鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

01. オープンキャンパスと満月のスポットライト②

「さて、最後に少し実験をしてみましょう。外国語学部で真剣に言語を習得するとどの程度まで理解を深められるのか、大学生の先輩にお手本を見せていただきましょう。月落くん」

 透きとおる声でそう呼びかけられた、教室の中央付近に立っていた男性が返事をする。

「え、黒のイケメンが呼ばれた……」
「つきおち……?珍しい名字だね」

 不意を突かれたような顔で前へと進み出たイケメンに、ヘーゼルの准教授が微かに頷く。

「あとは学生で誰かお手伝い願える方はいますか?……ああ、ではお願いします」
「はい、よろしくお願いします」

 天井へと一直線で手を挙げた、右サイドにいた男子学生スタッフが指名された。

「お名前は?」
今井航平いまいこうへいです」
「何年生ですか?」
「3年生です」
「ちなみに今井くん。あなたは大学入学までにどこかで英語を専門的に勉強していましたか?」
「いいえ、受験勉強以外は特にしていませんでした。リーディングはある程度は出来ましたが、リスニングもスピーキングも大学の授業で本格的に学び始めました」
「それはちょうど良いお手本になると思います」

 何をするのだろうと、高校生の集団は興味津々な様子で落ち着かない。
 その空気を悉く無視して、美人教授は左側へと顔を向ける。

「月落くん、短めの英文を一文ずつ英語で喋ってもらえますか?」
「……はい」
「今井くん、それを日本語に訳してください」
「……かしこまりました」
「先生、レベルはどうしますか?」
「3年生レベルで。遠慮はいりませんのでネイティブのスピードでどうぞ」
「承知しました」

 片方にライブで英語を喋らせ、もう片方にそれをリアルタイムで翻訳させるらしい。
 しかもそれを忖度のない速度で行わせるらしい。

「てことは、あのイケメンも英語話せるってことだよね」
「いや、ハイスペックすぎない?」

 大林莉子と小林友芽がノートで筆談していると、準備の整った両者から各々で声が上がる。
 それを合図に、一瞬にして教室内に静寂が広がる。
 大半が共通テストのためのリスニング対策を日々行っている受験生たちだ、皆真剣に耳を傾けて聴き取ってやろうという気概を感じる。

「The  world needs your energy, your passion and your impatience with progress.」
「世界はあなたのエネルギー、情熱、進歩に対するもどかしさを必要としています」
「Don’t shrink from risk. 」
「リスクを恐れないで」
「And tune out those critics and cynics. 」
「批判や皮肉に耳を貸さないでください」
「History rarely yields to one person, but think and never forget what happens when it does. 」
「歴史は一人の力で動くことは稀ですが、それが実現したとき何が起こるかを考え、そして決して忘れないでください」
「That can be you. That should be you. That must be you.」
「……歴史を動かすのは、あなたかもしれない。あなたに違いない。あなたで、あるべきなのです」

 注目を一心に浴びていたふたつの声が止む。
 そして、戻ってくる静寂。

「素晴らしいです。良く出来ました」

 それを破った准教授の賛辞に、時の止まっていた学生や大学関係者から割れんばかりの拍手が湧き起こる。
 周りの学生スタッフから賞賛を受けているのか、今井は顔を赤くしながら満面の笑みを浮かべている。
 黒のイケメンも、今井へと拍手を送っていた。

「言語理解は、単に他言語を喋れるようになるという狭い範囲に留まりません。他国の人々とのコミュニケーションを行うために必要不可欠な言語を習得し、その上で深度のある相互理解を行える人材を育てる、というのが外国語学部の意義です。いきなり全編外国語の授業は行いません。徐々に馴らしていき、最終的には全学生がネイティブレベルで会話できるように育成するカリキュラムが用意されていますので、どうぞご安心を。皆さんと来年の4月にお会いできるのを、楽しみにしています」

 ありがとうございました、とお辞儀をした鳴成に、学生は拍手で応える。

「これにて外国語学部の模擬授業は全て終了でございます。学生の皆さんはお気をつけてお帰りください」

 艶々赤リップの女性のアナウンスのあと、次々に席を立つ音で溢れる。
 ピンマイクを外している美人准教授の元には一目散に駆けつけた高校生が周りを取り囲んでいるが、黒のイケメンと赤の職員証を下げた数名がガードしているため容易には近づけないようだ。
 その黒のイケメンにも群がる人波があって、教壇周辺はとても騒々しい雰囲気になっている。
 それを遠くから眺めながら、大林莉子と小林友芽も帰り支度を始めた。

「あの英文って誰かの演説なのかな?」
「ね、そんな感じだったよね。普段の会話みたいな感じじゃなかったし」
「暗記してるイケメンも凄かったけど、それをスラスラ訳してたあの男子の先輩も凄かったね」
「受験勉強しかしてなかったってことは、今のうちらと同じ状態だよね?私たちも2年半であのレベルになれるのかな……」
「なれるってあの准教授の先生言ってたよね。え、何かさ、日本だけで就活のこと考えてたけど、外国語学部でちゃんと勉強してコミュニケーション取れるようになったら、外国で働くのも夢じゃないってこと?」
「うん。外国語学部に所属しながら他の学部……それこそ経済とかの授業も学部間で受けられるなら、将来の幅がめっちゃ広がる気がする」
「え、進路……」
「え、第一志望……」

 その日、未来を担う高校生の未来が変わった。




―――――――――――――――




「先生、今日は本当にお疲れ様でした」
「きみも私のアドリブに付き合ってくれて、ありがとうございました」

 スパークリングウォーターで乾杯する。
 今日の頑張りを互いに労う鳴成秋史と月落渉は、今年の初めに訪れた世田谷にあるビストロを再訪していた。

 まだ恋人同士になる前の月落の完全なる片想い期に、次は春に来ようと約束したのだが、色々とあって季節をひとつ飛び越えてしまった。
 それを惜しいと思っていると先日何気なく零した月落に鳴成が賛同して、今日の食事と相成った。

「僕は高校生に向けて講義する先生の勇姿を、余すことなく見届けるためだけに出勤したつもりだったんですが、まさか強制参加させられるとは思ってもいませんでした」
「きみはきっとそう考えてるだろうと思って、強制参加させました」
「あ、鬼准教授がいる」
「本当はきみが講義したっていいんですよ?ネイティブの教員と互角に渡り合える実力の持ち主ですから」
「遠慮します。先生という存在がないのであれば、大学の教室は無機質なただの箱でしかないので。残念ながら、大学も授業も学生も、魅惑の対象物にはなり得ません」
「冷たいですね?」
「ええ、先生以外には基本冷酷な人間なので」
「うーん、その言葉には異議ありです」

 気軽に投げ合う会話を気軽なテンポでしながら、食事を楽しむ。

 夏野菜のラタトゥイユ
 ムール貝の白ワイン蒸し
 とうもろこしの冷製ポタージュ
 4種チーズのキッシュ
 甘鯛のパピヨット
 牛ほほ肉の煮込み
 グリル帆立とサワークリームオニオンのガレット

 デセールに、月落はサーモンタルタルのジェノベーゼガレットを、鳴成は桃のソルベを注文した。

「今年の春のガレットは食べ逃してしまったので、また来年ですね」
「はい。前に一緒に来た時は未来が不確かだったせいで、約束を介してその不確かさを補うしか出来ませんでした。でも今は、気持ち的に余裕な自分が何だか嘘みたいです。半年前の自分とのコントラストが劇的で」
「余裕がなかったですか?半年前は」
「なかったです。どうにか微細な隙を狙って、先生と大学以外の場所で一緒に過ごせないかと機会を伺ってましたから」
「そうなんですね、意外です。きみは泰然自若を地で行くタイプなのに」
「好きな人のことになると余裕なんてなくなります。僕だけを見てほしい衝動を抑えるのに必死で……今も」

 そう言って、ソルベを掬っていた鳴成の手をスプーンごと掴むと、月落は自分の口元へと持っていく。
 ぱくりと薄紅を食んだ。
 冷たくて口腔内がさっぱりとする。

 その一連の流れを見ていた鳴成は、震える唇を噛んで羞恥に耐える。

「……状況と場所を弁えていただいても?」
「先生がそんな顔をするから、余計に無理です」
「私のせいですか?」
「ええ、僕を惑わす先生のせいです」

 冤罪だ、と目を細める鳴成に意を介さず、月落は微笑みながら残りのガレットを美味しそうに平らげた。




 肩を並べて歩く。
 半年前とは一変した景色の中を。

 ネイビーブルーのステージ、広がるうろこ雲のカーペット、照らす満月のスポットライト。

 あの時も満たされていたけれど、十分に満たされていると思っていたけれど、それはきっと今の充足を知らない頃だったからこそ感じられたことだろう。
 あの時はあの時で全力で恋をしていたけれど、独りよがりだった。
 想いを捧げた分だけ、それと同じ重さで相手からも返ってくることの尊さを、噛み締めずにはいられない。

「先生」
「なんでしょう」
「手を繋いでもいいですか?」
「……車まで我慢できませんか?」
「出来ません」
「どうしても?もう少し歩くだけでしょう?」
「出来ません。今すぐ、秋史さんと、手が、繋ぎたいです」

 駄々っ子のように一節一節区切りながら告げる月落を、正面から受け止めた鳴成は呆れたように笑った。

「仕方ない。今日は私の無茶ぶりで、きみには頑張ってもらいましたから」

 差し出された手を、月落は絡め取るようにして繋ぐ。
 僅かに違う体温が、馴染んで境界線がなくなるように。


 蒸し暑い夜。
 自分たちの声と足音、そして蝉のコーラスが響く世界を、二人だけで歩く。
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