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第2章:新生活
2.父
義母が家にいなくなってから、いや、いなくなる前から、父は外泊を重ね、アンセラとは顔を合わせる機会がほとんどなかった。
「お父様」
かなり夜更けに、酒と移ったと思われる女性ものらしい香水の匂いをさせた父が帰ってきた所を呼び止める。
義母がいないために彼女は今全く勉強を進められずにいるのだ、このままでは姉に手紙を出す事など夢のまた夢である。だから、なんとしても父に勉強をしたい旨を伝えなくてはならない、と待ち構えていたのだ。
「アンセラ…? 何をしている。女がこんな夜更けまで起きているものではない」
目の据わった赤ら顔の父が、一瞬見知らぬ男に見えて、アンセラは怯んだ。
「…申し訳ありません。ただ、その、お義母様がいらっしゃらないので」
「ネリースがいないからと生活態度をだらしなくさせるなど言語道断だ!」
誤解だ、と思ったが、その怒鳴る声に身が竦んだアンセラは弁明を口に出せなかった。
「あの…」
「さっさと部屋に行って大人しくしていろ!」
「………はい」
顔を青くして、アンセラは怯えたまま部屋へと小走りに戻った。
(きっと…酔ってたからよ)
酔っぱらいは、大概聞く耳を持たず横柄になるものだ。昔近所に居た職人の男も、普段はニコニコと愛想の良い気の良い男だったが、酔うとその気の良さがなくなり粗暴になった。
(明日…そうよ、また明日。機会はいくらでもあるわ…)
アンセラはベッドの中で丸くなると、震える指先を握り締める。
この頃は近付いても逃げなくなったシィレンが、珍しくベッドに上がって、丸くなるアンセラの側で寝そべると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「シィレン…?」
そろそろと被っていた掛布から顔を出すと、ふさふさした背中が見える。そっと手を伸ばして、初めて触れたシィレンの背は、温かくて見た通りさらさらふわふわとして、アンセラは少しだけ元気が戻るような気がした。
翌日。
「お父様…」
昼食時も過ぎた頃になって起きてきた父に、アンセラは恐る恐る声をかけた。
「どうした?」
父の顔に笑みはなかったが、酔っているような様子も不機嫌さもない事に内心で安堵の息を吐きつつ、アンセラは勉強をしたいという話を切り出した。
「ああ、そうか。ああ」
アンセラの訴えの熱量に比べ、父の反応は芳しくなかった。だが、最後には、解った、と言ってくれた。
家庭教師を準備しよう、という言葉に思わずぱっと笑みを浮かべてから、慌てて微笑に切り替える。
「ありがとうございます」
これで勉強を進められる。姉と約束した通り、彼女の代わりに成れる。
そんなアンセラの安心は、結局六ヶ月もの間裏切られ続けた。
「今探している」
「こういった事は時間がかかるものなのだ」
「私の苦労も知らずにうるさく言うな!」
月の内に十日も家にいない父の酔っていない時を狙って声をかけ続けたアンセラだったが、四ヶ月目には怒鳴られた。
(どうして…)
怒鳴られて何も言えなくなってから二ヶ月。
ようやく家庭教師だという女性が現れた時には、もう何だかすっかり疲れてしまっていた。
「お父様」
かなり夜更けに、酒と移ったと思われる女性ものらしい香水の匂いをさせた父が帰ってきた所を呼び止める。
義母がいないために彼女は今全く勉強を進められずにいるのだ、このままでは姉に手紙を出す事など夢のまた夢である。だから、なんとしても父に勉強をしたい旨を伝えなくてはならない、と待ち構えていたのだ。
「アンセラ…? 何をしている。女がこんな夜更けまで起きているものではない」
目の据わった赤ら顔の父が、一瞬見知らぬ男に見えて、アンセラは怯んだ。
「…申し訳ありません。ただ、その、お義母様がいらっしゃらないので」
「ネリースがいないからと生活態度をだらしなくさせるなど言語道断だ!」
誤解だ、と思ったが、その怒鳴る声に身が竦んだアンセラは弁明を口に出せなかった。
「あの…」
「さっさと部屋に行って大人しくしていろ!」
「………はい」
顔を青くして、アンセラは怯えたまま部屋へと小走りに戻った。
(きっと…酔ってたからよ)
酔っぱらいは、大概聞く耳を持たず横柄になるものだ。昔近所に居た職人の男も、普段はニコニコと愛想の良い気の良い男だったが、酔うとその気の良さがなくなり粗暴になった。
(明日…そうよ、また明日。機会はいくらでもあるわ…)
アンセラはベッドの中で丸くなると、震える指先を握り締める。
この頃は近付いても逃げなくなったシィレンが、珍しくベッドに上がって、丸くなるアンセラの側で寝そべると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「シィレン…?」
そろそろと被っていた掛布から顔を出すと、ふさふさした背中が見える。そっと手を伸ばして、初めて触れたシィレンの背は、温かくて見た通りさらさらふわふわとして、アンセラは少しだけ元気が戻るような気がした。
翌日。
「お父様…」
昼食時も過ぎた頃になって起きてきた父に、アンセラは恐る恐る声をかけた。
「どうした?」
父の顔に笑みはなかったが、酔っているような様子も不機嫌さもない事に内心で安堵の息を吐きつつ、アンセラは勉強をしたいという話を切り出した。
「ああ、そうか。ああ」
アンセラの訴えの熱量に比べ、父の反応は芳しくなかった。だが、最後には、解った、と言ってくれた。
家庭教師を準備しよう、という言葉に思わずぱっと笑みを浮かべてから、慌てて微笑に切り替える。
「ありがとうございます」
これで勉強を進められる。姉と約束した通り、彼女の代わりに成れる。
そんなアンセラの安心は、結局六ヶ月もの間裏切られ続けた。
「今探している」
「こういった事は時間がかかるものなのだ」
「私の苦労も知らずにうるさく言うな!」
月の内に十日も家にいない父の酔っていない時を狙って声をかけ続けたアンセラだったが、四ヶ月目には怒鳴られた。
(どうして…)
怒鳴られて何も言えなくなってから二ヶ月。
ようやく家庭教師だという女性が現れた時には、もう何だかすっかり疲れてしまっていた。
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