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本編
カズと呼ばないで
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井上和己は「カズ」という呼び名が好きではなかった。その呼ばれ方は自分には荷が勝ちすぎている、それが彼の言い分だ。
衛田が抜けざるをえなくなった鬼島中学、そのスターティングメンバーの中で唯一、蹴球団出身ではないのが井上だった。
「カズ以外でいったいどう呼べと」
お互い入部して間もなかった頃の暁平は「やれやれ」とでも言いたげに、井上の主張をあっさりと却下した。話題はそのまま流されてしまい、結局井上の呼び名は不本意ながら「カズ」で定着してしまって今に至る。
暁平たち蹴球団メンバーとは違う小学校に通い、まったく別のサッカークラブに所属していた井上にとって彼らの存在は一種のカルチャーショックといってよかった。
めちゃくちゃ巧い子たちは姫ヶ瀬FCに、その次くらいに巧い子たちはバレンタイン学院に。それが井上の知っている序列だった。そんな固定観念を暁平たち蹴球団出身の連中が根っこから覆してしまったのだ。
とりたてて強くも弱くもないチームにいた井上としては、個人技に優れ全国大会にまで出場した彼らの大半が姫ヶ瀬FCジュニアユースかバレンタイン学院に進むだろうと考えていた。まさか蹴球団のほとんど全員と鬼島中学で一緒にサッカーボールを蹴るなどとは思ってもみなかった。
はっきりいえばレベルが違う。
「とてもじゃないが無理だ」
そう意を決した井上は実質的に部を取り仕切っている暁平のところへ、転部したい旨を打ち明けにいく。
井上から見た榛名暁平はまさに規格外だった。たった十日かそこらの付き合いでわかってしまうほど、暁平の巧さと強さは蹴球団出身者の中にあっても群を抜いて際立っていた。
きっと自分なんか彼の眼中にないだろうからすぐに退部を認めてもらえるはずだ。寂しくもそんなふうに考えていた井上の予想は、思いがけない方向に裏切られる。
「じゃあボールをもっていないときの動きで上を目指せば?」
できればその勉強の成果をみんなにフィードバックしてくれたらありがたいんだけど、そんなことを暁平が口にした。
「あいつらなあ、とにかくボールを持ちたがるやつばっかりなんだよ。ここから先はそんなんじゃすぐにやられるだろ? だからカズ、おまえがその役目を引き受けてくれると本当に助かる」
頼む、とあの暁平が頭を下げる。
サッカー部を辞めようとしていたはずの少年は迷うことなくふたつ返事だった。そういう生き方もあるのだ、と彼は気づいた。
センスや技術では太刀打ちできない。ならば自分はロジカルにサッカーを突き詰めていこう。暁平がくれた言葉は、靄がかかっていたような井上の気持ちをそう吹っ切らせてくれた。
テクニシャン揃いのチームにあって、次第に井上は周囲の信頼を得て不動のレギュラーとなっていく。そのいちばん大きな理由は「危険なスペースを埋める」、このプレーが誰よりも的確だったからだ。
いかに暁平と政信のセンターバックコンビが突出した力を持っていようと、二人で守れてしまうほどサッカーは甘いスポーツではない。最終ラインの前に空いたスペースを絶対につくらせないこと、それがどのゲームにおいても井上にとって最優先の仕事となった。
地味なのは彼にもわかっている。いつだって目立つのはやはり攻撃的なポジションの選手だし、守備でもたとえばキーパーの弓立なんかはファインセーブでもミスでも派手にやらかす。とてもじゃないが井上はそんなふうになれない。
縁の下の力持ち、今ではこの言葉が座右の銘だ。自分が主役にはなれなくとも、周りのみんなはその仕事ぶりをきちんと認めてくれている。彼にとってはそれで充分だった。
だが、今日のマッチアップの相手はちょっとどころじゃなく手強い。
試合の当初に比べてどこか雰囲気の違う背番号10、兵藤貴哉がここから強めてくるであろうその圧力を、ざらつくように井上は肌で感じとっていた。
衛田が抜けざるをえなくなった鬼島中学、そのスターティングメンバーの中で唯一、蹴球団出身ではないのが井上だった。
「カズ以外でいったいどう呼べと」
お互い入部して間もなかった頃の暁平は「やれやれ」とでも言いたげに、井上の主張をあっさりと却下した。話題はそのまま流されてしまい、結局井上の呼び名は不本意ながら「カズ」で定着してしまって今に至る。
暁平たち蹴球団メンバーとは違う小学校に通い、まったく別のサッカークラブに所属していた井上にとって彼らの存在は一種のカルチャーショックといってよかった。
めちゃくちゃ巧い子たちは姫ヶ瀬FCに、その次くらいに巧い子たちはバレンタイン学院に。それが井上の知っている序列だった。そんな固定観念を暁平たち蹴球団出身の連中が根っこから覆してしまったのだ。
とりたてて強くも弱くもないチームにいた井上としては、個人技に優れ全国大会にまで出場した彼らの大半が姫ヶ瀬FCジュニアユースかバレンタイン学院に進むだろうと考えていた。まさか蹴球団のほとんど全員と鬼島中学で一緒にサッカーボールを蹴るなどとは思ってもみなかった。
はっきりいえばレベルが違う。
「とてもじゃないが無理だ」
そう意を決した井上は実質的に部を取り仕切っている暁平のところへ、転部したい旨を打ち明けにいく。
井上から見た榛名暁平はまさに規格外だった。たった十日かそこらの付き合いでわかってしまうほど、暁平の巧さと強さは蹴球団出身者の中にあっても群を抜いて際立っていた。
きっと自分なんか彼の眼中にないだろうからすぐに退部を認めてもらえるはずだ。寂しくもそんなふうに考えていた井上の予想は、思いがけない方向に裏切られる。
「じゃあボールをもっていないときの動きで上を目指せば?」
できればその勉強の成果をみんなにフィードバックしてくれたらありがたいんだけど、そんなことを暁平が口にした。
「あいつらなあ、とにかくボールを持ちたがるやつばっかりなんだよ。ここから先はそんなんじゃすぐにやられるだろ? だからカズ、おまえがその役目を引き受けてくれると本当に助かる」
頼む、とあの暁平が頭を下げる。
サッカー部を辞めようとしていたはずの少年は迷うことなくふたつ返事だった。そういう生き方もあるのだ、と彼は気づいた。
センスや技術では太刀打ちできない。ならば自分はロジカルにサッカーを突き詰めていこう。暁平がくれた言葉は、靄がかかっていたような井上の気持ちをそう吹っ切らせてくれた。
テクニシャン揃いのチームにあって、次第に井上は周囲の信頼を得て不動のレギュラーとなっていく。そのいちばん大きな理由は「危険なスペースを埋める」、このプレーが誰よりも的確だったからだ。
いかに暁平と政信のセンターバックコンビが突出した力を持っていようと、二人で守れてしまうほどサッカーは甘いスポーツではない。最終ラインの前に空いたスペースを絶対につくらせないこと、それがどのゲームにおいても井上にとって最優先の仕事となった。
地味なのは彼にもわかっている。いつだって目立つのはやはり攻撃的なポジションの選手だし、守備でもたとえばキーパーの弓立なんかはファインセーブでもミスでも派手にやらかす。とてもじゃないが井上はそんなふうになれない。
縁の下の力持ち、今ではこの言葉が座右の銘だ。自分が主役にはなれなくとも、周りのみんなはその仕事ぶりをきちんと認めてくれている。彼にとってはそれで充分だった。
だが、今日のマッチアップの相手はちょっとどころじゃなく手強い。
試合の当初に比べてどこか雰囲気の違う背番号10、兵藤貴哉がここから強めてくるであろうその圧力を、ざらつくように井上は肌で感じとっていた。
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