鮫嶋くんの甘い水槽

蜂賀三月

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【side:恭介】10月17日(月)憧れの人

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「ね、ね! 本当においしかった?」

 学校に向かう途中、愛奈は何度も朝のだし巻き卵について聞いてくる。

「うまかったよ」

「そっか! 良かったー。安心したよ」

 朝から何回も同じ質問をされて、普通なら面倒になるかもしれない。だけど、答えるたびに太陽みたいな笑顔を見せてくるんだから、何度だって言ってやりたくなる。愛奈は本当に可愛い。今、俺なんかが一緒に登校しているのが夢みたいだ。
 
 どんな生きものにも優しくて、俺みたいな人相なやつにでも仲良くしてくれる愛奈。
 愛奈がいるだけで、毎日があったかくて、輝いて、ドキドキするものに変わっていく。
 ……俺がこんなこと考えているなんて、愛奈にも、誰にもわからねーと思うけど。

 隣を歩く愛奈を見つめていると、ふと一年前のことを思い出した。
 愛奈は知らないだろう。あの日、俺が愛奈を見ていたことを。


 ――中学に入った俺は、予想通り学校で浮いていた。

 小学校が同じだったやつも、中学で初めて会ったやつも、みんな俺のことを怖がっていた。
 態度も顔も悪いかもしれねーけど、悪いことなんてした覚えはない。
 それなのに、いつの間にかできた噂が本当の話になり、いつもまでも語られ、そうして俺は勝手に不良というレッテルを貼られた。誤解を解こうとしても、余計に人を怖がらせる。そういうことが何度もあった。

 先生すらそんな噂を信じて、いちいち俺のことを注意して見てくる。毎日毎日疲れた俺の唯一の癒しは、帰り道で会うことができる猫だった。その猫の耳は桜の花びらのようにV字型にカットされていた。これは不妊手術済みのサインで、この地域で生きている野良猫ということだ。

「みゃあ」
「サクラ、元気だったか?」
 
 名前は勝手につけた。きっと名前なんてないだろうし。俺の声に反応するかのように、サクラは喉をゴロゴロと鳴らす。人懐っこい。俺を見ても逃げないどころかすり寄ってくる。それだけでも嬉しいのに、この愛らしさは反則だ。父さんが猫アレルギーじゃなかったら猫を飼う生活もあったのかもしれない。毎日帰り道に会って、たまにオヤツをあげる。そんな関係も、悪くないと思っていた。

 12月の寒い日だった。下校時間になり、校門を出ると遠くにサクラの姿が見えた。
 いつもはこんな大通りにまで出てこないのに、冒険でもしに来たのか?
 そう思いながらも、優雅に歩くサクラを見つめていた。サクラは車道へと歩き出す。嫌な予感がした。

「……サクラ!!」

 声が出たときには、サクラのすぐそばまで車が走ってきていた。
 サクラは驚いたのか、道路の真ん中で止まってしまっている。俺は目をつぶった。ボンッというサッカーボールを蹴ったような音がした。目を開けると、見たくもない現実がそこに転がっている。

 サクラが、車にはねられた。

 サクラをはねた車は何事もなかったかのように通り過ぎていった。俺は体の電源が落ちてしまったかのように、動くことができない。サクラがケガしていないか見に行かないと。いや、ケガなんてしてるに決まってる。そんなサクラを見るのが怖い。動かなきゃ。でも、動けない。

 そのとき、呆然と立ち尽くす俺の横を通り過ぎて、サクラに向かって全速力で走る女子がいた。
 それが、愛奈だった。

 愛奈は道路脇に転がるサクラを抱くと、すぐに学校に戻っていた。
 
「先生、ネコちゃんが車に轢かれた! まだ息はしてる! ネコちゃんを助けて!」

 愛奈の悲痛な叫びは離れた位置にいる俺にも聞こえていた。
 動けない俺と違って、愛奈は自分の服が血で汚れることもためらわずに、サクラを助けていた。

 あとから聞いた噂によると、サクラは奇跡的に助かったらしい。事故に遭ったことをきっかけに、近所の人がサクラを家で飼うことになったとも聞いた。
 
 ……あのときから、ずっと、愛奈は俺にとってのヒーローだった。

 母さんからしばらく愛奈と住むことになるって聞かされたときにはどうしようかと思った。
 可愛くて、かっこいい。そんな愛奈と一緒に住むことになるなんて……。

 最初に愛奈を迎えにいったときから、ずっと心臓が破裂しそうだった。だけど、愛奈には気づかれてなかったようで安心した。目を見て話すこともできなかったけど……不思議なことに、水槽の前だと落ち着いて話すことができた。
 
 憧れていた女の子と一緒に住んで、話すようになって、仲良くなって……俺の気持ちは憧れだけじゃなくなってしまった。気持ち悪いと思われるかもしれないけれど、恋してしまったんだ。

 愛奈は誰にでも優しいから、いつも俺を気にかけてくれる。
 だけど、そのことで俺の存在が愛奈の負担になっていないか、心配になるんだ。


「鮫嶋くん、どうしたの?」

「――ああ、悪い。ぼーっとしてた」

「もしかして寝不足? 一時間目はロングホームルームだから居眠りはできないよー?」

 屈託のない笑顔。愛奈は知らないだろうな。
 愛奈と一緒に住んでから、俺はほとんど寝不足だよ。

 勝手にドキドキして、バカみたいだよな。

 俺と愛奈が釣り合わないことなんてわかっているのに。

 心の中では……どこか期待してしまう。
 
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