【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

2歳 -水の陽月4-

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我が家はみんな揃って長風呂の傾向があります。露天なのでのぼせにくいという理由もありますが、たっぷりのお湯にゆったりと浸かれるという事がとても特別な事だと知っているからです。

そしてお風呂上りにも特別な楽しみが待っています。柚子シロップに少しの塩を混ぜて水で割った、なんちゃってスポーツドリンク。これが湯上りホカホカの身体にスーーッと染み込んで全身にいきわたるような感覚は、舌だけでなく全身で美味しさを感じているかのようです。

そんな訳で叔父上も

つるばみ、すまないがもう1杯くれないか」

と叔父上の手のサイズに合わせて作られた大き目のコップに、なみなみと注がれていた塩入り柚子ジュースをゴクゴクゴクッと一気に飲み干したかと思うと、直ぐにおかわりを要求しました。そうやって手にした二杯目を、更に半分程飲んだところでようやく落ち着いたのか

「あぁぁぁ、生き返る……」

としみじみと呟きます。私達が朝食後の食休みをしている最中に戻ってきた叔父上でしたが、そこからたっぷりと時間を使って温泉に入り、無精髭だらけだった顔も綺麗になりました。今の時刻は太陽もかなり高くまで昇り、お昼前ぐらい。ざっと見積もって3時間は温泉に入っていた計算になり、喉が渇いていても当然です。

そんな叔父上の感情がたっぷりと籠った言葉を聞いた母上が

「今年の大和はそんなに天候が悪かったの?
 それとも仕事上で何か問題が??」

と心配そうに言いました。その母上の手には少し早めのお昼ご飯の入った大きな鍋があり、それを囲炉裏テーブルの真ん中に置くと叔父上の近くに座ります。叔父上ってば、朝食をとらずに戻ってきたらしいのです。

そんな訳で今日のお昼ご飯は叔父上のすきっ腹に優しい雑炊になりました。土の陰月の頃に作った鮭の干物……お祖父ちゃんが大好きだった鮭トバっぽい物をメインの具にした雑炊です。最初の年には作れなかった魚の干物も、量こそ多くはありませんが去年は作れるようになりました。雑炊の味付けには竹醤を使っているようで、空腹を刺激する良い匂いが部屋に充満していきます。すぐ横にいた兄上のお腹がグゥーとなってしまうのも仕方がありません。それを耳にした橡が

「坊ちゃま、おまたせしました。
 さぁお昼ご飯にいたしましょ」

と、全員の食器やお茶を乗せたお盆を持って来て、囲炉裏テーブルについたのでした。


ふーふーと雑炊を匙で掬っては息を吹きかけて冷まし、パクリと口へと運びます。あつあつの雑炊の味わいといったら!

「つるばみ、おいちーね!」

そう橡に言えば、橡は嬉しそうに笑顔で「ありがとうございます」と言いながら私の口の端についた汚れを拭ってくれました。自分で出来るようになって嬉しい事の一つに、食事があります。着替えやトイレも切実ですが、食事も自分のペースで食べられるってとても大事です。まだ、ちょっと綺麗に食べるのは難しいですが、何事も練習です。

そうやって皆で食事をしつつ、叔父上は母上たちに出稼ぎの報告を始めました。ありえない早さで戻ってきた事もあって、大和で何かあったのではないか?と心配そうに母上たちが耳を傾けます。そんな空気の中、

「私は比較的我慢強い方だと思っていたのですが……」

と叔父上は話を切り出すと同時に、大きく溜息をつきました。

「無理です、あそこに住む事は我慢の限界を越えます。
 ここで暮らしていると山を下りて暮らす事ができなくなります。
 って、姉上! 笑いごとじゃないですよ、本当に大変なんですから!」

あまりにも真剣な表情で、そんなことを言う叔父上に母上は呆気にとられた後、クスクスと笑いだしてしまいました。

「姉上、想像してみてください。
 湯に入って身を清める事も出来ず、歯を磨くのも房楊枝。
 石鹸が無い為に、どんどんと不快になっていく身体に、汚れていく衣類。
 殆ど味付けされていない食事に、用を足す……と、すみません、
 食事中にする話ではありませんでした。
 とにかく! 明日から生活のありとあらゆるものが、
 天都にいた頃に戻るとしたら……と、想像してみてください!」

と力説する叔父上に、私は内心

(わっかるぅぅぅぅぅぅ!!!!)

と全力で同意してしまいます。2年前の私がまさに今の叔父上と同じ心境で、生きるという極々単純明快な事に絶大なストレスに感じるありさまでした。それを思えば今の生活のなんと快適な事か……。勿論、前世の快適さにはまだ及びませんが、それでも「生きていくのがツライ」と思う事は減りました。

母上と橡は顔を見合わせてから、少し昔を思い返すように視線を彷徨わせたあと、

「あぁ……それは、確かに……」

「……若様には大変申し訳ありませんが……
 正直な所、思い返したくありません」

と、少し遠い目をしつつ同意しました。

もしも……。
今、岩屋の頃の生活に戻れと言われたら、私は発狂してしまうかもしれません。それぐらいにあの頃の生活は大変でした。母上たちも同じ気持ちなのだと思います。

「幸いな事に石茸いしたけ躍茸おどりたけだけでなく、ハマタイラの貝柱も良く売れたので、
 関所の通行料が無料になる水の陽月に入ると同時に大和を出て、
 最低限の休息のみで戻ってきたのです。おそらく山吹も同じだと思いますよ」

キノコ類はともかく、心配していたハマタイラの貝柱の干物の売れ行きが良かったようで安心しました。それに昨年とは違って早々に大和を出立しても、商品を売りつくした行商人なら不審がられる事はないでしょうし。

「そうそう。金様からお教え頂いた、量り売りという方式はとても好評でした。
 ありがとうございました」

「それは良かった。
 人の商いは良く分からぬが、公平である事は大事ゆえな」

ふと思い出したように叔父上が金さんの方へと向き直って、頭を下げてお礼を言います。それに対して静かにうなずく金さんですが、量り売りというシステムを金さん経由で伝えたのは私だったりします。

誤解がないようにいえば重さを計るという行為はありますし、基準となる分銅もあります。ただ使用される場面が納税の時だけで、鉄や米や塩といった物を税として納める時にしか使用しないのです。当然ながらその重さも1個の分銅の重さが50kgぐらいと、一般小売で使うには向かない重さです。

貝柱の干物は出来るだけ同じサイズになるように調整しましたが、やはり乾燥する途中でサイズは変わってしまいますし、運搬中に欠けたりすることも充分にありえました。それにキノコ類は天然物なので大きさはまちまちです。そういったサイズに違いがある物でも、納得して買ってもらう為に量り売りを提案した訳です。それならどんなにサイズにばらつきがあっても同じ重さで売買できます。乾物の売買なら1kg分の分銅があれば充分だろうと、100gの分銅を5個と500gの分銅を1個、そして一番簡単に作れそうな原始的な釣り下げ天秤を金さんに事前に作ってもらったのです。

その100gの算出法は以前に決めたメートル法の時と同じで、私が初めて金さんたちに出会った時の体重を、記憶フレームにあった母子手帳の出生時の体重と同じだと想定して割り出しました。なので前世と全く同じ重さとは言い難いのですが、大きくは違わないはずです。

蛇足ですが分銅は金さんの拘りなのか、円柱ではなく可愛らしい桜型でした。


「アレ、美味いから売れて当然だろうなっ!
 俺様は中でも貝柱と大根おおねを一緒に煮たヤツが好きだぜ。
 いや、待てよ。石茸と一緒に炊き込んだ飯も美味いから迷うな……」

と悩みだした桃さんに、少し申し訳なさそうに叔父上が

「えぇ、私もあの干物の味は絶品だと思うのですが、
 売り込み始めた頃はあまり評判が良くなかったのです。
 どうも見慣れない食材という事で敬遠されてしまったようで……」

というと、意外だとばかりに浦さんたちまでが目を丸くします。ただ母上たちは驚きはしたものの、同時に納得もしたようで

「見た事のない食材は、手を出しづらいですからねぇ」

と橡が頷いて同意を示します。どうやらなかなか売れなかった干し貝柱。最初は良く売れる石茸や躍茸の購入者に、お試しとしておまけにつけていたらしいのです。転機は叔父上が持参していたクズ貝柱とほしいいのお粥を、昼食として人がいる場所で食べた事によって訪れました。その涎が溢れ出る美味しそうな匂いにつられて最初は数人。次の日はその倍、その次の日は……とあっという間に口コミでその美味しさが伝わって、来年は今年の倍以上持ち込んでも大丈夫かもしれないという程の人気になったのだとか。

「いずれにしても、何もなくて良かったわ。
 来年の出稼ぎの事は、その時が来てから考えましょう。
 今は……、おかえりなさい鬱金。お疲れ様、そしてありがとう」

そう言って母上はゆっくりと頭を下げました。それに倣って橡も、母上よりも更に深く頭を下げます。

「叔父上! ありがとうございます!!」

「おじうえ あーとぅ!」

兄上や私もそれに倣うと、少し照れくさそうに笑った叔父上が

「どういたしまして」

と笑顔で返したのでした。




3日後、叔父上の予想通り山吹が戻ってきました。昨年も早い帰還でしたが、今年もほぼ同じ日時に戻ってきたところをみると、これが天都との最短時間なのでしょう。叔父上と同じように温泉へと駆けこんだ山吹は、驚くことに精霊を二柱くっつけて戻ってきたのでした。
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