鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

05. 沖縄旅行編:ナイトプールと眠る人②

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 波の出るプールでひとしきりはしゃいだあと、流れるプールで浮き輪に嵌りながら悠々と過ごし、大量のシャボン玉と戯れつつ、サバンナの動物を象ったフロートに乗って写真を沢山撮った。
 色んな動物のフロートがある中で協議の結果、トムソンガゼルを手に取った瞬間、「これもおすすめです。1個しかないんです」とスタッフによって裏から出されたフェネックのフロートが、月落に電光石火の衝撃を与えた。

 隣に立つ年上の恋人とフェネックの間で何度も視線を行き来させて、そのあまりの親和性の高さに、高速で頷きまくる月落。
 そんな恋人の真剣な様子を汲んで、トムソンガゼルをそっと手放した鳴成だった。

 フロートに乗りながら、2000機のドローンショーや打ちあがる花火を楽しんでいるとあっという間に閉園の21時30分となった。
 バスタオルで身体や水着を拭いた二人は、風の吹き抜ける道を帰っている。

「時間を忘れちゃいましたね」
「ええ、閉園の音楽が流れたのを少し惜しいと思う自分がいるのに驚きました。一線を越えて当事者になってしまえば、自分と周りの対比は曖昧になるんだと気がつきました」
「先生、とっても馴染んでました。最初は不安そうでしたもんね?」
「恥ずかしながら、若干怯えていました」
「いつもとは違う先生を見るのも僕的にはそれだけで眼福だったので、嬉しそうな先生の両方ともが見られて幸せでした」
「……からかっていますか?」
「いいえ、全然」

 にやにやと悪い顔で笑う月落の頬を抓る。
 その抗議の仕方の可愛さに、年下の恋人はさらに頬を歪める。

「月落様、お帰りなさいませ。ナイトプールはお楽しみになれましたでしょうか」
「はい、思い切り楽しみました」

 ヴィラに到着すると、レセプションに常駐している従業員に声を掛けられる。
 浮き輪とバスタオルを預かってもらい、部屋へと戻った。

 帰り道、両者ともに些か早歩きなのは気のせいではない。
 琉球石灰岩の一枚板の上でサンダルを脱ぐと、ダイニングスペースへと直進した。

「冷蔵庫を開けてなかったので、紅茶のペットボトルが入ってるなんて知らなかったですね」
「何だか、表現が独特でいらっしゃいましたね」

 別れ際に従業員から、「備え付けの冷蔵庫に沖縄の有名な飲み物を、許されているスペース分詰められるだけ詰めた。後悔はない」と伝えられた。

 ヴィラとはいえ、管轄はホテル部門だ。
 『ハイテンションマンション』という奇々怪々な括りの下で働く従業員たちのその行動は時に、常識という綺麗事を世迷い事と一蹴し、華麗な背面飛びを決めることがある。
 幼い頃からそれを何度も見てきた月落と、ここ半年で否が応にも経験せざるを得ない日々を送っている鳴成は、互いに目を合わせた。
 そして、意を決したように冷蔵庫の扉を開けた。

「えっと……もはやコンビニかな?」

 月落が、最前列で整列している黄色いラベルの集団からひとつを持ち上げる。

「シークヮーサーティーは初めて見ました。沖縄限定なんですね……アップルティーにミルクティー、炭酸、コーヒー……この奥は全部ビールですね」

 鳴成がペットボトルの牙城を崩した先で乳白色の缶を手に取る。
 紅茶をはじめとするソフトドリンク軍団が幅を利かせる箱の奥、背後を陣取るようにして積み上げられているのは、沖縄に主軸を置くビールメーカーの缶だ。

 星が3つ並んだデザインは他にもネイビー、茶、イエローゴールド、緑、水色、白、黒、そしてシーサーの柄やポップな絵柄のものまであり、大きめの冷蔵庫をぎっしりみっちりきっちり支配している。
 全部が350mlで統一されいるので、制服の違う学生が集合しているように見えて可愛らしい。

 調べてみると、数量限定や国内未発売のものも揃っていて、どれだけこのヴィラで働く従業員がその本領を遺憾なく発揮したのか窺い知れる。

「ちょうど喉渇いてるので、僕はここで一杯飲もうと思います」
「シャワーを浴びてからにした方が良いのでは?濡れたままだと風邪を引いてしまいます」
「夜風でほとんど乾いてるので大丈夫です。先生は先に温泉に浸かってください」
「……本当ですね、乾いてる」

 言いながら、鳴成は艶やかな黒髪を指の間で梳く。
 質感はさらさらだ。

「せめて服は着替えて、寒くなったらすぐにシャワーに来てくださいね?」
「承知しました。肝に銘じます」

 神妙な面持ちで頷く月落に苦笑いを零しながら、鳴成はそのまま直進してバスルームへと消える。
 どうせ後で脱ぐからと、Tシャツとショートパンツに着替えた月落は、再び相対した冷蔵庫から一番オーソドックスな出で立ちの缶を取り出してソファに座った。

 ぷしゅりと開けて、ぐっと飲む。
 水で遊んで程良く疲れた身体に、炭酸の喉越しと苦味の少ない後味が爽やかに澄み渡って、間を置かずに連続で喉を鳴らす。

「美味しいな、これ。先生好きそう」

 そして、いつもの癖が出る。
 沖縄に来ても出る。
 食べたものや飲んだもの、最近では見たものや聞いたものまで、自分の感想の次に必ず鳴成にとってはどうだろうという考えが口をついて出る。
 先日、それを聞いた幼馴染が頬を引き攣らせていたが、月落は全くどこ吹く風だ。

 他人の評価などどうでもいい。
 月落の世界の中心には鳴成が清々しく立っていて、それを軸として廻っているから。
 今まで空白だったその領域。
 自分の世界なのに自分すら立ち得なかったその空間に、やわらかく微笑みながらいてくれる人。
 
 鳴成にはこれからもずっと好きなものに囲まれて幸せに過ごしてほしいから、そのための情報収集は絶対に欠かさない。
 もはや月落のライフワークだ。

「星が綺麗だな」

 見上げれば、天然のプラネタリウム。
 ホテルやレジャー施設から離れた場所にあるため、星の輝きが掻き消されない。
 満天の星空をビールと共に堪能していると、視界の端で動く影がひとつ。
 視線をずらすと、ミルキーブルーの湯が溢れる石造りの浴槽に首まで浸かって夜空を見上げるシルエットがあった。

「っ、げほ……」

 月落は盛大に咽る。
 このヴィラのバスルームは、露天風呂の真正面はガラスや壁が一切ない解放感重視の作りになっている。
 左右と上のガラスには調光フィルムが採用されていて、スイッチひとつで透明と不透明が切り替えられるようになっている。
 より星空を見られるようにと、鳴成は透明のスイッチを押したようだ。

 ヘーゼルの頭を浴槽の縁に預けながら、しどけなく天を仰ぐ姿。
 湯気の立ち昇るその中で生々しく浮かび上がる白い肌が、あまりにも耽美で。

「He's killing me……」

 思わず、瞼を手の平で覆った。

 目の保養だ。
 いや、保養すぎて、いっそのこと目の毒だ。

 これに耐えられるという聖人には、たゆまぬ拍手喝采を送りたい。
 自分は未だ凡人で、それ故に欲望のまま行動することを許されるのなら、むしろ永遠に凡人でいい。
 聖人への道は自らの手でぶっ壊そう。

「無防備すぎる秋史さんが悪い」

 一気飲みして空になったビールの缶を勢いよくテーブルに置くと、月落は立ち上がった。
 受け身側の負担が大きいので旅行中は大人しくすると決めていたが、これは不可抗力だ。
 こちらに非はない。

「抱き締めてちょっと齧るくらいなら、許してもらえるかな」

 天女の衣を隠した男の心情に今なら盛大に同意できるなと埒が明かないことを思いながら、月落は軽い足取りでバスルームへと続く扉を開けた。




―――――――――――――――




 2日目の朝は、太陽が東から昇り始めた頃に起きた二人だった。
 習慣とは恐ろしい。
 朝寝坊するつもりでアラームも遅い時間に設定していたのに、ほぼいつも通りの時間に自然と目を覚ましてしまった。

 広いベッドの上で寝転がりながら美しい景色をしばらく眺めていたが、いそいそと起き出す。
 鳴成は露天風呂、月落は備え付けのプールに泳ぎに行った。
 高速クロールで何往復もする水泳選手と、それを驚いた様子で鑑賞する温泉愛好家。

 8時に和食の朝食をガゼボで摂ったあとは、鳴成は読書、月落は露天風呂にじっくり身を沈めた。

 そして現在、時刻は10時前。
 水族館へと向かうため、ヴィラを出発するまでにあと30分ほどとなった今。
 両者は、再びベッドの上へと舞い戻っていた。

 青のストライプシャツとホワイトジーンズを纏い沢山の枕を背もたれにして本を読む鳴成と、その腰に長い腕を巻き付けてすやすやと眠る上半身裸の月落。
 この少し前、風呂から上がって髪をざっくりと乾かした月落はグレーのスウェットを穿いただけでバスルームから出てくると、ベッドにいた鳴成の横に並んで寝そべった。

「秋史さん、音読してください」
「これを?南国が舞台のSF小説ですが、これを?」
「はい」
「途中からだと訳が分からない気がするんですが……」
「良いです。秋史さんの声で、文章が読まれるのを聴きたいです」

 そう言うならじゃあ、と鳴成は読んでいた続きから音読をし始めた。
 先の懸念の通り、月落にはその内容は微塵も分からない。
 けれど、それが愛しい人の唇で紡がれるとなれば極上の物語になる。
 鳴成が時折、自分の方を確認しながら読み進めていくのを機嫌よく聴いていた月落だが、程なくしてずりずりと身体を下へと移動し始めた。

「渉くん?どうしました?」

 黒髪が線を描いて遠ざかるのを眺めていた鳴成だったが、やがてそれは自分の太腿辺りで止まった。
 と思ったら、腰にぐるりと腕を回した年下の男は、安らかな寝息を立てて夢の中へと旅立って行った。

「寝て、ますね……」

 こういう姿を見せるのは珍しい。
 同じタイミングでベッドに入っても、いつも自分より少しだけ遅く寝て少しだけ早く起きる人だ。
 朝から爆速で泳いだからか、露天風呂で温まったからか、やはり本の内容が分からなかったからか。

 縋るように、甘えるように、眠る恋人を、鳴成は愛おしそうに見ていた。




 マリンブルーの空、王者の太陽、艶々と光を照り返す緑、原色の花々、純白の部屋。
 そこで眠る黒の青年と、その青年の髪をゆっくりと撫でながら本を読むヘーゼルの麗人。

 そこに、全開にした窓から訪問者が飛んできた。
 尾に長い飾り羽のついた青い鳥。

 ベッド横のサイドテーブルに着地したその鳥は咥えていた花をぽとりと落とすと、きゅるると首を動かしてベッドの上を見つめる。
 チチチ……と足を動かしてダンスを始めたのへ、本を閉じた鳴成は微笑みながらこう言った。

「私の大切な人がぐっすり眠っているので、出来るだけお静かにお願いします」

 了解したと言わんばかりにむくりと羽を動かした鳥は、ぱたぱたと飛び立ち、楽園でくつろぐ二人の上をしばらく旋回していた。
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