聖女であることを隠しているのに、なぜ溺愛されてるの私?

延野 正行

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第二章

第19話

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「コンナ トコロ ニ イタ」

 その声は静かなのに、やたら私の耳朶の中で響いた。
 空気が黒く、そしてひずんでいく。
 振り返って、確認するまでもない。

「来ましたね、『勇者』様」

「ヤハリ イキテイタ カ。……ン? アア、ナルホド。ぜくれあ 二 タスケテ モラッタカ?」

「教官は重傷です。早く手当しなければ、命に関わります。もうこんなことやめませんか?」

「キミ ガ オトナシク スレバ スム コトサ。ソレニ キミ ノ ソバニ オイテ オク ホウガ ヨッポド キケン ダヨ」

「教官はあなたのことを心配しておられました」

「シンパイ? ボク ノ ナニ ヲ シンパイ スルンダネ? アア……。キョウ ハ ネ。ジツニ ココチ イインダ。ココロ オダヤカ デ イラレル。キコエルンダヨ、コエガ」

「声が聞こえる?」

 まるでアーベルさんの声に応えるように、靄が聞こえる。
 ここは地下で、講堂の保管庫。すでに薄暗いのに、はっきりと靄が炎のように燃えさかっているように見える。
 けれど、闇を背負ったアーベルさんの背中はぼうぅと光っていた。

 完全に呪い――黒い靄に飲まれつつある。

 仮にそんなことになれば、『勇者』アーベルという人格は潰れてしまう。
 ゼクレア教官が守りたかった『勇者』が、その瞬間死ぬのだ。
 もはや一刻の猶予もならない。

 けれど、私が出せる手札は少ない。
 魔法は使い切った。
 魔術戦に持ち込めば、万が一勝てるかもしれない。
 でも相手はこの世界で『勇者』と呼ばれている人間。実戦経験の差が、どれだけ出てくるかは、私にも予想が付かない。それに魔術戦で勝ったとしても、呪いを解かなければ根本的な解決にはならない。

 なら、私にできることとは――――。

 私は集中し、耳をそばだてる。
 『勇者』アーベルは言った。声が聞こえる、と――。
 それは呪い受けた人間の戯言なのかもしれない。あるいは幻聴……。
 でも、あの神様がくれた厄介なチート能力が、本を読めたり、動物や神鳥と会話できる程度に収まるとは思えない。

 聞くんだ、声を。

 内なる叫びを……。


『逃げて、少女よ』


 私は目を開き、そしてそれと目が合ったような気がした。

 最初に私が見たもの。
 あの黒い靄だ。アーベルさんの背中から炎のように燃え上がる呪いそのものだった。
 私はじっと見つめていると、次第に靄は何かの形に姿を変えようとしている。

「竜……?」

 そう言えば、ゼクレア教官は言っていた。
 アーベルさんは竜を使い魔にしていたって。
 その竜がいなくなり、直後おかしくなった、とも。

「あなた、もしかしてアーベルさんの使い魔??」

「オマエ ナニ ヲ イッテル?」

 靄の根本で、アーベルさんは怪訝な表情を浮かべる。
 私は無視して叫んだ。

「答えて!!」

『あなた、私の姿が見えるのですか?』

「うん。見える。あなたの声も聞こえる」

『一体、何者……?』

「イッタイ、ダレ ト ナニ ヲ シャベッテル? コタエロ!!」

 アーベルさんは振りかぶる。

 まずい。またあの暴風がやってくる。こんな狭いところで撃ったれたら、広い講堂で撃たれるよりはひどくなる。
 ただでさえ、ここには重傷者がいるのに……。

「天輪よ。呪縛せよ。悪の道に堕ちるものに救済という名の裁きを」


 【天鎖縛ライト・バインド


 アーベルさんが手を振るおうとした瞬間、その手が光の縄によって縛られる。
 見ると、真っ白な髪をした教官の1人が、後ろからアーベルを光の魔術で縛り、行動を制限していた。

「君、逃げ――――」

「教官、そのまま『勇者』アーベルを抑えてて下さい」

「クソ! オマエタチ ナニ ヲ スル?」

 光の魔術をふりほどこうとするが、白い髪の教官は必死に『勇者』を押さえ付けてくれた。
 私は靄の方に向き直り、話を続ける。

「あなた、もしかしてアーベルさんの元使い魔……」

『そうです。……あなた、やはり私の声が聞こえるのですね』

「事情は後でいくらでも説明するわ。お願いだから、アーベルさんから出てってくれないかな?」

 私の質問を聞くと、黒い竜の影は即座に頭を振った。

『それはできません』

「どうして? アーベルさんは、こんなに苦しんでいるのに」

『私だって、どうにかしたい。けれど、それがアーベルの意志だから』

「アーベルさんの……意志?」

『アーベルの指を見なさい』

 言われるまま、私は必死に魔術の縛りから逃れようとしているアーベルさんの手を見た。
 よく目をこらすと、そこには指輪が嵌まっている。
 宝石も何もない。結婚指輪のようなシンプルなデザインだ。

 感じたのは、強く歪んだ力。間違いない。あの指輪が呪いの発生源だわ。

 しかも、こうやって目をこらさないとわからないぐらい巧妙に魔術で隠されてる?

『それは使い魔と契約する時に使われる獣魔の指輪です。アーベルはそれをずっとはめている。私が亡き後も……』

 竜ぐらいの大きな使い魔となると、宝石や指輪、あるいは腕輪などを使って、契約をする時があるらしい。

『本来であれば、使い魔が死んだ時にアーベルは外さなければならないのです』

「けれど、アーベルさんが指輪を外さなかった。それによって契約が履行されたままになっている」

『そうです。だから私の魂は現世に留まり、こうして――――』

「月日を経て、悪霊化しようとしている」

 昔、聖女だった頃に聞いた事がある。
 魂が現世に留まることは、本来禁止されていることだと。
 罪を重ね続けた魂は悪霊となり、人間に災いをもたらす。
 その災いこそが今アーベルさんを苦しめているものであると……。

「あなた、名前は?」

『ミゼル……。そうアーベルに名付けていただきました』

「そう。いい名前ね。そして優しい子……。大丈夫。あなたのご主人様は私が必ず助けてあげるわ」

『あなたは……』

「ミレニア! ……単なる普通の魔術師志望よ」

 私は突如駆け出した。
 同時にアーベルさんは無理やり束縛魔術を解く。
 走ってくる私の方を見ると、また風の魔術を放った。
 周囲の備品が浮き上がり、それが強風と一緒に私の方に向かってくる。

 慌てて方向転換をしようとしたけど――――。

 ズンッ!!
 ぼぉおおお!!

 突如、雷光と炎が1度に閃く。
 目の前の備品が消し飛び、あるいは消し炭になってしまった。
 振り返ると、眼鏡をかけた教官と顔に火傷のある教官が立っている。

「アーベル様、そこまでです」

「何がなんだかわからないが、受験生とはいえ女に手を上げるのは感心しませんな」

『オマエタチマデ……』

 『勇者』アーベルの意識が、2人の方に向く。
 瞬間、再び光の魔術がアーベルさんを捕らえた。
 光の魔術が右手、右足を束縛する。

「アーベル様、どうか目を覚まして下さい!」

 白い髪の教官は必死で訴える。
 今だ。今しかない。
 私は自分の赤い髪を靡かせ、再び走り出す。

「空を飛ぶ鷹より速き天の蛇よ。其はそなたの力を求めし者。今こそ福音を鳴らし、其に車輪の力を――――」


 【纏速スプリント


 私は暗闇を一気に駆け抜ける。
 『勇者』アーベルに飛びつき、その指輪に手をかけた。

『キサマ ナニ ヲ!!』

「あなたに諦めてもらう!」

『ソレハ…………! ヤメ やめてくれ! 大事なものなんだ!!』

 声が変わる。
 血色が悪いというより、呪い飲まれつつあった『勇者』アーベルの顔にも変化が現れる。
 仮面が2つに割れたように、二つの表情を覗かせる。

 その1つが涙を流していた。

 瞬間、私の頭の中にイメージが流れ込んでくる。
 いや、イメージと言うにはおかしい。それはおそらく現実にできたことだろう。
 それはつまり、『勇者』アーベルとその使い魔ミゼルの出会いと別れの物語。
 アーベルさんがどれだけミゼルと親しくし、ミゼルがどれだけアーベルに忠義を誓っていたか。
 お互いがお互いを守る。

 それは種を超えた『愛』だった。

「それはミゼルとの大事な思い出なんだ。これを外すわけにはいかない」

 アーベルは闇の中で叫ぶ。
 そうだよ。これは2人にとって、大事なものなんだ。
 わかってる。でも――――。

「『勇者』であるなら知ってるはず。これをずっと付けていることの意味……」

「わかっている。それでも、僕は……僕の側にミゼルがいることを感じられるなら」


 『勇者』様の馬鹿!!


「それがミゼルを苦しめているのよ! ミゼルだけじゃない! あなたを慕う。あなたが元に戻ることを願っている優しい人たちすら苦しめている!!」

 それもわからないようなら……。

「あなたは『勇者』だけではなくて、人ととしても失格よ」

 お願い……。

「声を聞いて……。ちゃんとみんなの声を――――」

 気が付けば、私は泣いていた。
 何故だろう。『勇者』のことを罵倒してるのに、その声は私に跳ね返ってくる。

 そうだ。多分そうなのだ。

 私もきっと目の前の『勇者』と同じだったんだ。

 『聖女』だと持ち上げられ、自分のすることが正しいと常に思っていた。
 だから、人の声がすべて言い訳に聞こえて、結局耳を塞いだ。
 私のために声をかけてくれた人だっていたはずなのに……。

「させない! この『勇者』を私の二の舞にはさせない!! 絶対に!!!」

 気付いて……。



 アーベル!!



 声が重なった。
 『勇者』アーベルを思う人間の声だ。
 ミゼルはもちろん、ゼクレア教官や他の教官たち。

 そして私の願いも込めた。

 瞬間、強風が吹き荒れる。黒い靄と一緒に、私は吹き飛ばされた。




 次に気が付いた時、私は誰かに抱かれていた。
 顔を上げると、サラサラの金髪が揺れ、その下で赤い瞳が光っている。
 その目元は優しく、私の方を見て笑っていた。

「『勇者』……様……?」

 これは夢……?

 私、何故『勇者』様に抱きかかえられているのだろう。
 そして、その後ろで1匹の飛竜が見える。
 『勇者』様と同じ顔をし、笑っていた。こくりと頷き、そして翼を羽ばたかせ、空へと上っていく。

 そうか。『勇者』様も、使い魔のミゼルも無事契約を解除できたんだ。

「良かった……」

 私はそれだけ言うと、再び瞼が閉じた。
 ああ。さすがに今日は疲れたなあ。ちょっと眠る。

 おやすみなさい。

 意識的に握っていた手が開く。
 そこからこぼれ落ちたのは、少し古ぼけた指輪だった。
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