花交わし

nionea

文字の大きさ
27 / 35

27.淡く紅を混ぜたように

しおりを挟む
 泣くのかと思った。
「!」
 氷冴尾の眉を寄せた苦しげな顔に、貴冬は慌てて近くへ寄りかけた。
 だが、手のひらをまっすぐに向けられ、来るなという態度にたたらを踏む。
(いらない…とか)
 それをわざわざ言わなければいけないのだろうか、と胸が重苦しくなる。氷冴尾にとって、望む相手はいつもそうだ。手を伸ばしてはいけない。望んではいけない。誰からも望まれている者を、自分一人の側になどと、許される事ではない。父がそうであったように、従兄がそうであったように、誰からも望まれる相手を望む事はいけない事だ。だからこそ、母は泣いていたではないか。
「俺は」
 父に手を伸ばさなかったように、従兄の手を掴まなかったように、ただ望まなければいい。
 口元を手で覆い、俯く。動揺して唇が震えている気がしたのを隠した氷冴尾の耳に、その声はするりと届く。
「もし、ここに犬狼族の貴冬という方がおられると聞いて来たのだが」
 声がしたのは、閉ざした木戸の向こうだった。
「あの…」
 その声を発した二人の青年達は戸惑っていた。
 貴冬の居場所を聞き、ようやく長屋までたどり着いたところ、何故か長屋の住民と思しき者達が一つの木戸に聞き耳を立てるように集まっていたのだ。何かあるのだろうから邪魔はしたくないが、残念ながらそこに集まっている者達以外に話を訊けそうな相手もいない。
 しかたがなしに声をかければ、
『何で今?!』
と、でも言いたげな顔で睨まれてしまった。
「はいはいはい貴冬さんね。ちょおっと今立て込んどるんよね。だからまぁ出直したらええわ」
「え」
「いや我々は」
「ちくっと出直せば良かろ。何ならあての家貸しちゃるけ、待っちょれ」
 追い払うように手を振られ、そこに入っとけと指され、それでも青年達は引き下がらなかった。少なくとも確実に目の前の住民が貴冬を知っているのだと確信を得たのだから当然だ。
 もう一度詳しく話を聞こうと口を開きかけると、住民の向こうの木戸が開いた。
「あ!」
「貴冬さん!」
「………」
 聞き耳を立てていた長屋の衆から、何故出てきたのだ、という目を向けられて、貴冬も自分で自分にそう思っていると溜息を吐く。とはいえ、氷冴尾が、呼んでいるぞ、と促したのだから仕方がない。それに、外で騒ぐのを気にしながら続ける話でもないだろう。
「貴冬さん」
「どうか里にお戻りを」
「話は聞く。とりあえずこちらに来い」
 後ろ手に木戸を閉め、ようやく見つけた、と目を輝かせ尾を振る青年達を促して、今はもう自分の家でもある木柴の家へ入った。
「…ふぅ」
 閉まった木戸を見つめて、氷冴尾は溜息を吐いた。胡座をかいた自分の足首を撫で、ぐっと掴む。虚しく空を掻くように手を伸ばす事だけはしたくなかった。
 犬狼の里を出た日も、虎猫の里を出ると決めた日も、感じていたのは浅ましいまでの羨ましさだ。
 誰かに望まれる者に自分の手を伸ばしてはいけないと解っていて、大人しくしている振りで、何処かで望まれている相手を妬んでいる。優しさで情けを向けられる事を喜びながら恨んでいる。何も持たない、誰の望みにも応えられない自分を、ただ此処ではないだけなのだと慰める。
「っ…!」
 族長のたった一人の子であったのに、何故、何の役にも立たないのだろうか。そんな思いはずっと燻り続けている。
 奥歯を噛み締めて、土間の地面を睨みつけた。意味はないが、力を込めなければ泣きそうな気がした。それではあまりにも虚しい。
 しばらくそうしてから、氷冴尾は頭を振って立ち上がる。貴冬がいつ戻るのか解らないが、そう簡単に話し合いが終わるものでもないだろう。もう寝てしまおうと考えたのだ。
 だが、鴨居をくぐる前に耳に声が届く。
「すまん待たせた!」
 予想よりもはるかに早く貴冬は戻って来た。
「まったく待ってない…話は終わったのか?」
 体の力が抜けた。氷冴尾は、柱にもたれるように立って話始めた。
「氷冴尾との話の方が重要だ。騒がず待つよう言い聞かせたから気にするな」
「里に、戻って欲しいという話だろう。俺の事よりも先に…」
「次期族長の嬬に横惚れした挙句里を出奔した者がおめおめ戻れる訳がないだろう。あれらは無駄骨を折りに来たんだ。誰の指図か知らんが…」
 氷冴尾は数度瞬いて、小首を傾げた。
「里に、戻らないのか?」
「戻れる道理が無い」
 貴冬は氷冴尾の言葉に首を横に振る。そして、少し口ごもってから続けた。
「海春との仲を取り持つことも、俺に与えられた役目の一つだった。だが、俺は…それを果たせていない」
 駄目だと解っていながら堪えきれなくなって、貴冬は氷冴尾の目を覗き込むように顔を合わせた。僅かに目を見開いた呆れたような顔をしている。
「呆れるのも、もっともな事だと思う。俺は、お前が里を出て行った事で、もう我慢せずとも良いのだと、喜んだ…あげく丹野まで、追って来て、独りよがりな真似をしているのだと解っている。迷惑ならばいつでも離れるつもりだ」
「離れて、どうするんだ…里に戻らないなら」
「まぁ、今は何とも言えないが。なんとかなるだろう。日寬にでも行けば食う事くらいはできるだろうし」
 貴冬の言葉に、確かになんとでもするのだろうと思った氷冴尾だったが、そう口に出す事はできず、言葉を捜すように口を開いて、また閉じた。
 頭の中で、貴冬の言葉が回っている。
「お前…本当に俺を嬬に欲しいと思ってたのか…」
 ぽつりと氷冴尾が呟いた言葉に、今度は貴冬が目を見開いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

猫の王子は最強の竜帝陛下に食べられたくない

muku
BL
 猫の国の第五王子ミカは、片目の色が違うことで兄達から迫害されていた。戦勝国である鼠の国に差し出され、囚われているところへ、ある日竜帝セライナがやって来る。  竜族は獣人の中でも最強の種族で、セライナに引き取られたミカは竜族の住む島で生活することに。  猫が大好きな竜族達にちやほやされるミカだったが、どうしても受け入れられないことがあった。  どうやら自分は竜帝セライナの「エサ」として連れてこられたらしく、どうしても食べられたくないミカは、それを回避しようと奮闘するのだが――。  勘違いから始まる、獣人BLファンタジー。

【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件

表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。 病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。 この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。 しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。 ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。 強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。 これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。 甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。 本編完結しました。 続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください

小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)

九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。 半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。 そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。 これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。 注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。 *ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)

転生DKは、オーガさんのお気に入り~姉の婚約者に嫁ぐことになったんだが、こんなに溺愛されるとは聞いてない!~

トモモト ヨシユキ
BL
魔物の国との和議の証に結ばれた公爵家同士の婚約。だが、婚約することになった姉が拒んだため6男のシャル(俺)が代わりに婚約することになった。 突然、オーガ(鬼)の嫁になることがきまった俺は、ショックで前世を思い出す。 有名進学校に通うDKだった俺は、前世の知識と根性で自分の身を守るための剣と魔法の鍛練を始める。 約束の10年後。 俺は、人類最強の魔法剣士になっていた。 どこからでもかかってこいや! と思っていたら、婚約者のオーガ公爵は、全くの塩対応で。 そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変? 急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。 慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし! このまま、俺は、絆されてしまうのか!? カイタ、エブリスタにも掲載しています。

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

【完結済】氷の貴公子の前世は平社員〜不器用な恋の行方〜

キノア9g
BL
氷の貴公子と称えられるユリウスには、人に言えない秘めた想いがある――それは幼馴染であり、忠実な近衛騎士ゼノンへの片想い。そしてその誇り高さゆえに、自分からその気持ちを打ち明けることもできない。 そんなある日、落馬をきっかけに前世の記憶を思い出したユリウスは、ゼノンへの気持ちに改めて戸惑い、自分が男に恋していた事実に動揺する。プライドから思いを隠し、ゼノンに嫌われていると思い込むユリウスは、あえて冷たい態度を取ってしまう。一方ゼノンも、急に避けられる理由がわからず戸惑いを募らせていく。 近づきたいのに近づけない。 すれ違いと誤解ばかりが積み重なり、視線だけが行き場を失っていく。 秘めた感情と誇りに縛られたまま、ユリウスはこのもどかしい距離にどんな答えを見つけるのか――。 プロローグ+全8話+エピローグ

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...