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第1章

2 私の全てを持つ人よ

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   また最期の夢を見てた。
   窓の外は雲一つない青空で、鳥だって歌うように鳴いているのに、私の心は今日見た夢のせいでなんとも言えない物悲しさで満たされている。
   あの夢、最後の愛してるって所だけリピートできたらいいのに…。


    前世の記憶がある、なんて言ったら大抵の人は何を馬鹿な事をと思うだろう。自分の置かれている立場が違えば、おそらく私もそう思ったはずだ。だけど、実際に前世の記憶を持つ身としては、それは馬鹿な事でもありえない事でもないのだ。
   ホテル経営を主とした大企業、株式会社MITSUIの代表取締役を父に持つ、誰もが認めるお嬢様な三井真咲みついまさきとして生まれて早十五年。ぽつぽつと見ていた夢が自分の前世の記憶だと、なんの違和感もなく理解できた七年前から彼は私の心に棲みついている。
「龍太郎さん…。」
   斎藤龍太郎さいとうりゅうたろうさん。私の前世の恋人だ。短く切られた黒髪にあの時代の男子にしては高めの背丈、日本男児の手本となるような鍛えぬかれた体。笑った顔は爽やかさにどこか柴犬のような愛らしさが交じり、たまに見せる独占欲に染まった熱い視線は私のお気に入りの一つでもある。
   前世の私は確かに愛されていたし、私もまた彼を愛していた。
   その恋が禁忌だと知っていたにも関わらず、想いを捨てる事も告げないでいる事もできなかった。



   私はまた貴方に愛されたいです。
   龍太郎さん。
   その腕で私を抱きしめたいと言ったのは貴方の方なんですから、早く抱きしめに来てくれればいいのに……なんて。今の時代に生を受けているかも怪しいのに、そう簡単に見つかるなんて思ってない。
「……それでももし会えたら、私の事抱きしめて、愛してるくらい言ってほしいものです。」
   今日から三年間通う東崎とうざき高校の制服に着替え、鏡の前で服装に乱れがないかチェック。紺色のセーラー服。白いタイには皺一つ無い。スカートのヒダも勿論綺麗。そしてモデルにも引けを取らない顔とスタイル。
「うん。相変わらずの美少女。いつ龍太郎さんに出会っても恥ずかしくない。」
「うんうん。相変わらずの自画自賛も可愛い可愛い。」
   急に扉の方から勝手に返事を返された。相手が誰かなんて声で分かるし、その前に予想がつく。
   女の部屋に勝手に入ってくるな。
   声の主をじとーっと睨みつけてやれば、やっぱりこいつだ。
天川てんかわ…。」
「おはよう三井。」
   見慣れたにやけ面で手を振る声の主は、幼馴染みの天川凪てんかわなぎ。女みたいな名前のれっきとした男だ。私には劣るけれどまあまあ頭も良いし運動もできる。おまけに顔も女が好みそうな甘いマスクときたもので、小学生の頃から何かとモテていた。優しいと評判だけれど、たまに何考えてるのか分からない冷めた目をする。ただ優しいだけの男じゃないんだろう。本人にそれを問いただした事はないけれど。
「何しに来たんです? 寝坊してるとでも思いました?」
「お前がそんな事するなんて思ってないよ。ただ季節の変わり目に、いつも変な夢を見るだろ?今日も見てるのかなと思ってさ。来ちゃった。」
「……見ましたよ。あと変な夢じゃないです。」
「はは。泣いてないんだね。」
「さすが優しい天川君は心配してくれたんですか。心配には及びません。もうあの夢にも慣れました。」
   あの夢は私と龍太郎さんの最後の邂逅の瞬間だ。待っていろと言った龍太郎さんを私は死ぬ間際まで待ち続けたけれど、龍太郎さんが私の所に戻ってくることはなかった。この夢を見て、幼い頃の私はよく泣いていた。あの時出会えなかった悲しさと、龍太郎さんが私の隣にいない現実を子供の弱い精神で受け止めることが難しかったのだと思う。。
   懐かしい。今は龍太郎さんのいない現実もしっかり見えているし、悲しみに耐えられるくらいには大人になったつもりだ。
   泣いていた頃の私はもういない。


「私の体や心は勿論、涙だって龍太郎さんのものなんです。勝手に泣くのは許されませんよ。」


   私の全てを持ってる人。
   今年こそ見つけ出してみせる。
   心の中で息巻く私の耳に、天川の呆れ混じりの笑いは届かなかった。

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