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三話 残響と序奏
01
とおるの家に居候して一週間。
豪華な食事、広々とした風呂、ふかふかでふわふわの布団……それらについて、はじめこそ現実味がなかったが、徐々に慣れていってしまった。
平日の日中は学校に行っているので、とおると顔を合わせるのは朝晩の食事くらいのもの。
とおるのほうも気を遣っているのか、積極的に泉に会おうとはしてこなかった。
その代わり、どうにか森田に探りを入れるタイミングには何度か恵まれる。不審に思われない程度に恐る恐る尋ねてみることには成功した。
とおるは34年前に今と同じ姿で現れ、人間のように年齢を重ねて容姿が変化することはない。その頃から穏やかな性格をしており、長い時間をかけて現代の文化に準じた生活に馴染んで今に至る。
だがやはりどうしても『泉を娶りたい理由』には至れない。
その手の話に持って行こうとすればそれとなく逸らされて、流されてしまうのだった。
まず、とおるは泉の母が多忙であることすら知らないなんて不自然すぎるだろう。
とおると泉に縁があるとすれば参龍寺に父の墓があるからだと思っていたのに、どうやらそれすら知らないようだったから。
そうなるとますます自分ととおるの繋がりがどこにあるのか見えず、ただただ謎だとしか言いようがない。
何を基準として、自分との婚姻を望むのかが推察しようもない。
――しかし、風谷泉は非常に強かだった。
この居心地の良い龍神の家に居候することを、惰性のように延長することを希望する。
少なくともこうしている間、自分のぶんの食費などは浮く。昼食の弁当も、使用する弁当箱はそのままに使用人が中身を入れてくれるようになったし、元々の弁当のテイストに合わせる徹底ぶりのため友人からも突っ込まれていない。
それに泉自身もまあまあ豪華な生活が出来て悪くないと感じていたからだ。
とおるについては不明瞭な点が多すぎるが、ひたすら優しくしてくれている以上はばっさり切り捨てるのも憚られてしまっていた。
彼が気を配るのは泉に限らず、森田を含めた使用人にも労いの言葉をよくかけているらしい。それだけ優しい気質であって、泉だけ特別優しくしているというわけでもなさそうで、結局のところ『ただの良い人』なのだ。
親切心を吸い取るだけ吸い取って利用して無碍にする真似には抵抗があるし、かといってこちらから返せるものは『婚姻に頷く』くらいしかない。
ならもう少し、ずるずるとした決断、いや決断ですらないのを自覚しながら、とおるについて知っていこう、と。
11月初旬のとある火曜日、とおると森田が窓辺で会話しているところを目にする。こちらには気付いていないようだったので、泉は出来るだけ音を立てないように玄関の戸を開けた。
「……やはり、泉さんのおかげでしょうか」
「かも、しれません。私がただ高揚しているだけ……の可能性もありますが」
――なんの話だ? 自分の知らないところで自分の話をされている、その事実に泉は不安を抱く。
ニュアンスとしてはこちらへの感謝、に聞こえるがさっぱり心当たりがない。ただ一緒に住んでいる、それによってとおるにとってなんらかのメリットが発生している?
そしてそれは、気持ちの問題とは別にあるらしい。
尚更混乱を招くだけで、いい加減説明できないものについて説明して貰えないだろうかと思いつつ靴を履き替えた。
「お帰りなさい」
「た、ただいまです」
学校から帰ってきた泉に気が付くと手を振りながら歩み寄ってきたので恐る恐る振り返した。森田は軽く頭を下げるとどこかに行ってしまう。
少し気温の低い日だからか、龍神は薄手の羽織を纏い、相変わらずの人間離れした美貌で微笑みを向けてくる。
「ここでの生活にも慣れてきましたか?」
「ええ、まあ……」
訊きたいことは、いっぱいありますけど。
そんな言葉は飲み込んで濁して。
正直、彼の態度は愛情なのかただの優しさなのか全く判別が付かなくて困る。
誰にでも向けられるものならば、自分は特別な存在ではないし、伴侶と言うにはあまりに事務的すぎるだろう。
謎のメリットらしきなにかについても不明瞭なまま、それを解消しないままの生活は慣れるというより目を逸らしているだけのような気がしてしまう。
そこで、はたと思い付く。
「あ、そうだ。とおるさんが逆に外に出てみるというのは」
「……え?」
またも鳩が豆鉄砲。
きょとんとする龍神に対し、泉は提案した。
「ほら、髪や目の色はどうにでもなるって言ったじゃないですか。それを解消して、その……いわゆるデートをしてみる……というのは」
持ち掛けると、とおるの顔色は喜色満面に輝き、眼鏡の奥の双眸はまるで子どものようにきらめく。
期待に満ち溢れた声で、興奮気味に答えてきた。
「ぜひ……ぜひ! その、色を変える方法は私には解らないので、そこからになりますが」
「Wi-Fi飛んでましたよね? つまりネット通販が使えるんじゃないかと思うんです」
さすがに通じないか? と思いきやとおるはネット通販の存在を知っていた。
どうやら本など欲しいものは森田に手伝って貰いつつネット通販を利用して手に入れている場合もあるらしい。
なので森田と三人でとおるの部屋に集まりカラーコンタクトとウィッグを物色することにした。
豪華な食事、広々とした風呂、ふかふかでふわふわの布団……それらについて、はじめこそ現実味がなかったが、徐々に慣れていってしまった。
平日の日中は学校に行っているので、とおると顔を合わせるのは朝晩の食事くらいのもの。
とおるのほうも気を遣っているのか、積極的に泉に会おうとはしてこなかった。
その代わり、どうにか森田に探りを入れるタイミングには何度か恵まれる。不審に思われない程度に恐る恐る尋ねてみることには成功した。
とおるは34年前に今と同じ姿で現れ、人間のように年齢を重ねて容姿が変化することはない。その頃から穏やかな性格をしており、長い時間をかけて現代の文化に準じた生活に馴染んで今に至る。
だがやはりどうしても『泉を娶りたい理由』には至れない。
その手の話に持って行こうとすればそれとなく逸らされて、流されてしまうのだった。
まず、とおるは泉の母が多忙であることすら知らないなんて不自然すぎるだろう。
とおると泉に縁があるとすれば参龍寺に父の墓があるからだと思っていたのに、どうやらそれすら知らないようだったから。
そうなるとますます自分ととおるの繋がりがどこにあるのか見えず、ただただ謎だとしか言いようがない。
何を基準として、自分との婚姻を望むのかが推察しようもない。
――しかし、風谷泉は非常に強かだった。
この居心地の良い龍神の家に居候することを、惰性のように延長することを希望する。
少なくともこうしている間、自分のぶんの食費などは浮く。昼食の弁当も、使用する弁当箱はそのままに使用人が中身を入れてくれるようになったし、元々の弁当のテイストに合わせる徹底ぶりのため友人からも突っ込まれていない。
それに泉自身もまあまあ豪華な生活が出来て悪くないと感じていたからだ。
とおるについては不明瞭な点が多すぎるが、ひたすら優しくしてくれている以上はばっさり切り捨てるのも憚られてしまっていた。
彼が気を配るのは泉に限らず、森田を含めた使用人にも労いの言葉をよくかけているらしい。それだけ優しい気質であって、泉だけ特別優しくしているというわけでもなさそうで、結局のところ『ただの良い人』なのだ。
親切心を吸い取るだけ吸い取って利用して無碍にする真似には抵抗があるし、かといってこちらから返せるものは『婚姻に頷く』くらいしかない。
ならもう少し、ずるずるとした決断、いや決断ですらないのを自覚しながら、とおるについて知っていこう、と。
11月初旬のとある火曜日、とおると森田が窓辺で会話しているところを目にする。こちらには気付いていないようだったので、泉は出来るだけ音を立てないように玄関の戸を開けた。
「……やはり、泉さんのおかげでしょうか」
「かも、しれません。私がただ高揚しているだけ……の可能性もありますが」
――なんの話だ? 自分の知らないところで自分の話をされている、その事実に泉は不安を抱く。
ニュアンスとしてはこちらへの感謝、に聞こえるがさっぱり心当たりがない。ただ一緒に住んでいる、それによってとおるにとってなんらかのメリットが発生している?
そしてそれは、気持ちの問題とは別にあるらしい。
尚更混乱を招くだけで、いい加減説明できないものについて説明して貰えないだろうかと思いつつ靴を履き替えた。
「お帰りなさい」
「た、ただいまです」
学校から帰ってきた泉に気が付くと手を振りながら歩み寄ってきたので恐る恐る振り返した。森田は軽く頭を下げるとどこかに行ってしまう。
少し気温の低い日だからか、龍神は薄手の羽織を纏い、相変わらずの人間離れした美貌で微笑みを向けてくる。
「ここでの生活にも慣れてきましたか?」
「ええ、まあ……」
訊きたいことは、いっぱいありますけど。
そんな言葉は飲み込んで濁して。
正直、彼の態度は愛情なのかただの優しさなのか全く判別が付かなくて困る。
誰にでも向けられるものならば、自分は特別な存在ではないし、伴侶と言うにはあまりに事務的すぎるだろう。
謎のメリットらしきなにかについても不明瞭なまま、それを解消しないままの生活は慣れるというより目を逸らしているだけのような気がしてしまう。
そこで、はたと思い付く。
「あ、そうだ。とおるさんが逆に外に出てみるというのは」
「……え?」
またも鳩が豆鉄砲。
きょとんとする龍神に対し、泉は提案した。
「ほら、髪や目の色はどうにでもなるって言ったじゃないですか。それを解消して、その……いわゆるデートをしてみる……というのは」
持ち掛けると、とおるの顔色は喜色満面に輝き、眼鏡の奥の双眸はまるで子どものようにきらめく。
期待に満ち溢れた声で、興奮気味に答えてきた。
「ぜひ……ぜひ! その、色を変える方法は私には解らないので、そこからになりますが」
「Wi-Fi飛んでましたよね? つまりネット通販が使えるんじゃないかと思うんです」
さすがに通じないか? と思いきやとおるはネット通販の存在を知っていた。
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