鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

14. 黄葉の公園での小さな出会い②

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「え……?大丈夫ですか?」
「ええぇぇぇぇぇん!いたぁぁぁい!」

 すぐさま立ち上がった鳴成が、床に転んで泣く少女を立ち上がらせる。
 片膝をついた彼は、少女の顔や手の平、膝に傷がないかを確認した。
 幸い、血の出ている箇所はないようだ。
 同じようにしゃがんだ月落が少女の身体の後ろ側を確認しているが、目立った怪我はない。

「どこが痛いですか?」
「ひっく……わかんな、びっくりして……ままぁ……ままぁ」
「ママはどこにいますか?」
「あっち、あっちに、ひっく……パパとりっちゃんと、ひっく、おばあちゃんといて……さらちゃんはわすれもの、とりにきて……ひっく」

 ぼろぼろとこぼれる涙を小さな手が左右に擦る。
 泣いているとはいえ他人の子だ、むやみやたらと触れないご時世。
 どうしようかと鳴成が悩んでいると、頬をゴシゴシと擦っていた少女とふいに目が合った。

「……え、おうじさま?」

 濡れた睫毛が上下で触れ合って離れる。
 ぽろりとまた溢れた涙が筋を作る。
 けれど、その幼い瞳は確実に鳴成に焦点を合わせていて、一切逸らす素振りはない。

「まえにままといっしょにみたえほんと、おなじいろしてる!」

 見た目のインパクトに痛みが吹っ飛んだのか、少女は嬉々としてヘーゼルの髪や瞳を前から横から観察する。

「おうじさまでしょ?」
「いいえ、一般人です」
「あはは、先生。そこは真面目に答えなくても良いんじゃないですか?」
「間違いは訂正しておかないと、様々な界隈で王子様と呼ばれている方々への誤解にも繋がりかねませんので」
「いっぱんじん……?」
「普通の人ですね。王子様ではありません」

 うんん?と混乱する少女を探す声が響く。

「さらちゃん?どこ?……さらちゃん?」
「あ、ままだ!ままぁ!」

 角を曲がって現れた女性は、自分を呼ぶ声に気づいて慌てて近づいてきた。
 少女もてってってと走り、親子は抱き合う。

「さらちゃん、どこ行ってたの?」
「わすれものとりにきたらころんじゃったの。でもね、まま!あのおうじさまがたすけてくれた!」
「王子様?」

 少女の指さす先へと目線で辿るとそこには、立ち上がった男性二名の姿。
 系統違いのイケメンだ……と思わず口の中で呟いてしまいそうな見た目をしている。
 母は少女を抱き上げてすぐに近寄る。

「助けていただいたようで申し訳ありません。ありがとうございます」
「いいえ、私たちは何も。怪我をしている様子はないんですが、転んで身体の前側全面を床にぶつけてしまっているので、後で痛みを訴えたら病院に行かれてください」
「ありがとうございます、本当に。お食事の最中でしたよね、大変ご迷惑をお掛けしました」
「どうぞ、お気になさらず」
「はい、失礼いたします」
「まま、まって!さらちゃんのうさちゃん、あのおいすにわすれちゃったの!」

 その場を去ろうとする母親を、少女は必死で止める。

「うさちゃんは叔父ちゃんが持ってるから、大丈夫」
「そうなの?」
「うん、だからもう行こうね」
「あ、あ、じゃあ、これあげたい。おうじさまにゆびわ!」

 母の腕の中から降りた少女は、鳴成の前へと再びやって来た。
 斜め掛けにしている小さいポシェットを開いて、その小さな手で金色の塊を取り出した。

「たすけてくれてありがとうございました!おれいにうけとってください!」

 拙いけれど淀みない言葉。
 どこかで聞いた台詞をそのまま丸暗記したような、借りてきたものを借りてきたまま出したような、ある種のぎこちなさがある。
 けれどそれがむしろ、幼子のあどけなさに拍車をかけて、鳴成はきゅんと心を撃ち抜かれた。
 再び跪いて少女と同じ目線の位置になる。

「綺麗な指輪ですね。私が頂いても?」
「あげる!おうじさま!」
「すみません。今うちの子が折り紙にとてもハマっていて、好きな人ができるとプレゼントするブームなんです。もしお邪魔でなければ、貰ってやってください」

 鳴成の手の平にころんとした折り紙の指輪を乗せた少女は、母親に手を引かれてその場を後にした。
 満面の笑みを乗せながら振り返って手を振るのへ、鳴成もそっと手を振り返す。

「可愛いですね。全然入らないところも、余計に愛しさが増すようです」

 席に座りながら、右手の薬指へと嵌めた指輪は、生憎と第一関節までも到達しない。
 子供サイズのそれを、鳴成はやわらかく微笑みながら眺めている。
 その手を取って自分の間近まで近づけた月落も、同様に微笑んでいる。

「思い返せば41年生きてきて、指輪を誰かから貰ったのはこれが初めてでですね」

 汚さないようにと、その金色の指輪をそっとテーブルの端へと置いた鳴成は箸を持った。

「いただきます……渉くん、どうしました?」

 一緒のタイミングで箸を持ち上げるかと思っていた対面に座る青年が、一切微動だにしない様子に鳴成は声を掛けた。
 その人は、次の瞬間、なぜか急に頭を抱えた。

「え、どうしました?」
「先生に指輪を渡す最初の人間になりたかった……なれるチャンスだったのに、俺としたことが……もっと早く行動してたら……しくった……いや、でも渡すならちゃんとしたのを渡したいし、カップルリングなんて……」

 何だかとても些細なことで自己嫌悪に陥りながら、思考が別方向へと反れ始めた年下の男に苦笑いを浮かべながら、鳴成は先に昼食を食べることにした。




―――――――――――――――




 昼食を食べ終えて、未だ思案顔の月落の運転で立川にある公園へと到着した。
 総面積180ヘクタールに及ぶその国営公園には、40以上の施設があるようだ。
 駐車場にSUVを停めて歩くこと約5分、二人は大きな池の前に出た。
 薄水色の空の下、ところどころ紅葉している木々に囲まれた水辺に黄色や緑が浮かんでいる。

「あ、あれですね」
「想像以上に大きいですね」

 一緒に公園に行く約束をした際に、鳴成から提案されたのだ。

 ボートに乗りたい、と。

 過去の翻訳作業で調べた際、東京ドームに匹敵する広さの池でサイクルボートの貸出しをしていると知って、乗ってみたいと思っていたのだ、と。
 首がもげるほど賛同した月落だった。
 手漕ぎと足漕ぎがあるようだが、今回は足漕ぎにした。
 向かい合うよりも隣り合って座りたいと、月落が力説したためだ。

 テーブルと椅子が沢山置かれた間を縫ってチケットを買い、乗り場へと向かう。
 先にボートに乗り込んだ月落が、鳴成の手を支えて手伝った。

「さ、行きましょう!」

 池に浮かぶ他のサイクルボートの数はまちまち。
 季節柄もう少し混雑するのを予想していたが、それは好都合な方に外れたようだ。

 月落は鳴成の手を繋いだ。
 人目のあるところでは絶対にしないその行動に些か驚いた顔をした鳴成だったが、周囲を確認してそっと握り返す。

「ボートに乗ってる間だけですよ」
「それなら、延長に延長を重ねたいです」
「今日の最大目的が達成されないので、それは却下です」

 男性二名のボートは、悠々と水面を進んで行く。
 途中、鴨に出会ったり、鯉に出会ったり、鳴成が疲れたと漕ぐのを一切月落に丸投げしたりして、30分はあっという間に過ぎた。




「足が……先生、僕の足が……生まれたての子鹿です」
「あはは、大丈夫です。生まれたてにしては上手に歩行できています。子鹿よりはサイズも大きそうですし」
「先生の分も頑張って漕いだのに、ひどい……極悪非道な大人がいる」
「ええ、おかげで私は景色を堪能することができました」

 対岸まで渡ったボートで帰ってくるとき、鳴成はほぼほぼ漕ぐのを諦めた。
 向かう道すがらもそれほど頑張らずとも進むボートに気を良くしてあまり脚を動かさなかったので、実質ほぼ全てを月落が請け負ったと言っても誇張ではない。
 おかげで、11月のとある木曜の午後、立川に186cmの大きな子鹿が誕生する奇跡が爆誕した。

「とっても楽しかったです。写真も沢山撮りましたし」

 そう言って珍しく、道の上で鳴成はスマホを操作した。
 映し出される画面を大男二名で覗く。

 波紋の浮かぶ水面、鴨、鯉、雲の散れる空、恋人の横顔、笑顔、眉間に皺を寄せた顔、繋いだ手、ブレた目元のドアップ。

 動画を再生すると、「先生?まさか漕いでない?!え、いつから?ぜんっぜん漕いでない!ずるいです、先生!」と叫ぶ月落の姿が、鳴成の笑い声と共に収められていた。

「僕、すごいうるさいですね」
「焦ってるの、可愛かったです」
「びっくりしました。気づいたら隣の人の脚が微動だにしてなくて」
「ごめんね?渉くんなら頑張ってくれると思って甘えました」
「……格好良かったですか?」
「ええ、とっても。最高の彼氏です」

 ぱぁぁぁぁと月落自身が発光するかの如く、明るさが一瞬で最大値を振り切ったかのように輝く。
 目を細めてそれを受け止めた鳴成が、労うように肩を撫でた。
 スマホを仕舞って歩くのを再開する。
 スポーツエリアを抜けて見えてきたのは、想像以上に圧巻の景色だった。

「ずっと奥までイチョウ並木ですね、凄い」
「上もそうですが、下の、落ちた葉の絨毯も見事ですね」

 灰褐色で縦に浅く割れた樹皮が左右に等間隔で並ぶ美しさ、重厚な黄金のトンネル、差し込む木漏れ陽。
 そして、一枚一枚が果てしなく折り重なって作られた地面模様。
 はらりと葉が落ちる様は繊細で情緒に溢れているけれど、全体像は限りなくダイナミックだ。

「歩いてみましょうか」
「ええ、そうします」

 歩き出した視線の先、空の青と同じ色の風船が目の前を横切った。
 それはすーっと舞い上がり、枝の間に引っかかって止まった。

「うわぁぁぁぁぁん!ぼくのふうせんんんん!」

 横からの大絶叫が空気を割る。
 鳴成と月落が同時に下を見ると、母親に手を取られた小学校低学年ほどの少年が立っていた。
 口を大きく開けて悲しみを嘆いている。

「おかあさんなんではなしちゃったのぉぉぉ!ぼくのふうせんんん!」
「ごめんごめん、今取るからちょっと待ってて……んんん、取れ、と、取れ……取れない!ごめん、お母さんの背が低くて取れない!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 どうやら今日は子供の涙に出会う日らしい。
 鳴成は、ジャケットのポケットに入れていた折り紙の指輪を無意識に指でなぞった。

「渉くん。あれ、取れそうですか?」

 そう言いながら見上げる先には、月落の身長よりも高い場所で浮いているメタリックブルーの球体。
 残念ながら、鳴成では頑張っても届かない位置だ。

「はい、たぶん。やってみます……あの、僕が取れるかチャレンジしてみますので、少し離れていただいてもよろしいですか?」

 月落からの提案を受けて、風船が引っかかっている木から距離を取る親子。

 それを見届けて、月落は後ろへと下がった。
 軽い足取りの助走で勢いを付けると、そのまま思い切り高く跳ぶ。
 筋肉も体脂肪もきちんとある大男が、ふわりと軽く空へ舞った。
 風船の紐をしっかりと掴むと、体重を感じさせない軽さで地面へと下りたつ。

「はい、どうぞ」

 しゃがんで、少年へと風船を差し出す。

「ありがとう!おにいちゃん、すっごくかっこいい!ヒーローみたい!」
「すみません!本当に本当にありがとうございます」

 少年にキラキラした目で見つめられ、母親には深々と深謝され、月落は若干のこそばゆさを感じた。
 うなじの下辺りが訳もなく痒くなって、手の平で擦る。
 立ち上がろうとしたときに、少年から差し出された手。
 何かを握っている形をしている。

「……くれるの?」
「あげる」

 年齢的にどんぐりかな、と予想していた月落の手に置かれたのは、銀色の指輪だった。

「あ、これ……先生、これ」

 そう言って鳴成に指輪を見せる。
 年上の恋人も驚いた顔をしていた。

「あげる!さらちゃんにあげようとおもってたんだけど、きょうおやすみだったから」
「この子、学校に好きな子がいるんです。その子が折り紙の指輪作りにハマってるって聞いてから、自分も作るようになって。上手に出来たから今日渡そうと学校に持って行ったんですけど、お休みだったみたいで。もしよければ貰ってやってください」
「貰っていいの?さらちゃんには明日あげればいいんじゃない?」
「あしたあげるのはきょうのよるにつくるから。さらちゃんがゆびわはすきなひとにあげるっていってたから。ぼく、おにいちゃんのことすきだからあげる!」

 純粋な言葉に胸が打たれる。
 くぅ……と苦し気に呻いた月落は、少年の目を真っ直ぐ見て告げた。

「ありがとうございます。大切にするね」
「ぼくもふうせんありがとう。われないようにたいせつにするね」

 手を振って親子と別れる。
 予期せぬ出会いは、今年の秋の特別な想い出となった。

「ほっこりしましたね」
「ええ、栗やさつま芋よりも断然ほっこりしました」
「胸がいっぱいですけど、より胸をいっぱいにするために進んでみましょうか?」

 黄葉の絨毯を踏みしめて歩く。
 ゆっくり、ゆっくり、季節を心に秘めるように。




 園内にあるカフェで一休みをする15時。
 窓際の席でコーヒーとカフェラテを飲む男性二人の薬指はそれぞれ、サイズの小さな金と銀の指輪で飾られていた。
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