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しおりを挟むその夜、俺たちは小さな丘のふもとに野営地を設けた。焚き火の周りで食事を取りながら、順番に見張りの担当を決める。
「明と俺が前半。後半は有紗と純子でいいか?」
「はーい、了解」
「了解。風が出てきたから、火の番もしておくわ」
「にしても……空、綺麗だな」
焚き火越しに空を見上げると、山の星空は息を呑むほどだった。静寂の中に、焚き火のはぜる音が響く。
「うん。なんだか、世界が広く感じるね……」
有紗が手を止めて空を見上げた。
「これから向かう風の谷も、こんな風に夜を過ごしてたのかな」
俺の言葉に、純子がうなずいた。
「……『第一の言葉』、残ってるといいね」
と、その時だった。
風が止まり、焚き火の火が一瞬、まるで吸い込まれるように小さくなった。
空気が変わる。俺たちは、全員が同時に立ち上がっていた。
「……いる」
明が剣を抜きながら呟く。
草むらの奥――闇の中に、赤く光る目が三対、現れた。
その直後、獣じみた唸り声が低く響き、地を蹴って飛び出してくる。
「魔獣っ! 三体――いや、四体!」
純子がすばやく弓を構え、矢をつがえる。
全身を黒い毛で覆われた、狼に似た魔獣だった。だが背丈は大人ほどもあり、背中から棘のような骨が突き出している。
「防御陣形っ! 沙耶、有紗は後ろ! ロメオさん守って!」
「了解っ!」
「矢、いっくよーっ!」
沙耶の矢がひとつ、暗闇を裂いて放たれた。命中――だが魔獣は怯むことなく突進してくる。
「くっ、速いっ!」
俺が剣を構えた瞬間、左から来た一体が俺に跳びかかってきた。
「完全見切り!」
体が勝手に動く。剣が閃き、魔獣の爪を紙一重でかわすと、逆に俺の斬撃が魔獣の喉元を断ち切った。
「一体撃破! けどまだいるぞッ!」
「フレイムバスターッ!!」
明の剣に炎が灯り、振り抜かれた一撃が魔獣の胴体を引き裂いた。
「二体目ダウン、三体目は……っ!」
「取ったわ!」
純子の矢が三体目の頭部に突き刺さり、ぐらりと揺れて地面に沈む。
最後の一体が、有紗と沙耶の方へ向かって突進した。
「来ないでぇぇええ!」
沙耶が叫びながら矢を放つ。だが魔獣は怯まず、一直線に――
「セイントシールド(味方一人を光の盾で包み、防御力を上昇させる魔法)!」
俺は魔法で沙耶を守りながら、すぐさま駆け出した。
「斬光断(剣から閃光を放ち、一直線上の敵を高速で切り裂く中距離技)!」
地を蹴り、飛び込む。剣に魔力を集中し、真正面から斬り上げる。
光の刃が長く伸び、魔獣は両断され、短い呻き声を上げて沈んだ。
……静寂が戻る。
焚き火の火が、再び元の明るさに戻っていた。息が白く吐き出され、地面に血の匂いが染み込む。
「……ふぅ、終わったか」
明が剣を納める。
「完全に奇襲だったわね。魔力の気配を遮断してたのかしら……」
純子が悔しそうに弓を握りしめた。
「でも、被害は……ないよね?」
有紗が周囲を見渡す。みんなが無事だったことに、安堵の空気が流れた。
「危なかったなぁ……まったく、夜の山は油断ならん」
ロメオさんが鞄を抱えながら、口元を引き結んでいた。
俺たちは魔獣の死骸を『買い取り』スキルで片づけ、見張りを強化しつつ、再び焚き火の周囲に集まった。
静かな星空は、何事もなかったように、ただきらめいていた。
そして翌朝。
夜明け前の山道は、まだ深い闇を背負っていた。馬車の車輪がごとごとと軋む音と、馬の息づかいだけが、静寂の中に溶けていく。
不意に、馬車が止まった。
「着いたよ。ここからは徒歩だ」
御者の低い声に、俺たちは次々と目を覚ました。扉を開けると、冷たい朝の空気が肌を突き刺し、眠気を一瞬で吹き飛ばす。
そこには、静まり返った谷――風の谷が、霧のヴェールの向こうに息をひそめていた。
山々に抱かれるように沈んだその谷は、まるで時間から切り離された場所のようだった。低く垂れ込めた霧は銀白色に揺らぎ、草木の葉には夜露が光っている。空はまだ薄暗く、東の空にうっすらと朝焼けの色が滲んでいた。
馬車を降りた瞬間、足元の土と石がじっとりと冷たく、しっとりと湿っていることに気づく。
「ここが……風の谷……」
俺が一歩踏み出すと、足元の古びた石畳がカチリと鳴いた。その音が、まるで目を覚ましたかのように谷の空気を揺らした。
風が――吹いた。
霧を割るように、柔らかく、それでいてどこか重たく。草の葉をかすかに揺らし、俺たちの頬を撫でて通り過ぎていく。
「うわ……」
沙耶が思わず声を漏らす。霧の中から、誰かの気配が――本当に、確かに――感じられた。
「感じる……何かが、この谷に残ってる」
純子が、矢筒に手を添えながら低く呟く。彼女の眉間には、微かに緊張の影が差していた。
「この空気……精霊信仰の残滓かもしれん。まだ、消えきっていない……」
ロメオさんが呟くように言いながら、本を胸に抱きしめる。その眼差しは真剣そのものだった。普段の軽さは消え、まるで長年の夢がついに現実になったかのような、そんな確信がその瞳に宿っていた。
霧の奥に目を凝らすと、かすかに建物の影が見えた。崩れた石壁、蔓に覆われた木造の門、そして……その先には、人のものとは思えないほどかすかな足跡が、湿った地面に続いている。
「門が……生きてるように、軋んでる……」 有紗が小さく呟く。確かに、風が吹くたびに、木の扉が、ぎ……ぎい……と鳴っていた。
「よし。行こう」
俺は、深く息を吸い込んだ。朝の冷たい空気が肺を満たし、身が引き締まる。
「第一の言葉を見つけるんだ」
仲間たちが、それぞれの武器に手を添えながらうなずいた。
静寂の中、俺たちは一歩ずつ、霧の奥――かつての祈りと暮らしが消えた“風の谷”へと足を踏み入れていった。
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