【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月8-

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この世界の下着は前世の浴衣のようなものなので、私にとっては羞恥心を感じるものではありません。ですが下着姿でいれば当然ながら周りからは

「うわぁ……。あの女、下着姿だよ」

「そのくせして恥ずかしがりもしない」

とヒソヒソと囁かれて奇異なものを見る目を向けられます。そんな周囲の目なんて気にしないよ!って言えるぐらいにメンタルが強ければ良いのですが、私はそこまで強いメンタルを持ってはいません。

なので菖蒲あやめ様の登場にようやく命の危険は回避できそうだと安心した途端、周囲の目に居心地の悪さを感じるようになってしまいました。

そんな私に真っ先に気づいたのは、その菖蒲様でした。

「一度、わたくしの部屋へ参りませんか?
 着替えと手当が必要でしょう」

そう言いながら私の手をそっと取りました。そうされて初めて先程までは忘れていた痛みを身体のあちこちから感じるようになりました。特に手首は皮膚が剥けて真っ赤になってしまっていて、あちこち血が滲んでいます。

(あぁ……、これお風呂の時にしみるやつだ)

小さい頃、転んでしまって服の中で広範囲ですりむいた事がありましたが、アレの酷い版のようになっています。三太郎さんからも無理な抵抗をすれば怪我が増えるから、できるだけ抵抗はするなと言われていましたし、実際迷惑王の部屋に入るまでは怪我らしい怪我はしていませんでした。ただ流石に床を転げ回ったりしたり、無理やり引き摺られたりしたら無傷ではいられません。逃げようともがいたりもしたので、特に手首や足首は縄で擦られて傷ついてしまいました。

「姉上、いけません!
 その者は姉上に害を与え……」

「お黙りなさい!
 紫苑、わたくしは怒っているのですよ」

「あ……姉上……」

見るからに意気消沈するアルティメットシスコン殿下に、なんとも言えない複雑な気分になります。ざまぁみろという気持ちは無く、「良い年した大人が何やってるんだ」的な呆れが一番強く。さらに言えばアルシス殿下にとって菖蒲様が怒っている事が何より重要で、罪を犯した事や傷つけた私への罪悪感なんて欠片も無いんだってことに驚きと苛立ちを覚えてしまいます。原作でもこういう人だったなとは思うのですが、あくまでも創作物の1キャラとして見ていた時と現実に被害にあった時とでは感じ方が雲泥の差です。

(ヤンデレシスコンは2次元だからこそ許されるのかも。
 実在して身近に居ると単なる迷惑野郎……もとい、
 あー……無理にフォローする必要ないか)

他人をあまり悪く思いたくなくて慌ててフォローしようと思ったのですが、よく考えなくても私を殺そうとした相手にフォローは必要ないと気付きました。

(まぁ、野郎っていうのは悪い言葉だろうから、迷惑王っていうことで)

悪い言葉遣いは母上を始めとした家族が悲しい顔をするので、そこだけ訂正しておきます。




菖蒲様に促されるまま迷惑王の居室を出て、別の部屋へと移りました。菖蒲様はすぐさま女官に手当のための綺麗な水や布を持ってくるように指示を出し、更には何か羽織る事のできる着物を用意するように言ってくれました。

流石は東宮妃の女官だけあって指示は的確に素早くこなしてくれ、あっという間に手当道具や着物次々と届けられます。私の身体のサイズ的に普通のうちぎじゃ大きいと思ったのか、小袿こうちぎを持ってきてくれる気遣いまでしてくれました。その淡木賊うすとくさ色した小袿の袖に腕を通したことでチグハグではあるものの下着姿ではなくなり、ようやく人心地つけました。

「本当にごめんなさいね」

菖蒲様が優しい、でもすっごく悲しそうな声でそう謝罪してくれます。悪いのはあの迷惑王なので菖蒲様が謝ることではないのですが、「うちのバカな身内が申し訳ない!」と家族が謝るのはよくあることではあります。

「いえ、先程も申し上げましたが菖蒲様が謝罪される事ではありません。
 それで……どこからどこまでならあの方に説明しても大丈夫でしょうか?」

菖蒲様に起こったあれこれを説明するには、霊格や霊力という言葉の持つ意味が人間の思っているモノとは違うという辺りから説明が必要なのですが、あの迷惑王がそれをちゃんと理解してくれるのか著しく不安です。

ミズホ国は精霊力霊格・霊力に優れている事を誇る気質の国です。技術のヤマト国、武力のヒノモト国、そして精霊力のミズホ国といった感じなのです。だからこそ精霊や精霊力に関する研究は盛んですし、アマツ三国で一番精霊に通じていて霊格が高い王族だという自負を持っています。

そんな国の第一王女であり、国王の姉であり、水の大社おおやしろの巫女でもあった菖蒲様の精霊力を限りなく減少させた訳ですから、敵認定されても当然といえば当然です。

私の問いかけに菖蒲様は少し考えたあと

「全員退室なさい。
 そして紫苑……ミズホ国王陛下を見張っておいてください」

「ですが……」

「この方は私の命の恩人ですし、
 それでも心配だというのならば朝顔を残します」

そう指示を出して、女官や護衛官を全て部屋から追い出してしまいました。

(自分の守護精霊が呪詛を撒き散らしていたなんて一大スキャンダルだし、
 誰にも聞かれたくないよね)

そう思っていたのですが、菖蒲様から出てきた言葉は予想外なものでした。

「わたくしからもお尋ねします。
 貴女は姫沙羅様の御子、碧宮家の櫻姫ですね?」

尋ねるとは言うものの、確信をもった言葉に私は動きが固まってしまいました。

「……ぁ……ぃぇ……その……」

「大丈夫ですよ、ここにはわたくしと朝顔しか居りません。
 櫻姫を傷つける者は誰一人として居りません」

優しく微笑みながら私の手を取り、それから手の甲をポンポンと落ち着かせるように優しく触れながら言葉を続ける菖蒲様。

「お前は本当に隠し事のできぬ奴だな。
 そのようにすぐに顔に出しておっては、この先苦労するから気をつける事だ」

続いて朝顔さんが淡々と表情を変えずにそう言い切ります。

「安心なさって。貴女の素性に気づいたのは私と朝顔だけ……」

菖蒲様は当然ながら朝顔さんも母上と御簾越しではなく直接顔を合わせた事があり、私を見た瞬間に全てを悟ったとの事でした。

「5年前は布作面で顔を隠していたから気付かなかったけれど、
 初めてお会いした頃の姫沙羅様にとても良く似ているわ。
 姫沙羅様よりも少しお転婆な感じがするけれど……ね」

私の向こう側に母上を見ているのか、昔を懐かしむように菖蒲様が微笑みます。

ただ……

菖蒲様と朝顔さんに敵意も悪気も無いことは解っていますが、これは叔父上たちや私の求める道とは違います。

「お許しください。私はヤマト国の商人、吉野家の櫻に御座います」

しっかりと菖蒲様の顔を見てから、頭を下げて自分の身分をしっかりと名言しておきます。確かに華族、それも宮家の方が地位が高い為に色々と便利な面もあるのでしょうが、私達の場合はどう考えてもデメリットの方が多いのです。それに二人がどんなに良い人だとしても、あの国王を筆頭にミズホ国が全く信用できません。

そんな私の決意を菖蒲様も朝顔さんも察してくれたようで、追求はしないでくれました。ただ最後に朝顔さんが、

「もし、お前があの方々に会うことがあったのなら
 私が謝罪を申し上げたいと……そう言っていたと伝えてほしい」

と珍しく苦しげな表情で伝えてきました。あの呪詛騒動は決して朝顔さん一人の所為って訳ではないのですが、切っ掛けではあったので罪の意識を感じているのかもしれません。

「ただ、申し訳ないけれど弟は気づいていると思うの」

「はい、気付かれていると思います」

勝手に解釈して自己完結していましたが、迷惑王は私が碧宮家ゆかりの者だと確信していました。恐らく彼も母上と直接顔を合わせた経験があるのだと思います。




その後、菖蒲様と色々と話し合って何処から何処までなら話して良いのか、認識のすり合わせを行いました。菖蒲様としては自分(の守護精霊)がしでかした事なので、包み隠さず全て話して良いというスタンスだったのですが、朝顔さんは後々の事を考えたら呪詛の大元だったことは隠した方が良いといスタンスで、少し話し合いが必要でした。

天都だけでなく各国で呪詛騒動の傷跡は未だ残っていて、特に子供が大勢亡くなった所為で後継者問題が後を絶ちません。王族や華族、商家といった家を大事にする人々にとって、後継者問題は一大事です。それに菖蒲様が関わっているとあっては、例え表面上は穏やかであっても水面下では荒れる事は確実です。

私だって世情が荒れる事は望んでいません。

話し合いの結果、穢れを溜め込んだ菖蒲様の守護精霊が暴走して呪詛を周囲へと放ち、菖蒲様自身にも危害が加えられ始めたのでやむを得ず守護精霊との繋がりの一部を壊したということにしました。わかりやすさと誤魔化しやすさ重視です。

私がその場に居た理由としては、呪詛が自分の家族にも及んだ為に原因を探るためと……特に嘘も無くそのままを伝えることにしました。

神や精霊の研究が盛んなミズホ国の国王相手に、その言い訳が通じるかどうかは賭けに近いものがありますが、原作を知っている+三太郎さんに色々と質問が出来る私からすれば大間違いな知識が通用しているのがこの世界です。それに万が一にも納得してもらえそうにないのなら、菖蒲様パワーで何とかしてもらおうと思います。

そうやって話し合っていたら扉を叩く音と同時に

「姉上、大丈夫ですか!」

とあまり聞きたくない声が聞こえてきました。時間にして30分も経ってはいないはずなのですが、迷惑王はもう我慢ができなくなったようです。

「うらわかき女性の着替えと手当てを
 ゆっくりとさせてあげられる程度の度量すらないのですか!」

途端に菖蒲様の叱責が飛びます。着替えは肌着の上に小袿を羽織るだけなので既に終わっていますし、手当ても私と菖蒲様が話している時間を使って朝顔さんがつい先程終わらせてくれました。なので厳密にいえば着替えと手当てを待つ度量はギリギリあったことにはなるのですが、こちらの部屋に突撃しようとしている時点で待ててはいないので全部台無しです。

一応打ち合わせも終わりましたし、来てしまったものは仕方ないからと迷惑王を部屋に入れる菖蒲様ですが、迷惑王は部屋に入った途端に菖蒲様を背にかばいます。

なんか、もう、ため息を吐き過ぎて身体がぺたんこになりそうです。菖蒲様が窘めて少しは態度がマシになりましたが、それでもコレです。

「全て話しますが、紫苑と朝顔以外は全員この場に待機を命じます」

菖蒲様が「命じます」というのは珍しいらしく、ざわめきが沸き起こりますが東宮妃の命令とあれば従うほかありません。

「姉上はこちらへ……。
 姉上の随身の者はその娘の背後で警戒を続けよ」

そう命令する迷惑王ですが、この会談の主導権は彼にはありません。前もって決めてあった通り、4人で部屋を出て甲板へと向かいます。船室での話し合いでは、万が一迷惑王が激昂して私に危害を加えようとした時に逃げ場がありません。なので話し合いは甲板で行おうと、菖蒲様と相談して決めていました。

それに加えて手当ての最中に浦さんから心話が届いたのです。

<頼まれていた例の船ですが、
 発見され攻撃を受けないように少し離れたところで停泊させてあります。
 どうやら鬱金や槐が乗っているようですよ>

その知らせに、顔が喜びで綻びそうになるのを口の内側を噛んで堪えます。幸いにも手当ての最中だったので「痛かったか?」と朝顔さんを少し慌てさせてしまいましたが、それだけで済みました。




甲板に出て船首へと向かい、そこで4人で話し合い開始です。風が結構な勢いで吹いていて近くに来ないと声が聞き取れないので、図らずも盗聴防止になっています。

基本的に話しは全て菖蒲様がしてくれて、私はフォローする程度です。じゃないとあの迷惑王は信じてくれませんから。

「そのような姉上の一大事に、側に居られないとは……」

一通り話を聞い終えて真っ先に出た感想がコレな辺り、安定のシスコンぶりに安心感すら覚えます。

「簡単に事情を話す訳にはいかなかった理由も、これでお解り頂けたと思います。
 菖蒲様は何も悪くないのに、菖蒲様を悪く言う人が必ず出るでしょうから」

「ふむ……。本当に他意は無いのですね?」

「私の家族を助けたいという他意はありますが、害意はありません」

色々と誤魔化しているところもありましたが、そこはきっぱりと言い切ります。

「むしろ害意があるのはそちらでは?」

顔を上げ、キッと迷惑王を睨みつけます。菖蒲様には申し訳ないですが、当初の目的である家族の安全の確保のためには、この男をどうにかしなくてはなりません。

「今回、私は死にかけました。
 そして5年前にも死にかけました。全部ミズホ国の人の手によって!
 それに、それに……!!」

「ふむ……」

全く表情を崩さない迷惑王に苛立ちが強くなります。ずっと考えないようにしていましたし、出来るなら他人を悪く思いたくないという理性が働いていましたが、こうしてしらを切るような態度を見せられると苛立ちが抑えられません。

碧宮家襲撃のことは言えません。だって私は碧宮家の櫻じゃなくて吉野家の櫻だから。歯がゆくて仕方がなりません。「あなたの所為で!」と責め立てたいという気持ちと、素性を隠さなくちゃという気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じって、言葉に詰まってしまいます。

「そうそう、話は変わるのですが……。
 私の二妃と三妃の一族を族滅させました。
 二妃は天都の碧宮家を襲撃した明確な証拠が出たため、
 三妃は姉上を狙った証拠が出たため、当然の処置です」

「な、何を言って……。ぞくめつって??」

「族滅というのは、その名に連なる一族全て……
 赤子から老人まで全てを処刑するということだ」

いきなり始まる別の話題に、知らない単語。疑問に思った私に小声でそう朝顔さんが教えてくれました。


は……??


「15年以上前でしたか……。
 二妃の一族が碧宮家の姫の入内じゅだいを阻止するために襲撃を企てたのです。
 その証拠が長い時を経て見つかり厳罰に処しました。
 見つかった切っ掛けは5年前にヤマト国の辺境を襲撃したことでしたね。

 同時に三妃の方も襲撃の証拠が上がりました。
 こちらの標的は姉上で、未然に防ぐことはできましたが
 事の大きさから同様に厳罰に処しました」

「じ、自分の罪を他人になすりつけているんじゃ……」

思わずそう言ってしまったのですが、その反応は読まれていたようで即座に反論を封じてきました。

「その証拠を天都朝廷に提出すべく、鉄仙てっせんが向かっております。
 同時に私は責任を取って国王を退位し、鉄仙が王位につくことになりました」

「な、なんてこと……」

菖蒲様も初耳だったようで、扇がポトリと手から落ちて風に攫われて海へと落ちてしまいました。

「貴女が宮家の姫なのか商家の娘なのかは私にはどうでも良い事ですが、
 襲撃を企てた者はその血に連なる全ての者が処断済みですよ」

そう冷たい声で淡々と告げるこの男が怖くて仕方がありません。なんだか吐き気が込み上げてきて、視界がグラグラと揺れてしまいます。

(罪を犯した当人ならばともかく、何の関係のない人たちまで殺した??
 しかも子供や赤ん坊まで殺したの???)

嫌だ!!!
もう嫌だ!!!!

ずっと心の中にあった小さな小さな種が一気に芽吹いてしまいました。
赤ん坊の頃も不潔過ぎる住環境や習慣だったり、慣れない食生活の所為でそう思った事は多々ありましたが、今はそれとは比べ物にならないぐらいに強い感情が心の中で荒れ狂います。

痛いのは嫌なのに、痛いことが起こるこの世界が……
怖いのは嫌なのに、怖いことが起こるこの世界が……

何より命が軽すぎるこの世界が、もうイヤだっ!!!




私の中から抑えきれない感情が溢れ出すのとリンクしているかのように、船の周辺に急激に濃い霧が立ち込めました。あちこちから持ち場を離れず周囲を警戒しろ!と指示する声が風に乗って途切れ途切れに聞こえてきます。

<よく頑張ったな、さすが俺様たちの櫻だ>

<これ以上、この者たちに関わる必要はない>

<櫻、後ろを御覧なさい>

三太郎さんが立て続けに心話を飛ばしてくるので何事かと思いましたが、指示された通り後ろを見たら不思議なことに濃霧が真っ二つに割れた先に見慣れた船がありました。その船の甲板の上には……

「櫻!!!」

今、誰よりも会いたかった人が居ました。

「叔父上ーーーーっっ!!」

そう叫ぶと同時に、借りていた小袿を脱いで朝顔さんに問答無用で手渡して走り出します。そして甲板から海に向かって飛び降りたのでした。
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