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 僕が住んでいるのは、小さな町工場が密集している地域に建つ築40年以上のボロアパート。

 そんな時期に建てられた事もあって風呂も無いしトイレも決して綺麗とは言えない。
 部屋の中は昼間でも暗く照明を点けないと生活出来ない。そんな家だから部屋全体がカビ臭くてこんな場所に住むなんて変わり者は安い家賃目当てで契約する独身男性か、僕くらいなもんだ。

 古い畳敷き 1Kの間取り。僕の部屋の中は至ってシンプルだ。
 北側には昭和感溢れる押入れの引き戸があり、そこには僕の大事なものをほんの少し入れてある。
 部屋の中には畳の部屋には似合わないパイプの安物シングルベッドとテーブル。そのテーブルってやつも安い折り畳み式だから重たいものを置くと凸凹した畳の所為せいで傾いてしまうんで滅多に使わない。
 壁掛けの時計もテレビもソファもクッションも無いから実にシンプル。

 「シンプル」と言えば聞こえは良いけど、要は「何もないつまんない部屋」って意味になるよね。

 その代わりに僕はタブレット端末を持っていて、畳の上に寝転びながらネットで動画を観たりスマホゲームをしたりして楽しんでいる。
 薄暗くて面白味の無い部屋の中でも、人差し指を液晶画面に滑らせれば世界が一瞬にして広がり僕を飽きさせない。
 このアパートが建てられたばかりの時代には想像出来ないくらい、インターネット社会となった今の時代はとても快適で本当に良かったと僕は思う。


「今何時だっけ?」

 窓の色が少し白いから午前中なのは分かっているけれど、正確な時刻が知りたくなってゲームを一時中断させてタブレットのホーム画面に戻す。
 画面いっぱいに並べられたアイコンの中からアナログ時計のシンプルなアイコンだけに目線をむけると、ちょうど10時を指していた。

「あれ? もう帰ってきていいはずなんだけど」

 いつもならもう部屋に入って挨拶してくれる同居人の足音が聞こえないか……僕は扉の前にしゃがんで耳が接触するくらい近付いてみた。

「あ!」

 こちらに近付くブーツの音が聞こえて僕は安堵あんどした。

「なんだぁ、今日はちょっと遅くなっただけじゃん!」

 カツカツとした靴音に僕は胸をおどらせ、扉からサッと離れてまた寝転んでゲーム画面をまた表示させる。
 今から扉を開けて入ってくる同居人に「待ちわびていた」なんて悟られない為だ。

 心を落ち着け扉に足を向けてブラブラさせながら扉の開く音を待つ。

「おー、相変わらずだなぁお前」

 僕の同居人、陽介ようすけくんのややけ気怠けだるい声が部屋中に響いて僕の耳をくすぐるので

「陽介くんおかえりー」

 と、僕もうつ伏せ足ブラブラの体勢を変える事なくずっとゲームにきょうじていた態度をとる。

「楽しそうにしてんなぁ。何のゲームしてんの?」

 いつもの鞄と一緒に女性受けしそうな紙袋をテーブルの上に置いた陽介くんが僕のタブレットを覗き込む。

「なんかねー、キャラを3つ以上繋げて消していくゲーム」
「ガキみたいなゲームじゃん。お前の見た目そのものだなぁ」

 彼はドカッと胡座あぐらいて座りながら僕を嘲笑あざわらった。
 音量を消しているから画面を見るまで気付かなかったんだろう、小学生に人気のゆるいゲームだったのが呆れるくらい可笑おかしかったようだ。

「ガキじゃないよっ! 陽介くんもやってみたら絶対ハマるって」
「俺そもそもゲームもスマホでネットとかも興味ないし」
「今時の20代男性とは思えない発言だね。暇つぶしといえばスマホゲーが常識でしょ」
「うるせぇなぁ。こっちはお前と違って暇じゃねぇんだよ!」

 顔は見てないけど、陽介くんが怒ってないのは声色で分かる。僕のこのやり取りが楽しいから、職場や恋人の家からも遠い場所に位置してる僕の同居に付き合ってくれているんだ。

「お前がそんな態度とるならいいものやんねーぞ」

 陽介くんはそう言いながら紙袋の中身を取り出す音を立てる。

「いいものって何?」

 僕は相変わらず興味ないような声を出したものの内心はワクワクしていた。
 優しい陽介くんは時々僕に便利なプレゼントをくれるからだ。今僕がゲームや動画に没頭出来るのも、本人が全く利用しないタブレット端末とネット使い放題の契約を僕の為にしてくれたからで、その点は感謝しなければならない。

 紙袋の中身をテーブルに置く音がゴトンと大きく、思わず僕はテーブルの方へ目を向けた。

「ほら、この前コーヒーの話しただろ?」
「えっと……陽介くんコーヒー苦手だったんだけど、恋人の部屋で飲んだコーヒーだけはめちゃくちゃ美味しくて感動したっていう話の事?」
「そうそう、香炉ならお前も香りが楽しめると思ってさっき買ってきたんだ」
「それで今日は帰ってくるのちょっと遅かったんだ?」
「だって教えてもらった雑貨屋、開くのおせーんだもん。これでも急いで帰ってきたんだからな!」

 起き上がって陽介くんの隣に座り、火を付けた平たい蝋燭ろうそくを香炉の穴に入れる陽介くんの表情を眺める。

「……嬉しそうだね、陽介くん」

 僕がそう言うと、陽介くんの口角がキュッと上がってキラキラと目も輝かせていた。
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