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3章

第36話 魔王と国王(前編)

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 我らは後宮の担当官と一緒に王宮の奥へと進む。
 その傍らには立派な口ひげを生やした如何にも老将という男と、長身のエルフの御者が控えていた。
 老将の男に手を取ってもらいながら、我は微笑みかける。

「ゴッズバルド将軍……。この度は不躾な願いを聞き届けて下さり、ありがとうございます」

 ゴッズバルドとは、以前我がゴッズバルドの母親を助けた時に、知己になった。
 今回、事情を話し、協力してもらったというわけだ。

「なんの……。母上の病を治してくれた恩に比べれば、容易いことです。かっかっかっ!」

 ゴッズバルドは豪快に笑い、王宮に響かせた。

 その横で憧憬の眼差しを向ける者がいる。
 御者に化けたネレムだ。

「あ、あ、あ、あの! ゴッズバルド将軍!」

「ん? なんだね?」

 ゴッズバルドが首を傾げると、ネレムは突然手を差しだした。

「ファンです! 握手して下さい!」

 あのネレムが顔を真っ赤にして懇願する。
 そう言えば、出会った時に何やらそのようなことを言っていたな。
 よっぽどの想い人なのであろう。

 というか、そういう事は出発前にやっておけば良かろう。
 まあ、ネレムのことだ。
 恥ずかしくて切り出せなかったというところか。

 一方、ゴッズバルドは場を弁えよとたしなめることもなく、気さくに握手に応じた。
 さらにネレムの顔が林檎のように赤くなる。
 やたらと粗野な言動が目立つネレムだが、エルフの少女も女の子というわけだな。

 すると、ネレムは突然ゴッズバルドを自分の手元に引き寄せる。
 その大きな耳に向かって、囁いた。

(大丈夫です。いつか将軍はあたいが救い出します。それまでのご辛抱です)
(??)

 何やら「辛抱」という言葉は聞こえたが、我には理解できなかった。
 ゴッズバルドにもわからぬらしい。
 頻りに首を傾げた後、豪快な笑いで微妙な空気を吹き飛ばした。

「なかなか面白い友達のようだね、ルヴル君」

「え? ええ……。時々突拍子もないことをして、場を和やかにしてくれるんですよ」

「なるほど! 頑張りたまえ、ネレム君!」

 ゴッズバルドは、バンバンと杭でも打つかのようにネレムの肩を叩いた。

「あの……。すみません。静かにしていただけませんか? ゴッズバルド様も」

 先導する担当官はたまりかねた様子で、顔を顰める。

「ところで、今どこに向かっているのですか?」

「王の間です」

「王の間? え? それはつまり――」

「王様が一目あなた方に会っておきたいと……」

「王様が私に?」

 さすがの我も驚いた。
 まさかこうも簡単に人類側の大将に出会うことになろうとは。

「正確にはゴッズバルド様にです。勘違いされませんよう。王がはしたない田舎貴族の令嬢に会いたいものか」

「貴様! ルヴル子爵令嬢は私が推薦した娘だ。それを愚弄するのか!」

 ゴッズバルドは猛る。
 担当官に向かって今にも猪のように突進しかねないぐらい、顔を赤くした。
 当然、担当官は「ひっ」と悲鳴を上げる。
 思わず腰を引き、顔を青ざめさせた。

「ゴッズバルド様、そのぐらいで……。私は慣れておりますので」

 我は猪武者の手綱を握る。
 鼻から勢いよく息を吹き、気勢を吐いたゴッズバルドは些か落ち着いた様子で、担当官を見下した。

「ルヴル嬢に免じてこれぐらいにしてやる。だが1つだけ忠告しておく。私が王宮に関与せずに隠居しているのは、お前らのような腐った権威主義者が蔓延っているからだ。国王様がどれほどそのことで、心を痛めておられるか。家臣一同、今一度考えを改めよ!」

 ゴッズバルドは喝破する。
 その気合いはなかなか凄まじい。
 おかげで担当官は「ひゃああああ……」と情けない悲鳴を上げて、王宮の奥へと逃げてしまった。

「よ、よろしいのですか、ゴッズバルド様?」

「構いません。あのような貴族でもない家臣が権威を掲げるものには、いいお灸でしょう。まあ、権威を持っていて、それを盾にし人を脅かす輩はもっと嫌いですけどね」

 どうやらゴッズバルドは侯爵という爵位を持っていても、学院にいる貴族の子息とはまた違った考えの持ち主のようだ。

 だが、これこそ君主といえるのではないだろうか。
 まあ、家臣に興味なく、術理を極めることに没頭した魔王がいうことでもないだろうが。


※ 後編へ続く
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