僕とメロス

廃墟文藝部

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第弐章 HOME

第弐章 HOME(後編)

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 4

「新メンバーを入れよう」
大型化、商業化にともなって、メロスはまずこう言った。
「僕たちは今まで、物書き、作曲家、そして表現者である僕の三名で活動してきた。商業化するのであるから、さらにクオリティーの高いものを作っていかなければならない。そこで僕は、新たに二人の芸術家を『HOME』に呼ぼうと思う。違う種類の芸術家がお互いに、影響しあって、今までにない表現活動をともに行う。これが僕の目指す『HOME』の姿なんだ」
メロスは言う。僕も樹も、勿論それに反対はしなかった。僕たちはお互いの創作物が、『HOME』を結成し互いに刺激し合う事で、大きく成長した事を深く実感していたし、また単純に『HOME』が商業化する事で多く出てくるであろう、様ざまな庶務雑務を、三人のみで行う事が難しい事もわかっていた。そしてなにより、メロスが新しく『HOME』に呼びたいと思う二人の人物に興味があった。
「その二人というのは何をやっている人なんだ?」
僕が聞く。
メロスはこう答えた。
「料理人と写真家さ」

かくして、『HOME』に『料理人』木本麻子きもとあさこと、その妹、『写真家』木本悠香きもとゆうかが登場する事になる。二人は面白いほど正反対な姉妹だった。
まず木本麻子から語ろう。当時の彼女は、ストレートの黒髪を腰近くまで伸し、銀縁の眼鏡をかけていた。外見からして大人しそうだが内面はそれ以上で、ほとんどものを喋らなかった。声も動きも表情変化も小さくて、余談だが胸までも小さかった。
彼女の料理人としての腕は確かなもので、たまにふるってくれる手料理には皆が舌鼓したつづみを打った。残念ながら、料理というものの特質上、それが視聴者に対しダイレクトに影響を与える機会はなかったが(動画で、どうやって彼女の料理の素晴らしさを表現できたであろう)、彼女の料理は確実に僕たちの表現活動の助けになった。彼女の料理を食べる事で創作のアイディアが浮かぶ事は多々あったし、意見の食い違いから険悪なムードになった時も、彼女が手料理を振舞えば、簡単に仲直りする事ができた。

後に、『HOME』の庶務雑務をほとんど一人で受けるようになった事も含めて、『HOME』の最大の功労者であったと思う。どんな仕事も、彼女は不平など言わず黙々と、しかし確実に仕上げていった。

それに対して、妹の悠香は、麻子とは正反対によく喋る奴だった。普通の人だったら言うのもはばかられるような苦言や毒舌を、彼女はなんの躊躇ためらいもなく口にした。
『思ったことは、思った時に口にする。やりたい事はやりたい時にやる』
これが彼女のポリシーらしい。
僕は言いたい事があっても、それが言うべき事ではなければ言わなかったし、そもそも言いたい事をまとめるのに時間がかかって口にできない事が多かった。だから彼女の事をよく羨ましく思っていたが、悠香からすれば、僕なんかはひどくまどろっこしく見えたのかもしれない。「あんた見てると、たまにイライラする」とよく言われた。『たまに』なのに随分と何回も言われた気がする。彼女は年上にもまず敬語は使わなかった。

「あんたって壁みたいだよね」

悠香にそんな事を言われた事がある。
「壁?」
「そう、壁」
大きくてくりっとした目を細める悠香。彼女は、麻子と違い髪をかなり明るめの茶に染め、しっかりとパーマをかけている。長さはミドルロングくらいか。そして身長がひどく低い。ただでさえ身長が低いのに、態度は基本的に大きいので、ギャップでさらに小さく見える。
姉と同じく控え目な胸を、これでもかというくらい張って(そんなに張っても無いものは無い)、悠香は続ける。
「あんたはさ、どんなひどい愚痴も、つまらない話も、何時間でも聞いてくれるじゃない。文句も言わずにさ。相槌くらいはうつけど、自分の意見はほとんど言わない。なんかさ、あんたと話してると、壁と話してるみたいに感じるよ。たまに」
「そっか……そうだね。そういうところもあるかもしれない」
「忠告していい?」
忠告していい? が彼女の口癖だ。嫌だと答えても忠告してくれる。とてもいい子である。
「勿論いいよ」
「そのうち痛い目にあうよ」
「ふむ」
「自信が無いから、そんな風になってるんじゃない?」
「……そうだね、そういうところも――」
「そういうところもあるかもしれない」 
悠香が先回りして答える。そして「ニッ」と少年のようにあどけなく笑う。
「肯定も否定もしないよね」
「……そういうところもあるかもしれない」
僕がまじめな口調で言うと彼女は、少しだけ驚いて、すぐにケラケラと笑った。僕もつられて、少しばかり笑う。一通り笑った後、ひどく冷めた声で悠香は呟いた。
「ま、自信がないのは皆同じだけどね」
「君も?」
「私は別」
「それは嘘」
「……確かに私もそうだけどさ」
「…………」
「ねぇ、あんたはさ、壁と聞いて何を連想するの?」
「……君と麻子の胸」
ぶん殴られた。
僕は嘘を吐いた。ほんとに連想したのは―― 

 5

二人の新メンバーが入って、まず僕たちがしたのは、『HOME』の事務所を作る事だった。今までは、各自の家で作業をし、話し合いはファミレスや大学の談話室などで行っていたが、メンバーも増えたため、一緒に作業できる場が必要になってきたのだ。

場所は、メロスの家にある離れを使わせてもらう事にした。そこは、三年前までメロスの祖母が着物の着付け教室や琴の教室を開いていた場所で(今はもう亡くなられている)水も電気も通っており、空調設備も調(ととの)っていた。(余談だがメロスの家はそれなりに資産家だ。家の敷地は随分と広い)
僕らはその空き部屋を一日がかりで大掃除し、必要なものをどんどんと運び込んでいった。
パソコンを2台、薄汚れたソファー、ボロボロのテレビ、様々な本や漫画。泊まれるように簡単な寝具など。
事務所にはどんどんと物が増えていき、それにともない、散らかっていった。しかし散らかれば散らかるほど、僕たちはこの場所に愛着を持つようになっていった。そこはまさに、僕たちの『HOME』になっていったのだ。

六月、事務所作りが一段落して、僕らは次回作についての会議を行った。『HOME』初の商業作品について。
メロスはこう語った。
「次回作のタイトルは『OBLIQUE』でいこうと思う」
「OBLIQUE? どんな意味なんすか?」
樹が聞く。
「OBLIQUEというのは斜線という意味の英単語だ。僕は視聴者の感性に、斜めから切り込むような表現をしたい」
「斜め……ね。形式は今まで通り映像作品? DVDに焼いて売り出すの?」
「その通り。ただしオムニバス形式でいこうと思う。今までに公開した『歩く』から『終わる』までの5作品が、一つ一つ独立した話でありながら、最終的に一つの作品としてまとまったように、『OBLIQUE』でも、いくつかの独立した作品群を、最終的に一つのテーマの下にまとめ上げようと思うんだ。具体的なイメージも既に出来ている……」
怒涛の勢いで喋っていくメロス。彼の顔には、創作する事の喜びが満ち溢れていた。僕はなんとなく「よくそんなにもポンポンとアイディアが出るものだなぁ」と、どこか他人事のように思っていた。

「『OBLIQUE』の販売価格は1000円、目標売り上げは1000本だ」
メロスは言う。
「DVD代金など、多少の出費はかかるが、目標が達成されれば、70万程の利益になるはずだ。そしたら、この70万を次なる表現活動に充てる。今まで以上にクオリティーの高い表現が可能になる。……どんどん、夢が広がっていく気がしないかい?」
70万円となると、当時貧乏学生だった僕からしたら、随分と大金に感じた。しかし、決して夢のような数字ではないのだ。そのころ『HOME』のコミュニティーメンバー数は1500を超えていた。
「良いものを作ろう。そしたら必ず、結果はついてくる」

そういうわけで僕らは『OBLIQUE』の製作にとりかかった。
『OBLIQUE』は、主人公を共通とする、オムニバス形式の映像作品だ。
『OPENING』『BREATH』『LOCK』『IMAGINE』『QUESTION』『UMBRELLA』『EPILOGUE』の全七作品。販売まで四ヶ月しかないため、一月で2作品のハイペースで進めなければならないが、かなり順調に進んだ。メロスの中には、かなりはっきりとやりたい事が定まっていたため、僕たちはそれを自分なりに軽くアレンジするだけでよかったからだ。

しかし、八月に入って問題があらわれる。メロスが突然、アニメーションを使いたいと言い出したからだ。僕らの中に、絵を専門に扱うものはいなかったし、絵描きに心あたりがあるメンバーもいなかった。
「物書き、作曲家、表現者、写真家、料理人と来て、そういえば絵描きがいないというのも可笑しな話だね」
メロスが笑う。
「決めた。それでは『HOME』に絵描きを入れる事にしよう」

こうして急遽、僕たちは絵描きを探す事になった。さっきも言ったように僕たちは、絵描きに心当たりなどまったく無かった。しかし、プロを雇うわけにもいかない。可能な限り、僕らと同年代が望ましい。
そこで、その時は比較的に余裕があった僕が、学生も出展している芸術作品の展覧会を、片っ端から見て回ることになった。二週間で10以上は回っただろうか。だが、なかなか良いものにはめぐり逢わなかった。
作品のほとんどは、表現が稚拙か傲慢で、それ以外は表現が稚拙かつ傲慢であった。ただでさえ忙しい時に、僕は何をしているんだろう。こんなに見つからないのであれば、いっそメロスが今から絵を訓練して、自分が表現したいことをそのまま描いたほうがいいのではないか。……そんな風に考え始めた八月末――
――僕は、新海絆しんかいきずなに出会った。

 6

その絵を見つけたのは、ある小さなカフェでの展覧会にてである。
海をモチーフにしたカフェらしく、集めた絵も「海」や「魚」に関するものばかり。爽やかな作風の作品がほとんどの、その空間の片隅に……その作品は、異様な存在感を放って存在していた。
タイトルは『終末の景色』。夜の海に浮かぶ月を描いた作品だ。
よくあるテーマの作品である。僕は、同じテーマで書かれた作品を、この一月で3つは見た。しかし、この目の前にある作品は、明らかにそれまでのものと違っていた。
なんと言えば良いのだろうか。画家の【表現をしたい】という感情が、ダイレクトにこちらに伝わってくるのだ。その絵を見るだけで、この作者が、どんな表情でこの作品を作ったのかが、目に浮かぶようだった。
きっと、それはそれは壮絶な表情で描いたのであろう。
「新海絆……か」
呟く。面白い名前だ。画家としての名だろうか。僕は、早速メロスを呼び出して、この絵を見せる事にした。

メロスは、絵を見た途端に
「この子に決めた」
と言い放った。まったく何の迷いも無いようだった。
「これは素晴らしいね。うん、とても素晴らしい。是非、一緒に表現がしたいよ。そう思わないかい?」
「そうだね」
「海を題材に、『終末の景色』というタイトルも良いね。僕も、海には似たようなイメージを持っている。話が合いそうだ。」
そう言うメロスはとても生き生きとして見えた。勿論あいつは、常に生き生きとした奴であったのだが、これほどのエネルギーを感じるのはとても珍しいことだった。きっとこの絵の作者と、どんな表現をするかで頭がいっぱいなのだろう。
苦労して見つけた甲斐があったなぁ、と、僕はそんなメロスを見ながら思った。
僕は純粋に、自分が見つけた絵描きをメロスも高く評価してくれた事が嬉しかった。

――しかし、今になって思う。
僕は新海絆を見つけるべきではなかったのだ。
いや、見つけたとしても、メロスに知らせるべきではなかった。
勿論、絆の力無しでは、『HOME』の急速な成長は無かっただろう。
後に起こった様々な問題だって、絆が悪いのではない。あれは、言ってしまえば、全て僕の責任だ。
それでも、僕は悔やまずにはいられない。
絆とメロスを出合わせるべきではなかった。絆とメロスは、表現者として本当に良いパートナーだったけど……それでも出合わないほうがずっとずっと良かったんだ。

「……海が終末の景色ね。そんな風に思っていたんだ」
なんとなくの質問だった。間をもたせよう程度の。しかしメロスはえらく真面目に
「そうだよ。だから僕は、自分が死んだら灰は海に撒いて欲しいって言っているんだ。最後は海で眠りたい。それが僕の願いだ」
「ふぅん……」
僕は、メロスの言葉になんとなく頷いた。

メロスの言葉はすぐに実現する事になった。
それから半年後、メロスは灰になる前に、自らの身を海に投げた。




死体は見つかっていないが、遺書にはそう書かれている。
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