a story

たける

文字の大きさ
13 / 13
第三章:キャロライン

2.

しおりを挟む
眠れないまま朝を迎え、ガブリエルはクラウドと共に朝の仕事に取りかかっていた。
まだ辺りは暗く、温かい陽射しは射し込んでいない。だが今日は復活祭がある。それをまだ体験した事のないガブリエルは、楽しみにしていた。

「ガゼットさん、今日はいいお天気になりそうよ」

堂内に蝋燭を灯して回る、愛しい背中に声をかけた。

「あぁ、そのようだね」

クラウドは上品な笑みを口元に浮かべると、リヤサの裾を僅かに引きずりながら先へと向かった。その後を追いながらガブリエルは、昨夜クラウドに懇願して許されたキスの感触を思い出していた。

クラウド・ガゼットと言う老人は、このソレニティ大聖堂の司教補佐を務めている。出会った時から真面目で、一緒にベッドへ入る事も拒否していた。その理由を宗教上の問題だと彼は言っていたが、結局クラウドはガブリエルを許容した。そこに深い慈悲以上のものを感じていたが、ガブリエルは口にしなかった。
言えばきっと怒るだろうと思っていた。
以前の記憶を忘れてしまっていても、無理に思い出す努力はしなかった。1人で寂しい思いをしている訳ではなかったし、何よりガブリエルはクラウドを好きになっていた。もし記憶を思い出したら、この気持ちも、クラウドの事も、消えてしまうのではないかと恐れていた。
しかし、努力を全く怠っていた訳ではない。毎朝の祈りに、ガブリエルは聖母マリアへと願っていた。


──記憶が戻りますように……


もし今取り戻せしたとしても、クラウドは喜んでガブリエルを送ってくれるだろう。


──まだ大丈夫だ。
まだきっと悲しくない。
まだクラウドを愛していない。


だが日に日にガブリエルの胸に芽生える好き、と言う感情は、ついにあの日愛に変わった。
ガブリエルがピアノを弾く夢を見て、鐘楼でクラウドの歌声を聞いた日だ。


──何といい声なのだろう。


低く、だがそれだけではない。クラウドは少し嗄れたような声だが、深みがあって、ガブリエルは胸を貫かれた。
また、恋しい気持ちを奏でるクラウドの声は、その曲を書いた本人のように感情豊かだった。
まるで、自分に歌われているようだと錯覚させる目線。ガブリエルは奏でながら、クラウドと1つに重なったのだと感じた。

現実にクラウドと結ばれる事はない。
ガブリエルはただの娘であり、彼は聖職者だ。
それはとても崇高な職業であり、高潔で清らかな心身でもって神に仕えるのだ。
だが夢に現れるクラウドは、少々掟を破るような、ガブリエルに都合のいい男である事もしばしばあった。それは夢なのだから、多少の理想や願望が反映しているのだ。
彼は優しくガブリエルを抱き締めたり、愛を囁いたりする。そんな夢を見た朝には、ガブリエルの胸ははち切れんばかりに高鳴っていた。
だがそれも、もう夢だけでは我慢出来なくなっていた。その理由を、ガブリエルはクラウドの歌のせいだと感じていた。


──あれは狡い。


そう思ったが、言わなかった。言えば自分が、本当に子供のように思えるからだ。

募る想いを暴走させない為に、毎日ガブリエルは耐えた。だがそれも焼け石に水で、明日が特別な日なのだと思うと、途端努力は虚しく爆発した。
それにクラウドは怒りこそしなかったが、酷く困惑し、そして自らの想いを告白してくれた。
嬉しくて堪らなかったが、すぐにそれは悲しみに変わった。


──いくら気持ちが通じていようとも、それ以上の事はないのだ。


神様は意地悪だ、とガブリエルは、クラウドの背中を追いながら思った。
何故神は、クラウドを聖職者にしたのだろう?もしそうじゃなかったら、いくらでも自由に結ばれただろうに。

「ねぇガゼットさん、どうして聖職者になろうと思ったの?」

鐘楼へと、細い螺旋階段を上がる。クラウドはするするとリヤサを引きずり、ガブリエルの前にいた。

「私がこの職に就こうと思った理由かね。それを聞いてどうするのだね?」

少しガブリエルを振り返ったクラウドは、相変わらずツンとしている。

「聞きたいの。ねぇ、教えて」

階段を2段飛ばしてクラウドのすぐ後ろまで追い付くと、ガブリエルはリヤサの裾を僅かだけ持ち上げてやった。とても手触りのいい黒いリヤサは、クラウドによく似合っていた。

「この大聖堂の美しさと荘厳さに惹かれて、私が10歳の時に決めたのだ」

鐘楼に着くと、クラウドは大きな鐘を見上げた。その目には慈しみが含まれていて、ガブリエルは少しだけムッとした。

「そうね、とても綺麗だもの」

そう言うと、ガブリエルはクラウドを追い越し、復活祭に賑わう街を見下ろした。
その時ふと、雨樋に光を見たガブリエルは、よくよく目を凝らした。するとそこに、美しい青色をした石が引っ掛かっていた。

「まぁ、あれは何かしら?」

体を折り曲げて指先を懸命に伸ばしてみるが、あと少しで届かなかった。

「何だね?」

クラウドも歩み寄ってくると、ガブリエルと同じ様に雨樋を見下ろした。

「とても綺麗な石があるわ」
「あれは……」

そう言ったクラウドの横顔が曇った。さては、あれはクラウドのものなのかとガブリエルは思った。

「私が取ってあげるから」

そう言って再び体を折り曲げると、今度は爪先をぎりぎりまで伸ばしてみた。すると指先は微かに石を撫でた。あと少し、と爪先を上げた途端、ガブリエルの体がぐらついた。

「ガブリエル!」

クラウドが庇い、ガブリエルは鐘楼の中に尻餅をついた。だが変わりにクラウドが体勢を崩してしまい、鐘楼から落ちて雨樋に手をかける事になってしまった。

「ガゼットさん!」

ガブリエルは顔面蒼白になりながら、慌てて縁から手を差し出した。その時腕を酷く擦りむいて血が出たが、構いやしなかった。

「手を伸ばして!」

互いに手を伸ばすと、クラウドはガブリエルの腕を掴んだ。だが力の弱いガブリエルは、クラウドを引っ張り上げる事が出来なかった。

「もういい……ガブリエル、私はもういい」

諦めたような笑みを浮かべたクラウドは、ガブリエルの腕から手を放した。だが間髪のところでガブリエルはクラウドの手を掴むと、彼を叱咤した。

「諦めないで!すぐ、私が助けるから……ねぇ、そんな顔しないで!」

指先からは、徐々に力が抜けて行く。それに従い、クラウドの体は下がって行った。

「君まで落ちる事はない。ガブリエル、お前は……お前だけは生きておくれ」

そう言うと、ガブリエルの手からクラウドは放れて行った。

「いやぁ!クラウド!」

ガブリエルは声を張り上げた。その時、擦りむいた腕から血が滴ると、まだ雨樋に引っ掛かっている石に落ちた。途端辺りは目映い光りに包まれ、ガブリエルは思わず目を閉じた。

「俺を呼んだのはお前か?」

クラウドとは違う、何者か分からない声がして、ガブリエルは目を開いた。すると目の前に、真っ黒く巨大な、悪魔のような者がいた。

「クラウド!」

その姿に驚きつつ、ガブリエルはクラウドを呼んだ。するとクラウドは、その得体の知れない何かに摘ままれ、浮いていた。

「あぁ、神様!」

助かった奇跡にガブリエルは涙した。すると巨大なそれは、契約をしろ、と言ってきた。

「契約をしたら、お前の願いは叶えられる」
「え……?でも貴方、彼を助けてくれたんじゃないの?」

そうガブリエルが言うと、そいつは笑った。クラウドは大きく揺れ、短い悲鳴を上げた。

「たまたま掴んだだけだ。俺には関係のない奴だしな」

摘まんだクラウドを顔の高さまで持ち上げたそいつは、今にも彼を放してしまいそうだった。

「待って!私の願いは彼を助ける事よ!」

慌ててそう言うと、そいつは、それなら契約を、と言った。

「止すのだ、ガブリエル!こいつは悪魔なのだぞ!」

クラウドが手足をバタつかせたが、そいつは笑って何処からか紙を取り出し、ガブリエルへと渡してきた。

「いかにも、俺は悪魔だ。だが名はある。ゼフィルだ」

どこかで聞いたような名前だったが、今のガブリエルには、それを深く考える余裕もなく、反対するクラウドをじっと見つめてから、血で用紙に自分の名前を書いた。

「ガブリエルだと?ふん、偽名は止せ。お前はキャロライン……俺はお前を知っている」

用紙を突っ返したゼフィルは、困惑するガブリエルを睨んできた。だがガブリエルには、これしか自分の名前は分からなかった。ゼフィルにキャロラインと言われても、やはり聞き覚えがあるだけで、ピンとこない。

「何だ、忘れてるのか?相変わらず……呆けてやがる」

そう言ったゼフィルは、クラウドを鐘楼の中に放り入れると煙に包まれた。

「クラウド!」

倒れるクラウドに駆け寄り、そっと体を起こしてやった。だがクラウドの顔は怒りに満ちていて、ガブリエルを睨んだ。

「奴は悪魔なのだ!契約をしてはならぬ!それに、私は悪魔に救われてまで生き長らえたくはない」

ガブリエルは大きなショックを受けたが、心神深いクラウドの言う事も最もだと思った。だがそれ以上に、クラウドには生きていて欲しかった。

「ごめんなさい……」

俯くと、視線の先に靴が見え、ガブリエルは顔を上げた。すると見知らぬ、蛇のような顔をした男がいた。

「貴方は……誰?」

そう言ってはみたが、ガブリエルの体は言いようのない緊張に包まれていた。


──彼を知っている気がする……


「俺はゼフィルだ。キャロライン、まさかお前が契約しちまうとはな……」

寂しい顔をし、ゼフィルはガブリエル達の側に屈んだ。

「お前……!あの悪魔なのか?」
「まぁな。アンタ……クラウド・ガゼットか。キャロラインを助けてくれたんだな」

2人は見つめあっていた。ガブリエルはそんな両者を交互に見遣っていたが、突然頭痛がして顔をしかめた。


──あぁ……私はキャロラインだ……


失っていた記憶が蘇り、ガブリエルは瞬きをしてからキャロラインになった。だが、クラウドの事は忘れてはいなかった。

「……そうか」

記憶の渦に巻き込まれている間に、2人は何か話しをしていたらしい。それがどのような会話か分からなかったが、キャロラインはゼフィルを見つめた。

「ゼフィル、貴方……大丈夫?」

そう言うと、2人は一斉にキャロラインを振り返った。ゼフィルは笑っていたが、クラウドは驚愕しているようだった。

「ガブリエル、お前は……」
「ガゼットさん、私、思い出したわ。私は彼を……ゼフィルと一緒に河へ飛び込んだの。そして……」

その後はクラウドもよく知っている事なので、口にするのは止めた。

「そう……か。記憶が戻ったのか……それは、何よりだ」

そう言うと、クラウドは立ち上がった。次いでゼフィルも立ち上がると、キャロラインを一瞥した。

「ガゼット、アンタはキャロラインを助けてくれた。だから今回は、その借りを返したって事で、契約は無かった事にしてやるよ」

キャロラインは目を見開いた。せっかくこうして会えたのに、またゼフィルはあのブルーサファイアに戻ってしまうのか。するとクラウドが、ツンとして言った。

「ほぅ……それで、私が喜ぶと思うのかね?だとしたら、お前は検討違いをしておる」
「何でだ?」

困惑して問い返すゼフィルを見つめながら、キャロラインはあの夜の事を思い出していた。

顔の傷を治してくれたゼフィルは、悪魔にされてブルーサファイアに閉じ込められた。それを解放する為には、次に願いを叶えて欲しい者を待たなければならない。

「先程、君が説明してくれたであろう。神を崇拝する私が、ガブリエル……いや、キャロラインか……彼女の愛する者を、悪魔のまま放っておけると思うのかね?それで私が、幸せだと思うのかね?」

そう言うと、クラウドはゼフィルに手を差し出した。

「アンタ、それでいいのか?聖職者が悪魔になんて……」

キャロラインは両手で口を覆った。クラウドの覚悟に、何と言えば分からない。キャロラインは2人を愛していた。何と欲張りな女だと、自分でも思う。だが、選ぶ事など出来やしない。

「ガゼットさん、そんな……」

やっとの思いで口を開いたが、それ以上は出てこなかった。するとクラウドは、キャロラインを優しい、鐘を見上げた時と同じ様な慈しみの眼差しで見つめてきた。


──あぁ、この人を止める事は出来ない……


キャロラインは直感的にそう思った。

「お前達はまだ若い。私はもう十分に生きたのだ。例え神に捧げた身心であろうと、君が幸せになるのなら喜ばしい事だ」
「ガゼットさん……私は……」

愛している、と言いたかった。だがそれをクラウドは遮った。

「契約書を……」

ゼフィルは黙ったまま、それをクラウドに手渡した。クラウドは指先を噛んで血を出すと、それで自身の名前を書いた。

「今日は復活祭だ。キャロライン、君の恋人が復活するのだ、泣くんじゃない」

そう言ったクラウドと、ゼフィルの体は光りに包まれた。

「クラウド……ありがとう……」

それが最後の言葉になった。
それを聞いたクラウドは、微笑みながらブルーサファイアへと消えた。途端光は太陽の輝きだけになり、残されたのはキャロラインとゼフィル、そしてブルーサファイアだけだった。

「ねぇ、ゼフィル……」

この街で暮らさない?そう言うと、ゼフィルは勿論、と答えてくれた。
キャロラインはブルーサファイアを拾うと、これを指輪にしようと思った。そうしたら、彼とも一緒にいられる。振り返ると、太陽の輝きで鐘が黄金に光っていた。それはとても神々しい。
2人は暫く抱き合っていた。











しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

蝋燭

悠十
恋愛
教会の鐘が鳴る。 それは、祝福の鐘だ。 今日、世界を救った勇者と、この国の姫が結婚したのだ。 カレンは幸せそうな二人を見て、悲し気に目を伏せた。 彼女は勇者の恋人だった。 あの日、勇者が記憶を失うまでは……

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

侯爵様の懺悔

宇野 肇
恋愛
 女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。  そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。  侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。  その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。  おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。  ――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。

側妃の愛

まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。 王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。 力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。 Copyright©︎2025-まるねこ

処理中です...