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第1章 はじめての異世界
15話 血戦
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「テネロ・ショトゥ・タグ:アラウ・スペウ:フェウデク・ルーン!」
俺の声が止まるや否や魔法陣から打ち出された漆黒の矢は、正確にオークの右腕を刺し貫いた。唸り声をあげてオークは巨大な棍棒を取り落とす。
「今だ! 早く村の南の方まで走るんだ!」
俺の怒鳴り声に尻餅をついていた男は慌てて駆けていく。よし、あとはこのオークをどうにかできれば万事解決なのだが。
右腕を負傷した挙句に獲物にも逃げられたオークは怒りの声を漏らしながら、俺をにらみつけてきた。怒りに満ちた双眸に本能的に体が硬直しそうになるのを理性で抑えて、俺はオークの足元に向けて再び魔法の詠唱を開始した。
「テネロ・エメルゲ・クーブ・ウィド:トレイ・ディプ:オーン・ヘウ:ピントトゥワウ・ソルド・デカート:ゼル、トレイ、ゼル・ルーン!」
足元へ向けた両腕の先にある魔法陣が激しく紫に光り、オークの足に枷をはめるようにして黒い板が出現した。この魔法で作り出した物体は空気中に生み出すことはできても、すでに存在しているほかの物体を押しのけて生成されることはない。その弱点を逆に利用したのが今回の魔法だ。オークの足首をぴったりと覆うようにして生み出された黒い足枷は、こちらに踏み出そうとしていたオークを見事に捕らえ体勢を崩させる。
「ここ、だぁあッ!!」
突然行動を制限されたことで焦りを見せるオークに向かって、俺は腰の鞘からグアルドの短剣を抜き放つと地面を蹴って飛び出した。狙うは胸の中央一点。ちょうど心臓のあたりに位置する魔物の核──魔石が破壊されれば魔物は苦しむ間もなく即死する。魔物を拘束して魔石を破壊して倒すのが、消費マナ的にも罪悪感的にも最適だと俺は判断したのだ。
俺の握る刃がオークの胸部に迫る。マナの濃度の違いは自分の体を流れるマナほどではないがなんとなく感じ取れるので、狙いにブレはない。怪我をしていない左腕を地面についたオークの胸に短剣を刺しこんだ。予想外の攻撃にオークは俺をはねのけようと体をよじる。短剣の刃が三分の一ほど肉に入ったところで俺の腕に硬いものに当たる感覚が伝わってくる。そのままさらに力を込めると、多少の抵抗感の後、パキンと砕ける感触が伝わって短剣は奥に進んだ。その瞬間オークは断末魔の叫び声を上げる。大絶叫に耳がおかしくなりそうになるのを耐えながら短剣を突き立てていると、やがて咆哮が止みオークは動かなくなった。マナの供給を停止させると黒い枷は瞬く間に消えてなくなる。
血に濡れた短剣を体から引き抜き後退るとオークはゆっくりと前のめりに倒れた。そしてじわじわと体を灰に変えていった。灰の中に残った砕けた魔石を拾うと、血を振り払った短剣を服の裾で乱暴に拭いて俺は休む間もなく走り出した。これで助けた村人は三人目。相変わらず魔物を殺す罪悪感は俺の心を着実に摩耗させているが、今はそんな私情に流されている暇はコンマ一秒たりともない。少しでも多くの村人を助けることが俺の使命なのだから。
それから三十分は経っただろうか。俺はさらに一人オークに襲われている村人を助けたところでマナを全損し、そろそろ避難場所まで帰還しようとしていた。マナは精神状況によって回復速度が左右するため、一度安静にして休憩しなければ、フラフラのまま救出に行くことになるので村人の救出はおろか、自身の命すら危うくなるからだ。しかし俺が中央の方へ足を踏み出したその瞬間、小さな子供の悲鳴と思しき声が前方の家の裏から響いた。くそ、こんなに自警団が動いているのにまだオークが残っているのか。ズシリと重い頭を振って全速力で声の元へ走り出すと、俺と同時に悲鳴へ駆けだす影が見えた。その直後俺の耳にどこか聞き覚えのある声が届く。
「早く逃げて!」
少女と思しき影が叫ぶが、子供は腰を抜かしているのか逃げ出す気配はない。これはまずい。このままでは二人ともオークの餌食になってしまう。背中を冷や汗が流れるのを感じながら俺はさらに速度を上げて地を蹴った。
普段よりもゆっくりに感じる走行の後、目的地にたどり着いた俺の視界に飛び込んできたのは想像通り立てずに座り込む子供とその子を守る少女、そして二人に迫る普通より一回り大きいオークの姿だった。舐め回すような目つきで二人を狙うオーク。その大木のような腕に握られているのは、しかし先ほどまでのオークが持っていた棍棒ではなく鋭い矢じりを備えた大型の槍だった。粗雑なつくりをしているが、棍棒とは比べようもないほどに、その槍からは刃物特有の刺すような威圧感が放たれている。あんなものに貫かれれば並の人間はまず間違いなく生きては帰れまい。
「そこまでだッ!」
二人の前に飛び込むとオークのターゲットを俺に移らせる。恐怖で俺も足がすくむ。気を抜けば一瞬にして命を奪われるという緊張感に口の中が急速に乾いていく。
狩りの邪魔をされて今までのオークよろしく激しい怒りを滾らせる──ことはなく、なぜかそのオークはにやにやと豚面に不快な笑みを浮かべていた。
「君はその子を連れて逃げろ!」
少女に振り返らずに促す。俺がここでこいつを食い止められれば、少なくともこの二人は救うことが出来るだろう。使命感で恐怖を抑えつけてオークを精一杯にらみつけた。
「でもソーマさんが……!」
少女が俺を心配する。少女が俺の名前を口にしたが、なぜ俺の名前を知っているのか今考えている余裕はないし、もちろん彼女にも俺の心配をする暇はないのだ。焦り交じりに少女に叫ぶ。
「人のことよりまず自分の命を優先しろ! 俺もすぐに追いつく! だから村の中央へ走るんだ!」
俺の怒鳴り声に少女は不安げな表情で頷く。そして子供の手を引いて駆けだした。すぐに追いつくとは言ったものの、現状俺がこのオークに勝てる確証など欠片もない。しかし、ここで俺が負ければさっきの少女たちも助からない。ならばわずかな勝機を探って死力を尽くして戦うしかない。
「いくぞ……ッ!」
短剣を勢いよく抜き放つと、覚悟を決めて俺は敢えてオークに向かって走り出した。今の間合いで槍を対処するとなると、魔法はさっきマナを切らして使えないし、短剣ではリーチが短すぎて届かない。そこで一気に間合いを詰めることで懐に入り、槍のリーチゆえの弱点を利用しようという作戦だ。
俺の挙動に反応してオークは槍で突きを放つ。槍の鋭い一閃を辛うじて右にステップしてかわし、オークの足元まで走りこんだ。ここで足を狙って転倒させればこいつの行動は大きく制限されるはずだ。
しかし俺が短剣を横後方に振りかぶったところで予想外のアクシデントが起きた。オークの鈍重な足が恐ろしい速度で俺に向かって蹴り上げられたのだ。レンガじみた蹄のついた巨大な足がすさまじい速度で俺の腹に迫り衝突する。その瞬間、腹部が爆発したかのような衝撃とともに俺の体は空中に放り出される。そのまま俺はくるくると後方に吹き飛んで背中から地面に叩きつけられた。蹴りと着地の衝撃にまともに呼吸が出来ない。頭を打ち付けて軽く脳震盪を起こしたのか、視界がぐにゃりと歪む。こいつ、今までのオークと確実に違う。一撃目の槍の突きは蹴りを隠すためのブラフだったのか。遅まきながら相対する魔物の戦闘の熟練度の違いを見せつけられた。ここで俺の人生は終わってしまうのか。……いや、まだだ。まだ死ねない。死は敗北を意味する。俺はこの戦いに負けるわけにはいかないのだ。
再び闘志の炎が俺の中にちらつきはじめ、体がいうことを聞くようになってきた。立ち上がりオークに向き合う。先ほどの思考はほぼ一瞬の間の出来事だったようで、オークの位置はほとんど変わっていない。しかし、相手は俺の調子など待つわけもなく、槍を大きく上空に振りかぶっていた。当たれば俺の体は真っ二つ。今から避けてもすぐに軌道を補正して槍を外すことはないだろうし、受け止められるような魔法を使えるほどマナに余裕はない。しかし、それでも今の俺には絶望の感情はない。
対にオークの凶悪な槍がまっすぐ俺に向かって振り下ろされた。思考が何倍にも加速されているのか、ゆっくりとした視界の中で槍の軌道がやけにはっきりと視認できる。俺は短剣の刃を傾けて矢じりの軌道に沿わせた。刃と刃が触れ合う瞬間、グラインダーで金属を研磨した時のような火花とともに、つんざくような轟音があたりに響き渡った。俺に向かってまっすぐ振り下ろされた槍は、俺の体を両断することはなく俺の左に逸れて地面に突き刺さった。グアルドの短剣は見事に槍の一閃を逸らして見せたのだ。びりびりと衝突の振動が腕にまで伝わってくる。今がチャンスだ。奴の得物は地面に刺さって抜けない。この隙を突くしか俺にはもう選択肢が残されていない。
「う、おおぉッ!!」
軋む体に鞭を打ってオークの懐に飛び込む。先ほどの攻撃を回避されるとは予測していなかったのであろう、オークの顔にもさすがに驚くと焦りの表情が表れている。俺は槍を振って前傾姿勢になった上半身の中央部、核が存在するポイントに全力の突きを放った。短剣の切っ先がオークの皮膚を破ろうとしたその瞬間、オークの体が突然大きく動く。俺の繰り出した短剣を回避するために、オークは刺さった槍を支えにして前方に回った。巨体が頭上を回っていく。そうして俺の攻撃を見事に回避したオークは不敵な笑みを浮かべて素手で俺に向き直った。再びの形勢逆転に焦燥の汗が流れ落ちる。
「はあ……、はあ……っ、まじかよ……ッ!」
やはりこいつは普通のオークとは何か違う。先頭のセンスが他とは一線を画している。槍を手放してリーチが縮んだとはいえ、俺の体力的にも長期戦に持ち込まれればまずいことになる。
荒い息を上げながら短剣を構えなおす俺に、さらに追い打ちをかけるようにふたたび悲鳴が上がった。直後視界に映り込んだ光景に俺は絶句する。
俺が逃がしたはずの二人の前に新たなオークが迫っていた。その手に握られた槍が火事の火を怪しく反射する。
「まさかあいつも……!?」
視線が新たな刺客に泳いだ瞬間、対面するオークが急接近してきた。弓のように弾き絞られた拳がまっすぐ俺の体を狙う。慌てて拳撃を逸らせようと短剣を構えたが、飛んできた拳を短剣で完全に逸らすことが出来ず俺はまたもや後方に吹き飛ばされる。何とか転ばずに着地に成功するが、すぐさまオークの次の攻撃が飛んでくる。短剣で逸らしたりステップでぎりぎりかわしたりしながらなんとか体勢を立て直す。このままこいつにつきっきりになっていればあの二人を見殺しにしてしまう。何とか解決策を考えようとするも、そんな俺を妨害するようにオークの打撃が迫る。
「逃げろーッ!!」
もはや俺の願いでしかない言葉を叫ぶが、二人には届かない。焦りで体の動きが単調になってしまう。そこを目ざとく発見したオークが地を這うようなローキックを放った。俺は避けることもできずにもろに蹴りを食らってごろごろと転がる。
転がったままの視界に逃げる二人の姿が映る。しかし、小さな子供の逃げ足ではオークを撒けず、鋭い槍がすさまじいスピードで迫った。避けろ! と叫ぼうとするが声が出ない。絶望の表情を浮かべた子供に矢じりが到達する寸前。突如その子は横に転がり、代わりに槍の矛先に少女が飛び出す。
「やめろおおお!!」
俺の掠れた叫びも虚しく、オークの槍は少女の細い体をいとも簡単に貫いた。少女の腹部から飛び出した矢じりに、暗闇でも見えるほどに真赤な血が伝い流れていく。そしてオークは勝ち誇ったように槍を持ち上げて咆哮を上げた。槍が持ち上げられたことによって串刺しになった少女の血の気が引いた蒼白な顔がはっきりと映し出される。
「おい……、嘘だろ……」
オークの槍に串刺しにされた少女の顔は、まさしくフェルテルのものだった。フェルテルが串刺しになった槍を掲げて見せたオークがようやく雄たけびを終えて槍を振り払うと、彼女はずるりと槍から抜けて地面に転がった。そのまま彼女はピクリとも動かないが、そんな状態など我関せずといったように腹部からは絶えず血が流れ続けている。フェルテルが自らの命を懸けて助けた子供も、すぐさまオークが捕らえてその命をいとも簡単に奪い取った。
……小さな子供を守るために果敢にも矢じりの目の前に飛び出したフェルテルに比べて、俺は一体何をしたというのだ? ……オークの攻撃に油断して、俺は何もできずに無様に転がっていたのだ。結局俺は、ノルト村長との約束もフェルテルとの約束も守ることが出来なかったのだ。
かつてないほどの絶望が俺の心を埋め尽くす。体に力が入らない。それどころか動かそうという気すら俺の中にはないのかもしれない。……もう何も見たくない。もう何もしたくない。このまま俺はオークたちに無残に殺されてしまうのだろう。それもむしろ、嘘つきの俺にはちょうどいい罰なのかもしれない。フェルテルの仇を討つこともなく、俺は命を投げ出す……。
「……そんなこと、出来るわけがねえだろうがあああっ!!!」
突如、自身でも驚くほどに体の底から激しい怒りが沸いてくる。その瞬間、手放そうとしていたはずの意識が急速に回帰した。薪をくべた焚火かのように熱を持った心臓が鼓動を打ち、体を血が駆け巡っていくのを感じる。大切な家族であるフェルテルを殺したオークたちにも、何もできなかった俺にも向けられた地獄の業火のような憤怒は、かの標的を殺すために俺の体を突き動かし始めた。徹底的に殺す。どんなに傷ついても殺す。できる限り苦しめて殺す。もはや俺の心には罪悪感など微塵も残されてなどいなかった。
立ち上がった俺に向かって先ほど俺を蹴飛ばしたオークが迫る。そんなオークに対して俺は腕を伸ばして詠唱する。
「テネロ・エメルゲ・ルーンッ!!」
本来ならばガス状の球体を生み出すだけであるはず、いや、そもそもマナの全損に伴って発動しないはずの魔法は、さながら俺の心象を具現化したかのような無数のねじくれたスパイクを出現させた。そのまま恐ろしいスピードで漆黒の棘は植物のように伸びていき、槍を振り上げたオークの全身を穿った。体中をハチの巣にされたオークは、黒い棘の枝が消えるやいなや断末魔の叫び声を上げて前のめりに倒れる。そして生命活動の終わりを告げるようにじわじわとその体を灰に変えていった。
死亡を確認した俺は残党のオークに標的を変える。件の魔物は先刻雄たけびを上げていたとは思えないほどにおびえた表情で俺を警戒している。死の恐怖を感じてでもいるというのだろうか。軽々しくフェルテルの命を奪っておいて恐怖に慄くなど、ふざけているのもほどがある。オークの行動にさらなる激怒の炎を滾らせて、俺はオークに向かって行った。こいつはフェルテルの腹を貫いたのだ。同じ目、あるいはそれ以上の目に合わせてやらなければ気が済まない。
「テネロ・ショトゥ・ルーンッ!!」
再び詠唱した魔法から放たれたのは、シュトゥという式句において、生成する物体が未指定の状態のとき出現する球体とはまったく異なる、一本の黒い大槍だった。所々に先ほどのスパイクに酷似した小さな棘が生えたその槍は、超速でオークの腹に飛び込んでいった。そのまま抵抗なく腹を突き抜け、オークの腹に向こう側が見えるほどの大穴を穿つ。突然の激痛にオークは先ほどの雄たけびとは真逆の絶叫を上げる。必死に腹を抑えているが穴の中からはとめどなく赤黒い液体がこぼれる。膝をついて叫び声を上げ続けるオークに俺は向かって行く。こんなものではまだ足りない。その身に余るほどの苦痛を味わわせてやる。
短剣を握り締めた俺はオークに飛びかかると左の肩口に刃を叩きつけた。短剣とは言えども研ぎあげられた立派な刃物である。振り下ろした短剣はいとも簡単に表皮を破ると、深々と肩関節に刺しこまれていった。刺さった短剣を力いっぱい下にさらに振り下ろすとごりごりと何かを強引に押し通りながらわきのあたりから短剣が飛び出した。左腕を切断されたオークが悲痛の声を漏らす。そして俺は止まることなくもう一本の腕も両断した。両側から血を流しながら苦しみ悶えるオークの首元に向けて、俺は左側に引き戻した血濡れの短剣を思い切り振り抜いた。迫る刃がスローモーションのように視界に移る。急速に接近する短剣はいとも簡単に首をその鋭さを以って切り開いていくと、がつん、という骨に衝突する感覚を伝えたのち、それすら通過して右側から抜けていった。夜空に赤々とした血しぶきが舞う。オークはうなだれた体勢のままずるずると頭を地面に落として息絶えた。やがてさっきと同じように所々から灰に変わっていく。
オークの討伐が終わったことを告げるように辺りが明るくなり始めた。ようやく悪夢の夜が終わり、朝日が昇ってきたのだ。……終わった。痛いほどに握りしめていた短剣がするりと俺の手から落ちていく。カラン、という金属音だけがその場に響く。戦いの終了を認識した途端体から何か重大なものが欠損したかのような感覚を覚える。恐らくマナが底を尽きたのだろう。いや、底なんてものはとうに超して、さらに奥の何かを奪われたのかもしれない。オークに攻撃を受けた箇所がずきずきと鈍い痛みを訴える。これは骨が折れた痛みか、それとも内臓が損傷した痛みか。
そんなことはどうだっていい。俺は悲鳴を上げる体をぎこちなく動かしてフェルテルの元へ駆け寄る。そばに跪き、一縷の望みを賭けてフェルテルの呼吸を確認すると弱弱しくだがまだ息をしていた。安堵感に気が遠のくのを耐えて、俺はフェルテルに呼びかけた。
「フェルテル、なあフェルテル! 起きなよ、フェルテル!」
何度も、何度もフェルテルの名前を呼び続ける。このまま目を覚まさないのでないか、そんな絶望感が再び俺に忍び寄ってきたところで、フェルテルはゆっくりと目を開けた。びくりと心臓が跳ねる。
「……ああ、ソ……マさん、え、へへ……、ごめん、なさい、私のほうこそ……無茶しちゃいまし……、たね」
絶え絶えにフェルテルが言葉を紡ぐ。それはフェルテルの命が危ういことをまざまざと俺に伝えていた。
「ごめん……ッ、俺のせいでッ、フェルテルが、フェルテルが……ッ!」
焦りと混乱で過呼吸気味になる俺にフェルテルは優しく語りかける。
「ソーマさんのせいじゃ、ゴホッ、ないですよ……。私が勝手に、やったことですから……。自分を……、責めないで」
フェルテルが俺を慰めてくれるが、俺はさらに絶望と焦り、そして自身への怒りを募らせていた。俺がもっと考えて動けていれば。俺がもっと強ければ。
「泣か、ないで……、ね……?」
いつの間にか泣いていた俺の涙を、フェルテルが震える手を持ち上げて拭った。その手を握るとすでに氷のように冷え切っている。
「待ってろ、いまみんなのところに連れていくから、ライさんなら何とかしてくれるよ!」
フェルテルを抱き上げようとする俺の腕をフェルテルが制した。
「もう、私は助かり……、ません。……だからソーマさん……、怖くないように、最後の……、時までここで、手を握っていてください」
フェルテルの言葉に俺は反論することが出来ない。それほどまでに彼女の言葉には力が、そして心がこもっていた。震える両手でフェルテルの小さな手を出来る限り優しく包む。フェルテルが目じりに涙を浮かべて柔らかく微笑んだ。
「えへへ……、ソーマ……、さんの手、……あったかい……」
何とか返答しようとするも涙で声が出ない。何とか言葉を紡ごうとして結局出た言葉は、
「フェルテル、大好きだよ」
というなんとも稚拙なものだった。しかしその言葉には俺のフェルテルへの万感の思いが込められていた。見知らぬ俺を家族のように扱ってくれたフェルテルは、いつしか俺の中では家族といっても過言ではないほど大切な存在になっていた。
俺の言葉を聞いたフェルテルがふっと笑って言葉を返す。
「私も、大好きですよ、ソーマさん」
言葉を紡いだフェルテルは、そのままゆっくりと目を閉じて眠りについた。俺のものともフェルテルのものともつかぬ涙が彼女の頬を伝って落ちていった。
俺の声が止まるや否や魔法陣から打ち出された漆黒の矢は、正確にオークの右腕を刺し貫いた。唸り声をあげてオークは巨大な棍棒を取り落とす。
「今だ! 早く村の南の方まで走るんだ!」
俺の怒鳴り声に尻餅をついていた男は慌てて駆けていく。よし、あとはこのオークをどうにかできれば万事解決なのだが。
右腕を負傷した挙句に獲物にも逃げられたオークは怒りの声を漏らしながら、俺をにらみつけてきた。怒りに満ちた双眸に本能的に体が硬直しそうになるのを理性で抑えて、俺はオークの足元に向けて再び魔法の詠唱を開始した。
「テネロ・エメルゲ・クーブ・ウィド:トレイ・ディプ:オーン・ヘウ:ピントトゥワウ・ソルド・デカート:ゼル、トレイ、ゼル・ルーン!」
足元へ向けた両腕の先にある魔法陣が激しく紫に光り、オークの足に枷をはめるようにして黒い板が出現した。この魔法で作り出した物体は空気中に生み出すことはできても、すでに存在しているほかの物体を押しのけて生成されることはない。その弱点を逆に利用したのが今回の魔法だ。オークの足首をぴったりと覆うようにして生み出された黒い足枷は、こちらに踏み出そうとしていたオークを見事に捕らえ体勢を崩させる。
「ここ、だぁあッ!!」
突然行動を制限されたことで焦りを見せるオークに向かって、俺は腰の鞘からグアルドの短剣を抜き放つと地面を蹴って飛び出した。狙うは胸の中央一点。ちょうど心臓のあたりに位置する魔物の核──魔石が破壊されれば魔物は苦しむ間もなく即死する。魔物を拘束して魔石を破壊して倒すのが、消費マナ的にも罪悪感的にも最適だと俺は判断したのだ。
俺の握る刃がオークの胸部に迫る。マナの濃度の違いは自分の体を流れるマナほどではないがなんとなく感じ取れるので、狙いにブレはない。怪我をしていない左腕を地面についたオークの胸に短剣を刺しこんだ。予想外の攻撃にオークは俺をはねのけようと体をよじる。短剣の刃が三分の一ほど肉に入ったところで俺の腕に硬いものに当たる感覚が伝わってくる。そのままさらに力を込めると、多少の抵抗感の後、パキンと砕ける感触が伝わって短剣は奥に進んだ。その瞬間オークは断末魔の叫び声を上げる。大絶叫に耳がおかしくなりそうになるのを耐えながら短剣を突き立てていると、やがて咆哮が止みオークは動かなくなった。マナの供給を停止させると黒い枷は瞬く間に消えてなくなる。
血に濡れた短剣を体から引き抜き後退るとオークはゆっくりと前のめりに倒れた。そしてじわじわと体を灰に変えていった。灰の中に残った砕けた魔石を拾うと、血を振り払った短剣を服の裾で乱暴に拭いて俺は休む間もなく走り出した。これで助けた村人は三人目。相変わらず魔物を殺す罪悪感は俺の心を着実に摩耗させているが、今はそんな私情に流されている暇はコンマ一秒たりともない。少しでも多くの村人を助けることが俺の使命なのだから。
それから三十分は経っただろうか。俺はさらに一人オークに襲われている村人を助けたところでマナを全損し、そろそろ避難場所まで帰還しようとしていた。マナは精神状況によって回復速度が左右するため、一度安静にして休憩しなければ、フラフラのまま救出に行くことになるので村人の救出はおろか、自身の命すら危うくなるからだ。しかし俺が中央の方へ足を踏み出したその瞬間、小さな子供の悲鳴と思しき声が前方の家の裏から響いた。くそ、こんなに自警団が動いているのにまだオークが残っているのか。ズシリと重い頭を振って全速力で声の元へ走り出すと、俺と同時に悲鳴へ駆けだす影が見えた。その直後俺の耳にどこか聞き覚えのある声が届く。
「早く逃げて!」
少女と思しき影が叫ぶが、子供は腰を抜かしているのか逃げ出す気配はない。これはまずい。このままでは二人ともオークの餌食になってしまう。背中を冷や汗が流れるのを感じながら俺はさらに速度を上げて地を蹴った。
普段よりもゆっくりに感じる走行の後、目的地にたどり着いた俺の視界に飛び込んできたのは想像通り立てずに座り込む子供とその子を守る少女、そして二人に迫る普通より一回り大きいオークの姿だった。舐め回すような目つきで二人を狙うオーク。その大木のような腕に握られているのは、しかし先ほどまでのオークが持っていた棍棒ではなく鋭い矢じりを備えた大型の槍だった。粗雑なつくりをしているが、棍棒とは比べようもないほどに、その槍からは刃物特有の刺すような威圧感が放たれている。あんなものに貫かれれば並の人間はまず間違いなく生きては帰れまい。
「そこまでだッ!」
二人の前に飛び込むとオークのターゲットを俺に移らせる。恐怖で俺も足がすくむ。気を抜けば一瞬にして命を奪われるという緊張感に口の中が急速に乾いていく。
狩りの邪魔をされて今までのオークよろしく激しい怒りを滾らせる──ことはなく、なぜかそのオークはにやにやと豚面に不快な笑みを浮かべていた。
「君はその子を連れて逃げろ!」
少女に振り返らずに促す。俺がここでこいつを食い止められれば、少なくともこの二人は救うことが出来るだろう。使命感で恐怖を抑えつけてオークを精一杯にらみつけた。
「でもソーマさんが……!」
少女が俺を心配する。少女が俺の名前を口にしたが、なぜ俺の名前を知っているのか今考えている余裕はないし、もちろん彼女にも俺の心配をする暇はないのだ。焦り交じりに少女に叫ぶ。
「人のことよりまず自分の命を優先しろ! 俺もすぐに追いつく! だから村の中央へ走るんだ!」
俺の怒鳴り声に少女は不安げな表情で頷く。そして子供の手を引いて駆けだした。すぐに追いつくとは言ったものの、現状俺がこのオークに勝てる確証など欠片もない。しかし、ここで俺が負ければさっきの少女たちも助からない。ならばわずかな勝機を探って死力を尽くして戦うしかない。
「いくぞ……ッ!」
短剣を勢いよく抜き放つと、覚悟を決めて俺は敢えてオークに向かって走り出した。今の間合いで槍を対処するとなると、魔法はさっきマナを切らして使えないし、短剣ではリーチが短すぎて届かない。そこで一気に間合いを詰めることで懐に入り、槍のリーチゆえの弱点を利用しようという作戦だ。
俺の挙動に反応してオークは槍で突きを放つ。槍の鋭い一閃を辛うじて右にステップしてかわし、オークの足元まで走りこんだ。ここで足を狙って転倒させればこいつの行動は大きく制限されるはずだ。
しかし俺が短剣を横後方に振りかぶったところで予想外のアクシデントが起きた。オークの鈍重な足が恐ろしい速度で俺に向かって蹴り上げられたのだ。レンガじみた蹄のついた巨大な足がすさまじい速度で俺の腹に迫り衝突する。その瞬間、腹部が爆発したかのような衝撃とともに俺の体は空中に放り出される。そのまま俺はくるくると後方に吹き飛んで背中から地面に叩きつけられた。蹴りと着地の衝撃にまともに呼吸が出来ない。頭を打ち付けて軽く脳震盪を起こしたのか、視界がぐにゃりと歪む。こいつ、今までのオークと確実に違う。一撃目の槍の突きは蹴りを隠すためのブラフだったのか。遅まきながら相対する魔物の戦闘の熟練度の違いを見せつけられた。ここで俺の人生は終わってしまうのか。……いや、まだだ。まだ死ねない。死は敗北を意味する。俺はこの戦いに負けるわけにはいかないのだ。
再び闘志の炎が俺の中にちらつきはじめ、体がいうことを聞くようになってきた。立ち上がりオークに向き合う。先ほどの思考はほぼ一瞬の間の出来事だったようで、オークの位置はほとんど変わっていない。しかし、相手は俺の調子など待つわけもなく、槍を大きく上空に振りかぶっていた。当たれば俺の体は真っ二つ。今から避けてもすぐに軌道を補正して槍を外すことはないだろうし、受け止められるような魔法を使えるほどマナに余裕はない。しかし、それでも今の俺には絶望の感情はない。
対にオークの凶悪な槍がまっすぐ俺に向かって振り下ろされた。思考が何倍にも加速されているのか、ゆっくりとした視界の中で槍の軌道がやけにはっきりと視認できる。俺は短剣の刃を傾けて矢じりの軌道に沿わせた。刃と刃が触れ合う瞬間、グラインダーで金属を研磨した時のような火花とともに、つんざくような轟音があたりに響き渡った。俺に向かってまっすぐ振り下ろされた槍は、俺の体を両断することはなく俺の左に逸れて地面に突き刺さった。グアルドの短剣は見事に槍の一閃を逸らして見せたのだ。びりびりと衝突の振動が腕にまで伝わってくる。今がチャンスだ。奴の得物は地面に刺さって抜けない。この隙を突くしか俺にはもう選択肢が残されていない。
「う、おおぉッ!!」
軋む体に鞭を打ってオークの懐に飛び込む。先ほどの攻撃を回避されるとは予測していなかったのであろう、オークの顔にもさすがに驚くと焦りの表情が表れている。俺は槍を振って前傾姿勢になった上半身の中央部、核が存在するポイントに全力の突きを放った。短剣の切っ先がオークの皮膚を破ろうとしたその瞬間、オークの体が突然大きく動く。俺の繰り出した短剣を回避するために、オークは刺さった槍を支えにして前方に回った。巨体が頭上を回っていく。そうして俺の攻撃を見事に回避したオークは不敵な笑みを浮かべて素手で俺に向き直った。再びの形勢逆転に焦燥の汗が流れ落ちる。
「はあ……、はあ……っ、まじかよ……ッ!」
やはりこいつは普通のオークとは何か違う。先頭のセンスが他とは一線を画している。槍を手放してリーチが縮んだとはいえ、俺の体力的にも長期戦に持ち込まれればまずいことになる。
荒い息を上げながら短剣を構えなおす俺に、さらに追い打ちをかけるようにふたたび悲鳴が上がった。直後視界に映り込んだ光景に俺は絶句する。
俺が逃がしたはずの二人の前に新たなオークが迫っていた。その手に握られた槍が火事の火を怪しく反射する。
「まさかあいつも……!?」
視線が新たな刺客に泳いだ瞬間、対面するオークが急接近してきた。弓のように弾き絞られた拳がまっすぐ俺の体を狙う。慌てて拳撃を逸らせようと短剣を構えたが、飛んできた拳を短剣で完全に逸らすことが出来ず俺はまたもや後方に吹き飛ばされる。何とか転ばずに着地に成功するが、すぐさまオークの次の攻撃が飛んでくる。短剣で逸らしたりステップでぎりぎりかわしたりしながらなんとか体勢を立て直す。このままこいつにつきっきりになっていればあの二人を見殺しにしてしまう。何とか解決策を考えようとするも、そんな俺を妨害するようにオークの打撃が迫る。
「逃げろーッ!!」
もはや俺の願いでしかない言葉を叫ぶが、二人には届かない。焦りで体の動きが単調になってしまう。そこを目ざとく発見したオークが地を這うようなローキックを放った。俺は避けることもできずにもろに蹴りを食らってごろごろと転がる。
転がったままの視界に逃げる二人の姿が映る。しかし、小さな子供の逃げ足ではオークを撒けず、鋭い槍がすさまじいスピードで迫った。避けろ! と叫ぼうとするが声が出ない。絶望の表情を浮かべた子供に矢じりが到達する寸前。突如その子は横に転がり、代わりに槍の矛先に少女が飛び出す。
「やめろおおお!!」
俺の掠れた叫びも虚しく、オークの槍は少女の細い体をいとも簡単に貫いた。少女の腹部から飛び出した矢じりに、暗闇でも見えるほどに真赤な血が伝い流れていく。そしてオークは勝ち誇ったように槍を持ち上げて咆哮を上げた。槍が持ち上げられたことによって串刺しになった少女の血の気が引いた蒼白な顔がはっきりと映し出される。
「おい……、嘘だろ……」
オークの槍に串刺しにされた少女の顔は、まさしくフェルテルのものだった。フェルテルが串刺しになった槍を掲げて見せたオークがようやく雄たけびを終えて槍を振り払うと、彼女はずるりと槍から抜けて地面に転がった。そのまま彼女はピクリとも動かないが、そんな状態など我関せずといったように腹部からは絶えず血が流れ続けている。フェルテルが自らの命を懸けて助けた子供も、すぐさまオークが捕らえてその命をいとも簡単に奪い取った。
……小さな子供を守るために果敢にも矢じりの目の前に飛び出したフェルテルに比べて、俺は一体何をしたというのだ? ……オークの攻撃に油断して、俺は何もできずに無様に転がっていたのだ。結局俺は、ノルト村長との約束もフェルテルとの約束も守ることが出来なかったのだ。
かつてないほどの絶望が俺の心を埋め尽くす。体に力が入らない。それどころか動かそうという気すら俺の中にはないのかもしれない。……もう何も見たくない。もう何もしたくない。このまま俺はオークたちに無残に殺されてしまうのだろう。それもむしろ、嘘つきの俺にはちょうどいい罰なのかもしれない。フェルテルの仇を討つこともなく、俺は命を投げ出す……。
「……そんなこと、出来るわけがねえだろうがあああっ!!!」
突如、自身でも驚くほどに体の底から激しい怒りが沸いてくる。その瞬間、手放そうとしていたはずの意識が急速に回帰した。薪をくべた焚火かのように熱を持った心臓が鼓動を打ち、体を血が駆け巡っていくのを感じる。大切な家族であるフェルテルを殺したオークたちにも、何もできなかった俺にも向けられた地獄の業火のような憤怒は、かの標的を殺すために俺の体を突き動かし始めた。徹底的に殺す。どんなに傷ついても殺す。できる限り苦しめて殺す。もはや俺の心には罪悪感など微塵も残されてなどいなかった。
立ち上がった俺に向かって先ほど俺を蹴飛ばしたオークが迫る。そんなオークに対して俺は腕を伸ばして詠唱する。
「テネロ・エメルゲ・ルーンッ!!」
本来ならばガス状の球体を生み出すだけであるはず、いや、そもそもマナの全損に伴って発動しないはずの魔法は、さながら俺の心象を具現化したかのような無数のねじくれたスパイクを出現させた。そのまま恐ろしいスピードで漆黒の棘は植物のように伸びていき、槍を振り上げたオークの全身を穿った。体中をハチの巣にされたオークは、黒い棘の枝が消えるやいなや断末魔の叫び声を上げて前のめりに倒れる。そして生命活動の終わりを告げるようにじわじわとその体を灰に変えていった。
死亡を確認した俺は残党のオークに標的を変える。件の魔物は先刻雄たけびを上げていたとは思えないほどにおびえた表情で俺を警戒している。死の恐怖を感じてでもいるというのだろうか。軽々しくフェルテルの命を奪っておいて恐怖に慄くなど、ふざけているのもほどがある。オークの行動にさらなる激怒の炎を滾らせて、俺はオークに向かって行った。こいつはフェルテルの腹を貫いたのだ。同じ目、あるいはそれ以上の目に合わせてやらなければ気が済まない。
「テネロ・ショトゥ・ルーンッ!!」
再び詠唱した魔法から放たれたのは、シュトゥという式句において、生成する物体が未指定の状態のとき出現する球体とはまったく異なる、一本の黒い大槍だった。所々に先ほどのスパイクに酷似した小さな棘が生えたその槍は、超速でオークの腹に飛び込んでいった。そのまま抵抗なく腹を突き抜け、オークの腹に向こう側が見えるほどの大穴を穿つ。突然の激痛にオークは先ほどの雄たけびとは真逆の絶叫を上げる。必死に腹を抑えているが穴の中からはとめどなく赤黒い液体がこぼれる。膝をついて叫び声を上げ続けるオークに俺は向かって行く。こんなものではまだ足りない。その身に余るほどの苦痛を味わわせてやる。
短剣を握り締めた俺はオークに飛びかかると左の肩口に刃を叩きつけた。短剣とは言えども研ぎあげられた立派な刃物である。振り下ろした短剣はいとも簡単に表皮を破ると、深々と肩関節に刺しこまれていった。刺さった短剣を力いっぱい下にさらに振り下ろすとごりごりと何かを強引に押し通りながらわきのあたりから短剣が飛び出した。左腕を切断されたオークが悲痛の声を漏らす。そして俺は止まることなくもう一本の腕も両断した。両側から血を流しながら苦しみ悶えるオークの首元に向けて、俺は左側に引き戻した血濡れの短剣を思い切り振り抜いた。迫る刃がスローモーションのように視界に移る。急速に接近する短剣はいとも簡単に首をその鋭さを以って切り開いていくと、がつん、という骨に衝突する感覚を伝えたのち、それすら通過して右側から抜けていった。夜空に赤々とした血しぶきが舞う。オークはうなだれた体勢のままずるずると頭を地面に落として息絶えた。やがてさっきと同じように所々から灰に変わっていく。
オークの討伐が終わったことを告げるように辺りが明るくなり始めた。ようやく悪夢の夜が終わり、朝日が昇ってきたのだ。……終わった。痛いほどに握りしめていた短剣がするりと俺の手から落ちていく。カラン、という金属音だけがその場に響く。戦いの終了を認識した途端体から何か重大なものが欠損したかのような感覚を覚える。恐らくマナが底を尽きたのだろう。いや、底なんてものはとうに超して、さらに奥の何かを奪われたのかもしれない。オークに攻撃を受けた箇所がずきずきと鈍い痛みを訴える。これは骨が折れた痛みか、それとも内臓が損傷した痛みか。
そんなことはどうだっていい。俺は悲鳴を上げる体をぎこちなく動かしてフェルテルの元へ駆け寄る。そばに跪き、一縷の望みを賭けてフェルテルの呼吸を確認すると弱弱しくだがまだ息をしていた。安堵感に気が遠のくのを耐えて、俺はフェルテルに呼びかけた。
「フェルテル、なあフェルテル! 起きなよ、フェルテル!」
何度も、何度もフェルテルの名前を呼び続ける。このまま目を覚まさないのでないか、そんな絶望感が再び俺に忍び寄ってきたところで、フェルテルはゆっくりと目を開けた。びくりと心臓が跳ねる。
「……ああ、ソ……マさん、え、へへ……、ごめん、なさい、私のほうこそ……無茶しちゃいまし……、たね」
絶え絶えにフェルテルが言葉を紡ぐ。それはフェルテルの命が危ういことをまざまざと俺に伝えていた。
「ごめん……ッ、俺のせいでッ、フェルテルが、フェルテルが……ッ!」
焦りと混乱で過呼吸気味になる俺にフェルテルは優しく語りかける。
「ソーマさんのせいじゃ、ゴホッ、ないですよ……。私が勝手に、やったことですから……。自分を……、責めないで」
フェルテルが俺を慰めてくれるが、俺はさらに絶望と焦り、そして自身への怒りを募らせていた。俺がもっと考えて動けていれば。俺がもっと強ければ。
「泣か、ないで……、ね……?」
いつの間にか泣いていた俺の涙を、フェルテルが震える手を持ち上げて拭った。その手を握るとすでに氷のように冷え切っている。
「待ってろ、いまみんなのところに連れていくから、ライさんなら何とかしてくれるよ!」
フェルテルを抱き上げようとする俺の腕をフェルテルが制した。
「もう、私は助かり……、ません。……だからソーマさん……、怖くないように、最後の……、時までここで、手を握っていてください」
フェルテルの言葉に俺は反論することが出来ない。それほどまでに彼女の言葉には力が、そして心がこもっていた。震える両手でフェルテルの小さな手を出来る限り優しく包む。フェルテルが目じりに涙を浮かべて柔らかく微笑んだ。
「えへへ……、ソーマ……、さんの手、……あったかい……」
何とか返答しようとするも涙で声が出ない。何とか言葉を紡ごうとして結局出た言葉は、
「フェルテル、大好きだよ」
というなんとも稚拙なものだった。しかしその言葉には俺のフェルテルへの万感の思いが込められていた。見知らぬ俺を家族のように扱ってくれたフェルテルは、いつしか俺の中では家族といっても過言ではないほど大切な存在になっていた。
俺の言葉を聞いたフェルテルがふっと笑って言葉を返す。
「私も、大好きですよ、ソーマさん」
言葉を紡いだフェルテルは、そのままゆっくりと目を閉じて眠りについた。俺のものともフェルテルのものともつかぬ涙が彼女の頬を伝って落ちていった。
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