王女が捨てた陰気で無口で野暮ったい彼は僕が貰います

卯藤ローレン

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01. 婚約破棄の現場で婚約者を拾う

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「セドリック・アンダーソン! あなたとの婚約を、今日この場で破棄いたします!」

 王宮の荘厳な会場にどよめきが走る。
 四か月に亘る社交シーズン中で最も格式高く威厳のある、国王陛下主催の舞踏会。
 国内全土に招待状がばら撒かれ、上から下までの貴族がどんな予定を蹴り倒してでも参加する一晩限りの宴だ。

 絢爛豪華な夜の宴も酣な頃、突如として主役の座に躍り出たのは、国の第三王女であった。

「わたくしは運命の人に出会ってしまいました。この恋心、どうにも手放せそうにありません」

 うっとりと語る彼女の背後には、勝ち誇った顔の男爵令息が佇んでいた。

「あーあーあー。王女様、あいつに骨抜きにされて、メロメロ通り越してデロンデロンらしいって学院内で噂はあったけど、まさか本当だったとはね」
「見てみなよ、あの男爵息子のしたり顔。ここは殊勝な面持ちで好青年演じてこそ、略奪愛というコソ泥印象を覆して好感度アップが狙えるっていうものじゃないのか?」

 誰も彼もが内緒話を展開するその最後方で、口元を隠しもせず言葉を交わすのは、皺ひとつない燕尾服に身を包んだ若き青年ふたりだ。
 その内のひとり、ウィリム・エヴァンズは手に持っていたワイングラスを傾けた。
 赤い液体を口に入れてすぐ、その顔はしかめっ面を作る。
 社交界デビューしてから酒を飲むようになったが、どうにも苦手だ。

「王女様、本当にあんなのと将来を共に出来るとお考えなんだろうか。あまりにも身分違いなところに降嫁して早々に駄目になったケースなんて、自国他国問わずわんさかあるはずなのに。お調べにならず、それを教訓になさらないのはやはり、色々と乏しい方でいらっしゃるんだね」
「まぁ、親衛隊のご令嬢方のレベルからも推して知るべしだよ。だからこそ国王は婚約者にアンダーソン家を選んだんだと思ってたんだけど、その意図は汲み取られなかったみたいだ」
「あーそれは難しいだろうね。王女様、見るからに派手好きだし」

 ふたりの視線は広間の中央に注がれる。
 そこには人波が引いた中で、ポツンとひとり直立不動の青年がいた。
 どんよりとした空気を纏って斜め下を向いている。

「待ちなさい、ジュリエッタ! お前の婚約は教会も了承済みであり、お前の一存で撤回できるものではない。アンダーソン公爵家はその興りから代々、わが国に多大なる貢献をしてくれている。臣下とはいえ、無下に扱っていい家門ではない」
「それは分かっています、お父様。分かっていて、それでも嫌なのです。あんな……あんな陰気で無口で野暮ったい男!」

 王女から発せられた悪口に、広間には嘲笑の音が足元に蔓延っていく。
 「政略でも嫌だわ」「いくら公爵家でも……ねぇ?」などという聞くに堪えない嘲りが、煌びやかな扇の裏で毒素を撒いている。
 それに賛同せず無表情、もしくは眉を顰めているのは数えられる程度しかいない。

「あーあーあー。今宵は非常識集団だけが集められたのかね? アンダーソン公爵家がどれほど国に寄与しているか、分からない奴らが多すぎない?」
「あの家は特殊能力系だし、その性質的に一家挙って引きこもりがちだから。しかも誤解されても訂正さえしない」
「そうだよね……あんな言われようなのに、当のセドリック・アンダーソンはだんまりだしね」

 瞳は虚ろ。
 髪はボサボサ。
 頬は血色感ゼロ。
 燕尾服はブカブカ。
 猫も敵対視するほどの猫背。

 アンダーソン公爵家次男、セドリック・アンダーソンは、自身が話題の中心になっているというのに、未だどこ吹く風だ。
 脈拍を乱さず、空気を揺らさず、足を棒にしている。

「ごめんなさいね、セドリック。わたくしとあなたは決して結ばれぬ星の下に産まれたようです。まぁ、一時でもこのわたくしの婚約者になれたんですもの、それだけでも光栄極まりないでしょう? 恨まないでくださいね」

 身勝手極まりない別れの言葉を残して、王女は去ろうとした。
 勝利に塗れた顔を隠し切れない男爵子息の腕を取って。
 憤怒した国王を横目に、満足げに微笑んで。

「じゃあ、僕が貰います!」

 そこに清々しく響く、青年の声がひとつ。
 皺なく挙げられた右腕はまるで、天をも貫く銀の切っ先のようだ。

「ウィリム、お前……すごい幕からひょっこり顔出してきたな」

 隣に立つ友人が若干ドン引きしているが、ウィリムは全く意に介さず、王族の座る席だけを見つめていた。

 要らないというのならば貰い受けよう。
 捨てるというのならば喜んで拾おう。
 公爵家子息を物扱いしていることは一旦脇に置いておいて、ウィリムはこれを絶好の大チャンスだと思っていた。

「あなた、失礼にも程がありますわ。どこの馬の骨なのよ、まったく」
「エヴァンス侯爵家子息、ウィリム・エヴァンズと申します。第三王女殿下のお足を止めてしまい、申し訳ございません」
「聞いていない無駄な名乗りをどうもありがとう。最も高貴なわたくしや皆様方の前で大声を出すなんて、はしたないですわ」

 婚約破棄を、シャンデリアが割れる勢いで宣言した張本人が何を言う。
 更には、元々決まっていた両家も教会も了承済みの約束事を、好みじゃないからという愚劣な理由で破り捨てた張本人が本当に何を言う。
 鼻で笑われたが、そのお返しに、ブヒブヒと鼻を鳴らして抗議したくなる気持ちをウィリムは必死で抑える。

 喧嘩っ早いのが玉に瑕だ。
 エヴァンズ家の血だ、仕方ない。

「それで、あなた。私の代わりにセドリック・アンダーソンと婚約するというのかしら?」
「はい。国王陛下と、アンダーソン公爵家にお許しを頂けるのなら」

 いくら公式行事とはいえ、本来ならば侯爵家が王族とこれほどまでに言葉を交わすことは許されない。
 交流の場として開かれている王家主催の舞踏会ではあるが、それは上流も最上流の者たちのみが対象だ。
 一言挨拶を賜るだけが常。
 しかもウィリムのように、跡継ぎでもない子息ならばなおのことだ。

「そう、それはいい考えですわ。わたくしという魅惑の婚約者を失くしたセドリックは可哀想ですし、その穴をエヴァンズ侯爵家が埋めるのならば一件落着に思えます。お父様、いいでしょう?」

 会話が続くのはひとえに、これが王女には降って湧いた幸運だからだ。
 王女の我儘で被害者となったセドリックが誰かに上手く拾われてハッピーエンドになるならば、王女の利己主義を責める者は減るだろう。
 アンダーソン家からの報復に怯える国王の心も安らぐかもしれない。

 そんな打算ひと筋により、ウィリムのこの場での発言は概ね妨げられない。
 彼は唇の端を、秘かに笑みの形にした。

「セドリック・アンダーソン、お前の意見を聞こう。我らは、我が娘の野望をへし折ってお前との婚約を継続することも可能、エヴァンズ家と新しい婚約を結ぶというのであれば承認することも可能。もしくは、どちらとも婚約しないということも可能だ。どうする?」

 国王の問いに、広間一切合切の視線がただひとりへと注がれた。
 貴族だけでなく、給仕や音楽家たちも固唾を飲んで見守っている。
 全員分の熱き注目を浴びるには力不足な様子の青年は、独り言を呟くようにこう言った。

「婚約をします。エヴァンズ家と」
「円満解決ですわ、お父様! これで全員の将来が光り輝くものになりました! おほほほほほ!」

 王女の高らかな笑い声が響き渡る。
 豪奢な壁に跳ね返って耳をつんざくほどだ。

「ウィリム、大丈夫なのか? この場で将来の伴侶が決まっちゃったぞ?」
「エヴァンズ家にとっては願ってもないことだから。もちろん、僕にとってもね」

 見つめる先にいるセドリック。
 彼はその時初めて体勢を動かした。
 振り返って何かを探しているようだ。

 ウィリムは手を振った。
 婚約者となった彼に。

 その青年は、伸びきった前髪の隙間から曇った瞳を向けてきた。
 その奥にある小さな光は淡すぎて、誰にも伝わらなかった。


 その後すぐに王族が退室して、離れた場所にいた両親や兄ふたりにウィリムはどつきまわされた。
 それは叱りとは真反対の、賛辞と激励に近いどつきだった。
 騒がしい家族の輪の中から抜けて周囲を見回したとき、もうそこにセドリックの姿はなかった。
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