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6日目
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再び公園で朝を迎えた私は、早瀬タクミの家に向かう事にした。強いて会う必要はないのだが、確か今日はクリスマスイベントと言うものをやる筈だ。そこで彼の歌が聞けるとも思った。
1度、ミックススタジオで、曲を録音する時に早瀬タクミの歌は聞いていたが──掠れた声だった──ステージに立つ姿を見ていないなと気付き、最期に彼の本来の姿を見てみないと、と思ったのだ。
歌手、と言う職業の人間を、過去に何度か担当した事はある。どの人間もステージに立つと、それまで見てきた姿と大きく変わる。照明のせいもあるだろうが、ステージにいる時の方が生き生きしていた。
大歓声に包まれ、会場が揺れ、鼓膜がビリビリと震える、と言う体験は、なかなか味わえるものではない。そして伸びやかに、全身を使って歌う姿は、まさに圧巻だ、と言えるだろう。
呼び鈴を鳴らすと、早瀬タクミが寝ぼけた顔で迎えてくれた。口から吐き出される息に、酒の臭いが混じっている。
「おはよー……」
「酒を飲んでいたのか」
玄関を潜ると、壁に飾られてあった絵が無くなっているのに気が付いた。
「んー……ちょっとねー」
そう言って大きな欠伸をする。リビングに入ると、すっかり片付いて──足の踏み場もなかったが、今ではクリーム色の絨毯が見える──いた。
「片付けたんだな」
「まーねー。あー……眠い……まだリハーサルまで時間あるからさー、俺は寝るよー?君はどうする?」
「私は本を読ませてもらう」
「そう?んじゃ、お休みー」
そう言って、早瀬タクミはリビングを出て行った。暫く耳を澄ませていると、彼はリビングを出て廊下を少し歩き、階段を上がって行った。寝室で眠るようだ。私はソファに腰掛けると──座る必要はないのだが──新たに購入した文庫本を読み始めた。
2冊目の途中で、早瀬タクミがリビングに姿を──まだ眠そうな顔をしていたが──現した。
「おはよー」
「よく眠れたか」
「うん?まぁ、寝たよ。君はずっと本を読んでたの?」
ボサボサの髪のまま、彼はリビングを出て──恐らくそっちには、洗面所があるのだろう──行った。やがて再び姿を現した彼は、身なりが整っていた。
「昼飯どうするー?」
そう言いながら、私の隣に腰掛ける。革製のソファが、小さく軋んだ音を立てた。
「私は食事は取らなくても大丈夫だが、君は取らなくてはならないのだろう」
「そうだね。うーんと……リハーサルが2時頃だから、今から出なきゃだしなー……」
ぶつぶつと言っているのを聞き流していると、おもむろに彼は立ち上がった。
「会場の近くにさー、上手いトンカツ屋があるんだよ。そこで食べよっか?」
同意を求められたので、そうだな──私にはどこで何を食べようが、関係のない事だ──と、答えた。
「じゃあ、出掛けよう」
「分かった」
私も立ち上がると、早瀬タクミが、あっと声を上げた。
「どうかしたのか」
「や、君さー、昨日と同じ服じゃん。着替えた方がいいと思ってさー」
「私は着替えなくても構わない」
着替えたからと言って、何が変わる訳でもない。
人間は頻繁に衣服を取り替えるが、それに何の意味があるか、以前担当した人間に尋ねた事があった。答えは『何日も同じ服を着ていると、不潔に思われる』だったが、そう思われたからと言って、被害を被るでもない。ただ、相手からの評価が下がるだけだ。
人間はこの、評価と言うものに酷く敏感なようで、相手にどう思われているかを常に意識している。悪く思われていると知れば、改善しようと努め、それでも駄目なら気を病んでしまう。それが悪化すれば、自殺する。
我々からしてみれば、どうでもいい事なのだが、人間はそうではない。ややこしい生き物だ。
「だぁめだよー、着替えなきゃ。服なら貸してあげるからさー」
こっち来て、と言われ、彼についてリビングを出ると、すぐ近くにある階段を上がった。
「どんな服がいい?」
「好みは特にない」
2つ目の扉を潜ると、寝室だった。ベッドシーツは乱れていて、濃紺のカーテンが開いている。窓は雲っていて、景色は分からなかった。
「じゃあ、これとこれね」
タンスからジーンズと白いセーターを取り出して渡され、私はその場で着替えた。背丈は同じぐらいだったので、違和感はない。
「うん、いい感じだ」
どんな感じか分からないが──相変わらず理解し難い言葉だ──そうか、と答える。
「それじゃあ、行こう」
早瀬タクミが運転する車──初めて彼を見たのが、ラジオ局から車を運転して出てきた姿だったのを思い出す──に乗り込み、私達はクリスマスイベントが行われる会場へと向かった。
1度、ミックススタジオで、曲を録音する時に早瀬タクミの歌は聞いていたが──掠れた声だった──ステージに立つ姿を見ていないなと気付き、最期に彼の本来の姿を見てみないと、と思ったのだ。
歌手、と言う職業の人間を、過去に何度か担当した事はある。どの人間もステージに立つと、それまで見てきた姿と大きく変わる。照明のせいもあるだろうが、ステージにいる時の方が生き生きしていた。
大歓声に包まれ、会場が揺れ、鼓膜がビリビリと震える、と言う体験は、なかなか味わえるものではない。そして伸びやかに、全身を使って歌う姿は、まさに圧巻だ、と言えるだろう。
呼び鈴を鳴らすと、早瀬タクミが寝ぼけた顔で迎えてくれた。口から吐き出される息に、酒の臭いが混じっている。
「おはよー……」
「酒を飲んでいたのか」
玄関を潜ると、壁に飾られてあった絵が無くなっているのに気が付いた。
「んー……ちょっとねー」
そう言って大きな欠伸をする。リビングに入ると、すっかり片付いて──足の踏み場もなかったが、今ではクリーム色の絨毯が見える──いた。
「片付けたんだな」
「まーねー。あー……眠い……まだリハーサルまで時間あるからさー、俺は寝るよー?君はどうする?」
「私は本を読ませてもらう」
「そう?んじゃ、お休みー」
そう言って、早瀬タクミはリビングを出て行った。暫く耳を澄ませていると、彼はリビングを出て廊下を少し歩き、階段を上がって行った。寝室で眠るようだ。私はソファに腰掛けると──座る必要はないのだが──新たに購入した文庫本を読み始めた。
2冊目の途中で、早瀬タクミがリビングに姿を──まだ眠そうな顔をしていたが──現した。
「おはよー」
「よく眠れたか」
「うん?まぁ、寝たよ。君はずっと本を読んでたの?」
ボサボサの髪のまま、彼はリビングを出て──恐らくそっちには、洗面所があるのだろう──行った。やがて再び姿を現した彼は、身なりが整っていた。
「昼飯どうするー?」
そう言いながら、私の隣に腰掛ける。革製のソファが、小さく軋んだ音を立てた。
「私は食事は取らなくても大丈夫だが、君は取らなくてはならないのだろう」
「そうだね。うーんと……リハーサルが2時頃だから、今から出なきゃだしなー……」
ぶつぶつと言っているのを聞き流していると、おもむろに彼は立ち上がった。
「会場の近くにさー、上手いトンカツ屋があるんだよ。そこで食べよっか?」
同意を求められたので、そうだな──私にはどこで何を食べようが、関係のない事だ──と、答えた。
「じゃあ、出掛けよう」
「分かった」
私も立ち上がると、早瀬タクミが、あっと声を上げた。
「どうかしたのか」
「や、君さー、昨日と同じ服じゃん。着替えた方がいいと思ってさー」
「私は着替えなくても構わない」
着替えたからと言って、何が変わる訳でもない。
人間は頻繁に衣服を取り替えるが、それに何の意味があるか、以前担当した人間に尋ねた事があった。答えは『何日も同じ服を着ていると、不潔に思われる』だったが、そう思われたからと言って、被害を被るでもない。ただ、相手からの評価が下がるだけだ。
人間はこの、評価と言うものに酷く敏感なようで、相手にどう思われているかを常に意識している。悪く思われていると知れば、改善しようと努め、それでも駄目なら気を病んでしまう。それが悪化すれば、自殺する。
我々からしてみれば、どうでもいい事なのだが、人間はそうではない。ややこしい生き物だ。
「だぁめだよー、着替えなきゃ。服なら貸してあげるからさー」
こっち来て、と言われ、彼についてリビングを出ると、すぐ近くにある階段を上がった。
「どんな服がいい?」
「好みは特にない」
2つ目の扉を潜ると、寝室だった。ベッドシーツは乱れていて、濃紺のカーテンが開いている。窓は雲っていて、景色は分からなかった。
「じゃあ、これとこれね」
タンスからジーンズと白いセーターを取り出して渡され、私はその場で着替えた。背丈は同じぐらいだったので、違和感はない。
「うん、いい感じだ」
どんな感じか分からないが──相変わらず理解し難い言葉だ──そうか、と答える。
「それじゃあ、行こう」
早瀬タクミが運転する車──初めて彼を見たのが、ラジオ局から車を運転して出てきた姿だったのを思い出す──に乗り込み、私達はクリスマスイベントが行われる会場へと向かった。
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