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デート後半

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道路沿いの喧騒から大分離れた静かな公園で、僕と百合はしばしの休息を取っていた。

立ち並ぶ古い住宅の集合の一角を切り取るようにして鎮座していたこの公園は、遊具が少ないせいだろうか、僕たち以外の人は見当たらなかった。

遠くから差す夕日に横顔を照らされながら、僕は中央の方へ置かれたベンチに腰を下ろしていた。

結局、かなりの時間が百合との押し問答で消費されてしまった。

本来なら今頃は、家でゲーム内のギルドメンバーとクエストにでも出かけている時間帯だろうか。

今日は日曜だから明日は平日。つまり学校へ行かなくてはならない。

本来なら一週間ですり減らした神経を回復するための休日が、逆に僕を摩耗させている事実に、僕は嘆息する。

「本当、何やってんだろうなぁ…僕…ははは…」
薄ら寒い笑いが漏れるとともに、何か喪失感めいた感情が僕を蹂躙する。

抗えぬ倦怠に身を任せ、虚空を見つめてぼんやりしていると。

「みて下さい圭一!てんとう虫を捕まえましたよ!」

公園に着くなり、何やらしゃがみ込んで地面をじっと見つめて歩いていた百合が、明るい声とともにこちらへ駆け寄って来た。

手には七つの黒点を持った小さな虫が、ちょこんと乗ってひっくり返っていた。

「子供か!」

百合の年齢にそぐわない無邪気な笑顔に、思わず突っ込んでしまう。

「子供じゃありません!私は正真正銘、れっきとした大人の女性です。」

ムッとした表情でそう言った。

「大人の女性ねぇ…」

そう呟いてから僕はちらりと、百合の控えめな胸に視線をやった。

「圭一。私の胸に何か不満でもあるんですか?」

ずいっとこちらに顔を寄せて、ジト目のお嬢様。

「はいはい。僕は百合に何も不満はないよ。百合の全てが好きですから~~。」

そんな彼女に、僕はひらひらと手を振って棒読み口調でそう告げた。

すると僕のぞんざいな態度が気に入らなかったのか、百合は更にこちらへと顔を寄せててまっすぐに睨みつけてくる。

というかかなり近かった。

「何ですか圭一。拗ねてるんですか?」

「別に拗ねてない。」

「いいえ、拗ねてます。」

「拗ねてないったら。」

認めない姿勢を崩そうとしない僕に、百合は呆れたように嘆息した。

「わかりました。私も休日の貴重な時間を潰してしまって悪かったと思っています。ですから…」

百合は一度そこで言葉を切ってから、少し悪戯っぽい笑みで僕を見返して来た。

僕が視線で先を促すと、勿体つけたように言葉を続ける。

「取り調べを頑張った圭一にはご褒美をあげます。」

そういうな否や、手のひらのてんとう虫を地面に放してやり、公園の隅にある自動販売機へ向かって足早に駆けて行ってしまった。

そしてすぐに帰ってきた彼女の手には、一本の飲み物が握られていた。

流石はストーカーお嬢様、僕の好みのグレープジュースを選んだのはポイントが高いが、だからといってこちとら飲み物一本程度で許してやるほど寛容になることは出来ない。

ゲーマーにとって、休日に自室のベッドに寝転がりながらひたすらクエストを周回してドロップアイテムを集める時間がどれほど貴重であるか、百合はちっとも分かっていない。

それこそたかが百円ちょっとでチャラにできるような安価な代物であってはならないのだ。

僕が即座に不満の意を表明しようとすると、やおらペットボトルの蓋を開けた百合は、あろうことか自分で飲み始めてしまった。

そして僕の目の前で全てを飲み切ってしまった百合お嬢様は、ふぅと満足そうに息を吐いてから、空になったペットボトルを渡してきた。

呆気にとられている僕に、クスリと笑いかけた百合は。

「あげます。」

それきり、またしゃがみこんで虫を探し始めてしまった。

「…」

僕は哀れにも、再度捕まってしまったてんとう虫を横目に、手元のペットボトルに視線をやった。

ただのゴミではない、ややもするとどんなレアキャラよりも価値のあるかもしれない、ペットボトルの口の部分を、僕はまじまじと見つめた。

そして百合がてんとう虫に夢中になってこちらを気にも止めていないのを確認してから、ゆっくりと自らの鼻へペットボトルの口を近づけた。

ゴクリと喉を鳴らしそれから一思いに息を吸い込んだ。

「こ、これは…!?」

グレープフルーツの香りがした。

グレープジュースの匂いを嗅いだのだから、グレープフルーツの香りがして当然だった。

僕は無言でペットボトルに蓋をして、カバンの奥底にしまい込んだ。

東雲家末代までの家宝が確定した瞬間だった。

いずれにせよ、これだけで勘弁してやる僕は、かなり出来ている部類の人間だと思いました、はい。


百合と初めて本屋へ行った時は、そりゃあもう散々だった。

誰でも一度は想像したことのある「ここからここまで全部下さい。」ってやつ。

よもや現実に本当にそれをやってのける者がいるなど夢にも思わなかった。

「こっちの棚からこっちの棚まで全部下さい!」

店員を呼んだ百合が高らかに宣言すると、どこからともなくサングラスをつけた黒服の男が二人、銀のアタッシュケースを持ってやってきた。

口を半開きにして唖然となっている店員の前で開かれたケースには、それはもう景気のいいくらいにぎっしりと諭吉さんが詰まっていた。

百合が指定した棚にはこの店全ての少女漫画が置かれており、取引が成立して仕舞えば二、三日目は店頭から少女漫画が消失することになる。

流石にお店にもお客にも迷惑だろうと僕がどうにか百合を説得しようと試みるも、頑固な百合お嬢様はなかなか首を縦に振らない。

呆れ返った僕が嘆息し、ふと百合に指定された棚を見やると。

「ん?」

僕の視界が捉えたのは、一番端の方の、少しばかり過激で肌色の目立つイラストの少女漫画が集合している場所だった。

それを見ることしばし、僕の頭の中に、ある目測が降って湧いた。

突拍子も無いその見立ては、しかし百合という常識度外視な存在に当てはめてみれば、十分にありえる話だった。

「ねぇ百合?どうしてそんなに一気に買う必要があるの?また来週もこればいいんじゃない?」

僕が出来るだけ真意を悟られぬよう尋ねると、「そ、それは…」と言葉を濁した百合は、ちらりと棚の一角を一瞥した。

彼女の視線の先は、やはり過激なコーナーだった。

百合のほんのりと赤い頬と、若干汗ばんだ首筋をみて僕は確信した。

ああ、これあれだわ。

エロ本を単体で買うのが恥ずかしいから、哲学書をセットにして買っちゃうあれだわ。

それを国一のお嬢様スケールでやるとこうなるんだわ。

恐らく彼女の興味はあの端の方のエッチな少女漫画で、けれどそれだけ買うとふしだらに見られて嫌だとかそういうことなのだ。

さっきからずっと「先生と私のヒメゴト」ってタイトルに視線が吸い寄せられてるし。

僕の勘だけどあれは結構釣りタイトルで、むしろ本当にエロいのは隣にある「とある会社の一室で。」の方だと思うけどなぁ…

まぁ百合の気持ちは分からなくもない、というか痛いほど理解できてしまうけど、だからといって近辺のタイトルを全て買い占めるのはいくらなんでもやり過ぎだろう。

恥ずかしがりやなお嬢様に、僕はある提案をそっと耳打ちした。

「あの時は大変だったなぁ…」

「何がですか?」

「いや、何でもない。」

僕が首を振ると百合は「そうですか。」といって手に取った漫画のあらすじに目を落とした。

公園でしばし体を休めた後、僕らは最寄りの書店まで足を運んだ。

百合のやつ希望により真っ先に僕らがやってきたのはやはり少女漫画の置かれているコーナーだった。

百合お嬢様は、少女漫画が大変お好きであらせらるのだ。

僕に出会うまで、そもそもその存在すら知らなかった彼女は、ぼくが試しに勧めてみた有名タイトルにどハマりし、以後デートの度に書店へ入り新しいタイトルをあさるようになってしまった。

世間知らずの箱入りお嬢様である彼女の目には、少々焦れったく、もどかしく、そして時には過激で情熱的である男女の恋物語が、ひどく新鮮に映ったのだろう。

さて今日は何を買うつもりだろうと百合の方へ視線をやると、案の定、表紙に服をはだけさせた男女のイラストが描かれているものを手に取っていた。

あらすじをみて「そそそ、そんなことを!?」などといって頬を赤くしていたが、僕の視線に気づいてさっと棚に戻した。

どうやら今日はあのタイトルを僕が買わなくてはならないようだった。

百合が書店の少女漫画を全て買い占めようとしたあの事件以降、彼女が買いたくても買えないようなエッチなタイトルは、僕が買うのが暗黙のルールとなってしまった。

僕が購入し家に持ち帰って、自室の棚に置いておく。

すると僕のいない間に勝手に部屋へ侵入したストーカーお嬢様がこっそり読む、という手筈になっているのだ。

まぁこれで余計な面倒ごとを起こさずに済むと考えれば安いのかもしれなかったが、毎週のようにこれを繰り返していたら、僕の財布が寒々しくなってしまうのは必至だった。

今日も今日とて百合が気にしていたタイトル「私の王子様は奥手」全8巻をなけなしの所持金をはたいて購入した僕は、すっかり軽くなってしまった自らの財布に嘆息を禁じ得なかった。

どうやら今月も課金アイテムの購入は諦めなくてはならないようだった。

「圭一は何も買わないんですか?」

ホクホクの笑顔で訪ねて来やがった百合お嬢様この野郎に文句の一つでもいってやろうと心底思ったが、やめておいた。
国一のお嬢様を怒らせてしまうと後が怖いから。

まぁ買いたかったライトノベルの新刊は、今度小次郎にでも貸してもらおう。あいつならきっと全巻揃えているに相違ない。

迎えにやって来た、いかにもって感じのリムジンの窓から手を振る百合を見送り、僕は帰路に着いた。

二駅行ったところで電車を降りて、大通り沿いを数分進み、脇道へ逸れた。

日はとっくに沈み、空は黒の一色に染まっている。

所々に佇んでいる古びた電柱の弱々しい明かりを頼りに、狭い道をとぼとぼと歩いた。

おおへ越して来た当初は、随分と薄気味悪かったこの道も今では慣れっこだった。

まもなく現在の僕の住まいであるアパートが見えて来た。

僕の部屋は203号室で二階だ。

階段を上るとき、誰もいない通路に靴音が反響した。

「ふぅ…」

ドアノブに手をかけた僕は一息着いてから一気に開いた。

「あ!お帰りなさい圭一!もう少し待ってくださいね。今日の夕食は圭一の好きなシチューですから。」

さも当たり前といった風にキッチンに立って料理をしていた、つい小1時間ほど前に別れたはずの百合お嬢様がそんなことを言ってきた。

不平の一つでもいってやろうと口を開きかけたけど、香ばしい香りが僕の鼻孔を刺激して、お腹がぐうと情けない音を立ててしまったために、遂に言いそびれた。
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