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12. デビュタントの日に愛を誓う
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年明け、例年よりも暖かな一月のとある日曜日。
成人を迎えた青年たちにとって、人生最初の大イベントと言っても差し支えない一日が始まる。
「いいか、ステファン。一旦、深呼吸だ。吸って、吐いて。また吸って……吐いて」
「無理かも、ショーン。緊張で心臓が飛び散りそう」
「比喩が物騒だな。飛び出したら戻せばいいけど、散ったら原状回復できないぞ。頑張って心臓に力入れろ」
「やったことない。人生で一度もやったことない」
ふわりと癖のあるキャラメルベージュの髪を緩く横に流してセットしているステファンと、ざっくりとしたオールバックですっきりさせているショーンの会話は、道中ずっとノンストップに続けられている。
ブルーグレーの髪をセンターパートに分けているベルジュードは、ステファンの隣に座りながらずっと笑いを噛み殺している。
雲ひとつない冬晴れの今日、十六歳の貴族家の青年たちはデビュタントとして国王に謁見し、その後の舞踏会に出席する。
この日を以て成人の証とし、跡継ぎとして公に宣言できるし、婚姻も可能になる。
社交界への出入りも自由となり、婚活市場へと身を投じることとなる。
「ステファン、おさらいな。名前が呼ばれたら?」
「返事をせずに陛下の前に進む」
「おめでとう、と言われたら?」
「ありがとうございます、だけを言って一礼する」
「それ以外の言葉が掛けられることは滅多にないけど、もしあっても短い感想だけだから笑顔で流せ。陛下に許される前に発言したら最悪不敬罪で投獄だから、気をつけろ」
「分かった。あとは転ばないように元の位置に戻ればいいんだよね?」
さながらふたりは、家庭教師と生徒のようだ。
普段にはない深刻な顔をしている。
「転びそうになったら、私が支えに行こうね」
深刻でないのは、貴公子だけだ。
「じっとしてろ、ベルジュード。令嬢じゃないんだから、それはステファンのためにならないだろ」
「友人を横抱きで助けることだってあるだろう?」
「ないな。絶対にない。逆にお前は、俺が転びそうになったら横抱きで助けてくれんの?」
「断る。私にそんな趣味はないよ」
「趣味とかの話してんじゃねーだろ? てか、助けてくれないのひどくない?」
濃い紫の衣装で揃えた三名のフットマンが乗るダークブラウンの馬車には、扉に筆頭公爵家の紋章が装飾されている。
王城へと向かうために列を成す数々の馬車の中でも殊更豪奢なその中で、まさか先ほどのような会話が延々繰り広げられていようとは誰も思うまい。
公爵家、侯爵家、伯爵家という位の高い子息たちが、仲良く馳せ参じている姿も珍しい。
裏手の門から入り、馬車から降りた。
すぐさま現れた案内係に従い、ペールグリーンのカーペットが敷かれた長い廊下を通る。
左側に大きく作られた窓からは午前の陽射しが淡く入り、右側に並ぶ歴代統治者の肖像画を照らしている。
ステファンは視線をしきりに動かしてしまいたくなるのを堪えた。
両サイドを固める長身の友人ふたりが、まるで興味ないとでもいう様子で前だけを見据えて歩いているから。
「ステフ、周りを見てもいいよ。あの菊の文様が入った大壺は、海を越えた異国から友好の証に贈られたもので、とても貴重だ。止まって眺めてみようか?」
「でも、そういうのはマナー違反だろうから……あ、大丈夫です。お気遣いをありがとうございます」
会話が聞こえたのだろう、歩をゆるめた案内係に振り返られる。
それを断ったステファンに、ショーンが気軽な言葉を掛けた。
「せっかく命を吹き込まれた装飾品なら、鑑賞された方が輝くだろ? こんな場所にあるばっかりに、誰の目にも入らず素通りされるだけなんて可哀想だからな」
「そうだね。美しいものの前で足を止めるのは自然の摂理だよ、ステフ」
「うん、ありがとう。でも今はちょっと余裕がないからやめておく。終わったら見てもいい?」
「もちろんだ」
会話の終わりでちょうど扉の前へとたどり着いた。
ドアマンによって開け放たれた先には、厳かな煌びやかさに満ち溢れたダンスホールが現れた。
竜胆の間。
そこは年に一度、青年のデビュタントを行うためだけに使用される長方形の空間だ。
デコラティブな壁の装飾、窓にかかる青紫のドレープカーテン、ギルトブロンズとカットガラスを組み合わせたシャンデリア、今は無人の玉座の背後には『建国の歴史』を題材にした絵画が鎮座している。
既に音楽家の演奏は開始されていて、招待された国の重鎮たちが部屋の両端を埋めつくしている。
中にはベルジュードやショーンの両親もいるはずだ。
「お、大きいね……広すぎて、豪華すぎて……僕は場違いな気がしてきた」
「安心して、ステフ。飾りが豪華なだけで、ただの四角形とただの人間たちだから」
「なんで父さんは伯爵なんかになっちゃったんだ……逃げたい」
「逃げられないぞー。お前、元々も男爵子息だから、父上が陞爵しなくても結局逃げられなかったぞー」
三日間、各日三部制で行われるこの催事には今年、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵位の子息、総勢三百余名が参加する。
ウェインハット家には何をどうしても召喚のカードが届いたはずだが、恨み節になってしまうのも仕方ない。
王城に招待されることなんてなかった身からしては、こんな空間で大勢の前に出なければならないなんて、貧血になりそうだ。
「只今よりお名前をお呼びします。順番にお並びください」
案内係の号令が広間を走る。
「ステファン、予習の通りな。笑顔と礼で乗り切れ」
「怖いは何もないからね。裏の裏の裏なんてないから、大丈夫だよ、ステフ」
「うん、頑張る」
友人と恋人に離れる直前までエールを送られる。
同じ部に招待された三十名が、等間隔に二列の直線で整列させられた。
並び終わると国王が入室し、玉座に座る。
前列の者から順に挨拶をする。
ベルジュードとショーンはつつがなく謁見を終えていた。
ふたりともに短い祝辞を贈られていたが、伸ばした背筋が崩れることはなかった。
羨ましくて、眉尻が激しく乱下降する。
前列と後列が入れ替わり、しばらくするとステファンの名が呼ばれた。
白貂の毛皮で縁取られた王冠を被り、青紫の玉座に座る最高権力者。
最高潮の緊張を抱えながら、ステファンはどうにか及第点の礼をした。
多少のぎこちなさは否めなかったが、ぐらつくことなく終えられた。
ほっとしたのも束の間、竜胆色のホールには誰もが予想していなかった声が響いた。
「ウェインハット家に成人を迎える息子がいるなんて、余は全く聞かされてなかったな。ライアンの奴……抜けてるにも程があるってもんだろう? なぁ?」
それは、国王陛下本人直々の発言だった。
「…………」
喋ったら不敬罪、喋ったら不敬罪……とステファンは、泣きそうになりながら頭の中で唱える。
ショーンに何度も習った通り、何とか伏し目がちの笑顔で乗り切ろうとした。
乗り切ったはずだった。
「あいつは解毒薬に関することしか饒舌にならないからな、仕方ないか。ウェインハットの息子よ、成人おめでとう。いつかは偉大なる父を超えて大成することを祈っているぞ。息災でな」
「…………」
(息災でな→わが国では死の間際にも使われる言葉→もしかして、陛下の死期が近い?→望みは捨てないでほしい)
「……もし体調にご不安があるようでしたら、父にご相談ください。持てる限りを尽くして薬を作ることでしょう。ですから、あの……どうか、希望をお捨てになりませぬよう。明るい未来を、お諦めになりませぬよう」
周囲の観衆一人残らずから息を飲む音が聞こえた。
悲鳴も聞こえた。
ざわりとしたのも束の間、次の瞬間には耳鳴りがするほどの静寂が満ちる。
まさかのこの場面で、裏の裏の裏を読んでしまった伯爵家子息。
視線の矢が容赦なく一気に突き刺さる。
それを背中で受け止めたステファンの心臓は、脈動ではち切れそうなほどに激しく収縮した。
やってしまった。
人生で最大のミスをした。
打ち首だ……と、地面にめり込むほどの後悔をしたとき。
「あっはっはっはっはっは!」
この国の最高権力者は大きな声で笑った。
「この老いぼれに希望を捨てるなと提言する者がいようとはな。未来は萎んでいくだけだと思っていたが……そうか、まだ明るいか。あっはっは。嬉しい言葉をこの年で聞くとは思いもしなかった。礼を言おう、ウェインハット。またいつか会える時があれば、楽しい会話をさせてくれ」
「……は、はい。またお目にかかれますよう、精進いたします」
満足げに頷く国王に礼して、元の立ち位置に戻る。
泣きたくて笑いたくて震えて叫びたくて、その場にへたり込みたいような、長い廊下を全速力で走りたいような、対極にある衝動が次々に湧き上がるのを、ステファンは必死に必死に抑えた。
そこからの記憶はほぼ喪失した。
国王が退室してから、様々な人に取り囲まれて半ばもみくちゃにされた。
あまりの出来事に心身の消耗の激しいステファンの壁になるように、ベルジュードとショーンが守ってくれなければ、きっとその場で倒れていた。
手を繋いでくれるベルジュードの温もりだけが、頼りだった。
―――――――――――――――
同じホールで、夜は舞踏会が行われた。
この場の主催者は王妃陛下である。
デビュタント直後の青年たちの、遍く集められた各貴族への披露目という第一目的がある。
ここで狙いを定めた花婿候補と自家の娘との縁談を、親たちはどうにか整えるために今後奔走するのである。
筆頭公爵家三男のベルジュードの周りは、何層もの人だかりが出来ている。
この国最古の名門侯爵家の次期当主のショーンの周囲も、人で埋め尽くされている。
そして、ステファンの周りには、楽しくダンスに興じる人々。
目の前には、美しく着飾った主催者の姿。
なぜ?!と胸中で渦巻く疑問符。
間違えないようにとひたすらに念じながらステップを踏む。
本来、王妃陛下がペアダンスをするのは、国賓級の貴賓のみである。
数段高くなった玉座から采配を振るい、この夜の一切を取り仕切るのが役目なはずだ。
それがなぜ、どうして自分なんかと踊っているのか。
それは、昼間の予期せぬハプニングから一躍時の人となってしまったステファンも友人たち同様に人波に押されていた時に、王城の使用人によって救出されたのがきっかけだった。
こちらに、という指示に従いホールの中央まで来ると、眼前にお出ましになったのは王妃陛下だった。
音楽が鳴り始め、半強制的に踊ることとなってしまった。
ダンスのレッスンは一通り受けたので、何とか形になっていると思いたい。
「そんなに硬くならずに。私はダンスが得意だから、カバーして差し上げるわ」
「……ありがとうございます」
「陛下の健康を願ってくださったそうね。こちらこそありがとう。今度、私のところにロイヤルブレンドティーを飲みにいらっしゃい。お話をしましょう?」
ステファンは脳内の辞書を捲る。
ブレンドティーに関する貴族ことばがあったはずだ。
ということは、これは。
「……無知で申し訳ございません。それは、王族ことばか何かですか?」
「あら、それはなにかしら? 王族ことばなんてネーミング聞いたことないわ、面白そうね」
ペアダンスは本来、会話をそこそこに楽しみつつ行うもの。
あくまで、そこそこだ。
けれどその夜の王妃陛下とステファンのワルツは、鈴を転がす笑い声の絶えない愉快なものとなり、それは会場にいた誰しもの視線を釘付けにした。
「抜け出しちゃってもいいの? まだベルジュードとダンスをしたいっていうご夫人たちが沢山いたけど……」
「私には心に決めた人がいるだろう? 婚活市場に飛び込むつもりはないから、ああいった社交はノーサンキューだ」
燕尾服に身を包むふたりは華やかな夜の喧噪からいち早く退散して、王城の庭園へと足を向けている。
王妃陛下とのダンスを終えると引く手数多となったステファンは、休むことなくホールの中央へと駆り出された。
運動を伴う対人コミュニケーションは体力の消耗が著しく激しい。
もうすぐそこまで限界を迎えていた小動物を、皆の隙を突いて攫った貴公子。
振り返る大きな窓には、ステップを踏む人影が映っている。
「残念ながら毒草や毒花は植えられてないみたいだけれど……あぁ、ほら、スノードロップが見頃だね」
小道を抜けた先には、白い花弁を下向きに咲かせた花の絨毯が広がっていた。
この国では滅多に見ることのない雪景色にも似た、辺り一面の可憐な白い雫。
「綺麗……小さい花が密集してひとつ大きな風景を作りだすのは、何だか努力の結晶に似ていて好きだな」
「ステフに似ているね。努力を怠らないところが」
「似てる? そうかな……ありがとう」
好きな人に褒められれば、嬉しい気持ちしかしない。
ベンチに座ったステファンの肩を抱くように、ベルジュードに腕を回される。
少しだけ肌寒い外気に、ぬくもりが優しい。
「君は今日、とても大活躍だったね。国王陛下に気に入られ、王妃陛下にもダンスを申し込まれて。異例尽くしだったけれど、よく乗り切ったね」
「もう気絶しちゃいそうだったよ。実際、話を聞いたうちの両親は卒倒したらしいし。心臓が何個あっても足りなかった」
「飛び散ってない?」
「渾身の力を入れたから、大丈夫だと思う。もうひとつ予想外のことが起こったら、分からないけど」
今日初めてと表現しても言い過ぎではない、穏やかな時間。
支度をしている時も馬車に乗っている時も王城に滞在している間中ずっと、不安で落ち着かなかった。
生きた心地がしなかった。
ステファンは大きく息を吐き出すと、隣にいる大きな身体に寄りかかる。
「疲れたね?」
「うん、僕は今日、とっても頑張ったよ……」
キャラメルベージュの髪を撫でられて、その気持ちよさに目を閉じる。
このままもう少し、世界一安心するこの腕の中にいたいと思っていると。
「お、見つけた見つけた。邪魔するぜ」
招かれざる客が登場した。
その声を認めて瞼を上げると、ステファンの小さい心臓はついぞ破裂一歩手前まで高鳴った。
「第三王子殿下……!」
急いで臣下の礼をとろうと立ち上がろうとするステファンだったが、ベルジュードに阻まれた。
肩を掴まれて身動きが取れない。
見上げた先の貴公子は、優しく片眉を上げただけだった。
「待ってて」
濃いグレーの瞳は離れると、第三王子と対面する。
「ベルジュード、席を外してもらおうか。その小動物に話があってな」
「ステファンに関することでしたら私も伺いましょう。彼とは一心同体ですので」
「溺愛しているという噂は本当のようだな」
「えぇ。ですので、邪魔しないでいただきたいというのが率直な感想です」
不遜だ、とステファンは思う。
王族相手にこんな不遜な態度を取ってしまっていいものか。
咎を受けたりはしないのだろうか、と不安になる。
「相変わらず手厳しいな。まぁ、いい。俺も率直に言おう。そのステファン・ウェインハットを、俺の配偶者として迎えたい」
「……え?!」
ステファンの口から、ここ数年で一番大きな声が出た。
田舎から王都行きが決まって駄々をこねていた少年時代ぶりだ。
わけが分からずベルジュードを見遣る。
常に冷静沈着な恋人は、いつもと全く何ら変わらない様子で立っていた。
「お控え願います。彼は私の伴侶になる予定ですので。そもそも王族が同性婚というのは、評議会で可決されないでしょう」
「評議会はさておき、陛下には了承を得ている。壮健な長兄と次兄が隣国の姫を娶ったから、俺の果たすべき役割は億が一に備えることのみ。跡取り以外は同性婚が認められる我が国の法律は、俺にも適応される。心配は無用だ」
「心配など、微塵も。ご自分のお立場を棚に上げて好き勝手されるのは、誰にも迷惑の掛からない範囲内に収めた方がよろしいのでは、と思ったまでです」
「立場などいらん。俺は自由を謳歌したいだけだ。したいようにするさ。ということで、小動物、俺の嫁になれ」
近づいてくる、上等な身なりに収めきれていない粗忽な雰囲気の青年に、ステファンの身体は強張る。
先日の公園で会った時もそうだったが、この王子は自分とは相性がよくないように感じる。
端的に述べると、苦手だ。とても。
怯えるステファンと王子の前に、ベルジュードが割って入る。
立ち上がり、壁となったその人の袖を思わず掴むと、振り返って髪を撫でられた。
やわらかく見つめられて、安心する。
「殿下、人の恋路を邪魔する者には馬に蹴られる未来が待っています。大怪我をする前に断念されますよう」
「ふん、大怪我ね。曲がりなりにも王族だぞ、俺は。脅し文句にもならん」
「左様ですか。自由を楽しむ前にもう少し、この国の歴史と現状について勉強をされた方がよろしいでしょうね」
「大層な口を利くと、痛い目を見るのはお前だぞ? 血縁だからと陛下が大目に見てやってるのを忘れるなよ?」
王子は勝気に笑う。
歪んだ唇の端の釣り上がり方が嫌いだな、とステファンは心の隅で思う。
「この国にまだ戦争があった時代、貴族のほとんどが国庫の枯渇を防ぐため、その身を削って協力をしました。ゆえに、この国における特権階級は周辺諸国と比べて経済や国政に大きな影響力を持ちます。筆頭公爵家である当家は、文字通り貴族全四〇八家を統括する立場。その意味が分からないわけではありませんね?」
「それがどうした。王族に歯向かう気か?」
「謀反を起こす気など毛頭ありませんが、絶対王政など存在しないということだけ明言しておきましょう。一丸とならずとも、ひっくり返すくらいならば、時間も労力もさほど要さないでしょう」
感電しそうなほどにひりひりとした、殺傷力に溢れた光線のやり取りが行われる。
隠れているのに、ステファンの動悸は激しくなる一方だ。
ベルジュードの肩越しに顔でも出そうものなら、きっと額に一発閃光を食らうだろう。
「必死だな、ベルジュード。そんなにそれが大事か?」
「えぇ、私の唯一ですので。守りたい者を守ってこそ、一人前の男たるもの」
「そんなにそれがいいか?」
「殿下、お引き取りを。私たちの仲を邪魔するのであれば、殿下といえども容赦しません。たとえば……」
ベルジュードが王子に近づき、耳元で何かを囁いた。
「げっ!……はぁぁぁ?! なんでそんなことまで知って……!」
王子の顔は、上から下へ向かって綺麗に青褪めていく。
驚愕の表情を浮かべてベルジュードを凝視した人に、そうさせた張本人は綺麗に微笑んだ。
悪魔の微笑みだ。
「バラされて自由を謳歌できなくなってもいいと仰るなら、窮屈な未来の中で一生不自由に生きるお手伝いをして差し上げましょう」
「ぐ……くそが」
「過去のご自分の悪行を恨みながら、私たちのテリトリーを侵さない場所で大人しく遊んでいてください」
「……憶えてろよ!」
ジュストコールの裾を翻しながら、王子は足早に立ち去った。
「立場が悪くなって逃げる悪者の常套句だ……」
「あはは。絵に描いたようだったね?」
思わず呟いたステファンの方を向いたベルジュードが笑う。
先ほどとはまるっきり違う。
天使の笑みだ。
「……というよりは、覇者の笑み?」
「うん? どうしたの?」
「ううん、何でもない。あんなことを言っちゃって大丈夫だったの? 王族に盾つくような物言いだったけど」
「大丈夫。実は陛下から父に、殿下の放蕩についての相談を前々から持ち掛けられていてね。今は進退を決める区切りの時なんだ。私が君を娶りたいと願っていることを陛下もご存じのはずだから、今回殿下に君との結婚を許可したのにはきっと裏があるはずだよ」
ぴくん、とステファンの眉が跳ねた。
聞き捨てならない、聞いて捨ててはならない言葉が聞こえた気がする。
「め……娶るの? 僕を?」
「うん、駄目かな?」
「え、あ、……だ、駄目、じゃない……」
「本当に?」
濃いグレーの瞳に、ひたむきに見つめられる。
出会って一年も立っていないけれど、間違いなくステファンの最も確かな支えとなってくれる人。
自信を持たせてくれる人。
最愛の人。
ずっとずっと一緒にいたい。
破滅に向かう時も、それをふたりで乗り越える時も。
必ず、共に。
「うん……うん、僕もベルジュードの隣にずっといたい」
「ステファン、それはイエスと同義かい?」
「……ノーという選択肢もあるの?」
「ないね」
断言されて、なぜだか笑いが零れる。
これが束縛というものなのかも、と思うけれど存外に嬉しい。
いとも簡単に確約してしまった未来。
あっけなく。
けれどそこに、不安要素なんてない。
「永遠に、愛してるよ」
白い花の絨毯の上、抱き締め合って誓いのキスをした。
このあたたかい気持ちが、絶え間なく続きますようにと祈りをこめて。
濃紺の幕が引かれた夜空。
輝く満月の近くには、新しく生まれたひとつの小さな星が、そっと寄り添っていた。
成人を迎えた青年たちにとって、人生最初の大イベントと言っても差し支えない一日が始まる。
「いいか、ステファン。一旦、深呼吸だ。吸って、吐いて。また吸って……吐いて」
「無理かも、ショーン。緊張で心臓が飛び散りそう」
「比喩が物騒だな。飛び出したら戻せばいいけど、散ったら原状回復できないぞ。頑張って心臓に力入れろ」
「やったことない。人生で一度もやったことない」
ふわりと癖のあるキャラメルベージュの髪を緩く横に流してセットしているステファンと、ざっくりとしたオールバックですっきりさせているショーンの会話は、道中ずっとノンストップに続けられている。
ブルーグレーの髪をセンターパートに分けているベルジュードは、ステファンの隣に座りながらずっと笑いを噛み殺している。
雲ひとつない冬晴れの今日、十六歳の貴族家の青年たちはデビュタントとして国王に謁見し、その後の舞踏会に出席する。
この日を以て成人の証とし、跡継ぎとして公に宣言できるし、婚姻も可能になる。
社交界への出入りも自由となり、婚活市場へと身を投じることとなる。
「ステファン、おさらいな。名前が呼ばれたら?」
「返事をせずに陛下の前に進む」
「おめでとう、と言われたら?」
「ありがとうございます、だけを言って一礼する」
「それ以外の言葉が掛けられることは滅多にないけど、もしあっても短い感想だけだから笑顔で流せ。陛下に許される前に発言したら最悪不敬罪で投獄だから、気をつけろ」
「分かった。あとは転ばないように元の位置に戻ればいいんだよね?」
さながらふたりは、家庭教師と生徒のようだ。
普段にはない深刻な顔をしている。
「転びそうになったら、私が支えに行こうね」
深刻でないのは、貴公子だけだ。
「じっとしてろ、ベルジュード。令嬢じゃないんだから、それはステファンのためにならないだろ」
「友人を横抱きで助けることだってあるだろう?」
「ないな。絶対にない。逆にお前は、俺が転びそうになったら横抱きで助けてくれんの?」
「断る。私にそんな趣味はないよ」
「趣味とかの話してんじゃねーだろ? てか、助けてくれないのひどくない?」
濃い紫の衣装で揃えた三名のフットマンが乗るダークブラウンの馬車には、扉に筆頭公爵家の紋章が装飾されている。
王城へと向かうために列を成す数々の馬車の中でも殊更豪奢なその中で、まさか先ほどのような会話が延々繰り広げられていようとは誰も思うまい。
公爵家、侯爵家、伯爵家という位の高い子息たちが、仲良く馳せ参じている姿も珍しい。
裏手の門から入り、馬車から降りた。
すぐさま現れた案内係に従い、ペールグリーンのカーペットが敷かれた長い廊下を通る。
左側に大きく作られた窓からは午前の陽射しが淡く入り、右側に並ぶ歴代統治者の肖像画を照らしている。
ステファンは視線をしきりに動かしてしまいたくなるのを堪えた。
両サイドを固める長身の友人ふたりが、まるで興味ないとでもいう様子で前だけを見据えて歩いているから。
「ステフ、周りを見てもいいよ。あの菊の文様が入った大壺は、海を越えた異国から友好の証に贈られたもので、とても貴重だ。止まって眺めてみようか?」
「でも、そういうのはマナー違反だろうから……あ、大丈夫です。お気遣いをありがとうございます」
会話が聞こえたのだろう、歩をゆるめた案内係に振り返られる。
それを断ったステファンに、ショーンが気軽な言葉を掛けた。
「せっかく命を吹き込まれた装飾品なら、鑑賞された方が輝くだろ? こんな場所にあるばっかりに、誰の目にも入らず素通りされるだけなんて可哀想だからな」
「そうだね。美しいものの前で足を止めるのは自然の摂理だよ、ステフ」
「うん、ありがとう。でも今はちょっと余裕がないからやめておく。終わったら見てもいい?」
「もちろんだ」
会話の終わりでちょうど扉の前へとたどり着いた。
ドアマンによって開け放たれた先には、厳かな煌びやかさに満ち溢れたダンスホールが現れた。
竜胆の間。
そこは年に一度、青年のデビュタントを行うためだけに使用される長方形の空間だ。
デコラティブな壁の装飾、窓にかかる青紫のドレープカーテン、ギルトブロンズとカットガラスを組み合わせたシャンデリア、今は無人の玉座の背後には『建国の歴史』を題材にした絵画が鎮座している。
既に音楽家の演奏は開始されていて、招待された国の重鎮たちが部屋の両端を埋めつくしている。
中にはベルジュードやショーンの両親もいるはずだ。
「お、大きいね……広すぎて、豪華すぎて……僕は場違いな気がしてきた」
「安心して、ステフ。飾りが豪華なだけで、ただの四角形とただの人間たちだから」
「なんで父さんは伯爵なんかになっちゃったんだ……逃げたい」
「逃げられないぞー。お前、元々も男爵子息だから、父上が陞爵しなくても結局逃げられなかったぞー」
三日間、各日三部制で行われるこの催事には今年、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵位の子息、総勢三百余名が参加する。
ウェインハット家には何をどうしても召喚のカードが届いたはずだが、恨み節になってしまうのも仕方ない。
王城に招待されることなんてなかった身からしては、こんな空間で大勢の前に出なければならないなんて、貧血になりそうだ。
「只今よりお名前をお呼びします。順番にお並びください」
案内係の号令が広間を走る。
「ステファン、予習の通りな。笑顔と礼で乗り切れ」
「怖いは何もないからね。裏の裏の裏なんてないから、大丈夫だよ、ステフ」
「うん、頑張る」
友人と恋人に離れる直前までエールを送られる。
同じ部に招待された三十名が、等間隔に二列の直線で整列させられた。
並び終わると国王が入室し、玉座に座る。
前列の者から順に挨拶をする。
ベルジュードとショーンはつつがなく謁見を終えていた。
ふたりともに短い祝辞を贈られていたが、伸ばした背筋が崩れることはなかった。
羨ましくて、眉尻が激しく乱下降する。
前列と後列が入れ替わり、しばらくするとステファンの名が呼ばれた。
白貂の毛皮で縁取られた王冠を被り、青紫の玉座に座る最高権力者。
最高潮の緊張を抱えながら、ステファンはどうにか及第点の礼をした。
多少のぎこちなさは否めなかったが、ぐらつくことなく終えられた。
ほっとしたのも束の間、竜胆色のホールには誰もが予想していなかった声が響いた。
「ウェインハット家に成人を迎える息子がいるなんて、余は全く聞かされてなかったな。ライアンの奴……抜けてるにも程があるってもんだろう? なぁ?」
それは、国王陛下本人直々の発言だった。
「…………」
喋ったら不敬罪、喋ったら不敬罪……とステファンは、泣きそうになりながら頭の中で唱える。
ショーンに何度も習った通り、何とか伏し目がちの笑顔で乗り切ろうとした。
乗り切ったはずだった。
「あいつは解毒薬に関することしか饒舌にならないからな、仕方ないか。ウェインハットの息子よ、成人おめでとう。いつかは偉大なる父を超えて大成することを祈っているぞ。息災でな」
「…………」
(息災でな→わが国では死の間際にも使われる言葉→もしかして、陛下の死期が近い?→望みは捨てないでほしい)
「……もし体調にご不安があるようでしたら、父にご相談ください。持てる限りを尽くして薬を作ることでしょう。ですから、あの……どうか、希望をお捨てになりませぬよう。明るい未来を、お諦めになりませぬよう」
周囲の観衆一人残らずから息を飲む音が聞こえた。
悲鳴も聞こえた。
ざわりとしたのも束の間、次の瞬間には耳鳴りがするほどの静寂が満ちる。
まさかのこの場面で、裏の裏の裏を読んでしまった伯爵家子息。
視線の矢が容赦なく一気に突き刺さる。
それを背中で受け止めたステファンの心臓は、脈動ではち切れそうなほどに激しく収縮した。
やってしまった。
人生で最大のミスをした。
打ち首だ……と、地面にめり込むほどの後悔をしたとき。
「あっはっはっはっはっは!」
この国の最高権力者は大きな声で笑った。
「この老いぼれに希望を捨てるなと提言する者がいようとはな。未来は萎んでいくだけだと思っていたが……そうか、まだ明るいか。あっはっは。嬉しい言葉をこの年で聞くとは思いもしなかった。礼を言おう、ウェインハット。またいつか会える時があれば、楽しい会話をさせてくれ」
「……は、はい。またお目にかかれますよう、精進いたします」
満足げに頷く国王に礼して、元の立ち位置に戻る。
泣きたくて笑いたくて震えて叫びたくて、その場にへたり込みたいような、長い廊下を全速力で走りたいような、対極にある衝動が次々に湧き上がるのを、ステファンは必死に必死に抑えた。
そこからの記憶はほぼ喪失した。
国王が退室してから、様々な人に取り囲まれて半ばもみくちゃにされた。
あまりの出来事に心身の消耗の激しいステファンの壁になるように、ベルジュードとショーンが守ってくれなければ、きっとその場で倒れていた。
手を繋いでくれるベルジュードの温もりだけが、頼りだった。
―――――――――――――――
同じホールで、夜は舞踏会が行われた。
この場の主催者は王妃陛下である。
デビュタント直後の青年たちの、遍く集められた各貴族への披露目という第一目的がある。
ここで狙いを定めた花婿候補と自家の娘との縁談を、親たちはどうにか整えるために今後奔走するのである。
筆頭公爵家三男のベルジュードの周りは、何層もの人だかりが出来ている。
この国最古の名門侯爵家の次期当主のショーンの周囲も、人で埋め尽くされている。
そして、ステファンの周りには、楽しくダンスに興じる人々。
目の前には、美しく着飾った主催者の姿。
なぜ?!と胸中で渦巻く疑問符。
間違えないようにとひたすらに念じながらステップを踏む。
本来、王妃陛下がペアダンスをするのは、国賓級の貴賓のみである。
数段高くなった玉座から采配を振るい、この夜の一切を取り仕切るのが役目なはずだ。
それがなぜ、どうして自分なんかと踊っているのか。
それは、昼間の予期せぬハプニングから一躍時の人となってしまったステファンも友人たち同様に人波に押されていた時に、王城の使用人によって救出されたのがきっかけだった。
こちらに、という指示に従いホールの中央まで来ると、眼前にお出ましになったのは王妃陛下だった。
音楽が鳴り始め、半強制的に踊ることとなってしまった。
ダンスのレッスンは一通り受けたので、何とか形になっていると思いたい。
「そんなに硬くならずに。私はダンスが得意だから、カバーして差し上げるわ」
「……ありがとうございます」
「陛下の健康を願ってくださったそうね。こちらこそありがとう。今度、私のところにロイヤルブレンドティーを飲みにいらっしゃい。お話をしましょう?」
ステファンは脳内の辞書を捲る。
ブレンドティーに関する貴族ことばがあったはずだ。
ということは、これは。
「……無知で申し訳ございません。それは、王族ことばか何かですか?」
「あら、それはなにかしら? 王族ことばなんてネーミング聞いたことないわ、面白そうね」
ペアダンスは本来、会話をそこそこに楽しみつつ行うもの。
あくまで、そこそこだ。
けれどその夜の王妃陛下とステファンのワルツは、鈴を転がす笑い声の絶えない愉快なものとなり、それは会場にいた誰しもの視線を釘付けにした。
「抜け出しちゃってもいいの? まだベルジュードとダンスをしたいっていうご夫人たちが沢山いたけど……」
「私には心に決めた人がいるだろう? 婚活市場に飛び込むつもりはないから、ああいった社交はノーサンキューだ」
燕尾服に身を包むふたりは華やかな夜の喧噪からいち早く退散して、王城の庭園へと足を向けている。
王妃陛下とのダンスを終えると引く手数多となったステファンは、休むことなくホールの中央へと駆り出された。
運動を伴う対人コミュニケーションは体力の消耗が著しく激しい。
もうすぐそこまで限界を迎えていた小動物を、皆の隙を突いて攫った貴公子。
振り返る大きな窓には、ステップを踏む人影が映っている。
「残念ながら毒草や毒花は植えられてないみたいだけれど……あぁ、ほら、スノードロップが見頃だね」
小道を抜けた先には、白い花弁を下向きに咲かせた花の絨毯が広がっていた。
この国では滅多に見ることのない雪景色にも似た、辺り一面の可憐な白い雫。
「綺麗……小さい花が密集してひとつ大きな風景を作りだすのは、何だか努力の結晶に似ていて好きだな」
「ステフに似ているね。努力を怠らないところが」
「似てる? そうかな……ありがとう」
好きな人に褒められれば、嬉しい気持ちしかしない。
ベンチに座ったステファンの肩を抱くように、ベルジュードに腕を回される。
少しだけ肌寒い外気に、ぬくもりが優しい。
「君は今日、とても大活躍だったね。国王陛下に気に入られ、王妃陛下にもダンスを申し込まれて。異例尽くしだったけれど、よく乗り切ったね」
「もう気絶しちゃいそうだったよ。実際、話を聞いたうちの両親は卒倒したらしいし。心臓が何個あっても足りなかった」
「飛び散ってない?」
「渾身の力を入れたから、大丈夫だと思う。もうひとつ予想外のことが起こったら、分からないけど」
今日初めてと表現しても言い過ぎではない、穏やかな時間。
支度をしている時も馬車に乗っている時も王城に滞在している間中ずっと、不安で落ち着かなかった。
生きた心地がしなかった。
ステファンは大きく息を吐き出すと、隣にいる大きな身体に寄りかかる。
「疲れたね?」
「うん、僕は今日、とっても頑張ったよ……」
キャラメルベージュの髪を撫でられて、その気持ちよさに目を閉じる。
このままもう少し、世界一安心するこの腕の中にいたいと思っていると。
「お、見つけた見つけた。邪魔するぜ」
招かれざる客が登場した。
その声を認めて瞼を上げると、ステファンの小さい心臓はついぞ破裂一歩手前まで高鳴った。
「第三王子殿下……!」
急いで臣下の礼をとろうと立ち上がろうとするステファンだったが、ベルジュードに阻まれた。
肩を掴まれて身動きが取れない。
見上げた先の貴公子は、優しく片眉を上げただけだった。
「待ってて」
濃いグレーの瞳は離れると、第三王子と対面する。
「ベルジュード、席を外してもらおうか。その小動物に話があってな」
「ステファンに関することでしたら私も伺いましょう。彼とは一心同体ですので」
「溺愛しているという噂は本当のようだな」
「えぇ。ですので、邪魔しないでいただきたいというのが率直な感想です」
不遜だ、とステファンは思う。
王族相手にこんな不遜な態度を取ってしまっていいものか。
咎を受けたりはしないのだろうか、と不安になる。
「相変わらず手厳しいな。まぁ、いい。俺も率直に言おう。そのステファン・ウェインハットを、俺の配偶者として迎えたい」
「……え?!」
ステファンの口から、ここ数年で一番大きな声が出た。
田舎から王都行きが決まって駄々をこねていた少年時代ぶりだ。
わけが分からずベルジュードを見遣る。
常に冷静沈着な恋人は、いつもと全く何ら変わらない様子で立っていた。
「お控え願います。彼は私の伴侶になる予定ですので。そもそも王族が同性婚というのは、評議会で可決されないでしょう」
「評議会はさておき、陛下には了承を得ている。壮健な長兄と次兄が隣国の姫を娶ったから、俺の果たすべき役割は億が一に備えることのみ。跡取り以外は同性婚が認められる我が国の法律は、俺にも適応される。心配は無用だ」
「心配など、微塵も。ご自分のお立場を棚に上げて好き勝手されるのは、誰にも迷惑の掛からない範囲内に収めた方がよろしいのでは、と思ったまでです」
「立場などいらん。俺は自由を謳歌したいだけだ。したいようにするさ。ということで、小動物、俺の嫁になれ」
近づいてくる、上等な身なりに収めきれていない粗忽な雰囲気の青年に、ステファンの身体は強張る。
先日の公園で会った時もそうだったが、この王子は自分とは相性がよくないように感じる。
端的に述べると、苦手だ。とても。
怯えるステファンと王子の前に、ベルジュードが割って入る。
立ち上がり、壁となったその人の袖を思わず掴むと、振り返って髪を撫でられた。
やわらかく見つめられて、安心する。
「殿下、人の恋路を邪魔する者には馬に蹴られる未来が待っています。大怪我をする前に断念されますよう」
「ふん、大怪我ね。曲がりなりにも王族だぞ、俺は。脅し文句にもならん」
「左様ですか。自由を楽しむ前にもう少し、この国の歴史と現状について勉強をされた方がよろしいでしょうね」
「大層な口を利くと、痛い目を見るのはお前だぞ? 血縁だからと陛下が大目に見てやってるのを忘れるなよ?」
王子は勝気に笑う。
歪んだ唇の端の釣り上がり方が嫌いだな、とステファンは心の隅で思う。
「この国にまだ戦争があった時代、貴族のほとんどが国庫の枯渇を防ぐため、その身を削って協力をしました。ゆえに、この国における特権階級は周辺諸国と比べて経済や国政に大きな影響力を持ちます。筆頭公爵家である当家は、文字通り貴族全四〇八家を統括する立場。その意味が分からないわけではありませんね?」
「それがどうした。王族に歯向かう気か?」
「謀反を起こす気など毛頭ありませんが、絶対王政など存在しないということだけ明言しておきましょう。一丸とならずとも、ひっくり返すくらいならば、時間も労力もさほど要さないでしょう」
感電しそうなほどにひりひりとした、殺傷力に溢れた光線のやり取りが行われる。
隠れているのに、ステファンの動悸は激しくなる一方だ。
ベルジュードの肩越しに顔でも出そうものなら、きっと額に一発閃光を食らうだろう。
「必死だな、ベルジュード。そんなにそれが大事か?」
「えぇ、私の唯一ですので。守りたい者を守ってこそ、一人前の男たるもの」
「そんなにそれがいいか?」
「殿下、お引き取りを。私たちの仲を邪魔するのであれば、殿下といえども容赦しません。たとえば……」
ベルジュードが王子に近づき、耳元で何かを囁いた。
「げっ!……はぁぁぁ?! なんでそんなことまで知って……!」
王子の顔は、上から下へ向かって綺麗に青褪めていく。
驚愕の表情を浮かべてベルジュードを凝視した人に、そうさせた張本人は綺麗に微笑んだ。
悪魔の微笑みだ。
「バラされて自由を謳歌できなくなってもいいと仰るなら、窮屈な未来の中で一生不自由に生きるお手伝いをして差し上げましょう」
「ぐ……くそが」
「過去のご自分の悪行を恨みながら、私たちのテリトリーを侵さない場所で大人しく遊んでいてください」
「……憶えてろよ!」
ジュストコールの裾を翻しながら、王子は足早に立ち去った。
「立場が悪くなって逃げる悪者の常套句だ……」
「あはは。絵に描いたようだったね?」
思わず呟いたステファンの方を向いたベルジュードが笑う。
先ほどとはまるっきり違う。
天使の笑みだ。
「……というよりは、覇者の笑み?」
「うん? どうしたの?」
「ううん、何でもない。あんなことを言っちゃって大丈夫だったの? 王族に盾つくような物言いだったけど」
「大丈夫。実は陛下から父に、殿下の放蕩についての相談を前々から持ち掛けられていてね。今は進退を決める区切りの時なんだ。私が君を娶りたいと願っていることを陛下もご存じのはずだから、今回殿下に君との結婚を許可したのにはきっと裏があるはずだよ」
ぴくん、とステファンの眉が跳ねた。
聞き捨てならない、聞いて捨ててはならない言葉が聞こえた気がする。
「め……娶るの? 僕を?」
「うん、駄目かな?」
「え、あ、……だ、駄目、じゃない……」
「本当に?」
濃いグレーの瞳に、ひたむきに見つめられる。
出会って一年も立っていないけれど、間違いなくステファンの最も確かな支えとなってくれる人。
自信を持たせてくれる人。
最愛の人。
ずっとずっと一緒にいたい。
破滅に向かう時も、それをふたりで乗り越える時も。
必ず、共に。
「うん……うん、僕もベルジュードの隣にずっといたい」
「ステファン、それはイエスと同義かい?」
「……ノーという選択肢もあるの?」
「ないね」
断言されて、なぜだか笑いが零れる。
これが束縛というものなのかも、と思うけれど存外に嬉しい。
いとも簡単に確約してしまった未来。
あっけなく。
けれどそこに、不安要素なんてない。
「永遠に、愛してるよ」
白い花の絨毯の上、抱き締め合って誓いのキスをした。
このあたたかい気持ちが、絶え間なく続きますようにと祈りをこめて。
濃紺の幕が引かれた夜空。
輝く満月の近くには、新しく生まれたひとつの小さな星が、そっと寄り添っていた。
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いつもありがとうございます。