花交わし

nionea

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25.薔薇に似たり

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 元々、あれこれとした手配りが得意なのだろう。
 氷冴尾は、屋根の上で胡座をかいた膝に肘を載せ、頬杖をしながらその光景を見下ろし、そう思った。
 職人としての腕は精緻を極めると言っても過言で無い木柴だが、その驚嘆すべき集中力は仕事でしか発揮されない。職人には少なからずいる類だが、身なりや身の回りに対して頓着が薄いのだ。彼の生活は、愛想は良いし腕があって真面目なため、周りがあれこれと世話を焼いてやって成り立つ、といった具合だった。
 そして今、そんな木柴と周囲との間に、貴冬が入っている。
 別に、貴冬が炊事をして洗濯をして木柴の世話をしている訳ではない。むしろ彼もそうした事は得意ではないようだ。ただ、さりげなく対価を支払いつつ生活の手間を他人に頼んでいる。押し付けるのでも、してもらうのでもなく、仕事にして任せているのだ。
 おかげで、見るに見かねて仕方なくやっていた女将達には駄賃が入り、他人が見かねるほどだった木柴の生活もほどほどに余裕が見られるようになった。
(ああいうのは爪兄がやるものだったけど…)
 虎猫の里では差配など人の役割をするのは族長の仕事であった。しかしながら、犬狼の里では、族長とは実務はしないもので、差配の許可を下すのは族長らしいが、実際に動くのは別で、貴冬もそうした立場だったらしい。
(助けるって事が得意なんだろうな)
 氷冴尾が引き合わせた鐘辰と問題無く話がまとまったようで、その日の内に元締めである商人連の代表との話を終えていた。ついでに、帳簿付けなどの仕事の口まで決めていた。
「氷冴尾さん」
 千寿恵の声に頬杖を解いて下を見下ろす。
「今、お時間あります? お買い物頼んでもえいかしら」
「ああ」
 答えて降りていけば、どうやらそろそろ一月になる生活の中で、最初に買った調味料の類が底をついたらしい。
「少しまとまったお金もできましたし、今度は多めに買い込みたいと思って」
「解った」
 醤油と味噌、油に酒、といった樽で買うものを頼まれた。
「やぁ氷冴尾さん三河屋行かはるなら、あてもついでにお願いしたいんやけど」
 氷冴尾が大家に荷車を借りるから大した事はないと千寿恵に答えている間に、横に来ていた斜め向かいの縞鼠(こうそ)族の夫婦の妻お多衣(おたい)が言った。ついでの事で、大した手間でもないと了承すると、何故か隣三軒のお遣いも追加された。
「堪忍やわ。こんな大事んなってもうて。そや、貴冬さんと行ったらええわ。貴冬さんも今日お休みやろ?」
「いや、別に一人で――」
「貴冬さ~ん。ちょっとええ?」
 氷冴尾の断りには頓着せずお多衣は、すぱっと木柴の家の木戸を開け、土間に居た貴冬を引っ張り出した。
 お多衣から事情を聞いた貴冬は襷を取りながら氷冴尾に微笑んで頷く。
 貴冬が長屋に来てから数日で、長屋の大半は彼の味方に回ったらしく、何かというと氷冴尾は二人で行動するよう仕向けられる。別にそれを嫌だと思う訳ではないが、二人きりでいると、返事をしなくてはならないような気がして落ち着かなかった。
「…荷車借りてくるから、要るもの聞いといてくれ」
「解った」
 言ってしまえば良いのかもしれない。だが、今側に居られるなら、このままでも良いのではないかと考えてしまう。言えば、別れる未来になるだけなのだから。
(っても、いつまでもこのままって訳にもいかねぇよな…)
 大家が住んでいるのは木柴達が住むの店の裏だ。住民は、氷冴尾達が住んでいる一面のみの棟を次郎店、大家が住む表裏両面の棟を太郎店と呼んでいる。ちなみに他所からは、どちらも合わせて近くの神社からとった駒神長屋という名で通っている。本当は藤島一灯長屋というのだが。
「おや、どうしました」
 太郎店に向かうと、ちょうど花鹿(かろく)族の大家壮太郎(そうたろう)が表を掃いているところだった。
「ちょっと荷車を借りたいんだ」
 ええどうぞ、との返事に頷いて礼を返してから太郎店の端の木戸を開ける。造りは他の長屋と変わらないが、そこには様々な物が置かれている。土間には荷車や梯子などの用具のほか、大釜や臼杵などのハレの際に大人数の料理をふるまうような器具もある。畳の側には蚊帳や布団、大皿に高杯など、何かあればとりあえずここを探してみるのが長屋の常識だ。
 荷車といっても、左右一対の車輪が付いた小型の物を引き出し、次郎店側へ運ぶと、ちょうど貴冬が表に出てきた。
「行けるか?」
「ああ。行こう」
 引こうと言ってくる貴冬に背が合わないだろうと返して、氷冴尾は荷車を引いて歩き出した。
「一番近くは金物屋だな」
「…金物?」
「ついでだからと頼まれた」
 貴冬の手元の紙にはびっしりと文字が並んでいる。
「そうか」
 世話焼きで、人が好い。そういう事だろうな、と思いながら、氷冴尾は頷いた。
 並んで歩く視界に、汗ばむ項にかかるおくれ毛を見て、貴冬の口からぽろりと言葉が零れる。
「そういえば、髪は伸ばしているのか?」
 氷冴尾が犬狼の里にやって来てから、今日まで、彼の髪はずっと伸び続けていた。元は肩口にもつかない程だったが、今は頭の後で一つに結われている。束が靡くほどではないが、ずいぶん伸びたのは間違いない。
「あ? ああ、いや。切ってないだけだな。鋏は、里に置いて来たからなんとなくそのまま」
 嫁ぐにあたって『縁切り』を避ける縁起担ぎの意味で刃物類をあまり犬狼の里に持ち込まなかった。虎猫の里では自分で鋏を使って気になればすぐに切っていたので、氷冴尾自身、自分の髪をここまで伸ばしたのは初めての事だ。
「まぁその内切る」
「切るのか?」
「ああ、気が向いたら」
「そうか。残念だな、こんなに美しいのに」
 おくれ毛をまとめるように撫でられ、思わず氷冴尾の歩みが止まった。見返した貴冬は穏やかに微笑んでいる。
「…こんな毛色が美しいとか、お前が変わってるんだよ」
「俺には、氷冴尾の髪も目も、他の何より美しいと思えるんだが。そんなに変わっているか?」
「相当な」
 氷冴尾はふっと息を吐いて再び歩き始めた。貴冬の撫でた首筋がちりちりと熱くなる。
「次は何処だ」
「その先だ」
 歩き出した氷冴尾を追って答えながら、触れた指が熱くなるのを貴冬は感じていた。ほとんど無意識に手を伸ばしていたが、振り払われなくて良かった、と思う。側にいるにも、触れるにも、日々理由を探し続けているが、ふとした折に体が先に動いて言い訳を必死に探す瞬間がある。結局大した理由は思いつけずに、ごまかすように自分の行動とは関係ないような話を振るのが関の山だが。
「そういえば、南の作事は順調だと聞いてるが西は大変らしいな」
「ああ。水路の基礎が壊れたとかで、上物は手が付けられなくなってるらしいな。まぁ棟梁の話じゃ他を先に勧めて後から西にかかりきりで巻き返せば良いから問題はないとさ」
「大規模で長期的な計画だからこういう事もあるんだろうな。まだ全体の構想の一割も終わっていないらしい」
「へぇ、もう虎猫の里よりよっぽどでかいのにな。都でも造るのか」
「似たようなものだろうな。商都という言葉を使っていたから」
 丹野の事などを話しながら回る買い物は、順調に進んだ。必要になったら誰かに訊いて直接そこに向かう氷冴尾と違い、貴冬は丹野全体の事が頭に入っており、言われるままに道を行けば、頼まれ物は順序良く買い集まっていく。
 並んでぽつぽつと話していた距離も、荷が増えるにしたがって荷車の前後に分かれた。
 開いた距離に、安堵と寂しさを同時に覚えて、氷冴尾は戸惑うが、表には出さずにただ買い物を続ける。
「ここだよ」
 最後になった米だけは、氷冴尾が赤さんの店へ案内した。
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