未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

7歳 -土の陰月2-

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前世で大学受験の為に、趣味の読書やゲームを一時封印した時より少し前の事。
その頃に流行っていた異世界転生や転移を扱った小説や漫画の中には、結構な数でスローライフを目指す作品がありました。スローライフ……和製英語のソレを明確に定義する言葉は無く、とても曖昧なイメージの言葉なのですが、たいてい「ゆっくり」だったり「のんびり」といった言葉とセットになっていて、生活に余裕を持って心ゆたかに暮らすという使われ方をしていたように思います。

「この世界では絶対に無理な話しよね……」

そう愚痴をこぼしながらも、大根おほねの乾燥を桃さんと一緒に流れ作業で進めていきます。桃さんの技能「乾燥」のレベルが上がったおかげで、最近では上手に水分だけを除去させられるようになりました。出会ったばかりの頃の精霊力の調整が全くできなかった頃と比べると……と、思わず目頭を押さえたい気分になってしまいます。まぁ、それでも金さんや浦さんに比べると微調整は苦手なようですが。

何はともあれ桃さんの精進の結果、他所で作られたものよりも旨味がずっと強く感じられる乾物は、叔父上たちが売り歩く様々な商品の中でも常に完売スピードが上位にランクインする人気商品です。乾物の中でも一番の人気は高額商品でもある乾燥石茸いしたけなのですが、この干し大根と干しハマタイラの貝柱も甲乙つけがたい人気を誇ります。

「何が無理だって??」

桃さんが本日最後の大根を乾燥させ終えて、くるりと振り返りながら聞いてきました。大根は終わりですが、この後にもキノコ類を筆頭に乾燥させなければならない食材が大量に控えています。

「ん? ゆった~り、のんび~りと生活を送る事は無理だなぁって」

この時期は家族全員がそれぞれ無の月に向けて大量の仕事に追われます。例えば今日の家族の仕事の割り振りは、母上が林檎をはじめとした果物や野菜の加工で、つるばみが鮭や貝など水産物の加工。叔父上と兄上は今日は湖にハマタイラや鮭を獲りに行っていて、山吹は雁をはじめとした肉類の調達。金さんは拠点中の建物や施設・道具に傷みが無いかチェックして補修。浦さんも同じく水回りの補修と冷凍保存食の作成といった感じで、全員が休憩もそこそこに拠点のあちこちで作業をしていて、この作業スペースには私と桃さんしかいません。今年は特に叔父上と私(と三太郎さん)が長期間留守にしていた為、保存食作成が遅れ気味なのでみんな必死です。三太郎さんの技能があるので保存食もたくさん楽に作る事が可能になりはしましたが、その便利な技能でも魚を捌いたり果物を切ったりはできません。なので刃物を使って開いたり切ったりといった作業は人力になるので、ゆっくりしている時間なんて無いのです。なので当然、

「そりゃぁ無理だろ」

と桃さんにスパッと言い切られてしまいました。毎日消費する家族の人数分の食料に、無の月を乗り越える為の保存食の確保だけで1日の大半の時間を費やす事になるのです。三太郎さんが居て、叔父上たちが居て、周囲に豊かな自然が溢れるこの場所に住んでいてもなお、毎日毎日、常に食料の確保に頭を悩ませ続けているのです。そりゃぁ無理に決まってます。

確かに最初の頃に比べれば色々と楽になった所もあります。筆頭は塩で、ここで作れるようになったので残量を気にせずに使えるようになりました。また食材の保存方法も塩蔵だけでなく、乾燥や冷凍も使えるようになりました。その結果、塩蔵に向かなかった食材も保存できるようになり、無の月の食生活は以前に比べるとかなり良くなったと思います。

蛇足ながら、いつかはフリーズドライにも挑戦したいところですが、あの技術のポイントともいえるマイナス30度という低温での急速冷凍と、減圧して真空状態にしてから水分を昇華させるという技術が、現時点ではどうやっても実現不可能すぎて手を出せていません。他にもマイナス60度という超低温で、新鮮なお魚を獲った直後に冷凍保存とかも試したいんですけどねぇ……。

閑話休題

そうやって色々と手を尽くしていても、無の月が終わる頃には「アレが無い」「コレが無い」と献立に頭を悩ませて、来年はもっとたくさん保存できるように頑張ろうという思いを抱くのです。それに食料の確保は大事ですが、掃除や洗濯といった家事も決して疎かにはできません。

つまりスローライフのスの字すら、ここには存在しないのです。
自給自足とのんびりスローライフな生活は、魔法でもない限り両立は不可能だという結論に、私は転生してから実体験を通して辿り着きました。これでもし三太郎さんが居なかったらと思うと、心の底からゾッとしてしまいます。三太郎さんが居なかったらスローライフ生活どころか、ライフが成り立たない……。


しかも今年は更なる問題があり……

「例年よりも二人分、多く食料を確保しなくちゃならないって……。
 思っていたよりもしんどいかもしれない」

と、遠い目をしてしまいます。叔父上や山吹と同じぐらいの量を食べる男性が二人も増える事を考えると、殿下たちに「毎朝、蒸しタオルでも治らないぐらいの強固な寝ぐせで困れば良いのに」と、軽く呪いをかけたい気分です。ちなみに最初に思いついた呪いは「1日1回、箪笥の角に足の小指をぶつければ良いのに」だったのですが、これは痛すぎるので止めました。でも食料の集まりが悪かったらそっちにスライドするかもしれませんが……。

もちろん殿下もその辺りの事はちゃんと考えてくれてはいるようで、お米を持てる範囲で持って来てくれるようですし、うちで作った保存食を買って食べるというていでお金を払ってくれるつもりのようです。

「食事もだけど、寝る場所はどうするんだろう?
 ウォーターベッド御帳台を今から2台、大急ぎで作るのも大変だし……」

大変ではあるけれど、結構な頻度で来訪されるのなら客間と御帳台を作っても良いとは思います。ですが普通に考えて、殿下がここに何度も来るなんて事が想定できませんし、他の来客があるとも思えません。材料となる木材や土蜘蛛の糸、べとべとさん液を無駄にはしたくないのです。危険性が低いのでじゃんじゃん火のように全滅させる気はありませんが、いつべとべとさんや土蜘蛛が生息域を他所に移してしまうか解らない以上、資源は大事にしておくに限ります。

「やっぱり私と兄上が母上や叔父上と一緒に寝て、
 私と兄上の御帳台に寝てもらうのが、一番現実的かな……」

私が一人でぶつぶつと呟きながら考えをまとめていたら、桃さんが乾燥させたキノコ類を種類や大きさで別けて竹籠に入れながら、

「最初に言っとくが、俺様の部屋は絶対に貸さねぇからな?
 金や浦も同じこと言うと思うぜ」

と嫌そうな顔をしながら言いました。私達の部屋よりも色んな意味で豪華な三太郎さんの部屋なのですが、その部屋で暮らしている訳ではありません。たいてい私と一緒に居ますし、私が寝ている時は三太郎さんも精霊力の回復を兼ねて私の中へと戻ります。なので実質、三太郎さんの部屋はそれぞれが好む物を置いておく為の趣味の部屋といった感じになっていて、一応御帳台は設置されていますが使った事は殆ど無いはずです。

なので貸してあげたら良いのに……と思わなくもないのですが、そんなことを口に出したが最後。かなりの高確率で母上たちや当の殿下たちから「畏れ多い!」と怒られてしまうと思います。私からすれば三太郎さんは大事な家族の一員ですが、母上たち……ましてや殿下たちからすれば、神の欠片で侵さざるべき神聖なる存在でしょうから。

「大丈夫、解ってるよ。初めて会った頃の母上たちの態度から考えても
 殿下たちだって遠くから部屋を拝む事はあっても、
 部屋に入るような事はしないと思うよ」

三太郎さんの部屋の扱いは誰かの居室ではなく、神のやしろとか神棚に近い扱いだと思います。まぁ、私は珍しいものが色々とあるのでたまに遊びに行ってしまうのですが……。そんな事を話しながらも、手は休まる事なく作業を進めていくのでした。




今年は本当に雪の多い年で、無の月が直前となった今ではもう私の顔のあたりぐらいまで積もっています。幾つかある乾燥小屋の中では大量のお腹がぱっくりと開かれた鮭がぶら下がっていたり、別の小屋では発酵を待つ林檎がいっぱい入った琺瑯ほーろー容器が大量に並んだ棚があったりと、保存食の準備はかなり急ピッチでしたが、どれも満足のいく量を作る事ができ、ほぼ全ての乾燥小屋や冷蔵・冷凍庫が保存食でいっぱいになりました。

そんな中、叔父上がアスカ村へと出発する日がやってきました。叔父上だけなら雪が無ければ3日、今回は雪が積もっているので5~6日でアスカ村に着く予定です。なので今から行けば丁度無の月が始まった頃に到着するので、そこで殿下と合流する手はずなのだとか。ただ今回は出稼ぎや行商として行く訳ではないので、村に入ってしまうと色々と不都合があるそうで……。村が見える程度には離れた場所でキャンプする事にしたようです。最初にそれを聞いた時には、あまりにも自殺行為すぎて驚いてしまいました。

「このような雪深い季節に夜営をして大丈夫ですか?」

と母上も心配そうに眉根を寄せてしまいます。寒さは飢えに匹敵するぐらい命の天敵です。叔父上が雪中キャンプするつもりらしいと2日前に聞いて、私は昨日の休憩時間と睡眠時間を削って大慌てである物を作りました。

「叔父上、これをお持ちください」

そう言って取り出したのは、火緋色金ひひいろかねの霊石に技能「発熱」を籠めた温石おんじゃくです。本来の温石は石を火鉢などで温めてから布に包んだ物で、岩屋に居た頃には私達もお世話になりました。ですが布団などが無い所為もあって、どうしても朝になる頃には冷えてしまうのが難点でした。対しこれは霊石に私と桃さんが「発熱」の技能を籠めたものなので、霊力が切れるまで冷める事はありません。ついでとばかりにもう2個用意して殿下と随身の方の分も用意しました。それに加えて叔父上も着ている裏地に毛皮ファーを使った羽毛入り外套ダウンコートも2着、渡してもらう事にしました。行商人として行く訳ではないので今回は荷物が少なく、これぐらいの荷物なら持って行けるはずです。

三太郎さんは霊石を持ち出すことに対して当初はかなり渋りましたが、色々とこの短時間で話し合った結果、思うところがあったらしく許可が出ました。




そんなこんなで叔父上は旅たち、初めての来客に向けての準備にお留守番組は全員でラストスパートをかけたのでした。
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