抱擁レインドロップ

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一話 それは誰の為なのか

02

 母から参龍寺には連絡してもらっていたので、土曜日の昼過ぎに到着する。
 来るのはお彼岸ぶりだろうか。
 立派な寺で非常に歴史が古いらしいが、何度か焼け落ちて建て直しているとかなんとか、まああんまり興味はない。
 さて、迎えの者が来てくれるはずだが、と参道を歩いていると、暗い朱色を基調とした和服を身に纏った妙齢の女性が微笑を浮かべてゆっくりと歩み寄ってきた。

「風谷泉様ですね。お待ちしておりました」
「は、はい。初めまして、こんにちは」
「私は龍神様のお世話係をさせて頂いております、森田静代もりた しずよと申します。お屋敷へとご案内いたします」

 深々と頭を下げられ、慌てて泉も頭を下げる。
 こういったいわゆる『大人のやりとり』には不慣れすぎて、本当に場違いな気がしてきた。
 森田と名乗った女性がしずしずと歩いていくのに付いていき、寺の裏手に回っていく。
 墓場の反対側あたりかな、と思ったところで大きな屋敷が見えてくる。
 木々に囲まれているものの、相当な広さに見えた。

 森田の指示通りに恐る恐る靴を脱いで屋敷に上がると、建てられてからそこそこの年数は経過していそうだがかなりの手入れがされていることが伺える。
 木張りの床は磨き抜かれてぴかぴかで、障子紙だってまっさらでまるで貼りたてのよう。
 うちのボロアパートの日焼けで黄ばんだ障子とは大違いだな、と思いつつ森田についていく。
 移動しすぎてそろそろ現在位置が解らない。

「こちらでお待ちください」

 振り返った森田が一礼してから、襖に手をかける。
 そうして開かれたのは客間のような、大きな四角い座卓を中心に座布団が2つだけ置かれた部屋だった。
 入って座ろうとしたが、そちらは下座なのでこちらへどうぞ、と入口より奥の座布団に誘導される。
 そういえばそんな概念あったな、と恥ずかしく思う反面、神様が下座とはおかしくないだろうか? と疑問も抱いた。

 失礼します、と言って森田がどこかへ消えてしまったので、一気に手が湿り気を帯びるのを感じる。
 お願いだ森田さん、ここにいてくれ。
 神様と2人きりなんてとても耐えられない、せめて人間の割合を増やしてくれ。

 そうして悶々としていたのも数分だろうか、静かに襖が開く。
 現れたのは、はなだ色の着物に身を包んだ、線の細い青年だった。
 丸眼鏡を掛けた奥に見える双眸はやや目尻の釣った輪郭ながらも優しい光を湛え、しかし睫毛に縁取られた深海のような青は人ならざるものの恐ろしさめいた感覚を抱かせなくもない。
 髪も銀糸と形容するのが相応しいか、さらさらと癖はなく、男性にしてはやや長めに襟足ほどへと流れていた。
 全体的に、体型の線の細さと相まって中性的にも見える風貌だ。
 20歳と言われても、30歳と言われても納得してしまえるような、見目の若々しさと相反する妙に落ち着いた佇まい。

 そんな彼が口を開けば、透き通る涼やかな声が部屋の空気を揺らす。

「初めまして、泉さん。突然このようなお話でお呼び立てして、貴女を混乱させてしまったと思います。すみません」
「いっ、いえ! お気遣いなく……!」

 やばい。
 神様に対してってどう接するのが正解なんだ?
 しかもめちゃくちゃ低姿勢だし。

 目の前の龍神は軽く礼をすると、泉の向かいに腰を下ろして正座になる。
 背筋を伸ばした彼は少しだけ表情を緩め、泉はそれを『嬉』の感情と読み取って困惑した。

「ですがこうしてお越し頂けて本当に嬉しいです。ずっとお会いしたかったので」
「そう、ですか……えっと、あの、龍神様……? には、いろいろとご説明、お願い、したい……ことが……」

 言ったところで、「失礼します」と森田が茶を運んでくる。
 お願いだ森田さんそのままここにいてくれ。
 森田はとんとんとそれぞれの正面に湯呑を置くと、また「失礼します」と頭を下げて出て行ってしまう。
 滞在時間、おそらく30~40秒。
 人間濃度はあっけなく下がった。

「ええ、泉さんに説明をする義務が私にはあります。ですが現時点ではお話出来ないことも多く……まず、私はとある理由があって、妻となってくださる女性を必要としています」

 それはもう聞いたしそう言われましても名も知らぬ神様に嫁がにゃならんのか?
 あるいは名前を知られるとどうたらみたいなアレか?
 内心不審に思いつつ、龍神の話を聞く姿勢を続ける。

「ですが誰でも良いというわけではありませんでした。私の加護が届く範囲で一番適性の高いのが泉さん、貴女だったというわけです」
「はあ……」
「大前提として、これは私からの『お願い』です。泉さんには断る権利がありますし、そうなった場合は第二候補の方にお話しします。結婚というものは、人生をお互いに支え合うことだと私は認識しておりますので、軽々に決められることでもないでしょう」

 結局、自分でなくとも良いのでは?
 しかしここで自分が彼に嫁いでしまえば、母と弟は貧乏暮らしから解放され、恐らく自分も悪い待遇は受けないだろう。
 『神と結婚する』ことでどこまで非日常に足を突っ込む羽目になるかが想像しきれないだけで。
 あと、好きでもなんでもない相手と結婚なんかして上手くやれるのかが解らなさすぎるだけで。
 そんな泉の胸中を悟ってか、青年はこう続ける。
 まるであらかじめ用意した台詞を述べる役者のような、すらすらと流れるような言葉だった。

「こちらから出来るご提案ですが、お試しで少しだけここで一緒に住んでは頂けないでしょうか? すぐお帰りのご予定ならばお荷物は最低限で構いませんし、屋敷の中の物はご自由にお使いください。必要なものは森田さんに買ってきて頂くか、お金をお渡しします。そのうえで考えて決めて頂けたらと」
「あの、すいません、ひとつ良いですか?」
「はい」
「……まず、龍神様? の……お名前すら、お伺い出来てないんですが」

 真っ先に明らかにして欲しかった事項について質問すると、青年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
 すみませんと一度頭を下げるとまるで自分を落ち着かせるかのように緑茶を一口飲んで、こう告げてきた。

「そういえば、私には固有名詞がありませんでした。すみません、何か考えておきますね。次……があればの話ですが……」

 無いのかよ。
 これはかなり困ったことになった、と泉は不安と混乱を態度に隠しきれずにいた。
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