花交わし

nionea

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34.赤い風

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 氷冴尾と貴冬が連れ立って長屋に帰り着くと、表の通路に住民が出て来て通路の途中に垣を作っていた。住戸が長屋の奥の方にある二人にとっては完全に道を塞がれている状態だ。
「何だ」
「さ…!?」
 氷冴尾の疑問に同じく疑問を示そうとした貴冬は、視界でちらついた紅い色に目を見開き口も開けた。
「まさか」
「おう。ようやっとお帰りかぁ」
 呆然と声を出した貴冬に気付き、人垣の向こうで手が挙がる。声と動作で、垣も割れ、二人と見慣れぬ客との間に道ができた。
 軽快に歩み寄る者を見て、氷冴尾は内心で首を傾げた。
 紅と黒の混じった虎毛色の髪は初見だが、その耳や尾の形から察するに犬狼族の女に見えた。しかし、何故か貴冬が氷冴尾を背に庇う様に移動し、立ち塞がっている。
「知り合いじゃないのか?」
 某かの因縁でもあって警戒しているのだろうかと貴冬へ問いかけると、
「妹だ」
「姉だ」
 そう返ってきた。
 貴冬が『妹』と言ったのだが、その声をかき消すように『姉』と被せてきたので、『いもあね』と聞こえた。
「どっちだ」
「妹だ」
 氷冴尾の再度の問いかけに貴冬が素早く答えると、貴冬の妹、雪蓏(せつら)は、肩を竦めた。彼女の背は貴冬とそう変わらないので、顔は氷冴尾にも見えている。やれやれとでも言いたげな表情だ。
「ちょっと穴から出てくんのが早かったくらいで兄ってのはどうかと思うんだよな」
 半身をずらしてから、肘を貴冬の肩にのせ、手首に顎を乗せ、つまらなそうに兄の顔を見る。
「貴冬と、あたし、どう見てもあたしの方が姉に見えるだろ?」
 そして、氷冴尾にそう問いかけた。
 黒髪に黒目の貴冬。
 紅混じりの虎毛に金の目の雪蓏。
 色はだいぶ違うが、確かに顔立ちは似ていた。しかしながら、どちらかが『兄』あるいは『姉』に見えるかと尋ねられても、困る。氷冴尾は、爛々と見つめる視線ではなく額の辺りを見ながら少し考えた。
「良い加減にしろ」
「あたっ!」
 氷冴尾と視線を合わせようとする雪蓏の結われた髪を掴んで、貴冬は氷冴尾から顔を背けさせた。他愛もない会話をしながら歩く道々の並んだ距離の近さに喜んでいた気持ちが、一気に反転するようで、八つ当たりの自覚はあった。
 意外な対応に、本当に身内なのだろうな、と思いつつ氷冴尾はそのまま雪蓏の方を見続ける。
「そもそも何しに来たんだ」
「そりゃまぁ色々あるけど。まずは出戻りの挨拶かな」
 雪蓏は今から五年も前に駆け落ち同然で里を飛び出していた。
「…出戻り?」
「そうそう」
「解った。今聞いた。じゃあもう用は済んだな。帰れ」
「まずはって言ってんだろうよ。ま、最大目的は義弟になるって氷冴尾ちゃんの面拝みに来たのよ」
「そうか。帰れ」
「ってのもまぁ一つの内で、今度海春の後妻に納まる事になったから、前妻に会っとこうかな、ってさ」
 けろりと軽い調子で述べられた理由に、貴冬は固まる。長屋の面々が妹を取り囲み、今もなおそわそわとこちらを伺っている理由が解った。
 氷冴尾は軽く首を傾げつつ、わざわざ会いに来る理由が解らないな、と思っただけだが。
「っかしまぁ」
 貴冬の手から髪を逃して距離をとり、氷冴尾をまじまじと見つめてから、雪蓏は笑って兄の肩を叩いた。
「上手くやりやがったな貴冬」
 にやりと大きめの犬歯を見せて笑う。
「いやぁこんな美形を逃してあたしみたいの後妻に貰うとか、海春の奴とんでもないうつけだわ」
「なるほど」
 心底楽しそうな雪蓏の様子に、氷冴尾は頷いた。
「兄妹だな」
 氷冴尾は自分を美形扱いするあたりに同じ血を感じると思い頷いたのだが、兄も妹も、それぞれに不満を抱く。
「待ってくれ、今何処に納得する要素があった」
「あれ? ちゃんと姉弟って言ってくれてなくないか?」
「ところで、まとめると俺の顔を見るのが目的でここに来たようだが、この後はどうするんだ」
 不満を述べるも、しれっと流され、雪蓏は頭を掻く。
「まぁ帰るよ、一旦はね。あたしも色々やる事あるし。あと最後に一つ、これ」
 貴冬に文を渡す。
「お袋様から預かった」
「ああ」
「じゃあな貴冬、氷冴尾。またその内」
「おう」
「もう来るな」
 貴冬の悪態を気にした様子もなく、雪蓏はひらひらと手を振って長屋を去っていった。
 まるで野分のようだと何人かが貴冬に同情的な視線をやりはしたが、過ぎてしまえば終えた事と集まっていた連中もそれぞれ自分達の生活に戻っていく。
「すまない。失礼な奴で」
「いや別にそう思わなかったから気にするな」
「…ありがたい。その、礼儀はなっていないが決して性根が悪い訳ではないんだ」
 妹の印象を少しでも良いものにしようという兄の精一杯の補足が入った。
 氷冴尾は、その気まずげな表情の目をじっと見つめる。
 視線の意味を図りかねて、貴冬は目を見つめ返しながら首を傾げた。
「いい男だな」
 一言だけそう言って氷冴尾は自分の戸へ向かう。
 言われた貴冬は、傾げていた首を逆に倒し、晩飯をどうするのか尋ねたいがためにその光景を目撃した木柴に視線を向けた。
「どういう意味だと思う?」
「知らねぇよ。どうせそのままの意味だろ」
 くそぅ当てつけやがって、と言いながら戸内に引っ込む木柴を追いながら、
(そのまま…面倒見が『いい』とか、そういう事か)
と、貴冬は得心した。
 氷冴尾としては、何かが『いい』のではなく、ただそのまま『いい男』だと言っただけだったのだが。
 この日、雪蓏が持ってきた文がきっかけとなり、二日後には二人の婚儀の日取りが決まった。
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