【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の極日3-

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聞き慣れない女性の声に吃驚してしまいましたが、何より鼻が痛くて仕方がありません。視界には急接近した緋桐殿下の服しか映らず、何より鼻の痛さから生理的に滲んだ涙の所為で視界がぼやけてしまい、本当に何が起こったのか解らないんです。どうにか現状を把握したくて緋桐殿下の腕の中から逃れようと藻掻くのですが、その度に殿下が片腕でぎゅぅと力強く抱きしめてくるので、逃げるどころか顔を遠ざける事すらできません。

これはもしかして男女間トラブル修羅場っていうヤツなんでしょうか?

緋桐殿下は良く言えば女性相手なら誰にでも優しく、悪く言えば節操がない印象がありあます。この世界の王族は3人まで配偶者を持てるらしいので、婚約者も3人居る可能性があります。その中の一人が偶然私達を見かけ、「殿下と並んで歩くあの女は誰なの?!」と嫉妬したのかもしれません。これは早急に弁明しないとっ!

緋桐殿下の固い胸を叩いて離してほしいとアピールすると、

「と、すまない。苦しかったか??
 それからお前はもう少し時と場所を選んだらどうなんだ?
 可愛らしいお嬢さんたちに怪我をさせたらどうするつもりだ」

私が苦しんでいると思った緋桐殿下は腕の力を少し緩めてくれたのですが、それでも自由にはしてくれません。この女性、そんなに危険な相手なの??

「私の腕を甘く見ておられるようですが、
 私は貴方とは違って日々鍛錬を欠かしておりません」

その推定危険な女性の声がどんどんと近付いてきたかと思ったら、急にグイッと緋桐殿下の腕の中から引っ張りだされました。その際にヴェールが少しひっかかり僅かに視界が開けて、私を引っ張り出した女性の姿を確認する事ができました。

邪魔っ!とばかりに自分の眼前にあったヴェールを頭の上へと捲りあげたその女性は、少々キツイ感じのする顔立ちの女性でした。化粧はそこまで濃くはないので元々の顔立ちなのでしょうが、可愛いよりは綺麗といった方が合う女性です。

その褐色の肌に映える真っ白い古墳時代風の衣装には真っ赤な鳥と花の刺繍がほどこされ、手首を飾り留めている紐には幾つもの赤い宝石がグラデーションになるように通されています。緋桐殿下の衣装も見るからに高級そうなモノでしたが、彼女の衣装も負けず劣らず高級そうです。むしろ飾りが多い分、緋桐殿下よりもお金がかかった衣装かもしれません。また恐らく神事や祭事の為にいつも以上に着飾っているのでしょうが、綺麗に結いあげられた髪には何本もの煌めく簪が飾られています。ただ何故か一カ所だけ不自然に簪がない場所があり、逆に何時の間にか緋桐殿下の右手には簪が一本握られていました。

これを投げつけてきたって事なのでしょうか??

装飾品として作られた簪とはいえ、投げつけられたら怪我をする可能性は十分に高く。私はその事に気付いた途端にゾッとしてしまい、身体が強張ってしまいました。そんな私の変化に気付いたのか、私の顔を覗き込んだ女性は途端にギョッとした表情になり、

「常々貴方の行いには苦言を呈して参りましたが、
 今日という今日は見損ないましたわ! このような小さな女児に!!
 可哀想に、泣いているではありませんかっ!!」

と緋桐殿下に猛烈抗議をし、同時に今度はその女性の腕の中に閉じ込められてしまいました。

(待って待って、確かに私は貴女より頭一つ分は余裕で身長が低いけど、
 年齢はほぼ同じぐらいにしか見えないよっ!!)

これ、絶対に背丈が小さい=子供だって思われています。思わず訂正の声を上げようとした私でしたが、私よりもほんの少しだけ早く緋桐殿下が

「勘違いをしているようだが、彼女は十三詣りをうに終えた16歳。
 つまりお前と同じ年だ」

と訂正してくれます。その途端、女性は泣きぼくろのある綺麗なアーモンド形の目を大きく見開いてピタリと固まってしまいました。

兄様あにさま、言い逃れならばもう少し納得できる理由を考えるべきですわ。
 この子はどう見ても10歳になるかならないかの、
 幼気いたいけな子供にしか見えませんわよ!」

兄様?? って事は緋桐殿下の恋人や婚約者じゃなくて妹さんなのかな?
だとしたらこの女性はヒノモト国のお姫様って事になります。

その事実に気付いた途端に一気に冷や汗が出てしまいました。何かしら失礼な言動をとらないように、言葉や所作の端々にまで気を配らなければなりません。もちろん緋桐殿下相手でも気を配りますが、緋桐殿下はこちらの素性を知っているのに対し彼女は全く知りません。そこの差はとても大きいのです。

「申し訳ありません、皐月さつき第一王女殿下。
 妹が何かご迷惑をおかけしたのならば、伏してお詫び申し上げます。
 ですからどうか妹を解放して頂けないでしょうか」

油屋で会計をしていた兄上が何時の間にか戻ってきていて、皐月第一王女殿下と呼んだ女性に向かって片膝をついてこうべを垂れました。この国の王族や華族の情報を頭に入れていた兄上は、緋桐殿下を兄と呼ぶ女性の素性を即座に絞り込んだようです。

「兄上……」

兄上の姿を確認した途端、私はホッと安堵して小さく息を吐きました。そんな私の声音や、身体の強張りが解けた事などから察してくれたらしい皐月王女殿下は、

「あら、ごめんなさいね。
 怖がらせるつもりじゃなかったのよ?」

という言葉ど同時にようやく解放してくれました。どうやら王女は未だに私が16歳だとは信じていないようで、幼児相手にするような言動です。ただ、そういう扱いになってしまうのも仕方がないのかもしれません。彼女たちからすれば私の抵抗なんて抵抗のうちに入らなかったでしょうから。

私の腕力では女性相手でも勝てないって事は母上やつるばみ相手で解ってはいたのですが、知らない人に力で抑えられてしまうと、例えそれが女性相手であっても怖いものなんだと新たに知りました。

「王女殿下、そろそろ帰城せねば次の予定に間に合わなくなります」

私を解放するのと同時に、背後で控えていたらしい皐月殿下の女房か随身の女性がそっと近付いてきて帰城を促します。ふと見れば私達から少し離れた場所には男女数名が待機していて、皐月王女の剣幕に近付けなかったのか周囲を警戒していたのかは解りませんが、こちらをじっと凝視していました。女性たちは王女殿下よりも少し簡素な衣装を身にまとい、手には柄の長い大きな団扇のようなモノを持っています。どこかで見たような……と記憶を探ってみたら、高松塚古墳の壁画の女性が手に持っているアレにそっくりでした。ヒノモト国は暑いから、高貴な方々はアレで扇いでもらうんだと思います。

皐月王女殿下の意識が女房さんに向いたところで、兄上がサッと私の手を掴んで自分の背後へと導いてくれました。そんな兄上の広い背中が頼もしくて仕方がありません。

兄様あにさま、今日こそは城へとお戻りください。
 父王陛下への報告をいつも随身に任せるのは如何なものかと思いますわ!」

帰城するために歩き出した姫殿下はクルリと緋桐殿下へと向き直ってそう言うと、ビシッと指を突きつけました。宿屋に居続ける緋桐殿下を常々心配に思っていたのだけど、まさか報告を他人任せにしていたとは……。何やってるんだかという視線で緋桐殿下を見てしまいますが、当の緋桐殿下は大真面目な表情でキッパリと言い切りました。

「報告は俺じゃなくても構わないが、彼女を守るのは俺でなくては駄目なんだ。
 いや、俺以外の誰にも彼女を任せたくない、俺じゃなくては嫌なんだ。
 彼女は俺にとって最初にして最後、
 全てをかけて守りたいと思った女性だからな」

その言葉にその場に居た全ての人の目が見開かれ、周囲で固唾を飲んで見守っていた平民の女性たちのモノと思われる悲鳴のような歓声が上がりました。対し無言の兄上はどうしたのか拳をギュッと握ると、その手がブルブルと震えだしています。私はといえば緋桐殿下の言葉の意味を理解するまでに一拍以上の時間がかかり、理解した途端にカッと顔から火が出そうな程に熱くなりました。

ひーぎーりーでんかーーーーっっ!!!

なんでそんな語弊てんこ盛りな言い方するのっっ?!!!
殿下が私の護衛をしてくれている理由は主に2つ、私達の事情を知る人をこれ以上増やせないからって理由と、ヒノモト国を悪く思われたくないからでしょうにっ!

それなのに殿下の言い方じゃ誤解しか生まれないよっ?!
本当の理由は話せないにしても、もっとマシな理由を考えくださいよっっ!!

現に周囲から注がれる興味津々といった視線と敵愾心が籠った刺すような視線に、私の体中が穴だらけになってしまいそうです。

「あ、あんな幼子相手に……。 兄様あにさまの変態!!!」

綺麗な真夏の星空の下、皐月王女殿下の軽蔑しきった視線と言葉が緋桐殿下に投げつけられ、私はそんな2人や周囲から視線を逸らすように夜空を見上げたのでした。

あぁ……お星さまが綺麗だなぁ。
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