【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

11歳 -水の極日1-

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金さんの背負った籠に揺られながら山を下りたのは、兄上の誕生日から数日後でした。あの頃は水の陽月に入ったばかりで、山はまだ雪解けを待つ雪が一面に残っていて寒さも厳しく、籠の中で不安と寒さから縮こまっていた覚えがあります。

あれから3旬間30日程。
その間に山は雪解けが進み、日の当たる場所では大地の色が見え始めていました。

往路に比べて復路にこんなにも時間が掛かったのは、呪詛が放たれなくなった事で比較的体力が残っていた成人男性が出歩くようになったからです。人目を避けたい金さんや浦さんは日中の移動を諦め、夜の闇に隠れて移動しなくてはならず……。しかも関所勤めの兵士たちも復活していたので、余計に日数がかかってしまいました。関所ではない獣道を抜ける事も考えたのですが、ヤマト国の兵士の体力は無尽蔵なのか、それとも回復速度が異常なのか

「休んでいた間に何かあってはマズイ。
 全力で周辺を見廻るぞ!」

と、隊長の号令が隠れていた場所にまで聞こえてくる程で、下手に見つかると相手を傷つけてしまいかねない為、素直に関所を通る事にしました。その為に往路の何倍もの日数がかかってしまったのです。その際に役に立ったのが茴香ういきょう殿下から貰った六角形の金の板で、表には句珠くしゅと呼ばれる勾玉とよく似た形状の黄翡翠が、裏面には様々な文字が刻まれたモノでした。その金属板を見せて

「アスカ村の大人も子供も皆倒れたので、
 比較的軽度だった私が茴香殿下に頼まれて天都までお使いに行ってきました。
 行く時もここを通ったんだけど、誰も居なかったから……」

と「頑張る7歳児」の振りをして切り抜けました。我ながらちょっと情けない気がしないでもないですが、嘘も方便です。兵士の壮年の男性は小さな子供が1人で移動している事をとても心配して

「大丈夫か?? 送って行きたいが持ち場を離れる訳にはいかないし……。
 信頼できる行商が来るのを待って、一緒に行った方が良くないか??」

と親身に色々と提案してくれますが、金さんに背負ってもらって移動する方が圧倒的に速いうえに安全なので何とかお断りしたい私です。でも向うも殿下の勅使の証を持った子供を1人で帰す訳にもいかなくて粘ります。

最終的には金さんに

<仕方がない、兵士の言う通りにしよう。
 ここで無理を押し通せば不自然さだけが際立ってしまう>

と言われて諦めました。4日ほど関所で待機し、漸く通りかかったそれなりに名前の通った信頼のできる行商の方と一緒にアスカ村方面へと向かう事になりました。ちなみに金属板の裏には、ヤマト国の軍だけが使う暗号的な言語で

【この女児、ヤマト国王子茴香の命を受けた使いの者なり】

と書かれていたそうで、これを見せれば例え所持者が平民であってもヤマト国の高位華族と同等に丁重に扱ってもらえるという凄い金属板でした。

そんな訳で天都を出る関所からアスカ村まではかなり時間がかかり、気は急くのに一向に家までの距離が縮まらない焦りの日々を過ごす羽目になりました。

またアスカ村に到着しても、直ぐに村から姿を消しては行商の人に不審に思われてしまいます。その対策で、暫く殿下の元で過ごす事になりました。確かに殿下には事の顛末を報告するつもりではいました。さすがに菖蒲あやめ様のプライバシーに関わる事はぼかすつもりでしたが、それでも天都の惨状を伝えて可能ならば何か支援をしてもらえないかという話しもしたかったので……。なので半日~1日ぐらいは殿下の元に滞在する予定ではあったのですが、こんなに何日も滞在する予定じゃなかったのに……。

そんな色々が重なった結果、
気が付けばあっという間に水の極日になってしまいました。




真っ暗な洞窟をゆっくりと足元に気をつけながら進むと、絶え間なくドドドドッという大量の水が流れ落ちる音が徐々に近づいてきます。その水音が大きくなれば大きくなるほど、水力式ケーブルカーに近付いているという証です。

往路では山の表面を駆け下りるという金さんの力技で移動しましたが、復路は安全を最優先して戻る事にしました。かなり雪解けが進んではいますがまだまだ雪が残っているため、万が一にも雪崩を起こしてはマズイという判断です。裏を返せば往路は雪崩上等で駆け抜けていたという訳で、アスカ村の猟師の人も全員寝込んでいて良かったと全てが終わった今なら思えます。

アスカ村に滞在している間、金さんや浦さんに交代で母上たちの様子を見に行ってもらいましたが、今は全員熱も下がっているから安心しろとの事でした。流石に体力は落ちてしまっているようで、叔父上や兄上は朝の鍛錬等は欠かしこそしてはいないものの、かなり抑えめにしているようです。また母上や橡も普段の水の極日なら畑の準備を始めているのに、今年はまだ何もしていないとの事でした。でも全員がもう寝込んでいないという情報に、私はやっとホッと……ううん、ホッなんて小さな吐息じゃなくて、全力で息を吐ききるほどに安心しました。

無事である事を知って安心はしたけれど、会いたいという気持ちが消えるはずもなく。むしろ今直ぐに会いたいと、降りてきた水力式ケーブルカーに駆け上ります。私も大きくなったら叔父上たちみたいに飛び乗れるかなと思ったのですが、未だ無理なんですよね。あれは何歳ぐらいになったら出来るんだろう??

どんどんと順調に上っていくケーブルカーですが、そのスピードをもっと上げる方法は無いかな?なんて思ってしまうぐらいに気が急いてしまう私です。その気持ちが最高潮に達したのは真っ暗闇だと思っていた行き先に、ポツリポツリと小さな灯りが見えた時でした。

ようやく皆に会えると目を凝らして闇の中を見上げると同時に、

<どうやら全員が迎えに来ているようだな>

という金さんの心話が聞こえてきました。水力式ケーブルカーのある洞窟は拠点の中でも外れの方にあります。それにも拘らず、体力の戻っていない身体で迎えに来てくれた事に胸がいっぱいになってしまいました。




私を乗せたケーブルカーの床が一度大きく揺れてから止まりました。それと同時に駆け下りた私よりも先に走り出していたのは母上でした。

「母上!!」

思わずそう呼びかけた私に向かって両腕を伸ばし、よろけつつも駆け寄って来た母上。その頬は岩屋に住んでいた時ですらここまで酷くなかったと思う程にこけていて、顔色も悪く……。その様子から、母上の体調がかなり悪いという事が解ります。それでも母上は一心不乱に駆け寄ってきて、その両腕に抱きしめられると思った次の瞬間、その優しい腕は私の背ではなく両頬をへと向かいました。そしてそのままパンッと言いそうなほど勢い良く両頬を挟まれます。

「怪我は無い?! 何処にも怪我はしていない??!
 母が……母がどれだけ心配したと思っているの!!!」

唐突かつ有無を言わさない叱責の言葉に、私はまず驚いてしまいました。その次に悲しいのか悔しいのか良く解らない感情が湧き上がってきます。その感情の高ぶりに、思わず涙が浮かんできてしまいそうです。

母上たちの為に頑張った……それは確かですが、恩に着せたくてした訳ではありませんし褒められたくてした訳でもありません。ただただ母上たちに元気でいてほしくて頑張っただけです。でも叱られてしまうと、前世でも今世でも大人の経験がない私はムッとしてしまうのです。

(私が大人だったら、もっと自分の感情と上手に付き合えたんだろうな……)

なんて事を思います。少なくとも反抗期を乗り越えていて、今になってあの時の事を思い返すと赤面モノな事を踏まえると、今の中途半端な高校生マインドも数年後には赤面モノになっているはず……。だから今感じているモヤモヤも、大人なら上手に対処できるに違い無いという変な確信が私の中にありました。

でも私はまだまだ子供で……。思わず「だって!!」と反論しようとした時、母上の手が小さく震えているのが解りました。最初こそパンッと強めに挟まれた頬も、今は壊れ物を扱うかのようにそっと触れているだけです。その事に驚いて母上のやつれきった顔を見ていると、みるみるうちに母上の瞳が潤んで涙が流れていきます。

「ごめんなさい……」

それを見た私の口から零れ落ちた言葉は、反論ではなくて謝罪でした。母上にそんな顔をさせたかった訳じゃありません。私がそう言った瞬間、今度こそ母上に強く抱きしめられました。

「違うの、違うのよ。ごめんなさいは母が言う言葉です。
 ごめんなさい、ごめんなさいね、櫻を危険な目に合わせてしまった……。
 本当に……本当にごめんなさい。母はあなた達を守る為なら何でもできるのに、
 母の所為であなたを……あなたを危険な場所に……ごめんなさい」

ぎゅっと抱きしめられたまま聞いた嗚咽混じりの言葉は、母上の嘆きと後悔に満ちた謝罪でした。

「母上……」

そう言いながら私も母上の首に腕を回してギュッと抱きしめ返します。

「母上やみんなの意識が戻って良かったです。
 元気……とはまだ言えないかもしれないけれど、
 また母上とこうやって話せて……本当に良かった……」

先に母上に泣かれてしまって、私の色んな感情が混じった涙は引っ込んでしまいましたが、「良かった」と思う言葉に嘘偽りはありません。

「えぇ、ありがとう……櫻」

抱きしめたまま、ごめんなさいとありがとうを繰り返す母上の後から、今度は叔父上が近づいてきました。

「姉上、私にも櫻に礼を言わせてください」

叔父上の言葉に母上の腕が解かれ、今度は叔父上の手によって抱き上げられてしまいました。

「すまなかったな、櫻。大変だったろう?
 私が不甲斐ないばかりに、櫻に苦労をかけた……」

安心できる叔父上の揺るぎない太い腕が、今は何だかとても頼りなさげです。意識を失う程の高熱を出して数日寝込んだ所為で身体がかなり弱っているようで、何時もなら私の事なんて楽々と持ち上げる事が出来るのに、今はそれだけで精一杯といった感じです。

その叔父上の傍に兄上もやってきたかと思うと

「櫻、次は、次は絶対に僕が櫻を守るから。
 僕は兄だというのに……櫻、ごめんね」

私の手をとってギュッと握りながらそう言う兄上。叔父上に抱っこされている所為で、私が兄上を見下ろす珍しい構図になっているのですが、しょんぼりと俯いた兄上の頭を思わず撫でてしまいました。

「あのね、……怒られるのを承知で言うと、
 ごめんねよりもありがとうの方が嬉しいし、
 あと良くやったって褒めてくれたらもっと嬉しい」

皆が自分の気持ちを正直に吐露してくれる所為か、私も思わずそう言っていました。褒めてほしくてした訳ではないけれど、謝罪されるより褒められる方がずっと嬉しいにきまっています。

「あぁ、そうだな。櫻はよく頑張った。良くやった。
 櫻に負けないように私も頑張るよ」

叔父上の大きな手が私の頭をワシワシと撫でてくれて、私はようやく満面の笑顔を浮かべる事ができたのでした。




久しぶりのお風呂で汚れを綺麗さっぱりと洗い流し、スポドリで喉の渇きを潤し、サラリと着心地の良いドーリス式キトンに身を包みます。まだまだ本調子ではない母上と橡が出来る範囲で御馳走を作ってくれて、久しぶりに家族全員で食卓を囲みます。勿論金さん、浦さん、桃さんも一緒で、久しぶりに三太郎さんが全員揃いました。

「良くやったな。
 まっ、俺様は信じていたがな」

そう朗らかに笑う何時もの桃さんに私も笑顔を返します。

「そうは言いますが、そこの火の精霊は……」

「うぉい!!!!」

母上の水の守護精霊が何かを言おうとしたのを、桃さんが問答無用で止めました。何だったんだろう?と気にはなりますが、桃さんがこれ以上はない程に嫌がっているので聞かない方が良さそうです。

「お坊ちゃまやお嬢様のお誕生日のお祝いは、
 後日、日を改めて致しましょうね」

母上よりはマシだけど、同じようにやつれてしまったつるばみがご飯を運びながら提案してくれました。あの日、母上や兄上に贈ったお酒は未開封のまま保存してあるのだそうです。

「そうですね、ようやく全員揃いましたしね。
 準備は俺に任せてください」

一番影響の少なかった山吹は無理はできないものの、ほぼ平常通りの活動ができるそうで、ここ数日の食料調達等は山吹の仕事となっていたようです。

「うん、楽しみだね、兄上!」

「あぁ、そうだね」

横に座る兄上にそう言えば、兄上も笑顔で返事をしてくれて……。

前世で聞いた古い曲に、何でもない事が幸せだったんだと失ってから気付いたという感じの曲があったけれど、今まさに私はそれを実感しています。

母上や兄上や叔父上、それに橡や山吹が笑っていて……。
金さんや浦さんや桃さんも居て、まだ馴染めないけれど母上の守護精霊さんも新しい家族になって……。

前世では守るどころか何も解らないうちに失ってしまったお父さんやお母さん、置いてきてしまったお祖父ちゃんやお祖母ちゃん……。悔やんでも悔やみきれないけれど、今世では誰も失わないで守り通す事ができました。この幸せが何時までも何時までも、ずっと続くことを祈らずにいられない私でした。
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