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1章

第8話 夜空の下の奇跡

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「またね、ルヴルちゃん!」

「また明日。ご機嫌よう、ハーちゃん」

 我とハーちゃんは、寮の前で別れの挨拶を交わす。
 なかなか悪くない。
 学校から寮までの道のりは決して長くないのだが、それでも1人で帰っていた時よりも、ずっと何か身体の中が充実しているように感じる。

 魔王の時は天涯孤独だった。
 だが、我はそれを好み、むしろ徒党を組むものを冷たくあしらったこともあった。
 しかし、今我はそうした黒歴史を悔いている。

 友達、最高ではないか。

 だが、そうなると魔王も人間も欲が出るものだ。
 もっと色んな者と友達になりたい。
 我はそう思うようになった。

 そのためにはどうしたら最善か。

 首を捻りながら、学院から学院内にある学生寮に戻ろうとしていた時、我は道ばたで蹲る老婆を見つけた。
 見かけない顔だ。
 おそらく学院を訪れた来賓者であろう。

 我は学舎に残って、ハーちゃんと一緒に自習していたため、すっかり夕方だ。
 生徒はすでに学生寮に戻り、教官殿の姿もない。
 校舎はがらんとしていて、赤い夕日の光と細く長く伸びた我の影があるだけだった。

「どうしました?」

 我は駆け寄る。
 どうやら老婆は足をくじいたらしい。
 目が悪く、道の凹みに気付かず、足を踏み外してしまったようだ。

 老婆の足の容態を見て、我はピンと来た。

 仮に我が老婆の足を治せば、同窓の友の見る目を変わるのではないか、と。
 善行を積むことは人の信頼に繋がると、母マリルが以前言っていた。
 今回の機会だけではなく、同じような善行を積んでいけば、皆の見る目も変わってくるのでは、と思ったのだ。

「私がお婆さんの足を治してもよろしいでしょうか?」

「あなた? ここの生徒さん?」

「はい。まだまだ未熟者ですが」

「そう。じゃあ、お願いできるかしら」

 任された!
 我はふんと鼻息を荒くする。
 油断はできぬが、回復箇所はたかだか足の捻挫だ。
 この程度であれば、転生する前に幾度も治してきた。

 最高の回復魔術を施術してみせよう。

 我は手に魔力をためる。
 強く、強く、強く、時に禍々しいぐらい魔力が光る。
 その度に破裂音を鳴り響いた。

 夕闇が白く染まる中、老婆は我に質問する。

「あ、あの……。捻挫を治すのに、そんなに魔力が必要?」

「ご心配なく。すぐ立てるようにしてみせますよ」

「え? ちょ……。本当に…………?」

 手に十分の魔力を握り、我はいよいよ患部に向かって掲げる。
 狙いを定め、我はありったけの魔力を解き放った。


 さあ、回復してやろう!


 空が、大地が、そして我と老婆が、白く染め上げられる。
 膨大な魔力は回復魔術の餌となり、老婆を包んだ。
 完璧だ。
 寒気がするぐらいに……。
 我はそう確信した。

 やがて魔力の光が止む。
 再び夕闇の聖クランソニア学院の敷地に、我らは戻ってきた。

「これで治っているはずです」

「は~~あ……。びっくりした。足の怪我が治る前に、心臓が飛び出るかと思った。あ、ありがとう。回復魔術って随分と大げさなのね」

「すみません。ちょっと力が入りすぎたかもしれません」

「回復魔術っていうよりは、攻撃魔術みたいだったけど。じゃあ、よっ――――あれ、痛ッ!!」

 老婆は顔を歪めた。
 また足をさする。
 見ると、足の炎症は全く治ってなかった。

 む?

 あれ?

 もしかして……。

「あらあら……。治ってないみたいね」

「すすすすすみません。も、もう1度――」

「もういいわ。さっきのを見たら、今度こそ心臓が止まりそうだし」

 老婆はぼそっと呟く。

 くっ! まさか捻挫如き、治せぬとは……。
 油断? いや、違う。
 たとえ油断であったとしても、それもまた我が未熟だったということ……。

 捻挫だと侮った我が、未熟だったのだ。

「すみません。あのせめて家まで送らせてもらえないでしょうか?」

「家まで? でも、私の家――ここからだとちょっと遠いわ。馬車を使わないと」

「大丈夫です」

 我は軽々と老婆を背負う。

「あらあら。お嬢ちゃん、力持ちなのね」

「鍛えていますから。さあ、どこですか?」

「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えようかしら、あっちよ」

「わかりました。あっちですね」

 我は老婆を示した方を向く。
 ぐっと足に力を入れると、思いっきり跳躍した。
 高度は上がり、一瞬にして王都にあるあらゆる建物より高い場所に到達する。
 今にも、徐々に姿を現し始めた星に手が届きそうだ。

「ひゃああああああああああ!!」

 我におぶられた老婆が悲鳴を上げる。

「大丈夫ですか?」

「あ、あなた……。随分と高く飛べるのね」

「はい。鍛えてますから」

「今時の聖女はどんな鍛え方をしているのかしら。それにしても、綺麗ね」

 老婆は顔を上げる。
 夜空に浮かぶ星を見て、子どものような声を上げて感動していた。
 気持ちはわかるぞ。
 昔と比べて、随分様変わりしたが、それでも星々の輝きは、いつ見ても綺麗なものだ。

 しばし、我は老婆と一緒に夜空の星を楽しんだ。


 ◆◇◆◇◆


 ルブルは老婆を家まで送り届ける。
 家の前には、老婆の帰りを待っていた使用人が立っていた。
 老婆を引き渡し、ルブルは帰ろうとするが、寸前で止められる。

「あなた、名前は?」

「ルブルです。じゃあ、また。お元気で、おば様」

 ルブルは短く自己紹介する。
 スカートの端を摘まみ、優雅に一礼した。
 踵を返すと、そのまま風のように学生寮へと帰っていく。

 夜の闇に紛れるルブルを見ながら、老婆はあることに気付く。

 奇しくも新月の空に浮かぶ満天の星に違和感を覚えた。

「あら……。私、目が――――」

 と呟くのだった。
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