【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

11歳 -水の陽月14-

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桃さんが霊石に籠めてくれていた【浄火】の炎は、かなり大きな火柱となって出現しました。野外で見たとしても、思わず逃げたくなるようなサイズの炎です。それが室内……それも至近距離で現れたのだから、思わず及び腰になっても仕方がないというものです。

ゴオォォォと音を立てている火柱の中心には菖蒲あやめ様の形代かたしろとなった檜扇ひおうぎがあるのですが、檜扇というのはその名の通り檜などの木片で出来た扇だというのに、髪が焦げたような不快な臭いが鼻が痛くなるほど漂ってきます。

その【浄火】の火柱が消えると、次は部屋の中を他人の呼吸音すら響いて聞こえる程の静寂が支配しました。最近では不本意ながら聞き慣れてしまった呪詛が発動した際の耳鳴りすら聞こず、呪詛が消えたという事を耳から察します。桃さんの【浄火】のおかげなのは確かですが、不思議な事に天井まで届く火柱だったというのに周囲を一切焦がす事がなく、檜扇だけを燃やし、燃え滓や灰すら残っていません。

(終わった……??
 これでもう大丈夫なの??
 そういえば送信アンテナを問答無用で折っちゃった菖蒲様は……)

本来あるべきものを無理矢理削除してしまったら、何かしら弊害が出る可能性があります。三太郎さんからは命を失うような事にはならないと聞いていますが、逆を言えば命に関わらない程度には何かしらあるかもしれないという事……。

何かあったら直ぐに対応しなくちゃと思って菖蒲様を見れば、先程まで顔を伏せておられたのが何やらフラフラとふらつきながらも顔を上げると、どこから取り出したのか懐剣の袋の紐をさっと解き、そのまま懐剣を抜くと自分の喉元へと突き立てようとしました。

「菖蒲様!!!!」

咄嗟に菖蒲様にタックルするようにして縋りつき、全力で腕を伸ばして懐剣を取り上げようとします。ですが東宮妃となった今でも鍛錬を続けている牡丹様は勿論、細身な母上よりも更に華奢な菖蒲様ですが、それでも大人の菖蒲様と子供の私では体格差があります。どれだけ山で体力づくりに勤しんでいたとしても、今の私では菖蒲様にすら勝てません。

幸いにも菖蒲様には私に向かって懐剣を振るうような様子はありませんが、刃物を持ったまま揉み合っていたら2人とも怪我をしてしまいます。だからといって離れるという選択肢も選べず、どうにか抑え込めないかと揉み合い続けていたら不意に菖蒲様の抵抗が緩みました。

「菖蒲殿!! 落ち着かれよ!!」

ふと顔を上げると、牡丹ぼたん様が菖蒲様の背後から羽交い絞めにしていました。牡丹様は流石はヒノモト国の人で、的確に抑え込んで菖蒲様に懐剣を手放させる事に成功しました。落ちた懐剣は床に音を立てて刺さり、私はその懐剣を慌てて確保すると、遠くへと放り投げて菖蒲様から遠ざけます。

「牡丹様、お放しくださいませ!
 わたくしの……わたくしの所為で沢山の人の命が!!」

先程まで誰よりも穏やかだった菖蒲様が髪を振り乱して荒れ狂う様子は、綺麗な顔と相まってホラー映画のようで背筋に震えが走ってしまいます。

「さっきも言ったけど、菖蒲様の所為じゃないから!!
 勿論朝顔さんたちの所為でもないし、
 色んな条件が悪い方に重なっただけだよ!」

目の前の修羅場に敬語を使う余裕なんて皆無で、真っ青な顔でボロボロと涙をこぼす菖蒲様をギュッと抱きしめます。

「ですが……」

泣き崩れる菖蒲様がポツリポツリと語った事を要約すると、実は菖蒲様はあれだけ呪詛のど真ん中に居たにも拘わらず、自身は呪詛の影響を感じた事がありませんでした。なので蒼宮家では率先して病気に倒れた人たちの看病にあたったり、自分に出来る事をと励んできたそうなのです。

自分に呪詛の影響が全く無い理由には心当たりがなく、人よりも霊格が高い所為か或は単に運が良い所為だろうと思っていたのに、まさか呪詛が自分の(体質の)所為だったなんて、死んでお詫びするしかないという結論に至ったようで……。

「この天都だけでどれだけの子供たちが亡くなった事か……。
 十三詣りを終えて戸籍を持った子供だけでも半数の子が亡くなり、
 戸籍の無い小さな子供に至っては、8割が亡くなったなんて噂もあります。
 同じようにたくさんの女性も亡くなり、今日の神事に乱入した男性も死刑に……
 わたくしは自分の命で償う以外の方法を知りません。
 ですからどうか……どうか!!」

「えっ!? 死刑?!!」

神事に乱入した男性って私に石を投げた男性の事だと思うのですが、死刑になったなんて初めて知りました。

「牡丹様、あの人は死刑になってしまったの?」

確かに人に向かって石を投げるのは悪い事ですし傷害事件にはなるでしょうが、それで死刑は無いと思うのです。

「致し方なかろう?
 帝が御臨席されておられる神事を妨害致した罪は重い……。
 それにあの者も、処刑される事を承知の上で事に及んでおったのじゃ」

「そんな……」

戦後なんて言葉が遥か遠い昔になった時代に生まれた私には、感覚でも理屈でも納得できません。やった事に対する処罰が重すぎます。

<あの者はヒノモトに恨みをぶつけたいとは思っていましたが、
 あなたに大怪我をさせたいとは思っていませんでしたよ。
 ……そのうえで自分の気持ちをぶつけたら、
 妻子の元へと旅立つつもりだったようです>

そう浦さんがこっそりと教えてくれます。私達が合同神事を企画しなかったら、あの人は処刑される事もなかったのかもしれません。

<その場合は、緋色宮や内裏に殴り込んでいた可能性だってありますよ。
 あの男にとって必要だったのは、自分の無念さを表わす方法だったのですから>

なんだか……やるせないなぁ……。




「綺麗ごとだって思うかもしれないけれど、
 1万の人が亡くなったのなら、2万、ううん5万の人を助けてください。
 5万の人が亡くなったのなら、50万の人が助かる方法を探してください。
 自分の命を捨てる事で償うのではなく、自分の命を使って償ってください」

目を真っ赤にした菖蒲様の前に座り、顔を覗き込むようにして気持ちを伝えます。私は呪詛を止めたいのであって、菖蒲様に死んでほしい訳ではありません。そもそも菖蒲様だって悪くないんですから。

「菖蒲様だからこそ出来る事っていっぱいあると思うんです。
 だから一緒に方法を考えましょう」

そう言葉を続けた時、いきなり衝撃が襲ってきて壁際に吹っ飛ばされてしまいました。

「ッ!!!」

こういう時に目を瞑ってしまうのは悪手だと解っていても、思わず目を瞑ってしまいます。なので壁に激突する寸前に私へと腕が伸ばされ、グイッと引き寄せられてから初めて自分の状況の変化に気付きました。

「大丈夫?!」

「あ、朝顔さん?」

私が壁に激突しないように助けてくれたのは、意識が無いと思っていた朝顔さんでした。ただ抱き留めてくれたその腕は燃えるように熱くて、現在進行形で高熱を出している事が解ります。

「ありがとうございます。助かりました」

そう言いながら朝顔さんから離れると、途端に朝顔さんは再び崩れ落ちてしまいました。かなり無理をさせてしまったようです。昼顔さんや夕顔さんが意識が無いまま唸っている事を考えると、朝顔さんが三姉妹の中で一番の体力の持ち主のようですが、それでも色々と限界だったのでしょう。

「後は任せて身体を休めていてください」

私はそう言うと、母上が私にいつもしてくれるように背中を軽くポンポンと叩きます。私はそうされると気持ちが落ち着くので、朝顔さんにも気持ちを落ち着けてもらえるようにポンポンと優しくリズムよく叩きます。朝顔さんは何か言いたそうに視線をこちらに向けますが、結局苦しそうにするだけで言葉にはなりませんでした。


くるりと振り返って部屋の中央を見れば、そこには水の玉が浮かんでいました。といっても浦さんではなく新たに現れた精霊で、私から見て右半分は荒れ狂ったように渦を巻き、左半分は波紋一つない水面というありえない水玉です。

<金さん、浦さん。大丈夫?>

<とりあえず、今のところは抑え込めています。
 ただ、この精霊は呪詛の反動で妖化しかけているようです>

水の精霊同士の力のせめぎ合いは二つの波がぶつかっているかのようで、空間を目に見えない波が何度も何度も往復していきます。

<私に出来る事は?>

<とにかく身を守れ。そして出来るだけあの精霊から離れていよ。
 アレはそこの菖蒲とかいう人の子の守護を担っていた精霊なのだが、
 元々執着心が強い個体なうえに、我らが被保護者を殺害したと思いこみ、
 その憎しみから妖化が加速しているようだ>

執着心の強い精霊って……そんな個体がいるんですね。その執着心が良い方向に働けば菖蒲様を助けてくれる心強い精霊となったんだろうけれど、現状は周囲にとっても菖蒲様にとっても良い状況じゃありません。

それにしても気になる事が1つ。

<いや、目の前に菖蒲様いるのに気付かないの?!>

<送信力の大半を形代に入れ、【浄火】で燃やしてしまいましたからねえ。
 彼女の守護精霊からすれば焼かれて死んだように感じてしまうのですよ。
 なので菖蒲というそこに居る女性を見ても、別の女性に見えてしまうのです。
 私や金からもそう見えていますし、守護精霊からもそう見えている事でしょう>

私の視界を三太郎さんに貸す事はありますが、逆はありません。なので三太郎さんから私がどう見えているのかなんて今まで気にした事はありませんでしたが、今度時間のある時にゆっくりと聞いてみたい気がします。

何にしても今は菖蒲様の守護精霊をどうにかしなくては……。
なので私はこっそりと少しずつ菖蒲様の方へと移動します。いきなり大きく動いて菖蒲様の守護精霊を刺激したくないので、全力ですり足移動します。そして菖蒲様の元まで行くと、耳元でコソコソと呟きました。

「菖蒲様、あの水の玉は菖蒲様の守護を担っている水の精霊様だそうです。
 ただ呪詛の反動で……えと……穢れが溜まって
 このままでは精霊で居られるかどうか解らない状況のようです。ですから……」

精霊と妖を全くの別物と思っているこの世界の人に、穢れが溜まると神の欠片が妖化するという情報は受け入れ難いと思うので、その辺りをぼかしつつ菖蒲様に伝えます。このまま菖蒲様が死んだと思いこんで、死なば諸共と呪詛を振りまかれても困りますし、私達を憎む余り妖になってしまっても困ります。

「お願いできますか?」

そう菖蒲様に尋ねた私に、青白い顔に決意の表情の浮かべた菖蒲様は力強く頷くと、部屋の中央に向かって座り直し、額が床につきそうな程に頭を下げると

「私を守護してくださる水の精霊様に
 ミズホ国第一王女にして水の大社の巫女菖蒲がご挨拶を申し上げます」

と静かなのに凛とした声で話しかけたのでした。

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