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3章
16歳 -火の陽月3-
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<頭を庇え!!>
<受け身を取れ!!>
間髪入れずに飛んでくる桃さんと金さんの心話ですが、
<無理っ!!!>
と返す事しかできません。むしろ同時に二つの指示が出た事でパニックになってしまい、ギュッと目を瞑る事しかできません。
私達の部屋は2階で、そこから降りる途中での落下だった為に、過去の落下事故に比べたら落ちる高さはそこまでありません。ただ暑さ対策に高くとられた天井を売りにしたこの宿の2階はそれなりに高く、頭から落ちたらただですまない事は確かです。
ドサッ!!!
ギュッと目を瞑り、身体を縮こまらせて衝撃に備えた私を襲った痛みは思っていたよりもずっと小さな物でした。背中に感じる痛みは確かに落下した事を物語っていましたが、過去に経験した呼吸すらできないという程の痛みではありません。アレらは痛みとかそういうレベルじゃなくて、痛みだと理解できないレベルの何かだったもんなぁ。
思ったより痛くなかった事に、あれ??と思って恐る恐る目を開けようとした私の耳に、聞き慣れない声が聞こえてきました。
「おいおい、お嬢ちゃん。
いくら俺の気を惹きたいからといって、
2階から飛び込んでくるのは感心しないな」
えっ?!と弾けるように目を開けて顔を上げれば、ヒノモト国人特有の日に焼けた肌をした男性が私を横抱きに抱えていました。その苦笑いを浮かべた顔の近さに、さっきまでとは別の理由でパニックになります。
「わっ、ご、ごめんなさい!!」
相手の話の内容よりも、自分が知らない男性に抱きかかえられているという状況に理解が追いつきません。何より全く知らない人に迷惑どころか危害を加えたに等しい状況に、大慌てで男性の腕から降りて頭を下げました。そして頭を下げたついでとばかりに、めくれてしまっていたヴェールを再び下ろします。
「すみません、御怪我はありませんか?」
「それは俺の方が聞きたいな。怪我はないかい?」
下げていた頭を上げて自分よりもずっと身長の高い、でも兄上よりは少し低い男性の顔を見上げます。
「あ……れ?」
「どうした、どこか痛いのか?」
男性の顔を見た瞬間、違和感と言えば良いのか既視感と言えば良いのか、思い出せそうで思い出せないもどかしい感情が心を占めます。対し男性は私が急に固まってしまった所為か心配そうに眉を寄せていて、そのまま素早く私の全身をチェックしました。
たぶん何処かで会った事があると思うんだけど、初めて来たヒノモト国に知り合いは居ないし……。うーんと唸りそうになるのを堪えつつ、必死に思い返そうと記憶を掘り返していると
「櫻っ!!!」
と兄上が大慌てで階段を駆け下りてきました。その兄上の後ろには大荷物を背負った少年が、泣きそうな顔をして付いて来ています。
「良かった、怪我はないか?」
「はい、兄上。こちらの方が助けてくださったおかげで……」
「妹を助けて頂き、誠にありがとうございます」
私の横で深々と頭を下げる兄上の横で、私も改めて頭を下げます。少し落ち着いてから男性を見れば明らかに華族、それも高位華族と思われる出で立ちです。真っ白な古墳時代風の衣装には細やかな刺繍が施され、幾種類かの赤い宝石をあしらった紐で関節部分を留め、とにかく全体的に「お高そう」な衣装です。髪は古代の美豆良、或は鬟と呼ばれる髪型と似た髪型なのですが、しっかりと油が使われています。
ちなみに前世においては美豆良は男性の髪型でしたが、女性も戦うヒノモト国では成人すると全員がこの髪型を結う事になります。なぜなら首の両サイド(稀にうなじも含む三方)に髪の束を配置する事で、敵の攻撃から首を守る為なんだとか……。
怖いよ、ヒノモト国……。
また美豆良と一口にいってもかなり多種多様で、性別や身分や年齢でそれぞれ違った美豆良を結うのだそうです。そういった知識もヒノモト国に来る前に叔父上たちから教えてもらっていたのですが、その知識に照らし合わせてみれば目の前の男性が高位華族なのは確定です。
ヒノモト国人の高位華族の男性といえば、牡丹様の随身の海棠さんを思い出しますが、当然ながら目の前の人は海棠さんではありません。ただ、そこまで思い出してようやく当時の記憶へ回路がパチッと繋がりました。
「あっ! 緋桐殿下?!」
私の記憶している緋桐殿下はどこか少年ぽさが残る青年で、まだ学生だったからか美豆良は結っていませんでした。それにここまで身長も高くなく、声も当時からいわゆる「良い声」でしたが、ここまで温もりを感じる優しい声なのに少し……その、なんというか、ちょっと色っぽさを感じる声ではありませんでした。
ただ落ち着いてよく見れば、その整った顔立ちには面影があります。
緋桐殿下の名前を思わず言ってしまってから、街中で名前を呼んでよかったのか不安になり慌てて口を手で押さえました。今更遅いのは百も承知ですが、何とか無かった事にならないかなぁ。
ところが私が思わず名前を呼ぶのとほぼ同じタイミングで、
「櫻? ……もしや櫻姫かっ?!」
と緋桐殿下が私よりも大きな声を上げ、私の名前を呼んでから慌てて手で口を押えて周囲を確認し始めました。もともと人通りの多い道なうえに、私が階段から落っこちるなんて騒動を起こしてしまった所為で周囲には人垣が出来ていました。ただ見物人のうち、男性は私が無事な事を知るとほとんどの人がその場を立ち去るのに対し、女性は何時まで経ってもこの場を離れません。そしてその視線の先には当然ながら緋桐殿下が居ました。
そして周囲を見回した緋桐殿下と目が合った女性は、黄色い声を上げて手を振ったりします。そうやって遠巻きに騒がれている分には今の所被害は無いのですが、中には周囲を伺い牽制しつつも緋桐殿下に近付こうとする女性もいました。
「……久しぶりだな!」
そう緋桐殿下は言うと、兄上の方を見て肩をパンパンと軽くたたきます。初対面の人から「久しぶり」と言われて怪訝そうな顔をした兄上でしたが、緋桐殿下がそのまま耳元で何かボソボソと話すと
「えぇ、久しぶりですね。
そうだ。中で少し話しませんか??」
と殿下を宿の部屋へと案内するような事を言います。そんな2人の話しを見聞きした周囲の女の子たちの
「あの男性は殿下のご友人らしいけれど、どこの家門の方かしら?」
「あの子は殿下のご友人の妹さんなのね」
「妹さんが姫って呼ばれていたから、あの男性も華族よね?」
なんて声が四方八方から聞こえてきて、明らかに私から兄上へと興味が移ったようでした。叔父上から貰ったヴェールのおかげで余程近づかなければ私の顔は見えないでしょうが、それでも用心に越した事はありません。「殿下のお近くに見知らぬ女がっ! キィーーー!!」なんて事にならなくて、ほっと一安心です。
「あぁ。ではお邪魔させてもらおうかな」
そう言って殿下と兄上が先立って宿に戻り、私もその少し後ろを付いていきます。ヴェールの中からこっそりと横眼で周りに集まっていた女性を見れば、名残り惜しそうにはしているものの、無理矢理近づいてくる様子はなくて一安心です。
<櫻、大丈夫か?
まったくお前ってヤツは……>
桃さんの呆れかえった声が聞こえてきますが、私だって好きこのんで落っこちた訳じゃありません。不可抗力です!
<あの男は天都で櫻と共に神楽を舞った男か。
ミズホ国と繋がっている可能性は極めて低いとは思うが……>
金さんと浦さんも緋桐殿下とは(一方的に)会った事があります。なので完全に信用しきっている訳ではないようですが、少なくとも敵認定はしていないようです。
<とりあえず無事で安心いたしました。
私は念のために再び霊力を極力落としますから、
くれぐれも無茶はしないでくださいね>
浦さんは火の極日近くのヒノモト国で霊力を出していると目立ってしまうので、海の近くでもない限りは霊力を極限まで抑えてくれています。なので咄嗟に助けられないから気をつけろと、お小言を言ってから再び気配が消えました。以前とは違って眠っている訳ではないので、いざという時には浦さんの判断で出てきてくれるのですが、それでもこの時期にこの場所で水の霊力を使う事による後々の騒動を考えると簡単に助ける訳にはいかず、浦さんのもどかしいという気持ちが伝わってくるのでした。
兄上たちの後を追って宿屋の階段の下まで来ると、先程の少年が
「すみませんでした。自分の荷物の大きさを忘れてしまって……」
と涙目で必死に謝ってきました。
「気にしないで、私が避けれたら良かったんだけど……」
今にも土下座しそうな少年に、私は大丈夫だよと笑いかけます。ところがそんな少年の後にいた主人と思われる商人は先程すれ違った時の腰の低さは何処へやら、忌々しそうにこちらを睨んできました。
「まったく、あの程度の高さから落ちた程度で大袈裟な……。
おおかた我が商店に難癖をつけるつもりだったのだろうが、そうはいかんぞ!」
「どういう事でしょう?」
「だってそうだろう?
あの程度の高さ、子供だって平気で飛び降りる高さだ。
だというのに頭から落ちるような事、ワザとでなければ何だと?」
ムッとした兄上が睨み返しますが、それでも相手は自分の意見をひっこめる気はないようで、嘲るような歪んだ表情でこちらを見てきます。階段の手すりが装飾性は高いものの低かったのは、この世界の人ならあの高さから落ちても問題ないという事で……。
つまり私の身体能力の低さが悪かったという事です。
「妹は身体が弱いだけだ!
第一、他人を強請るよな真似、誰がするものかっ!」
ムッからカチンッに感情が進化してしまった兄上が、珍しく声を荒げます。というか兄上が声を荒げるのを初めて聞いたかもしれません。そんな兄上を手で制し、すっと緋桐殿下は前にでると
「丸に松が3つ並んだその紋はアイカ町の商人座、
簪や櫛を主に取り扱う小間物組の松屋か?
確か数年前から中級華族相手にかなり稼いでいるという話しだったが、
俺の友人に随分な言いがかりだな」
「何だお前…………は? いや、まさか……」
松屋と呼ばれた商人の男性の顔色が、みるみるうちに青くなっていきます。
「ひっ、緋桐殿下では御座いませんかっ!
いやぁこんなところでお会いできるなんて、今日は何て良い日でしょうか」
若干引きつった笑顔を浮かべて、商人は慌てて緋桐殿下へと駆け寄りました。これ以上はない程の追従に、兄上も私も唖然としてしまいます。
「俺にとっては、久しぶりに会えた友人を侮辱されて最悪な日なんだがな」
「も、申し訳ございません!!
殿下のご友人とはつゆ知らず、御無礼を致しましたっ」
緋桐殿下の前でいきなり土下座を始めた商人に、殿下は更に追い打ちをかけます。
「侮辱されたのは俺ではなく、友人たちなんだが?」
「そ、それは……。
くっ。申し訳ありません。私の早とちりでした」
渋々私達に頭を下げた商人が顔を上げた瞬間、一番背が低い私とだけ目が合いました。その眼差しには、華族にしては質素なヴェールを身につけている私達に頭を下げなくてはならないことに対する憤りが籠められていて、その迫力に思わず息を飲んでしまいます。もしかしたら商人は心の中で(殿下の友人とはいうが見た事の無い顔だし、良くて没落華族というところだろ? 何で私が!)って感じの悪態をついているのかもしれません。
「はぁ……。妹も無傷でしたし、もう良いです。
僕も櫻を助けられなかったのだから同罪ですし……ね」
後半は小声で良く聞こえませんでしたが、兄上が自嘲気味に話すと何だか不安になってしまいます。思わず兄上の顔を見上げたら、兄上は「ん?」と何時もと変わらない優しい笑顔です。何だったのか気にはなりますが、私も言わなくてはならない事があります。
「私も次からは階段の上り下りにはもっと気をつけます。
……だから、ごめんなさい」
兄上と違って心の狭い私は、自分を睨みつけてきた商人ではなく、ぶつかってしまった少年に向かって頭を下げて謝りました。
そんな時でした。
「これは……何事だ?」
両手に食べ物をいっぱい抱えた叔父上と山吹が帰ってきたのは……。
<受け身を取れ!!>
間髪入れずに飛んでくる桃さんと金さんの心話ですが、
<無理っ!!!>
と返す事しかできません。むしろ同時に二つの指示が出た事でパニックになってしまい、ギュッと目を瞑る事しかできません。
私達の部屋は2階で、そこから降りる途中での落下だった為に、過去の落下事故に比べたら落ちる高さはそこまでありません。ただ暑さ対策に高くとられた天井を売りにしたこの宿の2階はそれなりに高く、頭から落ちたらただですまない事は確かです。
ドサッ!!!
ギュッと目を瞑り、身体を縮こまらせて衝撃に備えた私を襲った痛みは思っていたよりもずっと小さな物でした。背中に感じる痛みは確かに落下した事を物語っていましたが、過去に経験した呼吸すらできないという程の痛みではありません。アレらは痛みとかそういうレベルじゃなくて、痛みだと理解できないレベルの何かだったもんなぁ。
思ったより痛くなかった事に、あれ??と思って恐る恐る目を開けようとした私の耳に、聞き慣れない声が聞こえてきました。
「おいおい、お嬢ちゃん。
いくら俺の気を惹きたいからといって、
2階から飛び込んでくるのは感心しないな」
えっ?!と弾けるように目を開けて顔を上げれば、ヒノモト国人特有の日に焼けた肌をした男性が私を横抱きに抱えていました。その苦笑いを浮かべた顔の近さに、さっきまでとは別の理由でパニックになります。
「わっ、ご、ごめんなさい!!」
相手の話の内容よりも、自分が知らない男性に抱きかかえられているという状況に理解が追いつきません。何より全く知らない人に迷惑どころか危害を加えたに等しい状況に、大慌てで男性の腕から降りて頭を下げました。そして頭を下げたついでとばかりに、めくれてしまっていたヴェールを再び下ろします。
「すみません、御怪我はありませんか?」
「それは俺の方が聞きたいな。怪我はないかい?」
下げていた頭を上げて自分よりもずっと身長の高い、でも兄上よりは少し低い男性の顔を見上げます。
「あ……れ?」
「どうした、どこか痛いのか?」
男性の顔を見た瞬間、違和感と言えば良いのか既視感と言えば良いのか、思い出せそうで思い出せないもどかしい感情が心を占めます。対し男性は私が急に固まってしまった所為か心配そうに眉を寄せていて、そのまま素早く私の全身をチェックしました。
たぶん何処かで会った事があると思うんだけど、初めて来たヒノモト国に知り合いは居ないし……。うーんと唸りそうになるのを堪えつつ、必死に思い返そうと記憶を掘り返していると
「櫻っ!!!」
と兄上が大慌てで階段を駆け下りてきました。その兄上の後ろには大荷物を背負った少年が、泣きそうな顔をして付いて来ています。
「良かった、怪我はないか?」
「はい、兄上。こちらの方が助けてくださったおかげで……」
「妹を助けて頂き、誠にありがとうございます」
私の横で深々と頭を下げる兄上の横で、私も改めて頭を下げます。少し落ち着いてから男性を見れば明らかに華族、それも高位華族と思われる出で立ちです。真っ白な古墳時代風の衣装には細やかな刺繍が施され、幾種類かの赤い宝石をあしらった紐で関節部分を留め、とにかく全体的に「お高そう」な衣装です。髪は古代の美豆良、或は鬟と呼ばれる髪型と似た髪型なのですが、しっかりと油が使われています。
ちなみに前世においては美豆良は男性の髪型でしたが、女性も戦うヒノモト国では成人すると全員がこの髪型を結う事になります。なぜなら首の両サイド(稀にうなじも含む三方)に髪の束を配置する事で、敵の攻撃から首を守る為なんだとか……。
怖いよ、ヒノモト国……。
また美豆良と一口にいってもかなり多種多様で、性別や身分や年齢でそれぞれ違った美豆良を結うのだそうです。そういった知識もヒノモト国に来る前に叔父上たちから教えてもらっていたのですが、その知識に照らし合わせてみれば目の前の男性が高位華族なのは確定です。
ヒノモト国人の高位華族の男性といえば、牡丹様の随身の海棠さんを思い出しますが、当然ながら目の前の人は海棠さんではありません。ただ、そこまで思い出してようやく当時の記憶へ回路がパチッと繋がりました。
「あっ! 緋桐殿下?!」
私の記憶している緋桐殿下はどこか少年ぽさが残る青年で、まだ学生だったからか美豆良は結っていませんでした。それにここまで身長も高くなく、声も当時からいわゆる「良い声」でしたが、ここまで温もりを感じる優しい声なのに少し……その、なんというか、ちょっと色っぽさを感じる声ではありませんでした。
ただ落ち着いてよく見れば、その整った顔立ちには面影があります。
緋桐殿下の名前を思わず言ってしまってから、街中で名前を呼んでよかったのか不安になり慌てて口を手で押さえました。今更遅いのは百も承知ですが、何とか無かった事にならないかなぁ。
ところが私が思わず名前を呼ぶのとほぼ同じタイミングで、
「櫻? ……もしや櫻姫かっ?!」
と緋桐殿下が私よりも大きな声を上げ、私の名前を呼んでから慌てて手で口を押えて周囲を確認し始めました。もともと人通りの多い道なうえに、私が階段から落っこちるなんて騒動を起こしてしまった所為で周囲には人垣が出来ていました。ただ見物人のうち、男性は私が無事な事を知るとほとんどの人がその場を立ち去るのに対し、女性は何時まで経ってもこの場を離れません。そしてその視線の先には当然ながら緋桐殿下が居ました。
そして周囲を見回した緋桐殿下と目が合った女性は、黄色い声を上げて手を振ったりします。そうやって遠巻きに騒がれている分には今の所被害は無いのですが、中には周囲を伺い牽制しつつも緋桐殿下に近付こうとする女性もいました。
「……久しぶりだな!」
そう緋桐殿下は言うと、兄上の方を見て肩をパンパンと軽くたたきます。初対面の人から「久しぶり」と言われて怪訝そうな顔をした兄上でしたが、緋桐殿下がそのまま耳元で何かボソボソと話すと
「えぇ、久しぶりですね。
そうだ。中で少し話しませんか??」
と殿下を宿の部屋へと案内するような事を言います。そんな2人の話しを見聞きした周囲の女の子たちの
「あの男性は殿下のご友人らしいけれど、どこの家門の方かしら?」
「あの子は殿下のご友人の妹さんなのね」
「妹さんが姫って呼ばれていたから、あの男性も華族よね?」
なんて声が四方八方から聞こえてきて、明らかに私から兄上へと興味が移ったようでした。叔父上から貰ったヴェールのおかげで余程近づかなければ私の顔は見えないでしょうが、それでも用心に越した事はありません。「殿下のお近くに見知らぬ女がっ! キィーーー!!」なんて事にならなくて、ほっと一安心です。
「あぁ。ではお邪魔させてもらおうかな」
そう言って殿下と兄上が先立って宿に戻り、私もその少し後ろを付いていきます。ヴェールの中からこっそりと横眼で周りに集まっていた女性を見れば、名残り惜しそうにはしているものの、無理矢理近づいてくる様子はなくて一安心です。
<櫻、大丈夫か?
まったくお前ってヤツは……>
桃さんの呆れかえった声が聞こえてきますが、私だって好きこのんで落っこちた訳じゃありません。不可抗力です!
<あの男は天都で櫻と共に神楽を舞った男か。
ミズホ国と繋がっている可能性は極めて低いとは思うが……>
金さんと浦さんも緋桐殿下とは(一方的に)会った事があります。なので完全に信用しきっている訳ではないようですが、少なくとも敵認定はしていないようです。
<とりあえず無事で安心いたしました。
私は念のために再び霊力を極力落としますから、
くれぐれも無茶はしないでくださいね>
浦さんは火の極日近くのヒノモト国で霊力を出していると目立ってしまうので、海の近くでもない限りは霊力を極限まで抑えてくれています。なので咄嗟に助けられないから気をつけろと、お小言を言ってから再び気配が消えました。以前とは違って眠っている訳ではないので、いざという時には浦さんの判断で出てきてくれるのですが、それでもこの時期にこの場所で水の霊力を使う事による後々の騒動を考えると簡単に助ける訳にはいかず、浦さんのもどかしいという気持ちが伝わってくるのでした。
兄上たちの後を追って宿屋の階段の下まで来ると、先程の少年が
「すみませんでした。自分の荷物の大きさを忘れてしまって……」
と涙目で必死に謝ってきました。
「気にしないで、私が避けれたら良かったんだけど……」
今にも土下座しそうな少年に、私は大丈夫だよと笑いかけます。ところがそんな少年の後にいた主人と思われる商人は先程すれ違った時の腰の低さは何処へやら、忌々しそうにこちらを睨んできました。
「まったく、あの程度の高さから落ちた程度で大袈裟な……。
おおかた我が商店に難癖をつけるつもりだったのだろうが、そうはいかんぞ!」
「どういう事でしょう?」
「だってそうだろう?
あの程度の高さ、子供だって平気で飛び降りる高さだ。
だというのに頭から落ちるような事、ワザとでなければ何だと?」
ムッとした兄上が睨み返しますが、それでも相手は自分の意見をひっこめる気はないようで、嘲るような歪んだ表情でこちらを見てきます。階段の手すりが装飾性は高いものの低かったのは、この世界の人ならあの高さから落ちても問題ないという事で……。
つまり私の身体能力の低さが悪かったという事です。
「妹は身体が弱いだけだ!
第一、他人を強請るよな真似、誰がするものかっ!」
ムッからカチンッに感情が進化してしまった兄上が、珍しく声を荒げます。というか兄上が声を荒げるのを初めて聞いたかもしれません。そんな兄上を手で制し、すっと緋桐殿下は前にでると
「丸に松が3つ並んだその紋はアイカ町の商人座、
簪や櫛を主に取り扱う小間物組の松屋か?
確か数年前から中級華族相手にかなり稼いでいるという話しだったが、
俺の友人に随分な言いがかりだな」
「何だお前…………は? いや、まさか……」
松屋と呼ばれた商人の男性の顔色が、みるみるうちに青くなっていきます。
「ひっ、緋桐殿下では御座いませんかっ!
いやぁこんなところでお会いできるなんて、今日は何て良い日でしょうか」
若干引きつった笑顔を浮かべて、商人は慌てて緋桐殿下へと駆け寄りました。これ以上はない程の追従に、兄上も私も唖然としてしまいます。
「俺にとっては、久しぶりに会えた友人を侮辱されて最悪な日なんだがな」
「も、申し訳ございません!!
殿下のご友人とはつゆ知らず、御無礼を致しましたっ」
緋桐殿下の前でいきなり土下座を始めた商人に、殿下は更に追い打ちをかけます。
「侮辱されたのは俺ではなく、友人たちなんだが?」
「そ、それは……。
くっ。申し訳ありません。私の早とちりでした」
渋々私達に頭を下げた商人が顔を上げた瞬間、一番背が低い私とだけ目が合いました。その眼差しには、華族にしては質素なヴェールを身につけている私達に頭を下げなくてはならないことに対する憤りが籠められていて、その迫力に思わず息を飲んでしまいます。もしかしたら商人は心の中で(殿下の友人とはいうが見た事の無い顔だし、良くて没落華族というところだろ? 何で私が!)って感じの悪態をついているのかもしれません。
「はぁ……。妹も無傷でしたし、もう良いです。
僕も櫻を助けられなかったのだから同罪ですし……ね」
後半は小声で良く聞こえませんでしたが、兄上が自嘲気味に話すと何だか不安になってしまいます。思わず兄上の顔を見上げたら、兄上は「ん?」と何時もと変わらない優しい笑顔です。何だったのか気にはなりますが、私も言わなくてはならない事があります。
「私も次からは階段の上り下りにはもっと気をつけます。
……だから、ごめんなさい」
兄上と違って心の狭い私は、自分を睨みつけてきた商人ではなく、ぶつかってしまった少年に向かって頭を下げて謝りました。
そんな時でした。
「これは……何事だ?」
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