鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

08. 閑話・諜報機関雑談①

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「あー、それは一番奥に座ってる『サバンナのランボー』に訊いてみて」
「あれ、くぼさんの席ってどこだっけ?」
「『天国と地獄』」
「あそこか、さんきゅ」
「ちわっす。ビルメンの辻でっす」
「ビルメン?呼んだ憶えないんだけど……あれ、でもそれ社員証だね。もしやうちの社員か?」
「辻さん、私が呼んだ!こっち来て!」

 9月中旬の火曜日、東京都内某所。
 17時を半分ほど回った頃。
 白い壁に四方を囲まれただだっ広い箱のなか、向かって右側には半透明のパーテーションで区切られたデスクとモニターの山、山、山。
 左側には大小の会議室と、奥にはカラフルなソファを備えたカフェスペースが併設されている。

 ここは、TOGグループの諜報機関である、対企業用のスネークと対個人用のスパイダーが暗躍するオフィスである。

「んんんんんんんん……ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ー!!!!」
「いや、うるさ。しかも相変わらず、肩が鋼鉄ほどに凝ってんな!」
「それよ。この肩切って開けてみたら金脈が出てくるよ、絶対」
「それは一気に億万長者だな。いっそ開ける?すぐ開ける?そんで半分俺にちょーだい」
「バカか?」

 天高く伸びをした後で両肩を外れんばかりの勢いでぶん回す女性と、発せられた声の大きさに振り向いて後ろから話しかけた男性。
 背中合わせで座っていた彼らは、所属チームは違うが同僚であり、唯一の同期入社だ。
 年齢は10ほど離れているが、歴とした同期。
 共に服装はラフを極めている。

「なに、一段落ついたの?『ロイヤルファミリー』のさわ女史よ」
「うん、何とかね。『フィギュア座の怪人』まき殿」

 椅子をくるりと回して肩の体操をしている沢と呼ばれた女性は、向かい合う牧と呼ばれた男性のからかいの響きを含む言葉に、同じ響きで返した。
 この室内、一応会社員が日々労働に勤しむオフィスではあるが、その性質上、外部からの来客が一切ない故に種々の規制が緩い。

 服装、髪型、アクセサリー類に関するルールはなく、特にデスク周りは己の城だと言わんばかりに皆好き放題飾っている。
 人工観葉植物で森林を作ったり、純白と暗黒で半分ずつきっちりと色分けしている者もいて、各々の環境状態に合わせてデスクにあだ名が付けられている。
 それが言わば住所のような役割を果たしていて、時々入ってくる新人にとっては役立つ目印となる。

 沢のデスクでは、ウサギやリス、ネコなどの小さな動物の各ファミリーが赤い屋根の家で暮らしていて、周囲からは『ロイヤルファミリー』と名付けられている。
 一方、牧のデスクにはアニメキャラのフィギュアが所狭しと並び、それを見ながら時々薄ら笑いを浮かべていることから、『フィギュア座の怪人』と誰かが呼び始めたのが定着した。

「もうちょい潜りたいところはあるけど、とりあえずいつでも提出できるレベルではある」
「対象は?」
「インドのユニコーン企業」
「事業内容は?」
「原材料調達プラットフォーム」
「評価額?」
「80億ドル」
「どこからの依頼?」
「衛様」
「一旦カフェる?」
「る」

 同時に立ち上がり、モニターの山脈から離山する。
 部屋の左側にあるカフェスペースへとやって来た二人は、棚から自分のマグカップを取り出すとコーヒーメーカーにセットした。

 壁沿いに造られたホワイトオークのテーブルには、コーヒーマシン6台がずらりと並ぶ。
 5月中旬に一新された、全て最新式だ。
 逢宮大学准教授である鳴成秋史の過去を迅速に調査したお礼にと、月落渉から贈られた謝意の一部である。

「もうまじで渉様に感謝申し上げたい。マシンのお供え、本当にどうもありがとうございます。好きな時に手軽に甘いものが飲める幸せ、プライスレス」
「前は2台だったのがぶっ壊れて1台になって、午後とか深夜3時とかにコーヒー廃人の行列が出来てたからな。みんな顔色悪すぎて、子供が泣くレベルの。てか、お供えとか言うと俺ら召されてるみたいだからやめろー」
「半分召されてるようなもんでしょうよ、うちらなんか」
「お前はね。俺はまだこの世にしがみつくスタイルだから」
「出会った頃は世捨て人みたいな顔だったし現に捨ててたのに、5年で随分変わったじゃん」
「生への執着、ダサいか?」
「全然。与えられたものを最後まで使い切るのは、与えてくれた人への最上級の敬意だと思う」
「そか」

 話しながら、各自カプセルを選んでマシンにセットする。
 静かな唸りを上げながら、ぬるりとした挙動で稼働するのを見つめる。

「何にした?」
「スイートバニラ。ミルク追加でどん」
「出た、糖分の権化」
「疲れた時は甘いものに限る。ドーナツも食べたい。そっちは?」
「デカフェ」
「なに、仕事ないの?」
「カフェイン欲してない奴は疲れてないって定義すんの良くない。先週まで鬼スケだったから、いま一瞬手が空いてるだけ」
「何だったっけ、先週」
「靖高様のご友人が、明らかに痩せ細って重篤なのに病院の検査結果で異常が出ない、本人も理由が分からない。どうも怪しいから裏で調べてほしいって個人的に依頼されたやつ」
「あーそれか。病院が嘘ついてて本当は病気なのか、嘘ついてたとしてそれは善意か悪意か、それとも身内か近しい人の犯行か、はたまた環境問題か、もしや万が一本当に何もなくて実は健康体か。あらゆる選択肢がありすぎて、洗いざらい調べなきゃならなかったやつか」
「そう。警察じゃないから捜査って名目で公的に入手できる資料が少なすぎて、何回も詰んだ。発狂した」
「原因分かった?」
「日々少量の毒を、奥さんに盛られてた」
「怖」

 マシンが仕事を終える。
 縁ぎりぎりでミルクの泡がふよふよと揺れるマグカップをそっと持ち上げながら、沢は赤いソファの上に座った。
 その隣に牧も腰を下ろす。

「ううんんん、美味し!やっぱ激甘は世界を救うわ」
「現時点で救われてるのは、世界でただひとりだけどな」
「細かいことはよろしい。ドーナツ、ドーナツはありませんかー?」

 沢は座ったのも束の間、急に立ち上がるとコーヒーマシンとは反対側のテーブルへと移動した。
 諜報機関を利用しているTOGグループ役員からの差し入れや、誰かの旅行土産などが置いてある場所だ。
 ないなぁ……と言いながらも、両手いっぱいに色々な包みを抱えながら戻ってくる。

「お前が食べたかったのはドーナツじゃないんかーい!他のでもいいんかーい!」
「ベタなツッコミをどうもありがとう。ドーナツが一番だけど、二番以下も同等に愛する主義でして」
「さいですか、さいですか」
「お兄さんもおひとつどうですか?」
「……はこゑの白餡最中ある?」

 黙って渡された楕円の包み紙を、牧はぺりりと剥がす。
 その隣では、鳩の形をしたサブレが、尻尾からがぶりと沢の口へと吸い込まれていく。
 良い音を響かせながら咀嚼するその膝の上には、怯えながら順番待ちする鳩の群れ。

 ごめんだけど、どうかこいつの栄養になってくれ……と心の中で合掌しながら、牧は最中の甘さをデカフェのコーヒーで流す。

「で、結局そのご友人ってどうされたの?」
「粛々と離婚したって。その奥さん、若い結婚詐欺師に騙されて、不倫しながら金品掠め取られててさ。で、最終的に、『父親が不治の病で治る可能性は低いんだけど、もし支援してくれたら結婚する』って誑かされて、旦那の保険金狙ったらしい」
「はぁー!なんでそんな甘言に引っかかっちゃうのかね。ご友人は訴えないって?」
「うん、訴えるつもりはないって。詐欺師に引っかかるほど奥さんを寂しくさせた自分にも罪はあるからって」
「何やってる人?」
「半導体メーカーの副社長」
「それは超多忙で家にいる時間なさそう。だからこそ、お金は持ってそう」
「奥さんが溺愛してた末娘が家を出てから張り合いが無くなっちゃって、生きる気力を失くしてた時に出会ったのがその詐欺師らしくて。寂しさに付け込まれた結果だな」
「それは奥さんにも同情できる部分はあるね。毒盛るのは最低だけど」

 話を聞きながら鳩の一群を腹に収めた沢は、次に韓国土産の薬菓を頬張り始める。
 牧はそれを眺めながら、マグカップを傾けるのみだ。

「恋愛ってやっぱり、人間を狂わせる最強の麻薬だよね」
「調べていくと、結局恋慕故の、みたいな結果になることは多いからな」
「鳴成准教授のストーカーお嬢さんみたいに、破滅の道を辿る人も多いしね」
「あれは手出しちゃいけないとこに両腕……いや両肩?何なら、上半身全部突っ込んだ自業自得。政治家一族の三代目として、盤石に過ごしすぎちゃった父親の驕心が諸悪の根源っしょ」
「政治家一族よりもTOG一族の方が遥かに強いんだけどねぇ。それを分かってらっしゃらない『自称名家』の方々も、未だに全然多いからねぇ」
「衛様が穏健派に見えるから、安易に舐めてかかる輩も多いしな。実際は衛様より搦め手の上手い方はいないのに」
「弓子様とか靖高様とかがうちのグループじゃ過激で目立ってるからね、そこに比べると安心感あるんだろうとは思う。衛様は点と点を繋げて網状にして、狙いを定めて投網するから油断は禁物なのに。分かってないなぁ」

 まだ熱いはずのバニラミルクをごくごくと飲み干した沢は、立ち上がってカプセルを再びマシンにセットした。

「なー、沢はさ、衛様の次は渉様だって思う?」
「どうしたの、あんたがそんなこと言うなんて。珍しい。ブラックハッカーとして色々悪さしてて、いよいよ危ないって時に衛様に拾ってもらっても、TOGなんて興味なーいって言ってたのに」
「それはお前も一緒だろ?引き籠って一日中キーボード叩いてテキトーに情報屋やってた奴が弓子様に拾われて、俺と同日にこのオフィス来た時だって、昼間に働くとか信じられないって言ってたのに」
「わー懐かしいー!あの頃から比べるとうちらほんとに変わったよね。真っ当に働いてるし。まぁ、ちょっとグレーな扉開ける時もあるけど」
「ほぼ黒のグレーな。そういう扉、開けたところで売られないって分かったからな。裏の世界にいれば、尻尾切りで犠牲になった画面の向こう側の知り合いなんて吐くほど見てきたけど、ここはそんなことしないじゃん」
「うん、しない。一般社員と同じくうちらのことも守ってくれるもんね。ここで働く大半が前職は裏だったり、社会に馴染めなくて個性爆発してたりで扱いにくいだろうに、トップの人らはそれを抑圧して従わせるんでも弱み握って便利に使ってポイするでもなく、こう……普通に。極普通の距離感で接してくれて、それが、」
「居心地がすこぶる良い」
「いや、それね」
「普通に働くって清々しい」
「ほんとそれよ」

 チョコレートの濃厚な香りが広がる。
 猫舌を発揮してデカフェのコーヒーを冷ましながら、ちまちまと啜る牧。
 その隣に戻った沢は、出来上がったばかりのマグカップの中身もごくごくと飲む。
 『情緒のない飲み方』とスネークの先輩社員に揶揄されるが、『飲み物に求めるのは美味しさであって、情緒まで求めるのはさすがに荷が重くないですか?』と返すまでがセットの茶番だ。

 沢の指先は赤と白のビニールの包みを開ける。
 次から次に開け、マカダミアナッツチョコレートを口へと放り込んでいく。
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