【本編完結&番外編更新中】この雨が上がったら一緒にコーヒーを飲みませんか?

silverchaff

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番外編

ビーフシチューの夜4

「うまぁ♡ やっぱコレだよなぁ♡」

 シチューに舌鼓を打つ陽介の表情は、今まで朝香が目にした彼とは全く別の様相である。

(本当に俊哉さんのビーフシチューが好きなんだなぁ……)

 朝香が納得の頷きをしていると

「ビーフシチューは作れても、添えるパンまでは手作り出来なくて申し訳ないね。『キヨパン』は今の代になってからハード系のパンが美味しくなったからここ何年もここのパン買うようになってるんだよ」

 俊哉がバタートーストされたバゲット2切れが乗った皿をこちらに手渡してきた。

「そんな事ないです! シチューとっても良い匂いですよ! 『タカパン』のバゲット、私も大好きなので嬉しいです」

 笑顔で朝香がそれを受け取ると

「おっ、お前『タカパン』派なんだ。俺も。俊哉は『キヨパン』のままだけどな。ってか、代替わりして今のバゲットが気に入ってるならパン屋の呼び名も変えりゃいいのに」

 陽介が茶々を入れ

「俺は親父があの商店街の土地を管理してる頃から居るからね。6年経っても呼び名は変えられないもんなんだよ。タカさんも店の人達も気にしてないっぽいし」

 俊哉はそんな言い訳を返していた。

(あっ……それ、商店街の中でまだ燻ってる『キヨパン』『タカパン』論争のヤツだ)

 つい先日も夕紀と健人が言い争いしているのを見かけていたので朝香もつい苦笑いになり、空気を変える意味でもパンッと柏手を打った。

「では、いただきます」

 目の前で温かな湯気と共に上品な香りを放つビーフシチューの味は格別で

(わぁ~!! すっごく美味しい!! お肉が口の中でホロホロッとほぐれていく)

 頬張った瞬間に旨みが全身を巡っていく感覚に陥る。

「こら陽介、『いただきます』くらい言ったら?」
「あれ? 言わなかったっけ? まぁいいじゃん」
「良くないよ、俺に対しての敬意を感じない」
「はいはいいただきまー」

 俊哉は陽介とそんなやり取りをしており、その微笑ましさも豊かな旨みのエッセンスであるようにも感じられた。

(2人が恋人同士っていうの、すごく良く伝わる……エレベーターであんな態度とっちゃって本当に申し訳なかったなぁ)

 朝香は改めて正面へと向き直り、スプーンでビーフシチューを掬い口へと運んでいると幸福感が倍増する。

「ん~♪」

(このビーフシチューは食べた人みんなが大ファンになっちゃうよ。陽介さんの気持ちも分かるなぁ)

「どうかな? 朝香さんのお口に合ったかな?」

 俊哉の問いに、朝香は何度も何度も頷く。

「お肉がやわらかくてすっごく美味しいです!!」

 本当はもっとちゃんとした食レポをしたいのに、自分に語彙が無い所為でもどかしくなる。
 スプーンで簡単に切れるくらい煮込まれた牛肉が野菜の香りをまとっていて、とにかく美味しいビーフシチューで朝香は感激していた。

(凄いなぁ俊哉さん……きっとものすごく時間をかけて作ったんだろうなぁ)

 朝香が食べている間、俊哉は陽介のお代わりを注いであげたりバゲットを追加したりと忙しくしている。

(陽介さんのお世話ばかりしているけど、俊哉さんご自身は召し上がらなくてもいいのかな?)

 ふとそんな疑問を抱いたものの、朝香達の食べる様子を俊哉がとても嬉しそうに見る姿を眺めながら「そういえば俊哉は面倒見のいい人であった」と思い起こす。

(そうだよね……俊哉さんはなんたって思春期のりょーくんをずっと支えてきた方なんだもん。ご自分のシチューは後でって、思っているのかもしれないなぁ)



「はーーーー生き返ったーーーー!!」

 無心で食べ続けていた陽介は満足そうな表情をしながら席を立つと、革張りソファに寝っ転がってスマホを弄り始めた。

「すまないね、お嬢さんが来ているっていうのにダラダラ過ごす姿を見せてしまって」

 俊哉は眉を下げながら朝香に謝ってきたので

「いえいえとんでもないです。普段通りくつろいでもらって構いませんので!」

 朝香は「本当に気にしていない」という素振りを俊哉に見せた。

「タバコは紙派でね。こっちに煙が来ないよう、陽介の為に大きめの空気清浄機と換気扇を脱衣所に取り付けて対策してるんだけどさ、ああやってソファに寝転がるのが大好きなもんだから、俺が見張ってないとあそこで吸おうとするんだよ。その度にソファ焦がしてさぁ……参ったもんだよ」

 「参った」と言うにしては、俊哉の表情はにこやかで嬉しそうに見える。

(陽介さんは一緒に暮らす気はないみたいだけど、大好き同士なのはすごくよく伝わるなぁ)

「さて、俺もいただこうかな」

 陽介が座っていた席に俊哉は腰掛け、静かに丁寧に合掌をしたその時———
 朝香のスマホとは違う着信音が聞こえてきた。

「え?」

 びっくりする朝香とは打って変わって、俊哉が残念そうな表情をしてスマホを取り出している。

(俊哉さんの着信音だったのか……)

 俊哉はスマホを耳に当て、電話の相手の声に「はい……はい」と返事をして

「……分かりました。今から伺います」

 と言って電話を切る。

「何? まさか、またあのオバサン?」

 陽介が上半身を起こし、眉間に皺を寄せながら俊哉へ声をかける。

「うん、今から行かないと」

 今から食事をとろうというタイミングで急用が入ってしまったらしい。

(電話の声、年配の女性っぽかったなぁ……しかも、かなり強い口調で俊哉さんを呼びつけていたような)

 陽介は怪訝な顔をしているので、事情を掴んでいるようだ。俊哉の表情も浮かない。

「何かあったんですか?」

 恐る恐る朝香が訊くと

「クレーム対応しに行くんだ。ここの住人だからすぐなんだけど」

 と、指を下に向けてそう言う。

「ええ? このマンション、クレーム用件があるんですか?」
「建物というよりはね、人間関係かな。朝香ちゃんや亮輔には無関係な内容なんだよね」
「!!」

(ひえぇマンションの住民同士でのいざこざかぁ……もう20時過ぎてるのに今から仲裁に向かうのかぁ)

 しかもしょっちゅうあるみたいな空気感で朝香は驚きを隠せないでいる。

(俊哉さんは今から出掛けて忙しいしヨウスケさんはくつろいでるし……私完全に邪魔だよね)

 朝香は、ニットコートを手に部屋から戻ってきた俊哉に

「ご馳走様でした! お忙しいようなので私帰りますね!」

 と言い、自分の鞄を腕にかけて椅子から降りたのだが

「クレーム対応っていってもすぐ終わるんだよ。だから朝香さんはまだゆっくりしていいよ」

 と、止めようとする。

「でも……」 
「陽介が邪魔なら別の部屋に行かせるし」
「いいえ陽介さんが邪魔だなんてそんな」

 食い下がらない俊哉に、朝香はそう咄嗟に返事したけれど

(そっかぁ……もしここで待つとしたら、少しの間だけでも俊哉さんの彼氏陽介さんと2人きりになってしまうのかぁ。恋人と女性が2人きりって、マズい状況だよねぇ)

 自分の彼氏が嫉妬深い性質を持つ故に、朝香はそのような心配をして「やっぱり帰ろう」と思い直す。

「やっぱり私帰りま」
「俊哉っ! あのオバサンんとこ早く行ってやんねぇと怒られるぞ! 急げ急げ!!」

 突然頭上から降ってきた陽介の声によって朝香の言葉がかき消され

「ちょっと! 陽介っ」
「ほらほら早く行けよ。んで早く戻ってこい」

 陽介が俊哉の背中をグイグイ玄関まで押しやっていく。

「心配しなくても『お嬢さん』に迷惑かけねーよ。俺、下のエントランスであと何本か吸っとくから。だから俊哉はなーんにも気にしないで行って来い。んで早く戻って腹いっぱいシチュー食え!」

 玄関で「心配するな」と言いたげにする陽介と

「じゃ、朝香さん。何もない家だけど待ってて!」

 朝香に呼びかける俊哉の声が向こう側から聞こえ、扉が閉まる音と共に静かになった。
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