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1章

第2話 両親に挨拶(前編)

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 3日後、我は誕生した。
 少々厄介ごとは起きたが、無事出産されたらしい。
 我が気付いた時には、ころりと母親の腹の中から出ていた。

 助産師が臍の緒を切り、我はようやく外の空気を吸うことができた。
 何か喋ろうとして出てきたのは「おぎゃああああ!」という産声だ。

 ふむ。まだ声帯の調子が悪いな……。
 五感の感覚も鈍い。
 特に視覚が全く機能していないようだ。

 我は回復魔術を使う。
 歯が伸び、舌に力が宿る。
 産湯に浸かっている間、五感の機能をすべて回復させた。

「さあ、奥方様」

 身体を洗われ、我は側付きから母親に手渡される。

 緩やかに長い黒髪。
 白砂のような白い肌。
 大きな乳房には包容力があり、我に向けられた瞳に慈悲の光が宿っている。
 唇は薄く、優しげな笑みを湛えていた。

 こうやってマジマジと顔を見るのは、初めてだが、なかなか美しい母親だ。
 この者の心を射止めたものは、なかなかの器量の持ち主であろう。

「マリル様、名前はすでにお決めになっていらっしゃるのですか?」

 尋ねたのは助産師だ。
 お湯で手を洗い、布で拭いながら我の方を向いた。

 マリルというのは、母親の名前か。

「それはターザム様がお決めになることよ」

 マリルは我をあやしつつ、口を開く。
 おそらく我の父親の名前であろう。

「どんな名前をお決めになるのでしょうね。ああ。こんな時に、旦那様は――」
「仕方ないわ。黒竜に狙われた領地の再建に奔走されているのですから。それでも生まれたと聞いたら、すっ飛んでくるでしょうね。この子のことを楽しみにされていましたから。強い子に育つと」
「あの夜のことは、今でも信じられません。本当にこの子が守ってくれたのでしょうか?」


「その通りだ」


 ――――ッ!

 部屋の中が一瞬静寂に包まれる。
 助産師、側付き、そしてマリルが周囲を見渡した。

 うん。なんだ、その反応は。
 ようやく声帯が整ってきたので、声を出してみたが、変だったか。
 一応、昔の言葉よりも若干イントネーションが違っていたので、それに合わせてみたが、それでもおかしかったのだろうか。

「え? 今のって?」
「私じゃないですよ」

 側付きは「ないない」と手を振る。

「じゃあ……」

 3人の視線はようやく我に注がれた。


「初めまして、母上殿」


「しゃ!」
「しゃ!!」


「しゃべったあああああああああああ!!!!」


 3人は絶叫する。
 マリルなどは驚きすぎて、我を取り落としそうになったほどだ。
 危ないぞ、気を付けよ。

「信じられない。生まれたばかりの赤子が」

 助産師は口をあんぐりと開けて驚いていた。
 側付きも腰を抜かし、固まっている。

「本当にあなたが喋っているの? ――って、自分の子どもに『あなた』というのはおかしい気がするけど」
「ならば、ルブルヴィムと呼ぶがよい」
「ルブル――――えっと? ルブルちゃん?」

 ルブルヴィムだ。
 最後までしっかり覚えてくれ、母上殿。
 マリルは若干天然というヤツだろうか。

「そなたがそう呼びやすいのならそれでよかろう」

 しかし、気になるのはルブルヴィムという名前を聞いて、マリルも他の者も過剰に反応せぬところだ。
 自分で言うのは少々照れくさいが、これでも我はかつて大魔王と恐れられた、魔族の王である。
 昔は名前を聞いただけで、心臓を止めたものすらいたというのに……。

 この者たちが無知なだけか。
 それとも我の名前が風化するほど、年月が過ぎたのか。
 後で調べることにしよう。
 今は、この緊張した空気を緩める方が先決であろうな。

「ん?」

 ふと我の視界に飛び込んできたのは、部屋の中にあった姿見だ。
 おそらくここがマリルの寝室なのだろう。
 魔王城よりは遥かに簡素だが、建物自体の作りはしっかりしているようだ。
 安物ばかりだが、調度品の趣味も悪くない。

 だが、我が注目したのは、姿見に映った自分の姿だった。

「な、なんと脆弱な!!」



※ 後編へと続く。
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