鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

01. オープンキャンパスと満月のスポットライト①

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 8月下旬、ここはもはや日本列島の形をした蒸し風呂なのではというくだらない冗談さえも溶けてなくなるほどに暑い、まだまだ夏真っ盛りの東京都心の土曜日。
 高校3年生の大林莉子おおばやしりこ小林友芽こばやしゆめの二人は、私立逢宮大学のオープンキャンパスへと繰り出していた。

「いやぁ、事前に調べてたけど実際来てみるとほんとにおっきいね、逢宮」
「この一際目立ってるのが第一校舎だよね?」
「そうそう」

 QRコードでの受付を済ませてしばらく歩くと、大きな窓が特徴的な横に長い10階建ての校舎、通称『メイン館』が現れる。
 そのスケールの大きさに、紺の制服を着た女子高生はぽかんと口を開けて、しばらく棒立ちの姿勢のまま動けなくなった。
 後方では応援団の演舞が披露されていたり、瑠璃紺の四角い手旗を持った大学生の後ろを雛鳥のようにして歩く集団がそこかしこに溢れていたり、烈しい太陽の下で活気のある賑わいを見せている。

「……いやいや、こうしてる場合じゃない。模擬授業に行かなきゃ」
「うん、あと15分しかないや」

 時刻は10時45分。
 今日、二人はオープンキャンパスの目玉のひとつである模擬授業を受けるため、いくつかオンライン予約していた。

「最初は、経済学部だっけ?」
「そう。第一校舎の3階の教室だって」

 昨今、大学では高校生やその保護者に向けてのオープンキャンパスが活発に行われている。
 以前まではキャンパスに直接足を運んで実体験するのが主流だったが、ここ数年でシステム整備が進められたおかげで、オンラインでも学部説明を受けられるようになった。
 事前申込みなしでも気軽に大学の雰囲気を体験できると人気だ。

 大林莉子と小林友芽も昨年はオンラインでのオープンキャンパスに参加したが、3年生となった今年は第一志望の大学の雰囲気を味わってみたい!と盛り上がり、受験勉強の合間を縫って憧れの地にやって来ていた。
 模擬授業をメインにスケジュールを組み立てたので、全部は回り切れないのが残念なところだ。

 在学生に面と向かって直接質問ができる相談コーナーや、キャンパスツアーにも参加してみたかった。
 もし本当にどうしても気になったら、明日も来ようと約束している。

「友芽は経済学部が第一だもんね」
「うん、経済の知識があれば就職有利かなって思って」
「分かる。大学って何を勉強するかも大事だけど、どの就職先に繋がってるかの方が重視じゃない?何か、先を見ちゃうっていうか」
「だよね。がっつり勉強するのは2年間で、3年の夏からインターンとか早期選考とかが始まるって聞いちゃうと、一体全体大学とは?ってなるよね」

 高校生でごった返す階段を上る。
 私服の学生が大半だが、制服姿も散見され、保護者と参加している学生も多い。
 数多くいる逢宮大学の学生の姿は高校生の集団に紛れてしまっていて、何だか他校の学祭に遊びに来たような錯覚を憶える。
 受験まであと半年というところで勉強漬けの毎日にノックアウト寸前なのだが、今日はお祭り気分になってしまうのにも目を瞑ってほしい気持ちだ。

「あ、ここだ」
「模擬授業なんて初めてだからワクワクしちゃうね」

 空いてる席へと座る。
 経済学部は文系学部の中でも人気だ。
 高校の校舎では絶対に有り得ないほど大きな教室の、約8割ほどの席が既に埋まっている。

 教壇には緑の紐の職員証を下げた作業着姿の数名がスライドやパソコン等周辺機器の確認を行っていて、その反対側には赤い紐の職員証を首から下げた女性が、マイクを通して模擬授業の説明をしている。
 教室の横には『学生スタッフ』と記された腕章を付けた大学生の小集団。
 最後方ではカメラがセッティング中で、カメラマンと思しき男性が忙しなく手を動かしている。

「これ、動画サイトに載るやるじゃない?」
「うちらが去年めっちゃ観たやつね」

 中学から友人の二人は何かと気が合う。
 高校2年の夏、周りの友人たちが背後にのっそりと鎮座する受験の影から遠く逃げていた時に、大林莉子と小林友芽は問答無用で迫りくる現実に泰然と立ち向かうべく、ホームメイドオープンキャンパスを決行した。
 志望校などははっきり決まっていなかったため、とりあえず知っている有名大学の学部説明や動画サイトの模擬授業を観て、訳もなく燃える心に油を注ぎまくった。

「内容が難しすぎて泣いたけどね」
「とりあえず完徹しようっていう目標は達成したけど、朝陽が昇ると共にもはや気絶したよね」

 大林莉子の家に泊まって夜中勉強に勤しんだが、高校生向けにアレンジされた内容だったけれどついて行けず、最後の方はほぼ白目を向いていた。
 1年経った今、理解できるようになっているかは怪しいけれど、あれが数ミリでも糧になっていると信じたい。

「あの先生が今日の先生かな?」
「そうっぽいね。なんか、こういう階段状の教室でピンマイクとか付けて授業するとかさ、大学っぽいよね」

 白いサマースーツを素敵に着こなした女性は、登壇すると近くにいた緑の紐の職員からマイクを渡されている。
 それと同時に、前方からレジュメが配られ始めた。
 大学名と校章、学部名、本日の日付が表紙に印刷されたそれは率直に素敵で、夏の思い出になりそうだ。
 筆記用具を用意して授業に臨む。

「それではお時間になりましたので始めさせて頂きます。本日、経済学部の模擬授業の華々しいスタートを飾ってくださいます、山辺奈央やまべなお教授です」
「山辺と申します。本日は40分という短い時間ですが、経済学部では何をどんな風に学ぶのかというのを体感していただければ幸いです。本日は『世界を轟かす経済人になるためには』というテーマで、出来るだけ分かり易く講義を行っていきます。それでは、レジュメの表紙を開いてください」

 ページを捲る微かな音が集まって大音量となる。
 ほぼ満員となった席に座る同世代の真剣に聴講する姿が、予備校の集中講義を思い起こさせて、身が引き締まる思いがした。




「ううんんん!やっぱりちょっと難しかったね」
「でも、去年よりは理解できる部分も大いにあった気がしない?」
「確かに」

 12時前、ぞろぞろと教室を出る群衆に紛れながら、大林莉子と小林友芽は食堂に向かって歩を進めていた。
 生い茂る木々の下を通り、大学のキャンパス内にあるとは思えない大きさの噴水の横を通る。
 たどり着いたその建物は、相変わらず高校生でごった返している。

「うわぁ、中広いねー!」
「席取れるか心配だったけど、全然大丈夫そう」
「えーっと、1階が和洋とベーカリー、2階が中韓アジアと麺類、3階がコンビニみたいだね。え待って、キムチチーズチヂミとかあるよ」
「豆乳明太クリームうどんは美味しそうすぎない?ごろごろ野菜と厚切りベーコンのポトフとか何?カフェ?おしゃれカフェなの?ここ」
「私、優柔不断だから迷っちゃうなぁ」
「莉子、しっかり。13時15分から次の模擬授業だから、うちらに許されてるのは賞味50分ちょいだよ」
「だよね、おっけ!えーっと私、天津飯とクラムチャウダー!」
「え、早、むしろもう決めたの……しかもその謎組み合わせ何?」
「友芽は?」
「えーっと、えーっと、バターチキンカレーと筑前煮!」
「や、その組み合わせの方が謎なんだけど。ま、いーや。買いに行こ」

 各階でそれぞれの欲しいものを手に入れて、最上階のコンビニで飲み物を買った。
 逢宮大学では学生証や職員証に付属のICチップで食堂内の決済を行うシステムだが、オープンキャンパスの2日間ばかりは現金決済を導入している。
 各コーナーに現金を管理する経理のプロと食券を配布する事務のプロがペアで配置され、高校生や保護者の激流を迎え撃っている。

「席あるかなー」

 コンビニで飲み物を買った流れで3階で空席を探しているのだが、元々座席数が少ない設定のようで思うように確保が出来ない。
 ぐるぐると回っていると、遠くに空いているスペースを見つけた大林莉子は速足でそこに向かった。
 のだが。

「あ、と、すみません」

 テーブルにトレイを置こうとした瞬間、横から来た男性とかち合ってしまった。
 背の高いその人を見上げると、あまりのイケメンに驚きすぎて金縛りに遭う。

「あ、もしかしてオープンキャンパスにいらした高校生の方ですか?」
「…………」
「……高校生の方ですよね?」
「…………」
「えっと、あの……?」
「ちょ、ちょっと、莉子!莉子!返事して!」

 追いついた友人が焦りまくって肩を粉砕する勢いで叩いてくるのにようやく正気を取り戻した大林莉子は、けれど唇から出た言葉に愕然とした。

「ははははははははひ!!!」

 終わった。
 イケメンの前で史上最大級に噛んでしまった。
 たった2文字なので、日本語で一番簡単なのに、「は」と「い」の連結でしかないのに。
 天津飯に埋もれて私も餡になってしまいたい……。

「元気ですね。ここは職員専用スペースなので、あちら側で食事をしていただけますか?」

 黒髪黒眼のイケメンは、高校生の失態を気にすることなく優しく笑ってそう促した。

「あ、職員専用なんですね。すいません、間違えました!」
「お騒がせしました!」

 手元のトレイを持ち直し、高校生二人は背負ったリュックを揺らしながら走り去る。
 途中で超絶スマートなスーツ姿の紳士ともすれ違った気がするが、もはやお化け屋敷並みに暴れまくる心臓を抱えて二度見する余裕はなく、そのまま賑わう高校生の集団へと身を隠した。

「めっちゃくちゃめっちゃくちゃにかっこよかったんだけど!?」
「人間だった?!何あれ、人間だった?!」

 食べながら果てなく続く興奮冷めやらぬ女子の叫びは、食事をしている周囲の学生の頭上にはてなマークを乱舞させ続けた。




 その後、法学部の模擬授業に参加したり入試説明を聴いたり、在学生のトークライブを観て充実した午後を送ったりした大林莉子と小林友芽は、15時30分に6号館内にある教室の前に来ていた。

「何か、教室めっちゃおっきくない?今までで一番じゃない?」
「凄いね。しかも、満員」
「もしかして有名な先生だったりするのかな?」
「分かんない。経済と法が優先で、あとは外国語学部って珍しいから行ってみよっかってノリで決めたから。教授とか全然調べて来てなかったね、うちら」

 よく見ると、教室の横に控えている在校生スタッフの数も多いし、構えられているカメラの数も多い。
 有名な人なら予約取れて良かったねと話しながらリュックから筆記用具を出していると、教壇に赤い紐の職員証を下げた女性が立った。
 前髪を大胆にウェーブさせた艶々の赤リップ、豊満ボディが憎めない愛嬌を放出している。

「皆様、お待たせしております。こちらは15時40分開始の外国語学部模擬授業の教室でございます。お間違えになられていましたら、こっそりとご退出くださいますようお願い申し上げます」
「何か、ばーん!とした感じの、キャラっぽい人だね」
「うん、可愛い。アクキーにしたら絶対人気出そう」
「ご担当くださいます鳴成秋史准教授がもうすぐご登場になりますので、しばしお待ちください」

 准教授の名前が出た途端、どこかで悲鳴が上がった。

「きゃあ……?」
「黄色い悲鳴だったよね?有名人とかかなぁ、テレビとか出てる感じの」
「何それ、めっちゃ期待高まるじゃん」
「早く見たいなー!」

 名前で検索してみても画像も何も出てこなかったので、人物像を勝手に想像していたら、教室の前方にある入口が俄かにざわついた。
 揺れる沢山の頭越しに背筋を限界いっぱいまで伸ばして見てみると、想像の遥か上を行く生き物が優雅に歩いていた。

「び、びびびび美人!!!」
「美人の外国人?!」

 ヘーゼルの瞳に、センターパートにセットされたヘーゼルの髪。
 ブルーグレーのストライプの三つ揃えに締められたウィスタリアブルーのネクタイが、着ている人から零れる上品さをさらに押し上げている。
 緑の紐の職員にピンマイクを付けて貰いながら談笑する姿は、今すぐデッサンしてルーブル美術館に展示した方が良い。
 世界平和のために。

「え、莉子、莉子莉子莉子!あの人、さっきの黒のイケメンじゃない?」
「ほんとだ!」

 ヘーゼルの准教授のすぐ横に立って一瞬会話したその人は、広い教室を横切りながら前に座る生徒にレジュメを渡していく。
 黒のポロシャツにグレイッシュグリーンのスラックスを穿いたその人をぼーっと見つめる生徒が多いが、気持ちが分かりすぎるので文句はない。
 一向にレジュメが回ってこないが、共感しかないので責める気持ちは全然ない。

「もしかして、あのイケメンは美人准教授の助手っぽい感じなのか」
「あれとあれがペアってどういう神々の遊びなの……組み合わせが尋常じゃないんだけど、日本の神様はデュエルの世界大会進出でも狙ってるつもりなのかな」
「どう考えても日本が勝つでしょ。大優勝でしょ」

 配り終えた黒のイケメンは、教壇に立つヘーゼルの准教授と赤リップの職員に目配せをすると、長い脚で教室の後方へと移動した。

「定刻となりましたので模擬授業を始めさせて頂きます。本日最後の授業を行ってくださいます、外国語学部英語学科の鳴成秋史准教授です」
「鳴成秋史と申します。こうして高校生の皆さんを前にして講義を行うというのは人生初ですので、不慣れな部分もあるかと思います。ご了承ください。お集りの皆さんには、大学で行われる講義の雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。本日は大学1年生の第1回目の授業内容を、皆さん用にアレンジした内容で模擬授業を進めて行きます。それでは、レジュメの1ページ目をご覧ください」

 美人の准教授を眺めていたいのに授業もきちんと受けたい。
 そんな思いが胸でひしめき合うのを感じながら、高校生二人は熱心に耳を傾けた。
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