試験の対策を行う。席につけ」
月見里と目配せし、互いに近くの席に座った。
「絢斗はこれを」
神薙から渡されたワークが机の上にのる。
富嶽を窺う。相手は表情を変えなかったが、目を合わせてくれた。
「一心はこれを」
月見里の机の上には大人っぽいプリントが置かれる。
「過去問だ。時間は気にしなくていい。解けたら答えを渡す。確認後、納得がいかない問題があったら聞きにこい」
遠いな、と思う。教材の雰囲気すら、こんなに違う。
俺が追いつこうと走っても、月見里も走っているのだ。距離は縮まらない。
神薙はやれるとき、やろうと思ったときが、物事を行うには良いのだと慰めてくれた。
だけど、他者との差を目の当たりにし、唇を噛んだ。差があることなんて分かっていたはずなのに。
月見里が問題を解いていく。止まらない鉛筆の音に嫌な汗が流れた。
「もし」
富嶽の声をし、顔を上げた。
「もし、お前が俺の課題をすべてクリアしても力がつかなければ、それはすべて俺の責任だ」
驚いて、首を横に振った。
「それは違います。俺が馬鹿だっただけで、先生は悪くない」
「お前が自分の能力を低く値踏みして、成長を自ら拒むなら、そうだろうな」
不思議な感覚になる。表情が緩まないから分かりにくいが、富嶽は絢斗を励まそうとしてくれている?
心臓が高鳴る。富嶽が自分を見捨てていない。その事実が嬉しかった。
「やめるか?」
「いえ! やめません!」
絢斗は筆箱から鉛筆を出し、ワークの続きに取りかかった。
薄い太文字をなぞり、見本を参考にマスに書いていく。手本の通りに書いているはずなのに、字が歪む。富嶽が背後からこちらの手に、自分の手をそえてきた。自分の書きたい方とは違う方向へと動かされ、脳が混乱する。
「書き順、守れよ」
富嶽が書いていく文字を目で追うのに必死で、声が出ず、代わりに頷いた。富嶽の書く文字は綺麗だった。
「続けてくれ」
そう言うと、富嶽は中央の直方体へと歩いていき、耳の通信機に触れて誰かと話し出した。通話が終わったあと、直方体のパネルを操作する。
「絢斗、あとで、今学んでいることのテストをする。対策しとけ」
視線はパネルに向けたまま、富嶽が名指ししてくる。
「はい」
と答えたものの、不安に眉が歪んだ。
だが、これを覚えなければ、次の段階へ行けない。絢斗は頭の中で音と文字を一致させながら、書きだす練習を繰り返した。
富嶽は予告通り、ひらがなのテストを行い、月見里へと解答書を渡し、質問に対応した。
時間はあっという間に過ぎ、一日目が終わった。富嶽から最後に課題を手渡された。
「できる限りでいい。まずは試験日に健康でいることが大切だ。試験は筆記と実技があるが、戦闘班は実技重視だ。筆記のぶんを補填できる」
だけど、筆記が零点では通らないだろう。
絢斗は奥歯を噛んだ。
「それから、さっき指令班より試験日決定の連絡がきた」
富嶽の言葉に身が硬くなる。
「班員試験は一週間後。受かった者は引き続き、特殊武器の訓練へと進んでもらう」
そんなに早く。絢斗は愕然とした。
時間がない。まだ、テスト問題を読むところにすら行けていないのに。
「何度も言うが」
声がし、視線を上げると富嶽がこちらを見つめていた。
「まずは健康でいろ。無理はするな。お前たちを受からせることが俺の仕事だ。限られた時間で何ができるかは、俺が考える。今日は十分に休め」
富嶽たちが自室へと戻っていったあと、絢斗は部屋で彼らが出て行ったドアを目にした。
月見里が部屋を去る直前、夕飯の手伝いを申し出たが、「昼の分が残っているから大丈夫だ」とやさしく断られた。こちらが悲壮な顔をしていたのだろう。自覚があった。
学ぶことは楽しい。知らないことを知れるから。知ったことが自分の中で蓄積していくことは、知ることよりも、もっと気持ちがいい。おそらく、知識は経験の次に、個人を成り立たせる要素なのだ。
絢斗は経験も知識も、同年代の人たちより少ない。それはつまり、同じ言葉を聞いても理解に差が出るということ。
息苦しくて、酸素を思いっきり吸う。うまく肺に取り込めなくて咳き込んだ。
やると決めたのは自分だ。やらなきゃ変えられない。
無謀だとしても、やらなきゃ、俺はずっと、誰かに頼った生き方しかできない。
部屋のドアが開き、神薙が入ってきた。彼は床にへたり込む絢斗を見るなり、持っていたビニール袋を落とし、駆け寄ってきた。
「どうしたんだ? 気分が悪いのか?」
血相を変えた男の焦り様に、心底、驚いた。
一人じゃないんだと納得すると、急に気持ちが柔らかくなった。
「大丈夫」
応えたのに、相手は眉根を寄せた。
「嘘じゃない。あんたの顔を見たら、大丈夫になった」
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