マツダシバコ

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 口を尖らせると音がなった。
 それは僕にとってとても新鮮だった。
 「鳥に鳴き方を教わったんだ」
 そう言って彼は器用に鳥の鳴き声を真似た。
 それはとても複雑で音域の広い細い線の音色だった。
 僕はその音に耳をすませた。
 僕の脳裏では赤や緑や青や、いやもっと複雑の色合いの無数の糸たちが上下に波打ちながら絡み合っていった。
 「きれいだ」僕は言った。
 「何のように?」
 「例えられないな」
 「鳥の唄声のようにだろ」彼は歌うように言った。
 彼は僕の恋人だった。
 今すぐにでもつかまえて、僕は彼を抱きしめたかった。
 「ねえ、僕の話し声は何色に見えるの?」
 「きいろ。おもに黄色」
 「僕ってそんなに高音かなあ。キーキーの黄色?ヒステリックな黄色?」
 「自由な黄色」
 彼は僕の手が届くか届かないかのところで身を翻し、木々の間を駆け抜けた。
 そして、楽しそうに笑った。
 「僕がほしい?」
 「ああ」僕は言った。
 彼がそっと僕の後ろに近づいてきて目隠しをした。
 僕は彼の手の感触を味わった。
 「今は何色が見える?」
 「赤。ドクドクと力強い赤。僕の心臓の鼓動」
 彼が僕の頭のてっぺんに唇を置いた。
 その唇は耳の後ろを通り、首筋を伝っていった。
 僕の瞳を塞いでいた手は、僕の胸元へ。そして、さらに下へ。
 身体中の産毛が沸き立った。
 僕はその素晴らしい感覚に身を投じた。
 僕らは着ているものをすべて脱いで抱き合った。
 その間、僕はずっと目を閉じて、幸せな気分を味わっていた。
 たまに彼の漏らす吐息が僕の脳裏に美しい花を咲かせた。
 「素敵だったよ」僕は言った。
 「どんなふうに?」
 「うまく言い表せられないな」
 「そんなときは、君を想う気持ちのようにって、言うんだよ」彼が微笑んだ。
 「君を想う気持ちのように」
 僕は目を閉じて、その言葉を口の中でつぶやいてみた。美しい言葉だった。
 僕らは裸のまま草野敷かれた地面に寝転がっていた。
 火照った体にひやりとした感触が心地よかった。
 木々の合間から月が見えた。
 丸く、白い月だった。
 月は僕らに月光を降り注いでいた。
 「なあ、月はどんな音がするんだい?」僕は彼に聞いた。
 「さあ、うまく説明できないな」
 「そんなときは、月のようなって言うんだろ」そう言って僕は笑った。
 その後で彼は美しい音色を唇で奏でた。遠いような近いような、懐かしいような、未知のような、この世にないような不思議な音色だった。
 僕は目を閉じて、脳裏に浮かんだ美しい月を眺めた。
 「ねえ、あなたの声は何色なの?」彼が聞いた。
 「さあ、何色なのかな」
 「ずるい。教えてくれてもいいじゃないか」
 「わからないな」
 本当に僕は自分の声の色だけがわからなかった。
 「僕に色なんてあるのかな」僕は言った。
 「あるに決まってるじゃないか。世の中に色のない音なんてないさ」
 本当にそうなのだろうか。僕は心の中でそう思った。
 「いいことを考えた。僕があなたの声に色をつけてあげる」
 「必要ないさ」
 急に心が冷めていくのがわかった。
 僕は服を着て立ち上がった。
 恋人はきょとんとした顔で僕を見上げていた。
 彼の瞳にはきっと、醜い僕と美しい月が一緒に映っているのだと僕は思った。
 「帰るの?」彼は言った。
 僕は返事をしなかった。
 「裸の僕を置いて?」
 僕は体の向きを変え、森を後にした。
 
 次に森に行った時、彼はいなかった。
 僕は彼に会いたかった。
 森の中を探し回っても彼は見つからなかった。
 身体中は汗で濡れていた。
 頭上を覆う木々を見上げると目が回って、僕は地面に肢体を放り出し仰向けに寝転んだ。
 鳥が鳴いた。
 目を閉じて耳をすませた。
 僕は唇を前に突き出し、そっと息を吹きかけてみた。
 稚拙な小さな音。
 僕は口笛を吹き続けた。
 鳥は僕の呼びかけに応えなかった。
 「何度教えてもあなたはちっとも上手にならないんだね」
 恋人はいつもそう言って、愛おしそうに僕に微笑んだ。
 その時僕は、どんな顔で彼を見返していたのだろうか。
 僕の目に涙が滲んだ。無性に彼に会いたかった。
 地面は氷のように固く冷たかった。
 汗はとうの昔に引いて、僕はこのまま凍え死ぬのではないかと思った。
 森にはどのくらいの数の亡骸が埋まっているのだろうと僕は思った。
 頭上では鳥が鳴き続けていた。
 僕にはそれが、色とりどりの無数の糸が絡み合っているように見えるのだ。
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