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1章

第9話 現れた敵将

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 次の日。
 我はまだ昨日のことを引きずっていた。
 怪我をした老婆を送り届けるのはよい。
 だが、あの老婆の足の怪我を治せた方が、さらに良かったはずだ。

 我は追加で回復魔術の訓練を行った。
 おかげで門限を大幅に破ることになり、マリルにこっぴどく叱られてしまった。

 無念だ。
 未熟ゆえ、もっと研鑽を積まなければ……。

 我が落ち込んでいる一方、聖クランソニア学院は何やら騒がしい。

 通学路に見習いの聖女や聖騎士が溢れる中、2人の男女が学舎の入口辺りに立っていた。
 男の方はかなり背が高い。
 貴族の正装を纏っているが、元軍人といったところだろうか。
 肩幅は広く、胸板も厚い。
 つんと上を向いた髭は如何にも偉そうだ。

 だが、さすが元軍人らしく、その目は油断できない鋭さを持っていた。
 おかげで学院の生徒が近づけないぐらい剣呑な雰囲気を放っている。

 ふむ。
 なかなかできるな、あやつ。

 感心していると、周囲の学生の声が聞こえた。

「あれって? ゴッズバルト元大将じゃない?」
「あの伝説的な英雄の?」
「カシス戦役で1人で1000匹の魔物を倒したって」
「学校に何用だ?」
「もしかして、家臣のスカウトとか?」

 ゴッズバルト元大将か。
 どうやらそれなりに名のある英雄のようだな。
 とはいえ、勇者ロロの足下にも及ばぬが。

 様子を窺っていると、側に立っていた女が我の方を指差した。

「あ、あの方です!!」

 ん? あの女の方は見たことがあるぞ。
 確か昨日老婆を送り届けた家にいた使用人だ。

 すると、使用人とゴッズバルトはこちらに向かってくる。
 それも全速力でだ。
 なまじゴッズバルトの方が我より身体が大きい故、まるで戦車が襲いかかってくるかのようであった。

 な、なんだ?
 は? まさか昨日、我が回復できなかったことに腹を立て、報復にきたとか。
 それとも我を大魔王ルブルヴィムと知り、討伐に?
 ぬぬぬ……。わからぬ。

 使用人とゴッズバルトは、キュッと我の前で立ち止まる。
 何もわからず、とりあえず我は臨戦態勢を取った。

 ゴッズバルトは大きく、胸を反る。
 まるで何かを振りかぶるようにだ。

 来るか……。
 どんな攻撃が来ようとも、我がすべてさばいてみせよう。

 そしてゴッズバルトは思いっきり頭を下げた。
 我の腰よりも低く。


「ありがとうございましたぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」


「へっ?」

 今、我――感謝されなかった?
 事情を聞こうとすると、ゴッズバルトは少し顔を上げる。
 こちらを向くと、あの強面の顔から滂沱と涙と鼻水、ついでに口から涎が垂れていた。

 うわ! 気持ち悪っ!!
 な、なんだ、こやつは。
 こんなに醜い人間を見たのは、初めてだぞ。

「あ、ありがとうございます。あなたのおかげで母は救われました」

「母?」

「昨日、あなたが助けてくれた老婆です」

 む? なんだ?
 こやつ、あの老婆の息子か。
 怪我をした老婆を家に送り届けたことを感謝しにきたらしい。
 それは良いが、我は送り届けただけだ。
 学院まで来て、感謝されるようなことはしていないはずだが

「感謝されるようなことは……。私は結局、お婆さまの怪我を治せなかったのですから」

「とんでもない!!」

「え?」

 ゴッズバルトは我の手を握る。
 涙を流したまま、まるで神でも見つめるように我に憧憬の念を押し付ける。

「あなた様は母が煩っていた不治の病を治してくれました」

「は??」

 いや、おかしい。
 我にはそんな病を治した覚えはないのだが……。

 驚く一方で、ゴッズバルトはこんこんと事情を話した。
 ゴッズバルトの母親は、不治の病を患っていた。
 病を治すため、様々な聖女や神官の下を訪れたそうだが、みな匙を投げてしまったそうだ。

 一縷の望みをかけて、聖クランソニア学院にいる【大聖母】のもとを訪れたのだが、結局病は治らなかったらしい。

 余命3ヶ月。
 それが母親に下された診断結果だった。

「ですが、あなたの回復魔術の施術を受けた直後、病巣が消えてしまったのです。しかも、同じく煩っていた目の病気まで。これはもはや奇跡というより他なりません」

 …………。

「これは少ないですが、治療費です。どうぞお納め下さい」

 ゴッズバルトは袋を解く。
 そこにはあったのは、山と積まれた金貨だ。
 貨幣の価値については、おおよそ我も理解している。
 たぶん、これだけあれば、我がアレンティリ家の屋敷を改築しても、同じ屋敷が2つぐらい買えるほどの金額だ。

 い、一体何が起こっている。
 おかしいだろ。
 我は失敗したのだぞ、回復魔術を。
 我は未熟な聖女だ。
 なのに、こんな大金……。

 はっ! そうか。もしや…………。


 この大魔王ルブルヴィムを哀れんでいるのか!?


 未熟ゆえ、我には才能がない、と。
 この大金を持ってお前は学院を去れというのか。
 くっ! くそ! 聖女として未熟者であることは事実。
 反論できぬ。

 しかし!
 我は大魔王ルブルヴィム。
 たとえ落ちぶれようとも、人間の施しなど受けん!

「こ、断る!」

「え? もしかして足りないと? ならば、後で持って来させよう。私を産み、育てた母をあなたは救ってくれた。病気が治るなら、地位や名誉も捨てても……」

「ち、地位や名誉!!」

「そう! 地位や名誉! この際、使用人の給料だって」

「だ、旦那様!!」

 くっ! こやつ、そこまでの覚悟なのか。
 地位や名誉をかなぐり捨ててまで、我に引導を渡そうというのか。
 なんという覚悟。
 天晴れと言わざる得ない。

 だが、それでも我は回復魔術を極めたいのだ。

「ダメだ。やはり受け取れん」

「なんと! あそこまでの奇跡を見せながら、対価を求めないとは。うおおおおおおんんんんん」

 ゴッズバルトは泣き出す。
 その後も、ゴッズバルトは泣きながら我に金貨を受け取るように迫ってきた。
 我はそれを事如く断る。
 その問答は、授業が始まるまで続いた。
 だが、その時様子を見ていた生徒たちの心の声を、我は知らなかった。

「ジャアクさんが、あのゴッズバルト様を泣かせてる」
「あの伝説の英雄を……」
「英雄を泣かせるほど、彼女は邪悪なのか」
「綺麗な顔してるけど、やっぱり恐ろしい子なのね」

 その件があって以降、我は一層恐れられることとなった。


~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~

ジャアクさんが、どんどん勘違いされていく……。
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