76 / 109
三章
04. 沖縄旅行編:『The Avalon』②
しおりを挟む
「弓子さんとはまた違ったスタイルのご親戚ですね」
「うちは人数が多いせいか身内もバラエティに富んでるので、キャラクターの宝庫だと外部からは言われてるらしいです。性格診断の全タイプが揃うんじゃないか、と言われたこともあります」
「実際、揃うんですか?」
「揃いませんでした。前に一度、親族新年会の時に一斉に性格診断をやってみたことがあるんです。ドキドキしながら結果を見たら、ほとんどが『起業家』と出て、皆で膝を折りました」
「もしかして皆様、ご職業を忘れていらっしゃった?」
「はい。そういえば経営者だった、と我に返って納得する声がそこかしこで聞こえてきて、騒がしかったです」
「きみの性格診断は何ですか?」
「主人公、でした」
「……ぴったりですね」
「そうですか?先生のは?」
「擁護者でした」
「擁護者……擁護者と主人公の相性は……」
鳴成の性格診断を聞いて、すぐに月落はスマホを取り出した。
光の速さで相性を調べる。
「……わ、先生、僕たちの相性は総じて良好です」
肩を寄せて画面を見せながら、嬉しそうにそう発する。
人はそれぞれ存在自体が唯一無二であり、性格もそうだ。
世界の人口80億人をたったの16の型に押し込めて判断するのは、無理があるのではないか。
そう現実的なことを考えてしまう鳴成は、性格診断も相性診断もあまり信じていない。
けれど、年下の可愛い恋人が嬉しそうに尻尾を振りながら見せてくる診断結果は、一も二もなく信じてみようという気になる自分が可笑しい。
「それは良かったです。けれど、きみと私の相性が抜群なのは、結果を見ずとも私たち自身が証明していると思うんですが」
「え、どうしよう嬉しすぎる。夢?夢なのか、これ?」
口元を手の平で押さえながら月落が独り言を零していると、髪を一纏めにした女性従業員がカードキーを持って戻ってきた。
「渉様、鳴成様、お待たせいたしました。お部屋のご準備が整いましたので、ご案内させていただきます」
立ち上がり、女性の後を付いて行く。
レセプションの建物を出て、生い茂る緑とハイビスカスが彩るなか、琉球石灰岩が敷かれた道を歩く。
途中で枝分かれして道が複数になる時もあるけれど、月落たちはひたすら真っ直ぐ進む。
「このヴィラは完全独立型と先ほど申しましたが、各お部屋は一直線の横並びではなく、この広い敷地内に点在しております。そこがよくあるヴィラタイプのホテルとは違う点でございます。全10棟常に満室ですが、ここで他のお客様とお会いになることは滅多にありませんので、どうぞご自由にお過ごしください」
従業員が足を止める。
そこには、背の高いヤシの木を背に羽ばたく天使の彫像が一対。
その横には白亜の長い壁が続き、ダークな色合いの錬鉄製の玄関扉が存在感を放っている。
「それでは、私はここで失礼いたします」
来た道を戻る白いシャツを見送って、鳴成と月落は眼前の扉を開けた。
一目散に飛び込んできたのは、プライベートプールにしては規格外の大きなプールだった。
「……すごいですね」
「僕も初めて来ましたけど、南国リゾート感満載ですね。先生、あれ、ガゼボですね」
長方形の形をした青いプールをコの字で囲うようにして客室が造られているようだ。
赤と白のコントラストが美しい巨大な瓦屋根の上には、小さなシーサーが乗っている。
プールを正面に見て向かって左側には、レースのカーテン付きのダークブラウンのガゼボ。
その中には同色のテーブルセットが置かれている。
「全体的に窓はありますけど、壁がほとんどないみたいですね?」
レセプションと同様に、建物の屋根を支えているのは白亜の大きな柱。
その間を全開口の折りたたみ窓が繋いでいる。
現在、その窓は全て開け放たれているおかげで、真正面に見えているプールの直線上にある寝室には、未だ強烈な光を放つ太陽光を反射するものが全くない。
「先生、あっちのリビングっぽいところも壁はほとんどないですね」
「……そうみたいですね」
「行ってみましょう?」
プールサイドのウッドデッキを歩いて敷地の右側へと歩いて行くと、細い柱が狭い間隔で並んでいる空間に琉球石灰岩の一枚板。
その奥にはスリッパが置かれている。
「とてもスタイリッシュな玄関ですね」
「スリッパがなかったら絶対に素通りする自信しかないです」
「私もです。猛烈な暴風雨が降ったら濡れそうな造りですけど、大丈夫なんでしょうか」
「僕もそれはすごく気になります。南国気分で、濡れても逆にテンションが上がる魔法にでも掛かるんでしょうか」
喋りながら緑のスニーカーと白いサンダルを脱ぐ。
その先には、ウォーターヒヤシンスのソファセットとテーブル、そしてマホガニーのダイニングテーブルセットがL字の空間に配置されている。
ここも折りたたみ窓が外との境界線の役割を果たしているようだ。
今は全開なので、ほぼアウトドアリビングのような雰囲気を醸し出している。
「で、ここがベッドルームですね」
壁がなくシームレスで続くのは、広いベッドルームだ。
プールと同じターコイズブルーのベッドスローが掛けられたハリウッドツインの真っ白なベッドに、枕元には濃淡違いの青いクッションが沢山置かれている。
天井には、回るシーリングファン。
「凄い、まさしく楽園ですね……」
ベッドの端に並んで座った鳴成が、思わずと言った様子でそう零した。
「林檎の生る楽園の島、Avalonですね」
青の濃い空、豊かな緑、眩しい白の壁、揺れる鮮やかな花、その全てを映す水鏡のプール。
それが、そのあまりにも理想郷として完璧な風景が、広角ワイドで広がる。
その非日常感に、呼吸をするのも忘れそうになる。
刺激的ではないのに、むしろ穏やか極まりないのに、心臓に確かに突き刺さる美しさは、切なささえも同時に訴えかけるようだ。
そうしようとせずとも自然と記憶に刻まれて、永遠に色褪せない一枚。
吸い込まれる。
魅入られる。
惹きこまれる。
「あ、先生、青い鳥です。あれだけ目立つ色合いってことはきっと雄で……先生?」
応答もなく身動きもしない鳴成の顔を、月落は下から覗き込むようにする。
ヘーゼルの瞳はそれに気づかず、ただまばたきを繰り返すのみ。
じっとその横顔を見つめていた月落は、その静寂を保つのではなく、あえて破る選択をした。
景色に心を奪われた鳴成の身体を、すっぽりと大きな体温が包む。
びくん、と小さく跳ねる肩。
「……申し訳ない、つい夢中になってました。どうしました?」
「んー……何となく、無意識で?」
「理由は特にない?」
「大型犬の本能です」
「あはは、本能ならば仕方ないですね」
鳴成は、するりと大きな背中に指を這わす。
服の上からでもきちんと隆起が分かる、鍛え上げられた筋肉。
それを撫でていると、嬉しそうにすりすりとすり寄られて、思わず笑い声が漏れる。
「あまりに美しくて、放心してしまいますね」
「僕にとっては先生の方が何億倍も綺麗なので、普通に綺麗だなくらいの感慨ですね」
「億、ですか?」
「億です。ちなみに、これでもセーブしてます。思いのまま全部さらけ出すと、きっと先生は走って逃げてしまう気がするので」
思わず身体を離して、月落を怪訝な顔つきで見つめる鳴成。
けれど、真正面で対峙する男の眼差しは、真摯の一言に尽きる色味で。
溺愛されていると自覚はしているけれど、それ以上に彼の中にある想いは深いのだと知る。
「逃げませんよ?」
「沖縄でも海外でもどこかの海辺に土地を買って、僕たちだけのプライベートヴィラを建てようかと本気で算段したって言ってもですか?」
「ずいぶんと壮大ですね」
「先生が望むなら、この地球上で手に入らないものなんてひとつもありません」
「きみがそう言うならきっとそうなんでしょうが、スケールが大きすぎて怖いので、一旦走って逃げてもいいですか?」
「……ほら、だから言ったのに」
頬を膨らませてむくれる大型犬。
その大きな身体に満ち溢れる飼い主への愛をすげなく躱されて、びゅんびゅん振っていた尻尾がぺたりと地面につくよう。
可哀想だけれど可愛くて、鳴成は月落の襟足を慰めるように撫でる。
「冗談です。逃げませんから、ね?」
至近距離で見つめ合う。
どちらからともなく近づいて唇と唇が重なり合う瞬間、いじけていた黒の瞳がキラリと挑発的な風合いに変わった。
「逃げてもいいです。逃げてもきっと、先生は逃げきれませんから。僕が、全力で追いかけるので」
そう宣言した月落は、顔をスライドさせて鳴成の耳元辺りをがしがしと噛んだ。
じゃれつくように無邪気に、けれど腰をがっちりとホールドされた鳴成はされるがまま。
出来るのは、上半身を僅かに仰け反らせるのみ。
「あはは、ちょ、やめ…、渉く…、くすぐったい、です……」
「つれない飼い主に最大限の抗議です」
「あはは、分かった……十分、分かりました」
「俺の愛がどれだけ重いか分かりました?」
「ええ、余すことなく」
年下の恋人の愛は深い、そして重い。
そして、地球規模らしい。
薄々気づいてはいたけれど、知らなくて良いことまで知ってしまった気がする。
「そろそろあっちの部屋にも行ってみますか?先生の楽しみにしているものがあると思います」
「ええ、是非」
月落に背中を支えられて立ち上がる。
巨大なベッドとクローゼット、二人掛けのソファセットとシーリングファン以外は何もないシンプルな寝室の右側は、この建物唯一の壁で仕切られている。
ダークブラウンの木製の引き戸を開けると、右側にはアラベスカートコルキアで造られた洗面台があり、左側にはガラス扉のシャワーブース。
そして。
「温泉!」
「今日一大きな声ですね、先生」
そのシャワーブースの繋がる先には、石造りの露天風呂があった。
吐水口からは常に乳青色のお湯が流れ続け、水面を揺らし続ける。
露天風呂の向こう側に広がるプールの青とも違う、不思議なミルキーブルーに鳴成の心は踊る。
「今から入る……のは無理そうですね」
カラトラバの腕時計を確認した鳴成が残念そうに肩を落とす。
時刻は、17時。
ゆっくりと湯船に浸かっていると、18時に設定した夕食の時間を慌ただしく迎えることになりそうだ。
「夕飯の時間を遅らせてもらいましょうか?」
「いいえ、それはヴィラの皆さんにご迷惑が掛かるので遠慮します。ナイトプールから帰ってきたら、存分に楽しむことにします」
「分かりました。1時間でも2時間でも楽しんでください」
「皮膚がふやけてしおしおになったら、助けにきてくれますか?」
「はい。でも、出来ればしおしおになる前に呼んでください」
「うーん、そこはきみの危機察知能力に、全力で甘えることにしましょう」
「甘えていただけるのは大いに嬉しいんですが、先生が一言だけ発してくだされば済む話で——」
「お願いしますね、渉くん」
身長差で無意識に上目遣いになった鳴成に名前を呼ばれた月落は、胸の底から湧き出る喜びと愛しさが混ざり合った感情に揺さぶられながら、何とか返事をした。
「……承知しました」
その後、バスルームのガラス窓が自動開閉式なこと、そして天井部分も半分ほど開くおかげで夜空を鑑賞しながら露天風呂に入れることを知った鳴成の瞳が、輝きに輝きを増したのは言うまでもない。
「うちは人数が多いせいか身内もバラエティに富んでるので、キャラクターの宝庫だと外部からは言われてるらしいです。性格診断の全タイプが揃うんじゃないか、と言われたこともあります」
「実際、揃うんですか?」
「揃いませんでした。前に一度、親族新年会の時に一斉に性格診断をやってみたことがあるんです。ドキドキしながら結果を見たら、ほとんどが『起業家』と出て、皆で膝を折りました」
「もしかして皆様、ご職業を忘れていらっしゃった?」
「はい。そういえば経営者だった、と我に返って納得する声がそこかしこで聞こえてきて、騒がしかったです」
「きみの性格診断は何ですか?」
「主人公、でした」
「……ぴったりですね」
「そうですか?先生のは?」
「擁護者でした」
「擁護者……擁護者と主人公の相性は……」
鳴成の性格診断を聞いて、すぐに月落はスマホを取り出した。
光の速さで相性を調べる。
「……わ、先生、僕たちの相性は総じて良好です」
肩を寄せて画面を見せながら、嬉しそうにそう発する。
人はそれぞれ存在自体が唯一無二であり、性格もそうだ。
世界の人口80億人をたったの16の型に押し込めて判断するのは、無理があるのではないか。
そう現実的なことを考えてしまう鳴成は、性格診断も相性診断もあまり信じていない。
けれど、年下の可愛い恋人が嬉しそうに尻尾を振りながら見せてくる診断結果は、一も二もなく信じてみようという気になる自分が可笑しい。
「それは良かったです。けれど、きみと私の相性が抜群なのは、結果を見ずとも私たち自身が証明していると思うんですが」
「え、どうしよう嬉しすぎる。夢?夢なのか、これ?」
口元を手の平で押さえながら月落が独り言を零していると、髪を一纏めにした女性従業員がカードキーを持って戻ってきた。
「渉様、鳴成様、お待たせいたしました。お部屋のご準備が整いましたので、ご案内させていただきます」
立ち上がり、女性の後を付いて行く。
レセプションの建物を出て、生い茂る緑とハイビスカスが彩るなか、琉球石灰岩が敷かれた道を歩く。
途中で枝分かれして道が複数になる時もあるけれど、月落たちはひたすら真っ直ぐ進む。
「このヴィラは完全独立型と先ほど申しましたが、各お部屋は一直線の横並びではなく、この広い敷地内に点在しております。そこがよくあるヴィラタイプのホテルとは違う点でございます。全10棟常に満室ですが、ここで他のお客様とお会いになることは滅多にありませんので、どうぞご自由にお過ごしください」
従業員が足を止める。
そこには、背の高いヤシの木を背に羽ばたく天使の彫像が一対。
その横には白亜の長い壁が続き、ダークな色合いの錬鉄製の玄関扉が存在感を放っている。
「それでは、私はここで失礼いたします」
来た道を戻る白いシャツを見送って、鳴成と月落は眼前の扉を開けた。
一目散に飛び込んできたのは、プライベートプールにしては規格外の大きなプールだった。
「……すごいですね」
「僕も初めて来ましたけど、南国リゾート感満載ですね。先生、あれ、ガゼボですね」
長方形の形をした青いプールをコの字で囲うようにして客室が造られているようだ。
赤と白のコントラストが美しい巨大な瓦屋根の上には、小さなシーサーが乗っている。
プールを正面に見て向かって左側には、レースのカーテン付きのダークブラウンのガゼボ。
その中には同色のテーブルセットが置かれている。
「全体的に窓はありますけど、壁がほとんどないみたいですね?」
レセプションと同様に、建物の屋根を支えているのは白亜の大きな柱。
その間を全開口の折りたたみ窓が繋いでいる。
現在、その窓は全て開け放たれているおかげで、真正面に見えているプールの直線上にある寝室には、未だ強烈な光を放つ太陽光を反射するものが全くない。
「先生、あっちのリビングっぽいところも壁はほとんどないですね」
「……そうみたいですね」
「行ってみましょう?」
プールサイドのウッドデッキを歩いて敷地の右側へと歩いて行くと、細い柱が狭い間隔で並んでいる空間に琉球石灰岩の一枚板。
その奥にはスリッパが置かれている。
「とてもスタイリッシュな玄関ですね」
「スリッパがなかったら絶対に素通りする自信しかないです」
「私もです。猛烈な暴風雨が降ったら濡れそうな造りですけど、大丈夫なんでしょうか」
「僕もそれはすごく気になります。南国気分で、濡れても逆にテンションが上がる魔法にでも掛かるんでしょうか」
喋りながら緑のスニーカーと白いサンダルを脱ぐ。
その先には、ウォーターヒヤシンスのソファセットとテーブル、そしてマホガニーのダイニングテーブルセットがL字の空間に配置されている。
ここも折りたたみ窓が外との境界線の役割を果たしているようだ。
今は全開なので、ほぼアウトドアリビングのような雰囲気を醸し出している。
「で、ここがベッドルームですね」
壁がなくシームレスで続くのは、広いベッドルームだ。
プールと同じターコイズブルーのベッドスローが掛けられたハリウッドツインの真っ白なベッドに、枕元には濃淡違いの青いクッションが沢山置かれている。
天井には、回るシーリングファン。
「凄い、まさしく楽園ですね……」
ベッドの端に並んで座った鳴成が、思わずと言った様子でそう零した。
「林檎の生る楽園の島、Avalonですね」
青の濃い空、豊かな緑、眩しい白の壁、揺れる鮮やかな花、その全てを映す水鏡のプール。
それが、そのあまりにも理想郷として完璧な風景が、広角ワイドで広がる。
その非日常感に、呼吸をするのも忘れそうになる。
刺激的ではないのに、むしろ穏やか極まりないのに、心臓に確かに突き刺さる美しさは、切なささえも同時に訴えかけるようだ。
そうしようとせずとも自然と記憶に刻まれて、永遠に色褪せない一枚。
吸い込まれる。
魅入られる。
惹きこまれる。
「あ、先生、青い鳥です。あれだけ目立つ色合いってことはきっと雄で……先生?」
応答もなく身動きもしない鳴成の顔を、月落は下から覗き込むようにする。
ヘーゼルの瞳はそれに気づかず、ただまばたきを繰り返すのみ。
じっとその横顔を見つめていた月落は、その静寂を保つのではなく、あえて破る選択をした。
景色に心を奪われた鳴成の身体を、すっぽりと大きな体温が包む。
びくん、と小さく跳ねる肩。
「……申し訳ない、つい夢中になってました。どうしました?」
「んー……何となく、無意識で?」
「理由は特にない?」
「大型犬の本能です」
「あはは、本能ならば仕方ないですね」
鳴成は、するりと大きな背中に指を這わす。
服の上からでもきちんと隆起が分かる、鍛え上げられた筋肉。
それを撫でていると、嬉しそうにすりすりとすり寄られて、思わず笑い声が漏れる。
「あまりに美しくて、放心してしまいますね」
「僕にとっては先生の方が何億倍も綺麗なので、普通に綺麗だなくらいの感慨ですね」
「億、ですか?」
「億です。ちなみに、これでもセーブしてます。思いのまま全部さらけ出すと、きっと先生は走って逃げてしまう気がするので」
思わず身体を離して、月落を怪訝な顔つきで見つめる鳴成。
けれど、真正面で対峙する男の眼差しは、真摯の一言に尽きる色味で。
溺愛されていると自覚はしているけれど、それ以上に彼の中にある想いは深いのだと知る。
「逃げませんよ?」
「沖縄でも海外でもどこかの海辺に土地を買って、僕たちだけのプライベートヴィラを建てようかと本気で算段したって言ってもですか?」
「ずいぶんと壮大ですね」
「先生が望むなら、この地球上で手に入らないものなんてひとつもありません」
「きみがそう言うならきっとそうなんでしょうが、スケールが大きすぎて怖いので、一旦走って逃げてもいいですか?」
「……ほら、だから言ったのに」
頬を膨らませてむくれる大型犬。
その大きな身体に満ち溢れる飼い主への愛をすげなく躱されて、びゅんびゅん振っていた尻尾がぺたりと地面につくよう。
可哀想だけれど可愛くて、鳴成は月落の襟足を慰めるように撫でる。
「冗談です。逃げませんから、ね?」
至近距離で見つめ合う。
どちらからともなく近づいて唇と唇が重なり合う瞬間、いじけていた黒の瞳がキラリと挑発的な風合いに変わった。
「逃げてもいいです。逃げてもきっと、先生は逃げきれませんから。僕が、全力で追いかけるので」
そう宣言した月落は、顔をスライドさせて鳴成の耳元辺りをがしがしと噛んだ。
じゃれつくように無邪気に、けれど腰をがっちりとホールドされた鳴成はされるがまま。
出来るのは、上半身を僅かに仰け反らせるのみ。
「あはは、ちょ、やめ…、渉く…、くすぐったい、です……」
「つれない飼い主に最大限の抗議です」
「あはは、分かった……十分、分かりました」
「俺の愛がどれだけ重いか分かりました?」
「ええ、余すことなく」
年下の恋人の愛は深い、そして重い。
そして、地球規模らしい。
薄々気づいてはいたけれど、知らなくて良いことまで知ってしまった気がする。
「そろそろあっちの部屋にも行ってみますか?先生の楽しみにしているものがあると思います」
「ええ、是非」
月落に背中を支えられて立ち上がる。
巨大なベッドとクローゼット、二人掛けのソファセットとシーリングファン以外は何もないシンプルな寝室の右側は、この建物唯一の壁で仕切られている。
ダークブラウンの木製の引き戸を開けると、右側にはアラベスカートコルキアで造られた洗面台があり、左側にはガラス扉のシャワーブース。
そして。
「温泉!」
「今日一大きな声ですね、先生」
そのシャワーブースの繋がる先には、石造りの露天風呂があった。
吐水口からは常に乳青色のお湯が流れ続け、水面を揺らし続ける。
露天風呂の向こう側に広がるプールの青とも違う、不思議なミルキーブルーに鳴成の心は踊る。
「今から入る……のは無理そうですね」
カラトラバの腕時計を確認した鳴成が残念そうに肩を落とす。
時刻は、17時。
ゆっくりと湯船に浸かっていると、18時に設定した夕食の時間を慌ただしく迎えることになりそうだ。
「夕飯の時間を遅らせてもらいましょうか?」
「いいえ、それはヴィラの皆さんにご迷惑が掛かるので遠慮します。ナイトプールから帰ってきたら、存分に楽しむことにします」
「分かりました。1時間でも2時間でも楽しんでください」
「皮膚がふやけてしおしおになったら、助けにきてくれますか?」
「はい。でも、出来ればしおしおになる前に呼んでください」
「うーん、そこはきみの危機察知能力に、全力で甘えることにしましょう」
「甘えていただけるのは大いに嬉しいんですが、先生が一言だけ発してくだされば済む話で——」
「お願いしますね、渉くん」
身長差で無意識に上目遣いになった鳴成に名前を呼ばれた月落は、胸の底から湧き出る喜びと愛しさが混ざり合った感情に揺さぶられながら、何とか返事をした。
「……承知しました」
その後、バスルームのガラス窓が自動開閉式なこと、そして天井部分も半分ほど開くおかげで夜空を鑑賞しながら露天風呂に入れることを知った鳴成の瞳が、輝きに輝きを増したのは言うまでもない。
139
あなたにおすすめの小説
【完結済】「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
隣国のΩに婚約破棄をされたので、お望み通り侵略して差し上げよう。
下井理佐
BL
救いなし。序盤で受けが死にます。
大国の第一王子・αのジスランは、小国の第二王子・Ωのルシエルと幼い頃から許嫁の関係だった。
ただの政略結婚の相手であるとルシエルに興味を持たないジスランであったが、婚約発表の社交界前夜、ルシエルから婚約破棄するから受け入れてほしいと言われる。
理由を聞くジスランであったが、ルシエルはただ、
「必ず僕の国を滅ぼして」
それだけ言い、去っていった。
社交界当日、ルシエルは約束通り婚約破棄を皆の前で宣言する。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】この契約に愛なんてないはずだった
なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。
そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。
数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。
身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。
生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。
これはただの契約のはずだった。
愛なんて、最初からあるわけがなかった。
けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。
ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。
これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる