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9.幼馴染
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ラスタヒュース侯爵家から二度目の手紙が届いたのは、いよいよ明日がお茶会という日になってからだった。今回はクロードが直接シェーラに手渡してきたという。
「この手紙のことは、旦那様も奥様もご存じないかと」
シェーラがなぜそんなことを言うのかわからないまま、わたしの手は待ちきれないと言わんばかりに封筒を開いていた。
前回と同じく『親愛なるジェシカ』で始まるその手紙は、お別れの時に渡した青い石をまだ持っているか、できたらそれを身に着けておいてほしい――という内容だった。
「青い石……?」
思い出したのはエイミィが投げ捨てた青い石だ。
でもあの石をくれたのは幼馴染の男の子だったはず。どうしてそれをこの人が知っているのか……。
雪のような白い髪に、青い瞳の男の子だった。その子のお父様が住んでいる地方では白い髪の人が多いのだそうだ。女の子と間違えるほど可愛らしい顔をしていたから、一緒に遊ぶのに何の抵抗も感じなかった。
「……レイ、なの?」
手紙の署名は前と同じレイモンド・ラスタヒュース。もしかしたらレイは本当はレイモンドという名前だったのかもしれない。
手紙の送り主があの男の子だというのなら――もう一度会いたいけれど。
何だか無性に懐かしい。
あの頃は楽しかった。毎日ではないけれど二日おきくらいにレイはこの家を訪ねて来て、本を読んだりお人形で遊んだりした。一緒に家庭教師の授業を受けたこともある。午後にはシェーラの淹れたお茶で休憩して……。
思い出す風景の何もかもが輝いていた。
そういえば、彼に好きだと言われたこともあった。どうして来てくれるのと訊ねた時にそう返してきたのだ。でもわたしは素直になれなくて、何か違うことを言ってごまかしたと思う。
「!」
手紙にポタッと涙が落ちて、わたしは自分が泣いていることに気付いた。
「ジェシカ様、お手紙には何と?」
「昔、青い石をくれたのは……このレイモンド、さん……だったみたい」
シェーラに手紙を見せると、彼女の眉間にシワが寄った。
「あの石、ですか? お友達からの」
「……え? ええ。でもエイミィが捨ててしまったから……もう、ないわ」
わたしはシェーラがあの青い石を覚えていることを意外に思った。彼女には一度しか見せていなかったはずだ。
「石はございます。……勝手ながら、私がお預かりしておりました」
「えっ」
驚きすぎて次の声が出てこない。
どういうことなの?
あの時、エイミィは確かに床に投げて……。
「掃除の者から回収いたしました」
シェーラの眉間のシワは消えて、元の無表情に戻っていた。
「ジェシカ様のお話では河原で拾ったということでしたが、王都の川にあんな石はございません。すぐにジェシカ様にお返ししようと思ったのですが……」
言い淀んでシェーラは視線を下げる。
「その……ジェシカ様のお手元にありますと、エイミィ様が執着なさるかもしれませんので、ジェシカ様とエイミィ様が離れるまではと……」
わたしの中で記憶のフタが開き、感情が噴き出すのを感じた。
……本当は、レイが遠くへ行ってしまったのが悲しかった。あの青い石を見ていたら寂しい気持ちが少しは落ち着くような気がして、何度も眺める癖がついていたのだ。
だからエイミィに見つかった。
あの時も今もエイミィが変わっていないとしたら――彼女はわたしの大切なものを奪うために存在しているのだとしか思えない。
鋏でドレスを切るエイミィの姿を見たあとでは、彼女が純粋無垢な子供の行動をしただけと考えるのは難しいだろう。
シェーラはあの頃すでに気が付いていたのだから。
けれども「妹を可愛がらない姉」は両親にとって不要なことを常に感じていたわたしは、エイミィの持つ悪意を認めるのが怖かった。まだ家族を愛していたかったし、何より愛されたかった。
わたしも家族なのだと思っていたかった。
押さえていたものが溢れ出てくるように、わたしはシェーラに抱きついて声を出さずに泣いた。
「目が赤くなりますよ」
シェーラは淡々と言いながらも優しく背中を撫でてくれた。
侍女の控室にはシェーラが使っている木製の戸棚があるらしい。棚板の奥の窪みに落として隠していたという青い石は、昔と変わらず綺麗だった。キラキラと光る深い青色は眺めているだけで心が穏やかになっていく。
「……身に着けると言っても、このまま持って歩くと落としてしまうかもしれないわ」
エイミィに取られる危険性についてはうんざりするほどわかっているので、あえて口にしなかった。
「目立たない、細い鎖の首飾りにでもできないかしら……」
「そうですね……職人に加工を依頼すると、時期にもよりますが一週間程度かかるようです」
シェーラの返答を聞いて、わたしは装飾品を入れる箱の中から使っていない昔の髪飾りをひとつ取り出す。
「シェーラ、これを売って加工するお金にしてほしいの。決してバレないように……お願いしてもいい?」
「かしこまりました」
久しぶりに手にした青い石を握りしめて、わたしは密かに胸を躍らせていた。
〇▲◇
お茶会当日、シェーラが着せてくれたのは昨年仕立てたシンプルな水色のドレスだった。
フリルもレースもない地味なデザインにエイミィが不満を口にしていたけれど、生地の織り模様が美しくて気に入っていた一着だ。
切り刻まれたあの派手なドレスのついでに作ってもらったせいか、着る機会はあまりなかった。確かノーラ叔母様の家に行く時に一度着ただけだったと思う。
「公爵夫人のお茶会ですので、年配の女性が出席されます。派手なドレスは好まれないかと」
「ありがとう、シェーラ」
上級貴族の方々にとってこのドレスは決して良いものではないだろう。でもこれくらい地味な方が無難に過ごせるに違いない。シェーラの心遣いがとてもありがたかった。
「あの派手な方のドレス、わざと目立つところに置いていたの?」
『想定していた』というシェーラの言葉を聞いて、エイミィがドレスを駄目にすることがいつから予測できていたのか、どうしても気になったのだ。
シェーラは無表情でうなずいた。
「念のためでございます」
彼女の目にはあの強い光があった。
「この手紙のことは、旦那様も奥様もご存じないかと」
シェーラがなぜそんなことを言うのかわからないまま、わたしの手は待ちきれないと言わんばかりに封筒を開いていた。
前回と同じく『親愛なるジェシカ』で始まるその手紙は、お別れの時に渡した青い石をまだ持っているか、できたらそれを身に着けておいてほしい――という内容だった。
「青い石……?」
思い出したのはエイミィが投げ捨てた青い石だ。
でもあの石をくれたのは幼馴染の男の子だったはず。どうしてそれをこの人が知っているのか……。
雪のような白い髪に、青い瞳の男の子だった。その子のお父様が住んでいる地方では白い髪の人が多いのだそうだ。女の子と間違えるほど可愛らしい顔をしていたから、一緒に遊ぶのに何の抵抗も感じなかった。
「……レイ、なの?」
手紙の署名は前と同じレイモンド・ラスタヒュース。もしかしたらレイは本当はレイモンドという名前だったのかもしれない。
手紙の送り主があの男の子だというのなら――もう一度会いたいけれど。
何だか無性に懐かしい。
あの頃は楽しかった。毎日ではないけれど二日おきくらいにレイはこの家を訪ねて来て、本を読んだりお人形で遊んだりした。一緒に家庭教師の授業を受けたこともある。午後にはシェーラの淹れたお茶で休憩して……。
思い出す風景の何もかもが輝いていた。
そういえば、彼に好きだと言われたこともあった。どうして来てくれるのと訊ねた時にそう返してきたのだ。でもわたしは素直になれなくて、何か違うことを言ってごまかしたと思う。
「!」
手紙にポタッと涙が落ちて、わたしは自分が泣いていることに気付いた。
「ジェシカ様、お手紙には何と?」
「昔、青い石をくれたのは……このレイモンド、さん……だったみたい」
シェーラに手紙を見せると、彼女の眉間にシワが寄った。
「あの石、ですか? お友達からの」
「……え? ええ。でもエイミィが捨ててしまったから……もう、ないわ」
わたしはシェーラがあの青い石を覚えていることを意外に思った。彼女には一度しか見せていなかったはずだ。
「石はございます。……勝手ながら、私がお預かりしておりました」
「えっ」
驚きすぎて次の声が出てこない。
どういうことなの?
あの時、エイミィは確かに床に投げて……。
「掃除の者から回収いたしました」
シェーラの眉間のシワは消えて、元の無表情に戻っていた。
「ジェシカ様のお話では河原で拾ったということでしたが、王都の川にあんな石はございません。すぐにジェシカ様にお返ししようと思ったのですが……」
言い淀んでシェーラは視線を下げる。
「その……ジェシカ様のお手元にありますと、エイミィ様が執着なさるかもしれませんので、ジェシカ様とエイミィ様が離れるまではと……」
わたしの中で記憶のフタが開き、感情が噴き出すのを感じた。
……本当は、レイが遠くへ行ってしまったのが悲しかった。あの青い石を見ていたら寂しい気持ちが少しは落ち着くような気がして、何度も眺める癖がついていたのだ。
だからエイミィに見つかった。
あの時も今もエイミィが変わっていないとしたら――彼女はわたしの大切なものを奪うために存在しているのだとしか思えない。
鋏でドレスを切るエイミィの姿を見たあとでは、彼女が純粋無垢な子供の行動をしただけと考えるのは難しいだろう。
シェーラはあの頃すでに気が付いていたのだから。
けれども「妹を可愛がらない姉」は両親にとって不要なことを常に感じていたわたしは、エイミィの持つ悪意を認めるのが怖かった。まだ家族を愛していたかったし、何より愛されたかった。
わたしも家族なのだと思っていたかった。
押さえていたものが溢れ出てくるように、わたしはシェーラに抱きついて声を出さずに泣いた。
「目が赤くなりますよ」
シェーラは淡々と言いながらも優しく背中を撫でてくれた。
侍女の控室にはシェーラが使っている木製の戸棚があるらしい。棚板の奥の窪みに落として隠していたという青い石は、昔と変わらず綺麗だった。キラキラと光る深い青色は眺めているだけで心が穏やかになっていく。
「……身に着けると言っても、このまま持って歩くと落としてしまうかもしれないわ」
エイミィに取られる危険性についてはうんざりするほどわかっているので、あえて口にしなかった。
「目立たない、細い鎖の首飾りにでもできないかしら……」
「そうですね……職人に加工を依頼すると、時期にもよりますが一週間程度かかるようです」
シェーラの返答を聞いて、わたしは装飾品を入れる箱の中から使っていない昔の髪飾りをひとつ取り出す。
「シェーラ、これを売って加工するお金にしてほしいの。決してバレないように……お願いしてもいい?」
「かしこまりました」
久しぶりに手にした青い石を握りしめて、わたしは密かに胸を躍らせていた。
〇▲◇
お茶会当日、シェーラが着せてくれたのは昨年仕立てたシンプルな水色のドレスだった。
フリルもレースもない地味なデザインにエイミィが不満を口にしていたけれど、生地の織り模様が美しくて気に入っていた一着だ。
切り刻まれたあの派手なドレスのついでに作ってもらったせいか、着る機会はあまりなかった。確かノーラ叔母様の家に行く時に一度着ただけだったと思う。
「公爵夫人のお茶会ですので、年配の女性が出席されます。派手なドレスは好まれないかと」
「ありがとう、シェーラ」
上級貴族の方々にとってこのドレスは決して良いものではないだろう。でもこれくらい地味な方が無難に過ごせるに違いない。シェーラの心遣いがとてもありがたかった。
「あの派手な方のドレス、わざと目立つところに置いていたの?」
『想定していた』というシェーラの言葉を聞いて、エイミィがドレスを駄目にすることがいつから予測できていたのか、どうしても気になったのだ。
シェーラは無表情でうなずいた。
「念のためでございます」
彼女の目にはあの強い光があった。
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