【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -無の月-

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この世界で果物以外の甘み……それも暴力的なまでの甘さの甘葛煎あまづらせんの味に興奮しすぎて高熱をだしてしまった翌日。母上に

「熱が完全に下がるまでは、御帳台から出てはいけません!」

と怒られてしまいました。確かに甘葛煎が出来た事が嬉しくて、何より母上たちみんなが喜んでくれた事が凄く嬉しくて、テンションが爆上げになってしまった事は確かなんだけど、興奮しただけで熱が出るなんて……。

どうなってるのよ、この身体。
この世界の人の身体能力って前世に比べて遥かに高いはずなのに変じゃない?

と思ったら、母上とつるばみの会話から察するに、赤ん坊は興奮すると夜に眠れなくなるし、限度以上に興奮すれば熱が出てしまうのが当たり前なんだとか……。改めて思いしる赤ん坊の身体の不便さです。

そんな訳で、今日は御帳台の中で一日を過ごす事になりました。定期的に母上や橡が様子を見に来るので、こっそりと抜け出す事もできません。兄上に至っては御帳台の中に常駐していて、母上の真似をして私の頭を撫でたり、おでこに手を当てて熱を測ったりしてきます。まぁそれは可愛いので良いのですが、小さな兄上にまで心配をかけてしまっているのかな?と思うと、申し訳なさでいっぱいになります。

そこまで心配しなくても大丈夫だと思うんですけどね。確かに熱自体はぽーんと上がっちゃった感じではあるのですが、逆にいえば不調らしい不調はそれだけです。食欲もありますし、頭痛がしたり身体の節々が痛いという事もありません。


そんな発熱中の私が横になっている母上の御帳台は拠点に移り住んだ頃とは違い、今ではちゃんとカーテンがつけられていて和風・平安風天蓋ベッドという名に相応しいものになっています。もっとも母上たちからすれば微妙にコレジャナイ感があるかもしれません。

まぁ……ウォーターベッドの時点で御帳台とは呼べない気もするけども。

御帳台という名にかろうじて相応しい部分は、基本的な構造と天井部分には明障子と呼ばれる布製の障子がある事。それから床から高くなっている事でしょうか。とは言っても本来は少し高くなっている程度なのに対し、ここの御帳台は普通のベッドと同じ高さがあるので、母上たちからすれば高すぎると感じてしまっているかと思います。

その他には周囲を布で囲っている事ぐらい。

でも、その天蓋ベッドの重要ポイントともいえる周囲を覆っている布が根本的に違うのです。簡単に言えば上にまとめあげるか、横にまとめるかの違いです。

この御帳台は四隅にある柱のあたりでカーテンのように布をまとめられるようにしているのですが、この世界の寝具である御帳台は御簾のように上に巻き上げてまとめるのが一般的です。形状もカーテンのように一枚布ではなく、暖簾のれんに近いとばり几帳きちょうとよばれる布製のスクリーンを使いますし、等間隔で垂らす飾り紐の野筋のすじと呼ばれる物もありません。

そのカーテン、ウォーターベッドを作る為に織ってもらった目が詰まった布とは違い、適度に光が透ける捩り織もじりおりで作られたうすぎぬを使っています。なんでも帳や几帳は季節によって使用する布が変わり、色や模様も変えるものらしいのですが、土蜘蛛の糸の染色には成功していないので白い布にしかならないんですよね……。母上たちとしては色が白で固定なら、せめて織り方で工夫をしたいらしく、色んな織り方を試しているようです。

どうも母上たちは自分たちの分を練習台にして、三太郎さんの御帳台用に珠玉の逸品を奉納する気なんだと思います。


そんな感じで色々と本来の御帳台とはどうしても違う部分があるので、母上たちからすれば戸惑うのも仕方がありません。

まぁ、私も憧れと勢いで「天蓋ベッドだーー、ヤッホゥ!」と作っちゃいましたが、余りの広さと微妙に慣れないカーテンの圧迫感に、目が覚める度に戸惑っていたりしますが。




それにしてもずっと横になっていろと言われると、それはそれで暇で仕方がありません。兄上も途中で母上たちに連れられて行ってしまいました。私のすぐ横でお話したり遊んだりしていたのですが、それだと私の身体が休まらないと思われてしまったようで……。

そうなると出来る事といえば思考する事ぐらいです。
この世界に転生してから1年弱。本当に色んな事がありました。

正直に言えば「何で私がこんな目に……」と思った事もあります。それだけ前世の生活は恵まれていたという事なんでしょうね。当時はそんな事を思いもしませんでしたが……。

生きるという単純明快な事がとてもツライと思うレベルの世界でしたが、叔父上に拾われたことは不幸中の幸いだったのだと思っています。叔父上が拾ってくれたからこそ、母上や兄上と家族になれましたし、三太郎さんたちとも出会えました。

そういえば初めて三太郎さんと会ったときは、色々と情報過多+情報処理能力の超低下のダブルパンチで、我ながら恥ずかしいレベルでいっぱいいっぱいでした。でも誰しも異世界に転生なんてことになったら平常心では要られないと思います。

まぁ何にしても、叔父上に出会えた事と三太郎さんに出会えた事。これがなければ私は転生直後に再び転生する羽目になっていただろうと思います。

<あれ? そういえば三太郎さんがいない?>

ふと、三太郎さんとの出会いに思いをはせていたら、自分の中に三太郎さんがいない事に気づきました。まぁ横になっていて何もできない私の側にいるよりも、拠点の整備や様々な為すべきことをやっていたほうが建設的です。普段は私と一緒にいてくれる事が多い桃さんも、昨日の今日なので樹液の採取や加工に精を出しているのかもしれません。

樹液の採取は厳寒期のみだとは前もって伝えてあったのですが、煮詰められて量が激減した樹液を見て、「こんな量じゃ足りない!」とツタを追加で探し出して採取する場所を増やしまくってやると息まいていましたから。




後日、この時の事を三太郎さんに聞いたら……実は母上の前に三人ならんで正座して怒られていたんだそう。

<え、母上に? 三太郎さんが??>

<あぁ、そうだ。お前の母親がまるで死地に赴く戦士のごとく表情で
 我らに話しがあると言いだしてな>


以下、三太郎さんの話しを再現すると……

母「金様、浦様、桃様、大事なお話がございます」
金「如何した?」
浦「なんでしょう?」
母「櫻は私の娘です。私はあの子の母親です。
  どうか二度と私に一言もなく連れ出す事はおやめください」
桃「えー、でも」
母「“でも”ではありません。おやめくださいと申し上げております」

この後、いかに赤ん坊を親の許可なく連れ出す事が駄目な事か、こんこんと諭され続けたのだとか。母上はかなり強張った表情だったそうなのですが、神の欠片である精霊の三太郎さんに苦言を呈すのは、確かに死を覚悟する気持ちになってもおかしくないです……。

私としても火の陽月の頃から母上たちの目を盗んでは、三太郎さんたちとあちこち行っていたものだから感覚が麻痺してしまっていました。私も反省しなくてはだめですね。今後はちゃんと母上に許可をもらってから出かけたいと思います。

とはいえ、そんな決意をするのは数日後の話。
熱を出して御帳台で横になっている今の私はのんきなもので、三太郎さんがいないのも何か作業をしているからだとしか思っていなかったのですが……。




思い返すにこの1年弱。
水の月に叔父上に拾われ、母上や兄上、橡と出会い、山吹に嫌われました。この世界で生活する事の難しさや過酷さを知ったのもこの頃でした。今よりももっともっとストレスフルな生活で、自力移動どころか寝返りすら打てない赤ん坊の自分に苛立ったことも多々ありました。

火の月に入った頃には色んな意味で限界でした。岩屋の中の臭いや暑さ、お風呂に入れない事もトイレ関係の事情も、まっ黒な御粥も全てが私の精神力をガリガリと削っていく日々で……。極日になって温泉に入れた時は、この世に天国が現れたとすら思いました。その後に出会ったじゃんじゃん火は思い出したくもないですが。他にも土蜘蛛とのことも記憶から消したい出来事です。このころから拠点作りが本格化して、三太郎さんの誰かが常にいない生活でした。

土の月は一気に様々な事が動き出した月でした。拠点作りも様々な生活必需品も試行錯誤を繰り返し、どうにかこの世界でも生きていけるかもと思えるようになったのもこの頃でした。

そういえば石鹸作りをしていた時の事。
どうにも上手く固形化できなくて色々と試行錯誤して思い悩んでいた時、

<油にアルカリを入れたら加水分解ってのがおこるらしいんだけど、
 浦さんが石鹸を作りまくったら加水分解って技能を覚えて
 石鹸が簡単に作れたりしない?
 あと、ついでにグリセリンが作れたりとかさ>

と浦さんに尋ねて

<私にはあなたが何を言っているのか皆目わかりません>

と心底呆れられた視線で見られた事もありました。あの時は石鹸がどうしても思うように固形化しなくて、心も頭も行き詰っていていたんですよね。思い返してみると「本当に私は何を言っているんだ」と顔から火が出そうです。

ただ、そうやって色々と試行錯誤した結果が今の快適な生活に繋がっているので、よく頑張ったと三太郎さんと自分を褒めたい気分ではあります。

まだまだ前世に比べると不便なところが幾つもありますが、私がこの世界に来てどうにも我慢できなかったお風呂やトイレといった衛生面は劇的に向上しましたし、あとはゆっくりと少しずつやっていけば良いかなと思います。特に食べ物は好みがありますから、母上たちや三太郎さんとも意見を出し合って作っていきたいですしね。

水の陽月に入ってからになるでしょうが。


それまでは今までと同様に母上たちには布を織ってもらいたいです。その布で橡の分は勿論、水の陽月になれば帰ってくる叔父上たちのウォーターベッド御帳台も完成させなくてはなりません。

その帰ってくる道にはちょっとした仕掛けが必要なので、金さんと浦さんには拠点の整備を進めてもらい、桃さんには油と甘葛煎を作ってもらおうかなと思います。同時に三太郎さんには可能な範囲で食料と、土蜘蛛の糸を始めとした素材の採取もお願いしなくては。どれもこれも欠かせない大事なお仕事ばかりです。

そして私は言葉の練習に加えて簡単な字を読めるように勉強したいと思います。後は母上たちの健康と美容の管理でしょうか。屋内に居る分には岩屋と違って寒さに震える事もなくなりましたし、温泉でしっかりと身体を温める事もでき、衛生的な生活が送れるようにもなりました。温水を使ったウォーターベッド御帳台や羽毛布団もあるので寝ている最中に体温が低下し過ぎる事もありませんし、食料も現状は大丈夫なはずです。

<うん、これなら大丈夫なはず。
 皆が元気に、笑顔でこの無の月を越えられるはず。
 ……違う、そうじゃない、「はず」ではなく大丈夫なの確定で!>




色々と考えているうちに少しうとうととしていたようで、目が覚めたら目の前に浦さんがいました。

「大丈夫ですか?」

そう言ってカーテンを開けて、私のおでこに少しヒンヤリとした手を当ててくれます。この時期に冷たい手を当てられたら「ヒャー」と首をすくめたくなるものですが、今は熱があるせいかむしろ気持ちが良いぐらいです。

「何か欲しいものはありますか?
 喉が渇いたでしょう? 林檎果汁の飲み物を持ってきましょうか?」

熱を確認した浦さんはそう言って私を抱き上げてくれると、とんとんと背中を叩いて気遣ってくれます。

意識してはいなかったのですが、やはり少し寂しかったのでしょうか。そうやって触れ合える温もりに心が少し軽くなる事が解ります。

<うん、飲み物が欲しい。
 今は林檎で良いんだけど、後で柚子モドキのが欲しいな>

ちょっと甘えるような事を言ってみたくなりました。

<柚子? アレは酸っぱすぎて飲むのには適さないのでは?>

確かにそのまま飲むのには向きませんが……

<アレの果肉を甘葛煎に漬け込んで欲しいの。
 黄色い皮を剥いて、中の薄い皮も剥いて、種を取り除いて……。
 果肉と甘葛煎を琺瑯容器に入れておけば、
 夜にお風呂から出る頃には飲めるはず……ちょっと漬かりが浅いかもだけど>

蜂蜜レモンならぬ甘葛煎柚子という感じでしょうか。それを水で薄めたら、熱がある時やお風呂上りの水分補給に丁度良さそうだなと思って浦さんにお願いします。

<解りました、早速桃太郎にも伝えて作る事にしましょう>

その後、浦さんから貰った林檎ジュースを飲んで再び横になると、あっという間にうとうととして、そのまま再び眠ってしまいました。

ウツラウツラと意識を彷徨わせながら思った事は、いい加減「もどき」という呼び方を止めなくちゃなぁという事でした。雁もどきや柚子もどき、林檎もどきにハマグリもどきと私から見ればありとあらゆるものが、私の知っている物と似ているのに決定的に違う何かがあってそう呼んでしまっていたのですが、この世界のものはこの世界のものであって、決して「もどき」ではないんですよね。

それらの品々も、そして私も。

この世界で大地にしっかりと立ち、
この世界の水と親しみ、
この世界の火の暖かさを知る。

そうやって生きていくしかないのだと……。
そうやって生きていきたいんだと……。


そんな事を思いながら、死の月とも呼ばれる無の月が始まり
奥山の雪景色のように静に、夜の闇のように穏やかに
家族7人、拠点での日々が過ぎ去っていくのでした。
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