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10.微風
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貴冬は広間の膳が整ったのを見届けて、廊下に出た。
(ああ、彼が)
向かってくる集団の中に、一際大柄な虎猫族の青年を見て、納得する。背格好が似ていると、氷冴尾が言っていた通りだった。不躾なほど見ていた訳ではないが、視線が合い、その場で軽く会釈をする。見ていた事を気にした様子はなく、笑みが返ってきた。
「ああ、貴冬。膳の用意は」
「整っております」
「そうか。手間になるが、氷冴尾殿の膳は離れに頼む」
「離れに、ですか?」
「ああ、あちらに居ると言うのでな」
「…解りました」
族長の言葉に頷いて、貴冬は一行と一緒に部屋へ入り、海春の横の膳を手に取った。
運ばれていく膳を見送って、爪刃は族長に詫びる。
「いつも手間をかけさせてしまっているのですね。本当にご迷惑であればはっきり言ってくださって構いませんので」
「いや本当に迷惑という事は。それに、いつも離れで食べておられるのを、今日は貴殿がいらっしゃるから共にするかと思いこちらに運んだのです」
「その日その日ではなく、いつも、離れで?」
「ええ」
「そうですか。では、呼んできましょう」
「は?」
「先に初めていてください」
爪刃は春陽に座るよう促してから、部屋を出た。先ほどの離れに向かって歩き出す。ほどなく、膳を下げていた青年の後ろ姿を捉えた。
(確か…)
「貴冬殿?」
春陽からも兄のような存在だと何度か聞いていた名前であるし、先ほど族長が呼びかけるのも聞いた。間違いないだろう。
「はい」
「何度も手間をかけさせて申し訳ないが、膳は元の通りにしてくれ。氷冴尾は俺が連れて行くから」
「…ですが」
「大丈夫。すぐに連れて行く」
振り返った貴冬に言って、追い越し、離れの戸を開く。
「氷冴尾! おーい、氷冴尾! いないのかぁ?」
繰り返し呼ぶと、不審そうな顔で奥から氷冴尾が現れた。
「何?」
「少なくとも俺はお前と積もる話があるんだから、お前も一緒に食え」
氷冴尾はうんざりしたように溜息を吐いたが、大人しく下駄を引っ掛けた。表に出ると、驚いたような顔で貴冬が膳を手に立っているのが目に入る。
「ここまで運んで来てるならやっぱり」
中で食べると氷冴尾は言いかけた。
「いや、運ぼう」
が、貴冬はそう言って踵を返す。
「ほら行くぞ」
氷冴尾の肩を掴み、爪刃も促してくるため、大人しく歩き出した。
(あんまり、仲良くないって…すぐ解るだろうな)
従兄と春陽は仲良くやっているようだが、自分と海春は違う。氷冴尾は現状で問題が無いと思っているが、爪刃は仲が悪いと知れば、何とかしようとするだろうか。困惑しながらも大人しく座に向かう。
「貴冬兄さん。氷冴尾さんの膳はこちらに」
先に氷冴尾と爪刃が部屋に入り、貴冬が後ろから膳を海春の隣へ運ぼうとするのを呼び止めて、春陽は自分の隣を示した。
「せっかくですから、先ほどのお話を聞かせてください」
ね、とわがままを言っているような振りで、気遣いをする春陽に、氷冴尾はこくりと頷いた。
(優しい奴は皆同じだ)
春陽の横に座れば、膳を置く貴冬も、良かった、と言わんばかりの微笑だ。氷冴尾は、気遣われているという、不快ではないが居心地の悪い感覚に、意味もなく座り直した。
「む」
食事が始まって早々、魚の刺身を口に入れるなり険しい顔をした爪刃に、氷冴尾の方を向いていた春陽が振り向く。
「鰹だよ」
「これがそうか」
鰹は確か氷冴尾が手紙で美味いと書いていた魚だ。
何かおかしなところがあったのかと見つめていた春陽の頭を飛び越えて、従兄弟達のお互いを見もしない会話は行き来する。
「氷冴尾」
「何?」
「その皿をこっちによこしてくれても良いんだぞ?」
「嫌だよ」
目も合わせずにとんとんと調子良く会話をする二人に挟まれた春陽は、思わず笑ってしまった。
「爪刃様、こちらをどうぞ」
「良いのか?」
「はい。たくさん召し上がって下さい。犬狼の里を少しでも気に入っていただけると嬉しいので」
「少しどころか大いに。こんな美味い物を毎日食べているとは、氷冴尾め、本当に手紙通りだな」
「そうだね。白身の魚も川魚に比べると美味いのが多いよ」
「早々に商業路を整備しないとな」
「足の速い馬でも使わないと生魚は無理じゃない」
「近頃は魚を保たせる箱があるらしい」
「へぇ」
爪刃は不意に顔を上げ、犬狼の族長と目を合わせた。
「こうして両里が結びついたのですから簡単なことです」
「…そうですな」
勢いに押されるように、僅かに苦笑めいた笑みで犬狼の族長は応えた。
結局、氷冴尾は春陽に爪刃の話をする事はなかった。春陽が終始楽しそうに氷冴尾へも声をかけてくれたため、海春の言葉を交わさなかったのも、目立ちはしなかっただろう。
(終わった…)
食事を終えると、氷冴尾は早々に離れへ向かった。爪刃は族長同士での話し合いがあるし、春陽、というより海春が話したい様子だったので、昼寝を理由に離れに戻ったのだ。
離れにすぐ入ろうとして、いつも登る木の下に貴冬が立っているのを見つけた。
「何してるんだ?」
別に声をかけなくても良かったのだが、久しぶりに爪刃と話をして、口が軽くなっていた。なんとなく、話をしたくて、つい近付いて声をかけた。
「木を見ていた」
「あっそ」
そんな見て解る事をしていたのかと首を傾げるが、貴冬はそれ以上何も言わなかった。
「もう良いのか?」
「何が?」
「積もる話があるんじゃなかったか」
「爪兄となら別に。春陽とは爪兄がいなくなったら話すよ。悪口をいっぱい吹き込まなきゃいけないし」
少しの間立ち話をしていた二人だったが、氷冴尾が欠伸を漏らしたのを機に、話を止めた。
貴冬もまだ昼餉を終えていない。いい加減離れようと、口を開きかけた。
「あ、そうだ。これ」
しかしながら、それよりも早く氷冴尾が懐から文を取り出した。
「渡すの忘れたから、あっちに行くなら爪兄に渡しておいてくれ」
「解った」
いつもと同じ蝶の便りを受け取って、貴冬はその場を離れた。
(ああ、彼が)
向かってくる集団の中に、一際大柄な虎猫族の青年を見て、納得する。背格好が似ていると、氷冴尾が言っていた通りだった。不躾なほど見ていた訳ではないが、視線が合い、その場で軽く会釈をする。見ていた事を気にした様子はなく、笑みが返ってきた。
「ああ、貴冬。膳の用意は」
「整っております」
「そうか。手間になるが、氷冴尾殿の膳は離れに頼む」
「離れに、ですか?」
「ああ、あちらに居ると言うのでな」
「…解りました」
族長の言葉に頷いて、貴冬は一行と一緒に部屋へ入り、海春の横の膳を手に取った。
運ばれていく膳を見送って、爪刃は族長に詫びる。
「いつも手間をかけさせてしまっているのですね。本当にご迷惑であればはっきり言ってくださって構いませんので」
「いや本当に迷惑という事は。それに、いつも離れで食べておられるのを、今日は貴殿がいらっしゃるから共にするかと思いこちらに運んだのです」
「その日その日ではなく、いつも、離れで?」
「ええ」
「そうですか。では、呼んできましょう」
「は?」
「先に初めていてください」
爪刃は春陽に座るよう促してから、部屋を出た。先ほどの離れに向かって歩き出す。ほどなく、膳を下げていた青年の後ろ姿を捉えた。
(確か…)
「貴冬殿?」
春陽からも兄のような存在だと何度か聞いていた名前であるし、先ほど族長が呼びかけるのも聞いた。間違いないだろう。
「はい」
「何度も手間をかけさせて申し訳ないが、膳は元の通りにしてくれ。氷冴尾は俺が連れて行くから」
「…ですが」
「大丈夫。すぐに連れて行く」
振り返った貴冬に言って、追い越し、離れの戸を開く。
「氷冴尾! おーい、氷冴尾! いないのかぁ?」
繰り返し呼ぶと、不審そうな顔で奥から氷冴尾が現れた。
「何?」
「少なくとも俺はお前と積もる話があるんだから、お前も一緒に食え」
氷冴尾はうんざりしたように溜息を吐いたが、大人しく下駄を引っ掛けた。表に出ると、驚いたような顔で貴冬が膳を手に立っているのが目に入る。
「ここまで運んで来てるならやっぱり」
中で食べると氷冴尾は言いかけた。
「いや、運ぼう」
が、貴冬はそう言って踵を返す。
「ほら行くぞ」
氷冴尾の肩を掴み、爪刃も促してくるため、大人しく歩き出した。
(あんまり、仲良くないって…すぐ解るだろうな)
従兄と春陽は仲良くやっているようだが、自分と海春は違う。氷冴尾は現状で問題が無いと思っているが、爪刃は仲が悪いと知れば、何とかしようとするだろうか。困惑しながらも大人しく座に向かう。
「貴冬兄さん。氷冴尾さんの膳はこちらに」
先に氷冴尾と爪刃が部屋に入り、貴冬が後ろから膳を海春の隣へ運ぼうとするのを呼び止めて、春陽は自分の隣を示した。
「せっかくですから、先ほどのお話を聞かせてください」
ね、とわがままを言っているような振りで、気遣いをする春陽に、氷冴尾はこくりと頷いた。
(優しい奴は皆同じだ)
春陽の横に座れば、膳を置く貴冬も、良かった、と言わんばかりの微笑だ。氷冴尾は、気遣われているという、不快ではないが居心地の悪い感覚に、意味もなく座り直した。
「む」
食事が始まって早々、魚の刺身を口に入れるなり険しい顔をした爪刃に、氷冴尾の方を向いていた春陽が振り向く。
「鰹だよ」
「これがそうか」
鰹は確か氷冴尾が手紙で美味いと書いていた魚だ。
何かおかしなところがあったのかと見つめていた春陽の頭を飛び越えて、従兄弟達のお互いを見もしない会話は行き来する。
「氷冴尾」
「何?」
「その皿をこっちによこしてくれても良いんだぞ?」
「嫌だよ」
目も合わせずにとんとんと調子良く会話をする二人に挟まれた春陽は、思わず笑ってしまった。
「爪刃様、こちらをどうぞ」
「良いのか?」
「はい。たくさん召し上がって下さい。犬狼の里を少しでも気に入っていただけると嬉しいので」
「少しどころか大いに。こんな美味い物を毎日食べているとは、氷冴尾め、本当に手紙通りだな」
「そうだね。白身の魚も川魚に比べると美味いのが多いよ」
「早々に商業路を整備しないとな」
「足の速い馬でも使わないと生魚は無理じゃない」
「近頃は魚を保たせる箱があるらしい」
「へぇ」
爪刃は不意に顔を上げ、犬狼の族長と目を合わせた。
「こうして両里が結びついたのですから簡単なことです」
「…そうですな」
勢いに押されるように、僅かに苦笑めいた笑みで犬狼の族長は応えた。
結局、氷冴尾は春陽に爪刃の話をする事はなかった。春陽が終始楽しそうに氷冴尾へも声をかけてくれたため、海春の言葉を交わさなかったのも、目立ちはしなかっただろう。
(終わった…)
食事を終えると、氷冴尾は早々に離れへ向かった。爪刃は族長同士での話し合いがあるし、春陽、というより海春が話したい様子だったので、昼寝を理由に離れに戻ったのだ。
離れにすぐ入ろうとして、いつも登る木の下に貴冬が立っているのを見つけた。
「何してるんだ?」
別に声をかけなくても良かったのだが、久しぶりに爪刃と話をして、口が軽くなっていた。なんとなく、話をしたくて、つい近付いて声をかけた。
「木を見ていた」
「あっそ」
そんな見て解る事をしていたのかと首を傾げるが、貴冬はそれ以上何も言わなかった。
「もう良いのか?」
「何が?」
「積もる話があるんじゃなかったか」
「爪兄となら別に。春陽とは爪兄がいなくなったら話すよ。悪口をいっぱい吹き込まなきゃいけないし」
少しの間立ち話をしていた二人だったが、氷冴尾が欠伸を漏らしたのを機に、話を止めた。
貴冬もまだ昼餉を終えていない。いい加減離れようと、口を開きかけた。
「あ、そうだ。これ」
しかしながら、それよりも早く氷冴尾が懐から文を取り出した。
「渡すの忘れたから、あっちに行くなら爪兄に渡しておいてくれ」
「解った」
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