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第一幕 第一章 家にいる気はありません
031 元気そうで良かった
2018. 11. 6
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カルサート伯爵家は、長く続いてきた伝統ある家だ。けれど、その位にあぐらをかくことなく誠実に、時に領民達の声に耳を傾ける。
悪い噂などほとんど聞かなかった。しかし、ここ数年、唯一良くない噂というものがある。
「『下の弟妹達さえ出て来なければ文句はない』ってさ。まあ、確かにあの長男は鬱陶しいけどまともそうだったからね。むしろ、あれが長男じゃなかったら詰んでたんじゃない?」
「……それって、褒めてるんだよね?」
カトラも激しく同意するが、これを門の前で言うのはどうかと思う。聞いていた警備兵が引きつった表情を見せている。
「もちろんだよ。じゃなきゃ、カーラの結婚相手をって話になるじゃない」
「ならないよ……」
その場合は姉の婿だろう。けれど、ターザはカトラが思うよりもずっと伯爵家の事情に明るかった。
「なるよ。どうせいつまでも第一夫人があのままってわけがなかったんだもの。自滅するのは時間の問題だったし、そうなればその子ども達のボロも見えてきたと思うんだよね。遅かれ早かれ、あの二人は表舞台から降ろされてたんじゃないかな」
現在、ターザの情報によれば、正妻のアウラと兄姉は揃って離れに謹慎という名の軟禁をされているらしい。アウラは魔術自体が使えなくなり、更には両親、特に母親にキツイお灸を据えられたことで、驚くほど大人しくなったという。
それでも領民達に噂が流れているのだ。夫人の魅了の魔術さえなくなれば、伯爵であるカルフに届くのにそれほど時間はかからなかっただろう。
これには、警備兵も小さく頷く。
丸聞こえなのは間違いない。
そこへ、屋敷から飛び出すようにして初老の男性が駆けてきた。
「っ、お嬢様!」
「ベイス……元気そうで良かった」
「はいっ……はい、お嬢様っ、おかえりなさいませ……っ」
ベイスが門を押し開けようと突っ込むのを見て、警備兵が慌てて門を開けた。
「旦那様もお戻りです。カルダ様もいらしています。どうか、中へ。お願いいたします」
どうやら、父のカルフと長兄のカルダは、カトラがエルケートに向かったと知って馬で駆け戻ってきたらしい。これからエルケートに改めて向かおうとしていた矢先だったようだ。
深々と頭を下げるベイスに、カトラは困惑する。しかし、そこでターザが背中を押した。
「行こう」
「え……でも……」
ターザならば、話す必要はないと一蹴するものと思っていた。
「言ったでしょ? もし追ってくるようならって」
「あ……」
城から出る時にターザが言った。
『今は考えなくていいよ。でも、もしあいつらが君をもう一度追って来るようなら……その時は考えてみるといい』
確かにあの時『その時は』と言った。
『君は、君が思うよりもずっと、傷付くのを恐れてる。無意識に最悪の方へと人から向けられる思いの意味を想定してしまっているんだ』
そうなのかもしれないと思った。嫌われているのだと後で気付くよりも、先に察していた方がいい。
嫌いだと言葉にされることは少ない。きっと好きだと言うことと同じくらい、言葉にするのに勇気のいる言葉だからだ。知らされるのが遅れるほど、後で傷付くと分かっている。
『臆病になる前に考えてみて。この世界は、君が思うほど冷たくはないし、狭くもないから」
これを聞いたから、ここに一度戻ろうと思った。狭いと思っていた場所。全てが敵だと思っていたけれど、そうではなかったのかもしれないと思えたから。
無意識に伯爵家のことを考えないようにしていたのだと気付いた時、ふとベイスに会いたいと思ったのだ。
母であるエーフェが唯一この屋敷の者で、夫以外に信じられた者。それがベイスだった。
彼にカルフのことなどを押し付けてしまったことをカトラは少し気にしていた。何事もなく出て行ったカトラのことなど忘れてくれるのならそれはそれでいいが、残念ながらベイスはそんな人ではない。
兄姉達に毒を盛られることに慣れていくカトラを知って泣いてくれるような人だ。彼は父にそれを話すなと言ったカトラの願いを、聞いてくれていた。
家令として、伯爵家のことを一番に考えなくてはならない立場の彼にしたら、それは正しい行動だから当然ではある。確実な証拠がなくては、兄姉達を咎めることもできないのだから。
正妻であるアウラは侯爵家の娘。ベイスが行動することによって伯爵家の不利になってはならない。何よりも、ベイスがこれにより伯爵家を離れるようなことになれば、それこそ不利となる。
全ての事情とベイスの心情を知った上でカトラは孤立無援の状態を受け入れていた。
ベイスはその状況に悩み、長く主人へ真実を話せないという一種の裏切り行為を続けなくてはならなかった。それは恐らく、カトラが思うよりもずっと重く、彼にのしかかっていたことだろう。
そんな彼に、カトラは言いたかった。
「ほら、カーラ言いたいことがあるんでしょ?」
それをターザは当然のように察していた。
背を押されて一歩を思わず踏み出したカトラは、これによって自然にそれを口にできていた。
「うん……ベイス、迷惑かけてごめんなさい。今までずっとありがとう」
「っ……おじょうさま……っ」
ずっと考えていたのだ。カトラは、前世のこともあり、家族の情というか、関係が良くわからない。母は尊敬する先生のようだったし、父もどこか遠くて、父親というよりは時折優しくしてくれる近所のお兄さんという感じだった。
そんな中で多分、ベイスだけは家族と呼べる存在だったのだと思う。
病気になれば、可能な限り側にいてくれた。弱音を吐けるのも彼の前でだけ。それをちゃんと聞いてくれる優しい人。だから伝えたかった。
「この家はあまり好きじゃないし、はっきり言って、部屋があるって価値しかなかったけど、それでも帰ろうって思えたのは、ベイスがいたから……ベイスだけは、私に『おかえり』って言ってくれるでしょ?」
「もちろんです! ここは、お嬢様のお帰りになるべき家ですからっ」
ベイスは力を込めてそう告げた。けれど、そうではないのだ。
「違う。それがどこでも、ベイスが待っていてくれる家が帰りたいって思える場所だったの……私は血とかそういうの家族に関係ないって思ってた。今でもそれは思ってる。けど、ベイスだけは多分、違うでしょ?」
「っ……!?」
血が繋がっていたって、要らないと言われてしまう。だから、カトラは血縁なんてものは大した意味がないと思っていた。
けれど、ベイスだけは別だった。初めて、血縁であることを意識し、望んだのだから。
「ベイスは、お母様のお父さんでしょ?」
「っ……知って……っ」
「……多分、お母様も気付いてた」
「エーフェ様が……」
ずっと感じていた。ベイスが絶対の味方であると。それに根拠はなくて、それでも言葉から、感じる視線から、触れる手からそれを自然に感じていた。これが家族というものなのだと本能が、心が理解していたのだ。
前世の影響で家族を信じられないカトラは、それを無意識に否定していた。可能性に目を向けられなかった。
ターザが言うように、傷付くのを恐れていたのだ。祖父なのだと彼が口にしないのは、カトラや母エーフェの事を何とも思っていないからだと知るのが怖かった。
けれど、違うのだと希望を持ってもいいのかもしれない。そう思えたのは多分、ターザがそばにいるからだ。彼のことを信じられたから、狭い世界ではないのだと思えた。
「お母様もベイスには感謝して……」
「それはどういうことだ、ベイス!」
「……旦那様……」
そこに、カルフとカルダが現れたのだ。
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読んでくださりありがとうございます◎
次回、9日です。
よろしくお願いします◎
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カルサート伯爵家は、長く続いてきた伝統ある家だ。けれど、その位にあぐらをかくことなく誠実に、時に領民達の声に耳を傾ける。
悪い噂などほとんど聞かなかった。しかし、ここ数年、唯一良くない噂というものがある。
「『下の弟妹達さえ出て来なければ文句はない』ってさ。まあ、確かにあの長男は鬱陶しいけどまともそうだったからね。むしろ、あれが長男じゃなかったら詰んでたんじゃない?」
「……それって、褒めてるんだよね?」
カトラも激しく同意するが、これを門の前で言うのはどうかと思う。聞いていた警備兵が引きつった表情を見せている。
「もちろんだよ。じゃなきゃ、カーラの結婚相手をって話になるじゃない」
「ならないよ……」
その場合は姉の婿だろう。けれど、ターザはカトラが思うよりもずっと伯爵家の事情に明るかった。
「なるよ。どうせいつまでも第一夫人があのままってわけがなかったんだもの。自滅するのは時間の問題だったし、そうなればその子ども達のボロも見えてきたと思うんだよね。遅かれ早かれ、あの二人は表舞台から降ろされてたんじゃないかな」
現在、ターザの情報によれば、正妻のアウラと兄姉は揃って離れに謹慎という名の軟禁をされているらしい。アウラは魔術自体が使えなくなり、更には両親、特に母親にキツイお灸を据えられたことで、驚くほど大人しくなったという。
それでも領民達に噂が流れているのだ。夫人の魅了の魔術さえなくなれば、伯爵であるカルフに届くのにそれほど時間はかからなかっただろう。
これには、警備兵も小さく頷く。
丸聞こえなのは間違いない。
そこへ、屋敷から飛び出すようにして初老の男性が駆けてきた。
「っ、お嬢様!」
「ベイス……元気そうで良かった」
「はいっ……はい、お嬢様っ、おかえりなさいませ……っ」
ベイスが門を押し開けようと突っ込むのを見て、警備兵が慌てて門を開けた。
「旦那様もお戻りです。カルダ様もいらしています。どうか、中へ。お願いいたします」
どうやら、父のカルフと長兄のカルダは、カトラがエルケートに向かったと知って馬で駆け戻ってきたらしい。これからエルケートに改めて向かおうとしていた矢先だったようだ。
深々と頭を下げるベイスに、カトラは困惑する。しかし、そこでターザが背中を押した。
「行こう」
「え……でも……」
ターザならば、話す必要はないと一蹴するものと思っていた。
「言ったでしょ? もし追ってくるようならって」
「あ……」
城から出る時にターザが言った。
『今は考えなくていいよ。でも、もしあいつらが君をもう一度追って来るようなら……その時は考えてみるといい』
確かにあの時『その時は』と言った。
『君は、君が思うよりもずっと、傷付くのを恐れてる。無意識に最悪の方へと人から向けられる思いの意味を想定してしまっているんだ』
そうなのかもしれないと思った。嫌われているのだと後で気付くよりも、先に察していた方がいい。
嫌いだと言葉にされることは少ない。きっと好きだと言うことと同じくらい、言葉にするのに勇気のいる言葉だからだ。知らされるのが遅れるほど、後で傷付くと分かっている。
『臆病になる前に考えてみて。この世界は、君が思うほど冷たくはないし、狭くもないから」
これを聞いたから、ここに一度戻ろうと思った。狭いと思っていた場所。全てが敵だと思っていたけれど、そうではなかったのかもしれないと思えたから。
無意識に伯爵家のことを考えないようにしていたのだと気付いた時、ふとベイスに会いたいと思ったのだ。
母であるエーフェが唯一この屋敷の者で、夫以外に信じられた者。それがベイスだった。
彼にカルフのことなどを押し付けてしまったことをカトラは少し気にしていた。何事もなく出て行ったカトラのことなど忘れてくれるのならそれはそれでいいが、残念ながらベイスはそんな人ではない。
兄姉達に毒を盛られることに慣れていくカトラを知って泣いてくれるような人だ。彼は父にそれを話すなと言ったカトラの願いを、聞いてくれていた。
家令として、伯爵家のことを一番に考えなくてはならない立場の彼にしたら、それは正しい行動だから当然ではある。確実な証拠がなくては、兄姉達を咎めることもできないのだから。
正妻であるアウラは侯爵家の娘。ベイスが行動することによって伯爵家の不利になってはならない。何よりも、ベイスがこれにより伯爵家を離れるようなことになれば、それこそ不利となる。
全ての事情とベイスの心情を知った上でカトラは孤立無援の状態を受け入れていた。
ベイスはその状況に悩み、長く主人へ真実を話せないという一種の裏切り行為を続けなくてはならなかった。それは恐らく、カトラが思うよりもずっと重く、彼にのしかかっていたことだろう。
そんな彼に、カトラは言いたかった。
「ほら、カーラ言いたいことがあるんでしょ?」
それをターザは当然のように察していた。
背を押されて一歩を思わず踏み出したカトラは、これによって自然にそれを口にできていた。
「うん……ベイス、迷惑かけてごめんなさい。今までずっとありがとう」
「っ……おじょうさま……っ」
ずっと考えていたのだ。カトラは、前世のこともあり、家族の情というか、関係が良くわからない。母は尊敬する先生のようだったし、父もどこか遠くて、父親というよりは時折優しくしてくれる近所のお兄さんという感じだった。
そんな中で多分、ベイスだけは家族と呼べる存在だったのだと思う。
病気になれば、可能な限り側にいてくれた。弱音を吐けるのも彼の前でだけ。それをちゃんと聞いてくれる優しい人。だから伝えたかった。
「この家はあまり好きじゃないし、はっきり言って、部屋があるって価値しかなかったけど、それでも帰ろうって思えたのは、ベイスがいたから……ベイスだけは、私に『おかえり』って言ってくれるでしょ?」
「もちろんです! ここは、お嬢様のお帰りになるべき家ですからっ」
ベイスは力を込めてそう告げた。けれど、そうではないのだ。
「違う。それがどこでも、ベイスが待っていてくれる家が帰りたいって思える場所だったの……私は血とかそういうの家族に関係ないって思ってた。今でもそれは思ってる。けど、ベイスだけは多分、違うでしょ?」
「っ……!?」
血が繋がっていたって、要らないと言われてしまう。だから、カトラは血縁なんてものは大した意味がないと思っていた。
けれど、ベイスだけは別だった。初めて、血縁であることを意識し、望んだのだから。
「ベイスは、お母様のお父さんでしょ?」
「っ……知って……っ」
「……多分、お母様も気付いてた」
「エーフェ様が……」
ずっと感じていた。ベイスが絶対の味方であると。それに根拠はなくて、それでも言葉から、感じる視線から、触れる手からそれを自然に感じていた。これが家族というものなのだと本能が、心が理解していたのだ。
前世の影響で家族を信じられないカトラは、それを無意識に否定していた。可能性に目を向けられなかった。
ターザが言うように、傷付くのを恐れていたのだ。祖父なのだと彼が口にしないのは、カトラや母エーフェの事を何とも思っていないからだと知るのが怖かった。
けれど、違うのだと希望を持ってもいいのかもしれない。そう思えたのは多分、ターザがそばにいるからだ。彼のことを信じられたから、狭い世界ではないのだと思えた。
「お母様もベイスには感謝して……」
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そこに、カルフとカルダが現れたのだ。
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