居候の訳アリ女子高生アイドルに三日で恋をして、相思相愛になった件。【三月の雪】

月平遥灯

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龍淵に潜む秋・ミツキの求婚

幕間 充希と春夜 プロローグの終わりに

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 顔色が良くなったミツキは、秋晴れのハロウィンの日を嘆き悲しんだ。せっかくシュン君と仮装パーティーでもしようと思ったのに、なんて。帰ってからできるじゃない、と答えた僕に、それもそうだね、と笑った。

 元々、最低限の荷物しか持ち込んでいなかったこともあり、病室を出る僕はボストンバッグ一つを片手に看護師さんに挨拶をした。ミツキは深々と頭を下げると、看護師さんから、がんばってください、と励まされる。もう二度と倒れないで欲しいと切に願う。


 玄関のロータリーにミニ・クロスオーバーを回した姉さんは、トランクを開けながら嘆息した。そして僕に忠告する。あの女には気をつけなさい、と。


「新井木遥香《あらいぎはるか》は、危険なのよ。人のものを横取りするのが好きな性悪女だから」


 姉さんの台詞《せりふ》にすっかり消沈《しょうちん》してしまったミツキは、後部座席に乗るなり頭を窓に擦り付けてため息を吐く。身体はすっかり良くなったと思ったけど、心は未だ病んだままなのかもしれない。


「あの人、いったいなんなの。新井木遥香さんは、僕になにがしたいわけ?」

「シュンになにがしたいんじゃなくて、花神楽美月《はなかぐらみつき》をいじめたいんだと思うけど」


 なんだよそれ、と言った僕の左手をぎゅっと握り、ミツキは涙を溜めた瞳で視線を僕に向ける。不安そうなミツキの唇は折りたたまれて口腔内に入ったかと思うと、潤わせた薄桃色の唇を再び開いた。


「わたし、あの人になにか悪いことしたのでしょうか」

「どうでもいいのよ。とにかく、かわいい子をいじめたいだけ。そんな奴なの。今度会ったら言っておくから。ミツキちゃんはくよくよしないで」



 中央道を抜けて、首都高を少し進めば渋滞に嵌《はま》る。いつも同じ場所。代官山のトンネルを抜けて連なる自動車はみんなどこに向かうのだろう。こんな昼時に。天高く舞い上がる排気が雲に阻まれる頃には、その黒い粒子は濾過《ろか》されて綺麗になるのだろうか。それとも、いつかこの美しく清らかな秋色も黒く染まってしまうのだろうか。


「アスカさん。わたしシュン君と結婚したいんですけど、どう思いますか?」

「は!?」


 急ブレーキを踏んだ姉さんは、再び前方の自動車が動き出すのを確認してアクセルを踏んだ。そして、一メートル程度しか進まずに、また停まる前方の車に呆れながらこちらを振り返る。あんたたちまだ高校生でしょうが、と。しかし、姉さんに真剣な眼差しを向けるミツキは、さらに続ける。アスカさん、わたし真剣なんです。シュン君と本気で結婚したいんです、と。


「黙っているけど、シュンはどうなの?」

「僕は————それは結婚できるならしたいと思うけど」

「別に結婚にこだわっているわけではないんです。ただ、シュン君はきっと」


 きっと、わたしのことなんて忘れていなくなっちゃうんじゃないかって。それだけが心配なんです。だって、シュン君の周りにはもっと良い人がいっぱいいて————。


「ミツキちゃんが嫉妬し始めたか。シュン、あんた責任持ってミツキちゃんを愛しなさい。それができなければ、今すぐ死になさい」

「は? 死になさいって」

「あんたのミツキちゃんに対する態度が変わってない? 近くにいて当たり前だと思っていたり、ミツキちゃんのことを放っておいたりしていない? 今まで注がれていた愛情が突然なくなったりすると、不安になるものなの」


 以前よりもミツキのことが好きだ。これは間違いない。でも、姉さんの言葉には心当たりがある。二人きりの夜でも、宿題を終えた僕はすぐにベッドに横になってしまい、ミツキの相手をしていない————というよりも、身体の問題で相手にできないのだ。それをミツキに言えば、きっと僕の心配をして生活がおぼつかなくなる。もしかして、それで気骨《きぼね》が折れたのかな。

 もし、そうだとしたら、ミツキには正直に僕のことを話したほうがいいのかもしれない。だけど、それはそれで、精神が疲弊《ひへい》してしまいそうだけれども。


 滑るように進むタイヤのロードノイズをかき消す、ラジオから流れてくる志桜里《しおり》の不愛想な言葉。今日は寝不足なのだろうか、それとも————。


『ラジオネーム、一撃のアスカロンさんから。最近、彼氏が不愛想なのですが、どう対処したらいいのかな。シオリントさん教えて。はい。彼氏が不愛想というのは、一撃のアスカロンさんのほかに好きな人ができたのか、それとも一緒にいる環境に飽きてしまったからなのか。またはアスカロンさんが何か気に障《さわ》ることをしてしまったのか。私には分かりませんが、こう声を掛けましょう。一緒にいてやってんだから、素直に話せ、って。一撃のアスカロンさんもたまに声色を変えてね、違う一面を見せるのもいいかもしれませんね』


 志桜里ちゃんそうだよね、なんて納得してしまうミツキは、僕の手を取って告げる。シュン君正直に話して、と。一撃のアスカロンさんって、もしかして。

 僕は不愛想なのだろうか。もともと愛想が良いほうではないけれど、ミツキの前では精一杯がんばっているつもりなのに。なにがいけないの。


「あたしは聞かないフリをするからさ、シュン、正直にミツキちゃんに話しなさい。もう、ミツキちゃんの相談受ける身にもなりなさいよ。ったく。ミツキちゃんは真剣なんだからね」


 聞かないフリなんて、この狭い空間でできるはずがないだろう、とツッコミを入れたかったけれど、入れたところで姉さんに太刀打ちできないのでやめておく。それに、僕が何を言ってもミツキから聞き出すのだから、意味がない。なんでこんなにも姉さんをミツキは信用しているのだろう。


「ミツキ、あんまり言いたくないんだけどね。僕は——」


 ごくりと唾《つば》を呑む音が聞こえた。ミツキはまるで死の宣告を待つ受刑者で、いつ首を刎《は》ねられるのかと不安な表情を隠しきれない罪人のよう。

 自分のせいで、僕を失ってしまうかもしれないなんて思うのはミツキらしくない。いつからそんなに弱々しくなったのだろう。ミツキは僕の前で、だけは泣き虫だけれども、決して挫《くじ》けなかった。僕の身体のためならば、一時的に別れを選ぶ強心臓《ハート》の持ち主。だけど、人を深く愛すれば愛するほど、心にウィークポイントという穴が開いてしまうのかな。


「シュン君、もったいぶらないで。どんな言葉でもわたし、覚悟しているから。もし、シュン君がわたしの駄目なところを指摘するなら全部直すから。だから、お願い、教えて。わたしの何がいけないの?」


「そうじゃないんだ。ミツキよく聞いて。僕は——」


 前とは比べようがないくらい辛いんだ。本当はこうして起きているのが苦しいくらい。だから、ミツキが嫌いになったんじゃなくて。僕の身体の問題なんだ。ごめん。あまり相手をしてあげられなくて。


「え……。いつから……なの?」

「修学旅行に行ったでしょ。あの三日目あたりから。ずっと動悸がしていて。息苦しくて。それで——」

「なんで言ってくれなかったの……」

「だって、言ったら、ミツキの仕事がおぼつかなくなったり、心配かけちゃうから」


 もうバカッ、と言ってミツキは僕の胸に顔を埋める。また、わんわん泣き出し、こちらを振り返った姉さんが僕を睨《にら》んで呟く。あんた、女の子を泣かすのは絶対に間違っているわよ、と。そんなこと言ったって、どうしたらいいの。


「じゃあ、わたしのことが嫌いになったわけじゃなかったの?」

「そんなわけないじゃん」

「シュン君、今すぐ病院行こう、ね?」

「いや、行ったところで、言われることは分かり切っているんだ。それに、もう実は手配しているから。年が明けて二月くらいにならないとどうにもならないって言われていて」


 心移植。僕は旅立つ。冬の終わりに。だから、それまで僕の身体が無事でいられることを願うしかないんだ。ミツキ、ごめん黙っていて。


「じゃあ、それまで平穏を祈るしかないってことなの?」

「いや、まあ、緊急の処置はしてくれるとは思うけど、根本的には良くならないと思う」

「ごめん。わたしがしっかりしなくちゃだよね。あれだけシュン君と付き合うなら覚悟が必要だよってアスカさんに言われていたのに。ごめんね」

 手のひらで拭う涙で瞼を腫らしたミツキは、僕に何度謝るのだろうか。しっかりしなくては、という言葉も何度も訊いていて、その都度ミツキは過保護になっていく。

 身体に関して言えば、辛いことや切ないことを僕は絶対に口にしないし、顔に出さないようにしている。思うことすらしない。弱音を吐いていても始まらないからだ。

 だけど、言葉にしないだけで実際は辛かった。だからこそ、ミツキの前では平然を装った。できるだけ早く一人きりになって、その苦しみすべてをミツキから隠した。それが、ミツキからすれば、僕の様子がおかしいと思う原因になってしまったのだろう。僕の考えが裏目に出てしまったのだ。



 そのトドメが新井木遥香、か。



 俯くミツキに、ようやく渋滞を抜けてアクセルを踏み込む姉さんは、前を見ながら叱る。いや、叱るというよりは諭すと言った方が正確かもしれない。


「ミツキちゃんはね、シュンの身体を考えて行動しているのに、なぜ自分の気持ちが伝わらないの、なんて思っちゃったんでしょ。シュンが冷たい。こんなにシュンに尽くしているのに、相手にしてくれない。そればかりか、もしかしたらもう自分は用済みなの、もしかしたらもう自分のことを好きじゃなくなったの、ってね。ミツキちゃん、いい。見返りを求めちゃだめ。シュンもよ。好きな人のために、何かしてあげたいって気持ちはあくまでも自分本位のものなの。互いにその気持ちに見返りを求めたら、そこで愛情は尽きるわよ。お互いがお互いに見返りを求めずに、何かをしてあげたいって思うことこそが愛情なの。シュンだって身体が辛いときはミツキちゃんに構ってあげることができない、ミツキちゃんだって、仕事が忙しくてシュンを相手にしてあげられない、なんてこと、これからもざらにあると思うわよ。だからこそ、見返りを求めてこない相手に対して言うの。いつもありがとう、って。愛しているでもいい。言葉にしなくちゃ伝わらないことのほうが世の中多いのよ」


 アスカさ~~~んといつものように眉尻を下げながら姉さんの名前を口にするミツキは、そうですよね、本当にそのとおりです、なんてまるでアスカ教の信者のように姉さんを崇《あが》める。

「アスカさん、わたし決めました。三億を返すのは少し伸ばして、しばらくお休みします。それで、シュン君を支えます。今度はシュン君だけを考えて。だから、むしろ過労で倒れたのは好都合かもしれません。わたしが一番、今、シュン君にしてあげたいことは、支えることなので」

「————レギュラーの番組とか入っていないの?」

「契約前です。それに、広告系のお仕事はすべて撮り終わっているので」

「ミツキ、僕のことは気にしな————」

「シュン。ミツキちゃんのやりたいようにやらせてあげなさい。あんたに何かあれば、ミツキちゃんは悔やんでも悔やみきれないのよ。もしあんたが死んだら、ミツキちゃんは一生悔やんで生きるのよ。最期を看取れなかったって」

「縁起でもないこと言うなよ。なんで死ぬことが前提なの」

「そうですよね。わたし、シュン君がアメリカに発つ日まで、ずっと傍で支えます。アスカさん許してくれますか?」

「あたしは許すも何も。ただし、条件はあるわ。学校には必ず行きなさい。休んでは駄目よ」


 はい、と、まるで先輩から訓示を受ける運動部の部員のように真っ直ぐ姉さんを見るミツキの言葉は揺るぎなく、秋のはじめと同じような眼差しで。二回目の決意はさらに厚く固いものだった。また姉さんの口車に乗せられてしまって。ミツキが本当に僕と結婚した暁には、姉さんとグルになって僕を陥《おとしい》れることがあるかもしれない。ああ、本当に嫌だ。



 カフェインが足りない、と言ってサービスエリアに立ち寄る姉さんは、僕とミツキを自販機前の広場の前に置き去りにしたままスタバに駆けこんだ。サービスエリアに立ち寄ることがあまりないミツキは、やはりフードコートに興味津々で、室内に入ると舐めるようにお店を見物し始める。

 甘いタレの香る焼肉店や、常陸牛《ひたちぎゅう》のステーキ店、それに常陸秋蕎麦《ひたちあきそば》が自慢の蕎麦屋。有名なパン屋に、お土産屋さん。どれもミツキの興味を引くお店ばかりで、僕は思い出していた。ミツキとの初デートを。すごくドキドキして、とても楽しかった記憶が桜吹雪のように巡っていく。瞼の向こう側を。

 あの頃のことを思い出せば、幾つ僕の欠片が手から零《こぼ》れ落ちてしまったのだろう。だけど、それらをすべて捨てたとしてもかけがえのないものを手に入れたのだから、あの頃に戻りたいなんて思わない。例えこの身体と引き換えだとしても、ミツキとこうして愛し合えたことは、僕にとって幸福以外の何物でもない。時間を遡《さかのぼ》って、再び選択肢が出てきたとしたら、今と同じ道を進む。要はそれだけミツキを愛している。


「ねえ、ミツキ。初デート覚えてる?」

「忘れるわけないよ。フードコートに行きたいって言ったときのシュン君の顔。もう、今考えても笑っちゃうくらい。でも、結果的に連れて行ってくれたんだよね。嬉しかったよ」


 余程、あの時の記憶が気に入っているのか、ミツキは初デートをした僕への想いを語り始めた。宝石の原石を見てタケノコと言った僕が可笑《おか》しかったし、歯が溶けちゃう飴を今度食べてみたい。それに、フードコートで食べたアイスは間接キスで、実は狙っていたんだ、なんて。本屋さんでは、実は僕の書籍を少しだけ立ち読みした話や、ドラックストアでストロベリーの香りのするコスメないかな、って探したりした、と。


「あの時の初々しい記憶とか、手を握っただけで汗だくになった記憶とかが消えちゃうのは寂しいな。当たり前になっていくお互いの存在をもう一度、あの時のように戻すことができたら————」

「そうだけど、そうなんだけれど、僕はこれでいいと思う。だって、ミツキのこと好きだもん。あの頃よりもずっと今の方が好き。だって、ミツキの知らないところ、少しずつ分かってきたし。当たり前になりつつあるミツキが、僕の吸う空気のような存在で。なくなっちゃったらきっと息ができなくなっちゃうよ。ミツキの良いところも悪いところも。すべて好きだし。嫉妬しちゃうミツキも、よくよく考えれば僕のことを想ってなんだし。ね」



 だから、今までのすべてはプロローグ。ここから始めようミツキ。



「シュン君……うん。そう。そうだよね。シュン君にもっとわたしを見て欲しくてそんなこと考えちゃっていたけど、シュン君はわたしのこと、そんな風に想ってくれていたんだね。なのに、シュン君を信用しなくて、ごめんなさい」

「違うでしょ。姉さんの言っていた言葉思い出して」

「ごめん。そうだね。うん。シュン君、いつもありがとう。言葉じゃ言い表せないくらいに」


 愛している。今までもよりもずっとずっと。これからもずうっと好きでいさせて。



 席に着いた僕たちは、買ったアイスクリームを交互に食べて間接キスをした。

 ほろ苦くて甘い抹茶と少し酸っぱいストロベリーを混ぜながら。
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