山椒魚

らくがき猫

文字の大きさ
上 下
1 / 11

桜の花と雨

しおりを挟む
奇怪な話だ。
彼は自分は人とは違うという、場合によっては人ではないという。
どういう意味だったか今では分かったようなやっぱり違うような不思議な感じだ。

彼と出会ったのは桜の花の終わり掛けの季節静かな雨音の響く夜のことだった。
特別何かあったわけではないたまたま彼が公園のベンチに座っており私が通りがかっただけだ。
とはいえこんな春先の夜中に一人ベンチに座りじっと前を見ているだけの男など通りがかる人には異様なものにしか見えず気づいたら徐々に離れた方向へと道の端により通り過ぎていく。
当然私も離れた位置を通り抜けようとしたのだが、好奇心から彼の顔を見てしまった。
皆と同じルートを通ると離れすぎてしまうため道の真ん中を進みながら何気ないしぐさのように彼の横を通るときに横目で伺う。
街灯が彼の座っているベンチの後ろにあったためフードの奥を覗き込むようにみると笑っていた。真っ暗で顔色はわからなかったがとても幸せそうに口をゆがませて。

笑っていたというよりは笑顔で満足げだっただけなのだが彼は本当に楽しそうな笑みを浮かべていた。
こんな夜中に雨を浴びて笑っていたら間違いなく普通なら目を合わさずに逃げていく人も多いだろう。
だがこのころの私はひねくれていた。そして笑い方を忘れていた。
そのせいもあって気づいたら彼の近くで佇んでじっと彼のことを見たまま動けなくなっていた。

「こんばんわ、ぼくを見て立ち止まる人は珍しい。普段なら警察官ぐらいなものだが君はどう見ても普通の人だ。」
ずっと立っている私に彼も興味を持ったのか声をかけてくる。特に高い声でも低い声でもないのだがひどく柔らかい声だ。
彼をじろじろと見ていたことをとがめられたような気がして思わず言い訳じみた言葉が口から洩れる。
「こんな状態なのにとても楽しそうだったので思わず見入ってしまいました。無礼を謝ります。それでは、」
「大丈夫ですよ。もうほとんど人は通らない。」
逃げるように述べすぐさまほかの通行人のと同じように私も去ろうと進んでいた道を見るともう人通りがなく人目を気にしなくていいと思わず思ってしまったのと彼の一言で立ち去る気もなくなってしまった。

さすがに彼のように濡れたベンチに座ることはできなかったが目の前に立ちふさがる形でいるのもなんとなく居心地が悪そうなため横に立ち笑っていた理由を聞いてみる。
「ぼくはね、雨が好きなんですよ。雨だけじゃない。水に濡れることが好きなんだ。」
「でも君はそうでもなさそうだね。何せ傘をさしている。そんなに水に濡れることが好きではなさそうだ。」
「もちろんだよ、だから傘で濡れないようにしているさ。」
大した話はしなかった今の状態を言い合い。お互い確認してるだけという会話。
どうして私はこんな見ず知らずの人と会話してるのか理解できなかった。だけど彼との交流は続いた。




彼に会うのは夜であること、人が少ない時間帯であること。
この二つを満たす状態の時は不思議と出会った。そう条件を満たせばその公園以外でも何気ない道端、夜遅くまで残り一人職場からでた駅への道。驚くことに旅行に行った先。それも外国に行き道に迷ったため最終電車に乗れず仕方なく始発を街人のいない駅のベンチで寝てる時にも会った。
そしてもう一つ常に私がいることに気付いて声をかけると向こうも初めて気づくということ。

「やぁ、君か。こんなところで奇遇だね。というかこんな場所でも会うとなるともう腐れ縁といったほうがいいのだろうか?」
奇遇とはいうものの驚いた様子はなく淡々といつもの調子で会話が始まる。
ひねくれていた私は驚いているという、一種の相手の優位性を認めるのが嫌でどこで会ってもこっちも驚いてないんだという態度を取り当たり前のように会話を続けた。
彼はなんだか顔を見たことないはずなのにとても懐かしくいるのが当たり前のように感じられる。
話しかけてくる内容は基本的には彼の趣味嗜好とそれにまつわる誰にでもありそうな話。
でもなぜだか私は自分がしゃべる番となると思い出話をした。物心ついたころの不思議だった事と今それをどう感じているかなど、友人にすら話したことなかったことを彼にはなんでもすらすらと覚えていなかったかのようなことも細部まで思い出し語り続けた。

気づいたことがある。
始めは姿がはっきりとわからないくらい遠くで最初に見つけていたのが最近は数メートル先で見つける。
なぜだかわからないが少しずつ見つけた時の距離が近くなっていってるのだ。
そしてもう少しだねって思ってる自分がいるのにも気づいた。でも不思議と当然だし喜ばしいことだと私は思っている。




彼に語る物語の私は常に笑っていた。今とは違いひねくれていない、なんでも楽しいと思える私だった。
「それはよっぽど楽しかったんだね。またやってみたらどうだい?」
「それは驚いた。そのあとどうしたんだい?」
「それは不思議だね、正体を確かめてみないと。」
気づくと私は常に自分のことだけを話して彼に聞かせ続けていたが彼はすべてを聞き常に相槌をして話を促してくれる。
私は昔から人と話すのが好きだったんだ。でもいつからだろう寡黙が美学と思い必要以上に話すことを避け出かけた言葉をかみ殺していたのは。

そう思ったころから思わず職場でも思わず一言二言仲間と会話するようになっていった。
言葉を交わし始めると以外にも次々と言葉が続く。ただの職場仲間であって友達ではないと思っていたが皆で食事に行ったりということも増えてきた。
この頃から彼は道端に出なくなっていた。
代わりに皆で食事に行って帰ってきた後一人になって黙り込んだ頃に横に立っているのだ。
ベンチで座っていた彼の横に私が立っていたのと逆の位置に。ただし彼は相変わらず満足げな笑顔で私の言葉を待っている。
彼との奇妙な共同生活が始まった。だがそれは今思い出してもなにか包まれるような不思議な時間だった。
しおりを挟む

処理中です...