鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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一章

15. 初春の百貨店外商催事①

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 TOGグループ所有である、芝公園近くに建つホテルのラウンジ。
 その場所に月落渉がやって来たのは、年が明けた1月中旬の土曜日、16時前だった。

 黒のタートルネック、黒のセンタープレス入りストレートワイドパンツに身を包み、キャメルのコートを肩から掛けている。
 入口に立ちぐるりと辺りを見渡すと、少し遠くから勢いよく手を挙げた女性がひとり。

「渉!」

 良く通るすっきりとした声がラウンジ内に響き渡り、それを聞いた月落は足早に女性が座る席へと向かう。

「弓子様、お声が少々大きすぎるといつもいつも申しているのですが、いつになったらお聞き入れくださるんでしょうか」
「来来世くらいで一般的な声の大きさになると思うから、今世は諦めてと何回言ったら分かるの」
「諦めきれないので口酸っぱく申しております」
「今さらウィスパーボイスにでもなったら、心配した親戚一同が見舞いに来るじゃないの。そうなったら、やかましくて仕方ないでしょう?」

 近づくほどに、女性とその後ろに控えている黒のスーツを着た男性の会話が耳に入ってくる。
 相変わらず高速でやり取りされるキャッチボールを可笑しそうに聞きながら、月落は席に着いた。
 すかさずオーダーを取りにきたホールスタッフを、手で制して下がらせる。

「弓子伯母さん、お元気そうで何より」
「元気よ。健康すぎて怖いくらい元気」
「日下部さんもお久しぶりです」
「渉様、ご無沙汰しております」

 スパンコールが織り込まれた黒のツイードジャケットを着こなす女性の名は、月落弓子つきおちゆみこ
 プラチナ混じりの黒髪を高い位置で一つに括った姿が魅力的な、TOGグループ不動産部門のトップに君臨する女傑である。

 生涯独身を貫いているため渉をはじめとした親戚の子供や孫をとても可愛がっていて、多忙の中でも時間を作っては食事や買い物を共にして交流を深めている伯母さん――父の姉だ。

 弓子の横でマシンガンの如く言葉を発しているのは、彼女の専属秘書である日下部くさかべ
 境目のはっきりした七三分けと小さい丸眼鏡が印象的な、30代の青年だ。

 元々は日下部の父が弓子の専属秘書を務めていたが、高齢のため免許を返納。
 それを機に息子にその役目を譲ったのが4年前のこと。
 日下部が幼少の頃から互いに知っている間柄のため、主従関係となった今でもまるで親子のような二人だ。

 いつも果てしなく続く平行線の言い合いは月落一族の間で非常に微笑ましく鑑賞されており、一種の名物扱いとなっている。
 両者ともに『仕事に関しては鬼が泣いても徹底的に、それ以外は人生全てが余興』という、ある意味達観したスタンスで生きているので、価値観が似ていてとても気楽らしい。
 本人たちも、そしてそれを見守る周囲の人間からしても、この上ない組み合わせである。

「この前の親族忘年会には参加できなかったから話を聴けなかったけど、渉、大学で秘書になったって?」
「うん、外国語学部のTA兼秘書ね。准教授の授業サポートが主な仕事」
「逢宮だっていうじゃない?」
「そう」
「良いところね。都心なのに緑が沢山あるキャンパスよね」
「うん。広い敷地に緑と噴水があって、新旧さまざまな校舎も研究棟もあって、准教授はとても良い人で学生は活気があって、なおかつ学食が美味しい」
「素敵じゃないの!私が通ってた大学は、建物は豪奢で美しかったんだけど、緑があんまりなくて悲しかったのよね。ちゃっちゃと引退して、私も職員として働きたいくらいだわ」
「弓子様、引退が許されるのはもう少し先ですのでご冗談もほどほどに。そろそろ行かれませんと外商の阿久津さんをはじめ、皆さんが会場でヤキモキしていらっしゃるかと」
「あらそう?じゃあ、行こうじゃないの」

 椅子から立ち上がった弓子と共に、月落もホテルの3階にあるボールルームへと向かう。
 そこはこのホテルで最も大きな宴会場で、今日明日の2日間貸し切りで百貨店の外商催事が行われているのである。
 受付にたどり着くと、猛スピードでスーツを着た女性が近寄ってきた。

「弓子様、渉様、お待ちしておりました」

 百貨店のロゴが刻印された胸元の名札には、阿久津あくつの文字。
 外商担当のひとりだ。
 この百貨店は月落一族総出で贔屓にしていて、成人済みは全員が顧客として名を連ねている。
 そのため、名字で呼ぶと皆が返事をしてしまいややこしいという理由から、下の名前で呼ばれるシステムとなっている。

 この百貨店外商部の中には『チーム月落』という特別部隊が結成されていて、月落家一同に対して外商数名がスクラムを組んで対応するという、新しいスタイルの顧客対応が採用されている。
 チーム月落に選出された者はエリート中のエリート、全国の百貨店外商部職員の憧れの的とされる。

 なぜなら、一族の財力は日本においてぶっちぎりで圧倒的1位であり、その売上が百貨店の年間売上を大きく左右するからである。
 事実、この百貨店は月落の寵愛を受けて以来、売上高不動の1位を誇っている。
 月落に気に入られたなら担当者は将来安泰、出世コースまっしぐら、という噂が後を絶たない。
 担当になりたいと望む声も多い。

 しかし正確なところは、一族の面々は元来人の好みにうるさくない。
 余程目に余る人間でない限り、安易に排除しない傾向にある。
 言い換えれば、百貨店の人事には基本的に興味がなく、担当として配置された従業員は文句なく受け入れる。
 『どうぞご勝手に』というスタンスだ、口出しはしない。
 売上がどう、気に入られればどう、と騒いでいるのは実は外野だけであるのは、当の外野は知らない事実だ。

「阿久津さん、お久しぶりね」
「阿久津さん、ご無沙汰しています」

 弓子に続いて月落も挨拶をする。

「ご無沙汰しております。弓子様は長らく九州地方にご滞在でいらしたとのことで、新年そうそうご多忙のところ足をお運びいただきありがとうございます」
「あら、よくご存じね。外商部の皆さんにお土産があるから、後で日下部から受け取ってちょうだい」
「いつもありがとうございます。渉様、大学のお仕事でご入用の物があれば何でも揃えさせていただきますので、是非ご連絡くださいませ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「さて、行こうじゃないの」
「本日のメインは、ご友人のお孫様へのお履物と伺っております」
「そうなのよ。高校生の男の子が大学に合格したから、そのお祝いに靴でもあげようと思って」

 2500人収容可能な会場には、絵画、ジュエリー、銘酒、インテリア、ハイブランドなどがそれぞれブースに分かれて整然と並んでる。
 招待状を送られた外商顧客のみがこの特別な場で買い物を楽しめるというのが、この催事の特徴だ。

 開催は年2回。
 普段は店舗に出回らない商品や季節先取りの新作がいち早く手に入るとあって、意気込んで大金を落とす客も多い。
 昨年の同催事では一日の売上最高額を更新したということもあって、主催側もとても力が入っている。
 それは一重に、海外に新しく別荘を建てた月落の親戚が、催事の目玉として置かれていた印象派の有名画家の絵画をごっそりと一括購入したからなのだが。

「オーダーメイドの靴は持ってるっていうから、ハイブランドに全振りしても良さそうよね、渉?」
「うん、そういうのが好きならテンション上がると思う。大学生になると私服だから、高校の頃より靴の数も必要になるし」
「日下部」
「憧れていると伺っております」

 弓子と渉が横並びで会話をしながら歩き、その後ろに日下部と阿久津がついて行く。

「若いうちに色々試しておくのも経験になるわね」
「あんまりロゴが派手に入ってないスニーカーかブーツなら、気軽に普段使いできると思う」
「日下部、その子のサイズは?」
「25です」
「好きな色」
「モノトーン全般、青系、黄色です」
「シューズクローゼットの大きさ」
「余裕はある、と」
「好きなブランドはあるって?」
「今はまだご贔屓はないようです」

 時折ブースの前で立ち止まって商品を見つつ、けれどそれらを直接手に取ることはない。
 一通り回って一行がたどり着いたのは、中央スペースに設けられたテーブル席だった。
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