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2章 文化祭編
20. マサキくん、秒読みですよ
しおりを挟む開幕一分前、タテヤンがとんでもないことをはじめた。
黒髪ロングのおかっぱ頭のウィッグをかぶっていた。
トレードマークの金髪ツインテールがすっかり隠れている。
「……うそ、聞いてない」
将輝は目を丸くした。
「うん、初めて見せた」
にひひ、と笑ってごまかす。
「じゃあ、行ってくるね」
手を振って、照明浴びるステージへ歩み出す。
その前に将輝へ、そっと囁いた。
「これ、終わったら――遥ちゃんと、付き合いなよ」
将輝は耳を疑った。
緊張が一気に吹っ飛ぶ。
当の本人はまたしても、にひひと笑って逃げるように、犬塚先輩について行く。
将輝はただ呆然としていた。
会場から拍手が湧く。
始まった。
――なんでこんなときに。
心地よい緊張が台無しだ。
「……ぼくにはまだ早いよ」
無意識に口にしてしまった。
「しーちゃん、なんか言った?」
ハッとした。
目の前にいるのは、袴姿の遥。
赤地の着物に散らした白い花柄がよく映える。
うっすらと引かれた口紅と、大人びた化粧が、将輝の胸をかき乱す。
「な、なんでもない」
それより、先輩たちが……と話を逸らした。
「……短い時間ですが、どうぞお付き合いください」
ステージでは、タテヤンの“猫かぶりモード”が始まっていた。
会場のどよめきが狙い通りだ。
上品なトーン、穏やかながら芯があり、滑舌よい声音。
丁寧に深くお辞儀をして、黒髪のウィッグが垂れていた。
将輝は進行表を確認して気を散らす。
「本日の催し物は――上杉顕3年生、正木遥1年生との公開対局をお届けします」
名前を呼ばれて、一瞬出ていこうとしたのは遥。
部長がさっと、腕を伸ばして制止した。
勇み足の遥に、将輝は小声で「まだだよ」と忠告する。
ゴメン、と小さく返ってきた。
「それでは解説をご紹介します。聞き手は舘山。解説は犬塚先輩です。先輩、よろしくお願いします」
向かって左――下手側のタテヤンが上手の犬塚を促す。
練習とは違い、犬塚先輩も背筋を伸ばして立っていた。
「はい、よろしくお願いします……」
真面目なトーンであいさつを返す。
タテヤンと同時に頭も下げる。
張り詰めた空気が支配していた――次の瞬間。
「……って、やってられっか!」
タテヤンが叫んだ。
お辞儀したまま、ウィッグを外す。
金髪のツインテールがぴょこんと姿を現す。
眼の色が変わるように生き生きとして、マイクをがっちりつかみ、ライブの始まりを告げた。
「生徒会書記、軽音部ギター担当にして、将棋部見習いの、タテヤンこと舘山聡美です。みなさん、よろしくぅ!」
長台詞を全力のテンションで、仮の姿は前振りだった。
スポットライトを全身に浴びて、手を掲げ、ポーズをとり、まるで主役のような佇まいだ。
会場から、タテヤーン、と男子、女子入り混じる相の手が打たれる。
まさにアイドルだ。
対して、
「将棋部副部長兼、軽音部ベース担当――そして本日は進行と解説を務めます、犬塚です。ここからは、“静かな熱狂”をお届けしましょう」
いつもより低めのイケボがすらすらとセリフを読み上げる。
ステージ仕様の犬塚先輩がそこにいた。
自信たっぷりに手を振っていた。
会場から、ワンチャーンの掛け声が飛ぶ。
ワンチャン先輩とタテヤンが口にしていたが、まさかみなで口にするあだ名とは――将輝は唸った。
――すごい、流石だ。
リハになかった、タテヤンの爆発的なテンションと、犬塚のクールなトーン。ライブ感ある二人のパフォーマンス。
今まで、まったく弱音を吐かない理由がよくわかった。
本人たちは、完全に楽しんでいた。
この光景が見えていたんだ、古賀顧問が最初に提案した、その時から。
『おまえにとって、人生最高の文化祭になる』
犬塚先輩のあの言葉に偽りはなかった。
最高の文化祭が始まった。
「それでは、本日の主役を呼んでみましょう」
将輝は生唾を飲み込む。
「まずは、冷静沈着を絵に描いたような将棋部部長、うえすぎー、あきら!」
部長が登壇する。
遥は横で息を飲んでいた。
「対するは、1年生ながら、もはや雰囲気は女流棋士! 孤高の女と誰が呼んだ、まさきぃー、はるか!」
先輩、それじゃスポーツ実況ですよ、と将輝はツッコミたくなった。
行ってくるから!
いってらっしゃい!
瞬時の会話。
遥は気合いを入れるように頬を叩き、姿勢を正した。
モデルがランウェイを歩くが如く、堂々と舞台中央へ歩む。
遥がステージ上に現れると、空気がかわった。
待っていました、とばかりに割れんばかりの盛大な拍手と大歓声が巻き起こる。
「はるかー!」「はるかちゃーん!」
まるでアイドルのコールのように、遥を呼ぶ声があちこちから湧いた。タテヤンよりも多い。
スポットライトが部長と遥に注いでいた。
将輝は袖からハラハラしながら見守る。
遥の晴れ着は大成功なのは間違いない。
よしよしとうなずきながらも、観客席がうらやましく感じた。
推しを全力で応援みたいにできるのだから。
名前を叫んで、手を振ってくれた、ただそれだけでうれしい――みたいな。
でも、それでは――毎日将棋したり、胸元のネクタイを直してくれたりなんか絶対しないだろう。
『これ、終わったら――付き合っちゃいなよ』
タテヤンの、からかっているのか、本気なのか、どちらともとれる一言が胸に突き刺さる。
――ぼくはお客さん、じゃないんだよな。
少なくとも、今は――。
「それでは、意気込みをうかがってみましょう」
部長はマイクを向けられ、メガネを直しながら、
「いい将棋をするだけです」
と、短く答えた。
続いて、遥にもマイクが向けられた。
一瞬、遥は躊躇した。
励ますように、犬塚がうなずく。
もー、知らないから!
そう背中が語っていた。
「部長は……強いです。序盤、中盤、終盤、隙がないので、駒が躍動できるようがんばります!」
遥の渾身のギャグだった。
ネットミームで一躍有名になった口上を真面目に読み上げる。
会場の一部でどよめいているから、たぶん成功だ。
わからない人には単なる決意に聞こえるから大丈夫、と犬塚先輩と一緒に無理矢理押し通した。
「ここで、もう一人ご紹介します」
マジ?
台本にない、完全なアドリブだ。
「読み上げ、椎名将輝ー!」
やっぱり!
仕方なく、腹をくくり、ステージに向かう。
部長と遥はすでに畳の上で、対局の準備をしていた。
そんな中、なぜかステージの中央に将輝は立っていた。
スポットライトが眩しい。
ただ、逆光の中でも、お客さんが視界いっぱいに入っているのがわかる。
演目一番手は伊達じゃない。
「……ま、間違えないように、が、がんばります!」
噛みながら、決意表明してしまった。
そそくさと将棋盤の前に向かう。
畳が敷かれ、座布団の上に正座する。
――足、もつかな。
しかし、対局者の二人は澄まし顔で、着物で正座していた。背筋が伸びて、顔を上げ、姿勢が良い。
遥の足元は白い足袋に履きかえていた。控室を用意した甲斐があったと、胸を撫でおろす。
だが、余韻に浸るヒマもない。
将輝の手元に設置された対局者用カメラというスマホ二台の角度を微調整する。
スクリーンに振り向くと、しっかりと遥の横顔が大写しになった。おおぉー、と会場が沸いた。
――よし。
まずは成功。心の中でガッツポーズをしていた。
一方、対局者二人は駒を並べ始めた。
駒箱からこぼれた駒の山から、まずは王将を探して――。
まずは遥から。
真っ赤な袖から伸びた白い手が、ゆったりとした動作で上品に指先で駒を挟んだ。
空いた手で袖を抑えて、肘まで露わになるくらいに腕を振って、盤上に駒を豪快に打ちつける。
タァーンと高い駒音が反響した。
おぉー、と客席から反応がある。
続けとばかりに部長は颯爽と駒を置いた。
パチンと。
「さあ、駒が並びはじめました――」
犬塚先輩も駒の並べ方のレクチャーを始めた。
――ここで時間とって大丈夫かな。
心配をよそに、遥と部長は一つ一つ丁寧に駒を並べていく。
その所作は美しく、完璧だった。
マス目に真っ直ぐ並んだ美しい状態が、天井カメラで写されていた。
カメラの切り替えはサトルの仕業だ。
「将棋はどちらが先に指すかは、振り駒で決めます」
「振り駒って、おしゃれですよね、優雅っていうか」
犬塚先輩とタテヤンの解説。
歩を五枚用意して、両手でとじこめてシャカシャカと振る。パッと手を離して、飛び散る駒のオモテとウラの枚数で先手と後手を決める。
「振り駒は正木遥さんにお願いしましょう」
犬塚先輩はニヤッとしながら、遥に振る。
本番といえど、遥はムッとしながら、綺麗に並べてあった歩を五枚突き出して、そのうち、二枚をひっくり返して赤い「と」の字が見える。部長もうなずき、遥は駒を回収し、両手でしっかりと包み込む。
しん、とした体育館に、シャカシャカ振る音が響いた。
頭の位置で振り、袖が揺れた。
絵になるとはこのことだ。
誰だって、優雅にこなすと思うだろう。
でも、違った。
部長が最初に教えてくれたこと。
正木遥は振り駒が下手だ。
遥は勢いよく、盤上に駒を散らした。
あ。
一枚だけポロリと将棋盤から駒が落ちた。
――やっぱり。
足を崩して慌てて駒を拾いにいく遥はバツが悪そうな顔だ。カメラ側の袖をあげて、写らないように隠していた。
「歩が、四枚、正木遥さんの先手です」
将輝がマイクで初仕事をする。
遥のドジシーンをじっくり眺めている余裕はない。
「1手三十秒以内です。それでは、始めてください」
将輝が宣言すると、持ち直した遥が襟をただしていた。
わずかに頬が赤く染まっていた。
恥ずかしさが滲み出ている。
「よろしくお願いします」
部長と声を合わせて、頭を下げる。
すぐに遥は初手を指した。
将輝は盤上を見なくても、言える手。
そっと、細い指先が駒をつかみ、一マス先にパチリと軽く音を立てた。
「先手7六歩」
将輝は盤上の出来事を符号というカタチで、読み上げた。
将棋のスコアを会場のすべての人に伝える。
大盤解説はその読み上げに沿って、ホワイトボードに貼り付けた盤を模したパネルの駒を動かしていく。
スクリーンには、大盤解説とは別に将棋ソフトも写っていた。流行りのAI形勢判断ができる。どちらが何%勝っているか。まだどちらも50%。
「後手8四歩」
次々と将輝は符号を読み上げた。
棋譜は頭に入っている。
遥と部長が作り上げた、初心者にも楽しめるわかりやすい対局を表現した棋譜。
台本化した棋譜を再現するだけなので、時間もコントロールしやすい。
念の為、父親の腕時計を借りて机に置いたみたが、残り10秒をカウントダウン、いわゆる『秒読み』をすることもないだろう。
対局が始まってしまえば、安心して見ていられた。
対局者の二人の芝居がかった動きにニヤけてしまう。
とはいえ、常に符号を読み上げるから、将輝は犬塚解説を楽しむことができない。
なんとか時間内に、終わらせられるだろうか。
将輝の心配事はもっぱら、そればかりだ。
指すタイミングと時間配分は事前に相談してあるから、問題ない、はずだった。
しかし、事件は起きた。
部長がパチンと、いつも通り、冷静に指す。
将輝は目を疑った。
「後手……9、9六歩……っ!」
思わず噛んでしまった。
盤上の動きをトレースして読み上げた将輝に、強烈な違和感が走った。
――違う。
――部長、その手は違う。
棋譜の記憶には自信がある。
部長は間違えた手を指した。
台本にはその手はない。
冷静に見えて、緊張しているのかもしれない。
そういえば、誰も部長の心配など、していなかった。
まず始めに異変に気づいたのは、遥だ。
口元を抑えて、目をぱちぱちさせていた。
明らかに戸惑っている。前傾姿勢になっていた。
チラッと将輝に視線が送られる。
将輝は、うん、と頷いた。
アイコンタクトで、通じた。
遥は姿勢をただして、咳払いしながら、袖をつかんで、大げさに腕を振って駒を突きつける。
「先手6五銀」
遥は事前につくりこんだ棋譜とは、違う道を選んだ。
まるで部長に気づかせるように、大げさに。
そこで、ようやく部長が盤上に違和感を覚えたようだ。
今度は部長が畳に手をついて身を乗り出し、前傾姿勢で盤を見下ろす。
そして、頭を抱え出した。
しばらく、頭を抱えていた。
あまりの動揺ぷりに会場はざわめく。
なにしろ、冷静がウリの部長が苦悶の表情をみせているのだから。
犬塚先輩も珍しく止まっていた。
タテヤンが場を繋ぐように声をかける。
「先輩、部長さんが苦しんでいますが、よくない手なんですか?」
ふと我に返り、犬塚は言葉を探した。
「……間違えたな」
「ま、間違えたぁ?」
事情がわからないタテヤンの素っ頓狂な声をマイクが拾う。
会場からどっと笑い声が響く。
「本当は違う手を指すはずが、何かの弾みで体が勝手に動いていて、駒を置いた瞬間に……あ、やっちまった!てなるんだよ」
「そんなボケボケなことあります?」
「あるんだよ。本当にあるんだ。メガネのやつもああ見えても緊張してるってことだ」
犬塚先輩がマイクを通してメガネ呼ばわりになっていた。
「先手……5五歩」
将輝は犬塚先輩がトークしている間も、盤面に沿って読み上げを続けていた。
タテヤンは将輝の声に従い、的確に大盤の駒を動かす。
――タテヤン先輩、符号わかるようになったんだ。
読み上げながら、タテヤンの自己判断による駒の動かし方を遠目に見て、彼女の努力を汲み取る。
――将棋なんて、触ったこともなくて、なにもわからなかったはずなのに。
タテヤンのこの短期間の努力が胸に沁みた。
しかし、ほっこりしている時間はなかった。
遥が何かジェスチャーしていた。
腕を指差していた。そして、くるくると回して……。
巻きでいけ。
野球のサインのように理解した。
一手三十秒以内と、自分で宣言したルールだった。
台本を外れてから、毎回、部長は持ち時間いっぱいまで使っている。これでは、制限時間以内に対局が終わらなくなる。
巻きで、とはいうが――。
ひとまず、将輝は予備として持ってきた腕時計の秒針を読む。
10、9、8……。
部長は耐えきれないかのように、頭においていた手で苦し紛れの一手を指す。
間に合ったことに安堵の息が漏れる。
カウントがゼロになったら、負けになってとしまう。
ボクシングやプロレスと意味合いは一緒だ。
将輝が符号を読み上げる。
すぐに遥がパチンと指した。
また将輝が読み上げる。
時計に目を落とすと、もう開演から30分を越していた。
制限時間は60分。
そして、今は台本から外れた勝負をしている。
AI形勢判断の画面は60対40で遥が優勢としている。
このまま押し切ってくれれば……。
だが、そんな都合よくいくのか。
――ここで日和るとグダグダになる。
この場を打開できる方法は――そして、将棋自体も面白くしないと。
あっ。
将輝は符号の読み上げを続けながら、先ほどの秒読みの焦った部長の表情がふと頭に浮かんだ。
秒読みというカウントダウンに焦り、間に合ったことに安堵。
ギリギリの戦いなら、ルールがわからなくても、楽しめる。
それは人間の表情が際立つからだ。
だとすると、それは部長だけではない。
――踏み込める。
将輝はマイクを取った。
読み上げ以外の声を出していた。
「……時間の都合により、これより10秒将棋とします」
部長と遥が息を合わせたように将輝に振り向いた。
二人とも目を見開いて、驚いていた。本当にそれやるの? 聞いてないよという声が聞こえてきそうだった。
驚愕の表情はバッチリとカメラで捉えていた。
なにしろ、カメラは将輝視点なのだから。
ゴメン、将輝は声に出さずに謝った。
会場から、大写しになる二人の驚愕の表情が大ウケだった。
「10、9、8、……」
早速、将輝が10秒のカウントダウン、秒読みをする。
考える時間がほぼない。
直感を信じて、指すしかない。
遥は苦笑しながら、パチーンと強めに駒を盤面に打つ。
将輝は読み上げをしながら、10秒カウントを始める。
「10秒将棋……みなさんわかりますか! 1手10秒以内に指さないと即負けです!」
犬塚先輩も、落ち着きながら、語尾を強める。
「シビア~」
タテヤンは駒の移動が忙しいから、相の手を入れるくらいだ。
考えがまとまらないうちから、5、4、3、とカウント。遥といえど苦々しい表情を見せた。
――いい! 遥さんがイラついてる。
部長も前のめりに盤上をのぞきこみ、冷静さが引っ込んでいた。
将輝は読み上げ、秒読み、読み上げ、秒読みと口が常に動いていた。
盤上の形勢はよくわからない。
ただ棋譜のみが頭に記録されていく。
AIの形勢判断は目まぐるしく入れ替わる。
遥の数値が80を越したかと思えば、秒読みに追われた手を指したことによって五分五分に戻ることもしばしば。
部長が逆に立ち直って、ズバズバと好手を連発していた。遥は受けにまわっていた。
だが、遥の目つきは鋭く、秒読みを必ず3秒残しで指すようになった。
右手の袖をまくりあげ、白い二の腕が露わになるのもいとわず、可動域を広げた。
――本気モードだ。
自由に腕回りを動くために長い髪が邪魔になる。
いつもなら髪を結っているが、今は長い袖が邪魔になるといったところだろう。
美しい着物の柄も、着こなしも関係なかった。
左手で袖をしっかり抑えて、右手は盤上で踊っている。
――ぼくの好きな、遥さんだ。
秒読みを続けながら、将輝は表情が緩む。
――なんで、ぼくは秒読みをしているんだろう。
将棋盤を挟んで、ずっと眺めていられた時間、楽しかったな。
初めて、向かいあって指した将棋の棋譜をまだ覚えている。
あれから、132局も指したのに。
それでも、まだ、対局したい。
――なんで、ぼくは綺麗な袴姿の遥さんと対局していないのだろう。
ぼくが見たいって言ったのに。
将輝は読み上げと秒読みを続ける。
目の前のら将棋は激しさを増して、終盤戦だった。
お互いの王様の周りに朱色の字の強い駒がうろつく。
一手間違えれば、致命症。
将輝だったら、生き残れる自信はない。
あっという間に詰みだ。
それでも――。
簡単に詰まされても、良かったところ、良くなかったところを丁寧に解説してくれて、笑いあっていた、西日の差す対局室。
――ぼくは遥さんと……将棋したいな。
5、4、3、2……。
秒読みが終わる――。
「負けました」
部長が頭を下げた。
勝負が決着した。
ホッとしたように、遥も深く頭を下げた。
「まで、132手で正木遥さんの勝利です」
将輝のアナウンスに、会場が沸いた。
パチパチパチと盛大な拍手。
遥は立ち上がり……よろけてしまう。
誰しもが正座からの足の痺れと察し、笑いがおこる。
遥は苦笑しながら、右手を高々と掲げた。
勝利のガッツポーズ。
呼応するように、盛大な拍手。
将輝はその後ろ姿を見守る。
――ガチで負けてるからね。
部長とは初対局で遥は負かされ、涙する場面もあった。
――遥さん。踏み込む将棋できたのかな。
派手なガッツポーズはあまり行儀の良いことではないけれど。もうなんでもよかった。
会場のお客さんと一体になっていた。
犬塚先輩たちが寄ってくる。
またインタビューが始まるのだろう。
マイクを向けているのはタテヤン。
手が空いた犬塚先輩にそっと駆け寄り、耳打ちする。
「あと3分です、投了図以下はカットしましょう」
「しゃあねえな」
犬塚先輩は同意をしめす。
名残り惜しさをわかってくれるのは、さすが将棋部員だ。
「……10秒将棋になってから、かなり焦りましたけど……」
遥のインタビューが続いていた。
その裏で、部長を促し、遥の隣へ連れていく。
「疲れたよ」
まだ終わっていないのに、部長がぼやいた。
それでも、やり遂げたスッキリした笑顔だった。
対局という演目をなんとか終わらせて、いよいよカーテンコールのあいさつ。
すでに遥と部長は壇上の前で二人で頭を下げて、礼をしていた。
その次に将輝が単独で頭を下げて、自然な動きを心掛けて遥の隣をキープする。
進行の心配とは異なるドキドキが将輝を襲う。
犬塚先輩とタテヤンが揃って最前列に、最後にサトル。
みんなが立ち位置を譲り合い、ちょっとずつずれて綺麗に横一列に並んだ。
「将棋部の公開対局、いかがだったでしょうか!」
マイクを握った犬塚先輩の挨拶MCが始まり、観客の拍手が続く。
いよいよだ。
左右を見合わたすと、遥も部長もうんとうなずく。
さっ、とみんなで手を繋ぎだす。
将輝も息を飲み込み、
――もうどさくさに紛れるつもりで!
自分に言いきかせながら、素早く、遥の手を取った。
細い指先を握りしめて、後は流れに乗って、バンザイのポーズ。
手を繋いだみんなでバンザイが決まった。
そっと横をチラ見すると、遥の口元が動いていた。
――できたじゃん。
聞こえなくても、聞こえた。
そして、みんなで手を下ろすタイミングで、遥が振りほどいた。
――あっ。
振りほどかれたのは、すぐにわかった。
突き放された、感触。
しかし、時間にして1秒もない空白の間に、将輝の心はジェットコースターのようなアップダウンを迎えた。
今度は遥から、離した手を握り返してきた。
指先がからみ合い、強い力で握りしめてくる。
引っ張るように袴の後ろに手を誘導されて。
「以上、将棋部でした――」
本当に最後の挨拶に合わせて、みんなで頭を下げた。
客席から見えないところで、将輝と遥だけが固く手を握り合っていた。
将輝も自然に力が入ってしまう。
痛いと思っても、平気な顔して、顔をあげてお客さんからの拍手を受けていた。
遥なんて、空いた手を振って、愛想を振り撒いていた。
強く結ばれた指先を通して、熱い気持ちが込み上げてきた。
企画の立ち上げ、遥との放課後デート、試着、撮影、ポスター、遥とのすれ違い、役割分担、助っ人の協力、遥との仲直り、リハの危うさ、進行のトラブル……今までの軌跡が物凄い早さで脳内を駆け巡っていた。
――大変だったな。
――でも、一番嬉しいのは。
握りしめた、この手。
ずっと、握り合っていたい――。
「では、撤収しまーす!」
その言葉に、リアルな現実へ引き戻された。
遥もパッと手を離し、そそくさと舞台袖に駆け足で流れて行く。
一瞬だけ、遥と目が合った。
メイクも相まって大人びた表情の遥でも、少し疲れの色が見えた。でも、うるうるしている様にも見えた。
「遥さん、ありがとう」
袖でそっと礼を伝えた。
「……バカ、泣かないでよ」
――泣かないで?
あれ?
将輝の瞳からいつの間にか、涙が溢れていた。
犬塚先輩が将輝の髪をわしゃわしゃと揉みくちゃにした。
――舞台は成功したんだ。
後片付けの進行なんて、吹っ飛んでいた。
将輝は遥と繋いだ手の感触がまだ残っていた。
――ちょっと痛かったな。
でも――今すぐにでも、もう一度でも、何度でも――あの手を取りたい。
将輝の心に刻まれた、一瞬の出来事だった。
0
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